ぐいちかすざけひげにつく【ぐいち粕酒髭につく】むだぐち ことば

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愚人夏の虫」で出た五二(=ぐに)同様、やはり双六博打で、五一(=ぐいち)も悪い目。

三六とともに、意味のないまったくのカス目で、そこから五一三六=どっちもどっち、どんぐりの背比べという慣用句も生まれました。

しゃれとしては、ぐいちから「ぐい」と酒をあおると掛け、「カス目」から粕酒(=どぶろく)とつなげています。

最後の「ひげ」は、博打で目が出ず「ひけ(=負け)を取る」のダジャレ。

やけ酒をあおっても、口の周りや髭に、賽の目同様何の役にも立たない酒粕がくっつくだけ。踏んだり蹴ったりというところでしょう。

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そのことあわせにひとえもの【そのこと袷に単衣物】むだぐち ことば

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江戸の古いしゃれことば。

もともと、相手の意を受けて「そのこと、そのこと」と、大賛成という意向を即座に伝えるものです。

それを重ねことばとせず、着物でしゃれているわけです。

「そのこと」は「布子ぬのこと」という地口。

布子は綿入れになった木綿の生地。

それを二枚重ねに縫って秋冬用のあわせにし、夏用には一枚で裏地なしのひとえものにします。

もう一つ、「ことあわせ」は「事合わせ」で、万象のリズムがよく合うこと。

動詞で「こと合う」などとも言います。

これで、相手への同意と、同時に「合わせ=袷」でダブル、すなわち「そのこと」の反復をも示すわけです。

なかなか手が込んでいます。

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そうそうへんじょうあまつかぜ【早々返上天津風】むだぐち ことば

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「すぐにお返しします」というだけの実です。

名前と自慢の和歌を、後世の江戸の町人どもにもてあそばれた、お気の毒な例。

僧正遍昭そうじょうへんじょうの代表歌「あまつ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」(古今和歌集)は「百人一首」の一首で、江戸時代の人々には親しまれていました。

僧正遍昭は六歌仙の一人。

出典をいくつか見ると、どうやら盃のやりとりのときのむだぐちのようです。

相手に盃をさされて「はい、それでは早速ご返杯」と、今でもよくみられる光景です。

特に歌の文句と関連はないようですが、もし「吹き閉じよ」「お止め」で、「はい、もうこれ切り。後の盃はご辞退申します」という心を含ませているのなら、なかなかのしゃれ者です。

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そうかもんいんのべっとう【そうか門院の別当】むだぐち ことば

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江戸のだじゃれの典型です。人物名の音からの勝手きままな連想です。

相手の言葉に「そうか」と、直接自分で反応しているとも取れます。

これもダジャレで、元は「皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう」。

この人物は本名、正没年月日未詳で、平安末期の女流歌人。

百人一首に選ばれた「難波江なにわえの あし仮寝かりねの ひとゆゑ 身を尽くしてや 恋わたるべき」がよく知られています。

むだぐちとの直接な関連はなく、ただ名前を借りられただけでしょう。

ここでも「百人一首」からの拝借です。

「そうかもんいん」は、「そうか、もういい」のダジャレがプンプンにおいます。

「別当」は、ずばり「べっかっこう」(あかんべえ)の、これまたダジャレでしょう。

名前をいいようにおもちゃにされています。

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そういやそうれんぼうずがぼってくる【そういや葬礼坊主が追ってくる】むだぐち ことば

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「そう」という返事をさらにまぜっ返したしゃれです。

「そう」と「葬礼」を掛け、葬式に付き物の坊さんを出したもの。

締めくくりに「ぼうず」から「ぼって」と、頭韻でことばのリズムを効かせています。

「ぼってくる」は「追ってくる」で、愛知県の方言。むだぐち自体がこの地方のローカルでしょう。

「ぼって」はあるいは、お布施を「ぼる」、高く搾り取るの意味も掛けているのかもしれません。

類型としては、「坊主」以下の代わりに「葬式饅頭うまかった」と付けることも。

このフレーズはいまも生きていますね。

これだといっそうバチ当たりになりますが、「そう」を三回続けることできれいに頭韻がそろい、より快いリズムになっています。

「そう」の揚げ足取りでは、同じ愛知県の「そういやそういやおかっつぁま」も。

さらには、「草加越谷千住の先だ」「そううまくは烏賊の金玉」など、それこそ無数にあります。

「草加……」は江戸近郊の地名でしゃれたもの。

後者は「いかない=烏賊」で、烏賊には金玉がないことから。子供の悪じゃれです。

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すこしおそしどう【少し御祖師堂】むだぐち ことば

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「遅い(遅し)」と「お祖師」を掛けただけの、きわめて単純明快なしゃれことば。

前後の会話の流れで、相手の遅れを軽くとがめたり、逆に自分が遅れた(遅れる)と告げる場合があります。

「お祖師さま」は、日蓮宗の信者が多かった江戸では宗祖の日蓮や同宗派の寺院をさします。

「堀之内のお祖師さま(妙法寺)」などが著名です。

単に「祖師堂」という場合には、広く各宗派でそれぞれの宗祖の業績を記念した尊像や位牌などを安置している堂宇(広くは寺そのもの)をさします。

中でも禅宗の始祖達磨(円覚)大師を祀った祖師堂をいう場合が多いのです。

江戸の町では、「祖師」といえば「日蓮」とすぐに連想がいきますから、「ああ、日蓮のね」とすんなり胸に落ち着きす。

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しくじっぴょうごにんぶち【四九十俵五人扶持】むだぐち ことば

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将棋のむだぐちです。

「しくじった」というのを「じった」から「じっぴょう」ともじり、俵取りの御家人の「十俵五人扶持」という安サラリーに掛けています。

意味としてはこれがすべてですが、細かく見ていくと、まだいくつかしゃれが隠れています。

「しく」で「四九」→「四苦八苦」を効かせ、八苦よりもさらに重い「十苦」→「重苦」の心で、最下級の侍、御家人の俸禄「十俵」を出します。

実は「十俵」自体、「失注しっちゅう(受注に失敗する)」または「失敗」のしゃれになっているので、なかなか手が込んでいます。

いずれにせよ、たかがヘボ将棋でおおげさなことで。

「十俵五人扶持」は年間支給蔵米分十俵+扶持米分で、計三十五俵相当。

幕末の相場では、およそ十二両と一分です。

町奉行所同心が三十俵二人扶持で四十俵+袖の下、大工の熊五郎でも、腕がよくて飲む打つ買うさえ控えれば、年間収入十三両くらいはいきます。

まあ、暮らしはなんとかカツカツといったところでしょう。

で、しゃれに戻ります。

最後の「五」はというと、ただの付けたりで済ますよりは、五=悟で、ぶちぎりの負けを悟ったり、とでも考えておきますか。

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すったこった【すったこった】むだぐち ことば

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「すべったころんだ」を短縮したものです。

「すぺったころんだ」「すべったりころんだり」とも。

愚痴や言い訳めいたつまらない繰り言を、いつまでもぐずぐず並べ立てること。

似た音形のことばに「すったもんだ」があり、これを「すったこった」と同じ意味とする説もありますが、疑問です。

「すったもんだ」は「擦った揉んだ」で、複数の人間が一所に集まって揉めること。

無理に関係を付けるとしたら、すったこったと世迷い言を並べる連中が複数集まると、必然的にすったもんだとけんかになるということでしょう。

下の動画は、宮沢りえを起用した「CANチューハイ」(宝酒造)のCMです。

1994年に放映されましたが、貴乃花と宮沢りえの婚約破棄騒動は生々しく、これより少し前の話題でした。

1992年11月、二人は婚約を発表したのですが、翌年1月には破棄へ。

このCMが放映された94年は我々の記憶も新しかったため、「すったもんだ」の掛けことばが生きたのです。

たちまち耳目となり、「すったもんだがありました」はこの年の新語・流行語大賞にも選ばれました。

すりおろしリンゴのチューハイとあの二人の珍騒動がうまくかけ合わさり、私たちに強烈なインパクトを与えてくれたものです。

どこか言い知れぬ闇を抱えたあの騒ぎの劇場的な後始末を、宮沢りえは見事に演じてくれたように見えました。

こんな形のなおらいもあるんだな、と。

タカラCanチューハイ(1994年)。宮沢りえの「すったもんだがありました」は新語・流行語大賞に

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すまないのじろうなおざね【済まないの次郎直実】むだぐち ことば

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「済まない」と「くまがい(熊谷次郎直実)」を無理に掛けただけのダジャレ。

よく注意すると、これと同レベルのダジャレがもう一つ潜んでいます。

1184年3月20日の少年惨殺事件の犯行現場、「須磨の浦(すまのうら)」と「すまない」。

油断も隙も敦盛です。

「くまがい」のままでは、いくらなんでもわかりません。

一度ダジャレで崩して「済まない」として初めて浮かび上がってくるという、凝ったといえば凝った代物です。

もう一つ。

「済まない」は、本来は「許せない」「納得できない」の意味もありますから、前後でどういう状況を受けて言っているかによって、怒っているのか謝っているのか、解釈も変わってきます。

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しょうしんしょうめいけぶけちりん【正真正銘けぶけちりん】むだぐち ことば

成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席 正真正銘間違いなし、混じりっけなしの本物というのを、江戸っ子特有の大げさな軽口で強調したものです。 このあとに、普通は「現金掛け値なし」と続けてダメを押します。 「けちりん」は「毛一厘」が縮まった形。 否定、打ち消しをともなって「毛筋ほどの不純物もない」と、これも強調、アピール。 「けぶ」は不明ですが、「九分九厘」のしゃれでしょうか。 現金掛け値なしは、元禄年間(1688-1704)に日本橋の三井越後屋呉服店が始めた画期的な新商法。 一切の情実的な値引きをせず、公明正大に正札=正価のみで販売というもので、これが江戸のみならず全国的な評判を呼び、大繁盛。 のちの大財閥の礎を築きました。 転じて、「掛け値なし」が太鼓判、間違いなしという慣用語に。 同様の表現は、「金箔付きんぱくつき」「極め付き」「極印付ごくいんづき」「極印を打つ」「極め印付き」「正札付しょうふだつき」など、さまざまです。

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じゃまにならのきむくろんじ【邪魔に楢の木椋ろんじ】むだぐち ことば

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一見すると「邪魔になる」というだけのむだぐち。

「なる」と「なら」を掛けているわけです。何回か口に出して唱え、ことばのリズムを味わうと、自然にもう一つダジャレが隠れていることがわかります。

「じゃまに」と「山に」です。

最後の「椋ろんじ」。これがなかなか難物です。

辞書を引いてみれば、「むくろんじ」はムクノキ。落葉樹で、皮または実を煎じるとぶくぶく泡が出て、シャボン玉の液に。

「茶の湯」で、隠居が煎茶の泡を出すのに、青黄粉といっしょにぶち込んだのが、これでした。

木自体はなんの変哲もなく、「むくろ(ん)じは三年磨いても黒し」という諺から「進歩がない」ことのたとえでした。

「あってもさして役に立たない、うどの大木」ということで「邪魔」とつなげたと思われます。

考えてみれば、ほとんど愚かしいダジャレばかりのむだぐちに、しかつめらしい解釈などは本来、ヤボの極み。

遊び心という視点では、これはなにとなにを掛けて後にどうつなげているのか、謎解きのようなおもしろさがあるのもまた確かなのですが。

そこで、引っかかった「椋ろんじ」について、木だけに掘り返してみます。以下は、筆者(高田裕史)の私見です。

結論をいえば、これは「むぐらもち」のダジャレ。あの「モグラ」のことです。

ではなぜか。答えは、安政4年(1857)初編刊の滑稽本『妙竹林話七偏人』(梅亭金鵞作)に隠れていました。「山椒味噌まであればよい」と。

『七偏人』の主人公は七人の侍ならぬ七人の遊冶郎(=放蕩野郎)。なにかといえば七人が雁首そろえ、遊ぶことしか頭になし。

この連中が好むのは茶番です。

江戸中あっちこっちで野外芝居の趣向をこしらえ、最後にタネあかしで見物人をあっと言わせるのが生きがい。

で、今日も今日とて、ああだこうだとむだぐちを叩きあいながら、相談に余念あリません。その一人、虚呂松(きょろまつ)が、演出に熱が入りすぎて腹が減ったと七輪で餅を焼き始めます。

いわく「不器ッちやうに大きな網で、土俵のそとへ二、三寸はみ出すから」。……以下、「邪魔に楢の木」と、このざれぐち。

この男、でっぷり太って大食い。

キーワードは「餅」とわかります。

そこで「むぐらもち」→「モグラ」は太っている人のたとえだと。おまけに「もち」が出ます。

最後の「山椒味噌」。山椒の実が丸くてごろごろしているところから「ころり山椒味噌」。

これも大食い、肥満の異称です。

餅網が大きすぎ、七輪という土俵からふくれた餅がはみ出してコロコロリ。

「味噌でもつけて食っちまおう」というところ。

これで「むくろんじ」→「むぐらもち」のつじつまがどうにか合いました。

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しかられたんぼのしいなぐさ【叱られ田圃のしいな草】むだぐち ことば

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叱られてしょげているようすをからかったむだぐちです。

同じ形のしゃれに「心得たんぼ」があり、ともに語尾の「た」を「田んぼ」と掛けているだけ。

「しいな草」は萎れて実の入っていない草木や籾殻で「しおれ草」とも。落ち込んでいる精神状態を萎れた草にたとえたものです。

もう一つ、田んぼの「ぼ」は「坊」を効かせた可能性があります。

そうなると、「叱られん坊」「叱られた子供(男の子)」の意味が加わることになります。

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たまげたこまげたあずまげた【たまげた駒下駄東下駄】むだぐち ことば

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たまげた(=肝をつぶした)というのを、「げた」から駒下駄、東下駄と下駄尽くしでしゃれただけです。

脚韻を「げた」でそろえていて、口にするといいリズムです。

駒下駄は、爪先部分が馬蹄ばていのように丸くなっているもの。音が色っぽいところから、吉原通いの通人つうじんなどにも好まれました。

東下駄あずまげたはご婦人用で、畳表を張った薄歯の履き物。寛永年間(1624-44)に吾妻あずまという源氏名の花魁おいらんが履き始めたところから、こう呼ばれました。

江戸時代後期には、もっぱら色里の女や、男でも遊び人だけが履くものとされました。

別名日和下駄によりげた

晴れた日専用の下駄で、永井荷風の同名の東京探訪ルポ『日和下駄』でも知られています。

しゃれフリークの筆者(高田)としては、これだけでは物足りないので、「たまげた、こまった、ひょろげて(→ひよりげた)おつむ(→あずま)をぶっつげた」とでも悪ノリしておきます。

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しからばごめんのこうむりばおり【然らば御免の蒙り羽織】むだぐち ことば

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武士の武張ぶばってする「しからば御免をこうむって=それでは、お言葉に甘えて失礼いたす」という挨拶を芝居などで町人が覚え、むだぐちにしたもの。

気取った言い回しなので、将棋の対局中にも、あるいは、酒の席などでも使われたことでしょう。

推測ですが、「こうむり」は「かぶり」に転化し、羽織を含め、着物をはしょって頭からかぶるラフな着方があるため、最後に羽織を出したのかもしれません。

もう一つ、「かぶる」は「かじる」の意味の同音異義語があるので、そこから「歯→はおり」としゃれたという見立てはどうでしょう。

いや、いくらなんでも、むだぐちでそこまで考えてはいませんね。

ことばというのは生き物ですから、人が意図しなくても、自然に暗号めいた符合が付いてしまうことが、よくあるものなのです。

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さましてたんとおあがり【冷ましてたんとお上がり】むだぐち ことば

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わざとらしくおだてられたとき、「なんとでもお言い、せいぜい冷やかしなさい」と拗ねた言い返し。

本気でむくれている場合と、からかっちゃあいけねえと多少照れて言う場合があります。

「冷やかすな」の逆表現で、「茶でも酒でも冷やしてお飲み」というアイロニー。

これは天明期(1781-89)ごろの、遊里の色模様を扱った洒落本によく出典が見られるので、やはりそちら方面の通言が出自でしょう。

いかにも、客か花魁が痴話げんかのときに使いそうな、むだぐちです。

「茶にする」「酒にする」は、茶化す、からかう意味があり、「冷ます」自体にも「けなす」「悪く言う」という用例があるので、かなり微妙な思惑も含まれていそうです。

第二の意味として、惚気けられたときに「ごちそうさま」と突き返す意味でも使われました。

別表現に「冷まして食え」などがあります。

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さんすけまったり【三助待ったり】むだぐち ことば

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三助とは、湯屋の窯焚き、あるいは、商家に雇われた飯炊きの奉公人。

ともに火を扱う仕事だけに、バタバタしやすいことから、「そんなにあわてず、落ち着いて待ちなさい」という意味の日常語となったものです。

そこからニュアンスを違えて「おっと待った、そうはさせない」とも。

こちらは将棋で、相手を牽制するむだぐちになるでしょう。

寛政年間(1789-1801)頃の流行語です。

元は「三助舞ったり」で、これは、からくりの玩具で獅子を舞わせるときの掛け声。

「獅子の洞入、洞返り、三介舞(待)ったり三介舞(待)待ったり」などと囃すもの。

これはお座敷芸でしょうが、大道芸の可能性もあり、どちらかはよくわかりません。

この掛け声自体、からくりの獅子がふらふら危なくて落ちそうなので、落ち着けということで「待ったり」と掛けているのかもしれません。

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しかたなかばしかんだばし【仕方中橋神田橋】むだぐち ことば

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「しかたがない」というのと、江戸の中橋を掛けたダジャレ。橋づくしで調子を整えるため、神田橋を出したものです。

中橋は、江戸時代初期まで、日本橋と京橋の中間に掛かっていた橋。

中央区日本橋三丁目と京橋一丁目との境、中央通りと八重洲通りが交差するあたりといわれますが、明暦年間(1655-58)にはもうなくなっていました。

その記憶だけが長く残り、もうとっくに「ない」というところから、「おぼしめしは中橋か」「気遣いは中橋」など「ない」というしゃれによく使われました。

江戸歌舞伎の始祖、中村勘三郎座が寛永元年(1624)に初めてこの橋のたもとで興行したことでも知られます。

神田橋の方も、「なんだかんだでしかたがない」というしゃれが考えられますが、さすがにうがち過ぎかも。

むしろ勘三郎の「勘」と神田の「神」のしゃれを考えた方がまだましそうです。

「しかたない」のほかのむだぐちでは、「仕方(地方、じかた=田舎と掛けた)はあっても親類がない」などがあります。

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さらになしじのじゅうばこ【更に梨地の重箱】むだぐち ことば

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「まったくない」「さらさら(さらに)」ない」のしゃれです。

状況によっては、「(その気は)まったくない」と、すっとぼけて否認するニュアンスにもなりそうです。

ことば遊びとしては、まず「皿」と、強い否定を導く副詞の「さらに」を掛け、皿から梨皿で「梨」を、梨から「無し」としゃれの連鎖。

さらに、梨からダメ押しで梨地の蒔絵の重箱を出したもの。

梨地は、梨の実の表面を模し、細かい点を散らした模様。

金と漆を用いた豪華な重箱に珍重されるデザインです。

そこから「重箱の隅をつっついても、なににも出ない」となります。

もう一つ、「重箱」には、遊里の隠語で、「幇間と芸者が花代や揚代を二重取りしてだまし取る」意味も。

そこから「重なる」という意味を効かせ、「さらにさらに」という否定の強調をも付け加えています。

むだぐちもこうなると、なんとも凝りに凝った言葉のタペストリーになりますね。

これでとぼける意味を加味すると、またまた「梨」から「木」→「気」のしゃれが加わり、「蒔絵」からは「まく」=だます→重箱=横領へと、際限なくことばのラビリンスが広がります。

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きたりきのじや【来たり喜の字屋】むだぐち ことば

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「ほいきた」「待ってました」というおちゃらけ。

「来」と「喜」、さらにおそらく「気」も掛けていて、遊客が、惚れている芸者やお女郎がやっと来たので、「やれ嬉しや」というところ。

「喜の字屋」は、吉原で仕出し料理屋の総称だったので、貸し座敷で料理を待ちかねた心あったでしょう。

この屋号は同時に、江戸三座の一つである守田座の座主、守田勘弥の屋号でもありますが、関係ははっきりしません。

「き」「き」という頭韻を踏んだ、リズムのいいしゃれたことばですね。

似たむだぐちに「来たり喜之助」があリます。

その名に特別な意味はなく、「き」の韻を整えるだけのもの。

この名はさまざまに転用され、天明5年(1785)刊の黄表紙『江戸生艶気樺焼』の北利(北里)喜之助、落語では「九州吹き戻し」の、名前もそのままの「きたり喜之助」が知られています。

「待っていた」という意味のむだぐちはほかに「来たか越後の紺がすり」「北山の武者所」など。

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きみょうちょうらいやのわかだんな【奇妙頂礼屋の若だんな】むだぐち ことば

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「奇妙」は現代語のニュアンスとは少し異なり、「不思議な」「珍しい」「趣があっておもしろい」の意。

「奇妙頂礼」は仏教用語の「帰命頂礼」のしゃれ。

「帰命頂礼」は仏に心から帰依すること。「帰依」とは仏にすべてを捧げること。

サンスクリット語「ナマス(namas)」の漢訳。「南無」は音訳です。「南」や「無」には意味がありません。

おしなべて古語は、音から推しはかるべきもので、文字から推測すると徒労に終わることが多いものです。

そんなわけで、帰依と南無は同義となります。

もっと具体的にいえば、「帰命頂礼」とは、頭を地面につけて礼拝し、仏に帰依する意思を伝えることです。さらに、仏を礼拝するときにとなえる文言ともなります。

「帰命」は「南無」の漢訳語です。「頂礼」は頭を地面につけて仏の足もとを拝む礼法をさします。ということは、「帰命」も「頂礼」も仏に従うという意味では同義となります。

そんなところから、信仰の証の唱え文句となったのですね。

世俗化した「奇妙頂礼」は、「恐れ入った、感服した」のニュアンスが強くなりまました。

さらには、「若だんな」と付けておどけ、ダメ押しに「よっ、妙で有馬の人形筆ェ!」などと囃したりもしました。

帰命到来屋の若だんな、よっ、妙で有馬の人形筆ェ!

ここまでくると、江戸語っぽくなっていますね。

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きがもめのおふじさん【気がもめのお富士さん】むだぐち ことば

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「気がかり」の意味のしゃれことば。「きがもめ」と地名の「こまごめ」を掛けているだけです。

「お富士さん」は駒込富士神社(文京区本駒込)のこと。江戸時代には富士信仰のため登山する「富士講」が組織されていました。

実際に富士詣りに行けない善男善女のため、最初、本郷の地に富士の形を模した築山を築き、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)から木花咲耶姫このはなさくやひめ勧請かんじょうして創建。

これが戦国末期、天正元年(1573)のことでした。

その後、寛永5年(1628)頃に現在地に移転して、今も参詣が絶えません。別にやはり駒込の、八百屋お七で名高い寺を出して「気がもめの吉祥寺」とも。つまり、語呂がよければなんでもよかったわけ。

「安芸の宮島廻れば七里」で参照した出典は、天保10年(1839)初編刊の人情本『閑情末摘花かんじょうすえつむはな』」(松亭金水しょうていきんすい作)。その中で、「安芸の……」に続けて、情夫まぶとの仲が冷えるのを心配したお女郎が「気がもめのお富士さんざますよ」とこぼすセリフがありました。

天保10年という年は三遊亭円朝が生まれた年にあたります。近代の萌芽です。

このむだぐち発祥の地、駒込富士神社。現在も敬虔な「江戸っ子」が境内で富士登山に励む

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かっちけなしのみありのたね【忝け梨の実ありの種】むだぐち ことば

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「かっちけなし」は「かたじけなし」の江戸なまりで、「ありがたい」の意。語尾の「なし」を梨の実に掛け、さらに、梨が「無し」に通じてみことばなので「有りの実」と呼ぶことから「ありがたい」としゃれています。

最後の「種」は「実」の縁語えんごでダメを押したもの。単なる感謝の意味を、二重三重に言葉遊び化してちゃかしているところに、江戸東京人のシャイかげんがうかがえます。

同義の表現に「かたじけなすびの香の物」「かたじけなすびのしぎ焼き」があります。こちらは「なし」を茄子なすとその料理法に掛けたしゃれですね。

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おみかぎりえじのたくひのよはもえて【お見限り衛士の焚く火の夜は燃えて】むだぐち ことば

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お見限りはご無沙汰、お見捨ての意。それを、平安時代に禁中の諸門を警備した「御垣守みかきもり」の衛士えじ(兵士)と掛けています。

「焚く火の…」以下は、この衛士が夜通し松明たいまつを焚いて詰めたことから。10世紀末成立の『蜻蛉日記かげろうにっき』に「火などちかき夜こそにぎははしけれ」「衛じのたくひはいつも」とあるのが元ネタ。

実は「お見限り」は、なじみの遊郭に不義理をし、しばらくぶりに登楼した客に、皮肉混じりに言われる言葉。だからこそ、その夜の「火は燃えて」は、何やら意味深長なわけですが。

と書いてきましたが、じつはこの歌、「百人一首」のうちの一首です。江戸時代には『徒然草つれづれぐさ』と「百人一首」はかなり幅広い階層に共有された教養だったので、落語でもよく引き合いに出されます。

御垣守 衛士の焚く火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ

詞花集しかしゅう 大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ

皇居の御門を守る警護の者の焚くかがり火が夜は燃え昼は消えるように、私も夜は興奮勃起して昼はぐんにゃり萎えて心は物思いをすることだ。かがり火に、恋に身を焦がすわが身を重ねて詠んでいるところがミソです。

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おっとよしべえかわのきんちゃく【おっと由兵衛革の巾着】むだぐち ことば

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今でもたまに使われる「おっと合点承知之助」と同じで、「よしわかった」「万事呑み込んだから心配ご無用」の意味。

由来は歌舞伎種で、「良し」と梅の由兵衛(大坂の侠客)を掛けたものです。

由兵衛は本名を梅渋由兵衛といって、元禄2年(1689)に大坂千日前でお仕置きになった殺人犯。

これをモデルに並木五瓶が書いて、寛政8年(1796)に俗称『梅の由兵衛』として劇化されました。

主人公が女房小梅の弟長吉を殺し、革の巾着を奪う場面に掛けてしゃれています。

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いのちをとびたのいしやくし【命を飛田の石薬師】むだぐち ことば

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これは飛田という地名から、上方種のしゃれで、ただ「命が飛んだ」→「命を落とした」の意味に過ぎません。

『新版ことば遊び辞典』(鈴木棠三編)によれば、由来としては元禄年間(1688-1704)刊の『好色由来揃』にある故事からだそうです。

それによると、物乞いの拾った財布を横取りしたお女郎が、その報いではずかしめを受け、それを恥じて飛田(大阪市天王寺区)の石薬師に願をかけて後生を祈り、ついには断食して餓死した、ということです。

悲しい物語ですが、少し気になる話筋でもあります。

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ききにきたののほととぎす【聞きに北野の時鳥】むだぐち ことば

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「時鳥の声を聞きに来た」というのと、北野の天満宮の「北野」を掛けたしゃれに過ぎません。

「聞き」は、動詞の連用形が名詞化して「評判」という意味もあるので、「北野で名高い時鳥の噂を」という意味も含んでいるでしょう。

北野天満宮(京都市下京区)旧一ノ保社いちのほしゃは、かつて時鳥ほととぎす篇額へんがくを掲げていたため、「時鳥天満宮」の異名、「安楽寺天満宮」と称されて、神仏習合の施設でした。

寺と神社のごちゃまぜです。

天神社の縁起によると、北野の神殿には木彫りの時鳥があり、いつも奇声を上げていたとか。

一ノ保社の社殿が全焼した文安元年(1444)の「麹騒動」の際、木彫りの時鳥がこずえに止まって鳴くという奇譚がありました。

麹騒動とは、麹づくりをなりわいとする同業者の仲間の権利を巡るひともんちゃく。

この権利の仕切り役は天満宮の北野神人でした。神人じにんとは神社で働く人。麹室での麹づくりにからむ免税や独占製造権など、ここは金づるでした。

応永26年(1419)、幕府は北野神人に麹づくり特権を認めていました。

以来、別当の安楽寺が神仏分離令(廃仏毀釈)で明治元年に廃寺となるまで、時鳥の扁額は火災、疱瘡除ほうそうよけの霊宝とされ、毎年旧暦6月15日にかぎって開帳されていました。

まあ、以上、なんだか要領を得ない話ですが、時鳥がこの社の特別な名物だった由来は、なんとなくわかります。

北野天満宮ですから梅が名所。梅にうぐいす、といきたいところなのに、ここはほととぎすとなります。

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おかしいのみがひとふくろ【おか椎の実が一袋】むだぐち ことば

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これも単なるダジャレで、「おかしい」の「しい」と、椎の実とを掛けたに過ぎません。

椎の実(どんぐりの実)は、今では虫が湧くというので、ほとんど食用にはしませんが、貧しく飢えていた江戸時代の子どもたちには恰好のおやつでした。

黒文字で「しいのみ」と書かれた袋に入れ、「たんばほおづきしいのみひとふくろしもん(丹波鬼灯椎の実一袋四文)」と呼ばわって売り歩いていたそうです。

子供の遊びの中から生まれた慣用句なのでしょう。

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きんのしたにはふのくだゆう【金の下には歩の九太夫】むだぐち ことば

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これもまた将棋のむだぐち。「寝返ったな」という意味が込められています。

「歩の」から「斧九太夫」の「おの」に掛け、縁の下から覗く寝返った九太夫のさまを「金の下」に掛けているのですが、忠臣蔵のこの段がわからないと、まったく意味不明な難解むだぐちになって、使いようもありません。

意味そのものはあらかたのむだぐち同様、たいしたものではありません。

『仮名手本忠臣蔵』の「七段目 祇園一力茶屋の場」で、敵の高師直方に寝返った、もと塩冶家の次席家老、斧九太夫。大星由良之助が遊蕩にふけっている祇園の茶屋に、その真意を探るべく潜入してきます。

その九太夫、縁の下に隠れ、大星の手紙を盗み見。その場面で義太夫が語る、「縁の下には九太夫が、くりおろす文、月かげに、すかし読むとは神ならず、ほどけかかりし、おかるがかんざし」という章句のもじりがこれです。

そういうわけなので、この場合、自分の金の後ろにあるのは、敵がパチリと投入した、「寝返った」歩なのでしょう。

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きんかくではいけんならばいいつてがある【金角で拝見ならばいい伝手がある】むだぐち ことば

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金閣寺と金角のしゃれ。

毎度おなじみ、将棋のむだぐち。

金と角で攻めている(または攻められている)ときのものか、あるいは「拝見」から、手駒を見せてくれと言われた場合の反応か、具体的に詳しい状況は不明です。

元は『仮名手本忠臣蔵』九段目「山科閑居の場」の、大星の女房お石のセリフそのまま。

娘の小浪を、婚約中の大星の嫡男力弥と祝言させる談判に、はるばる鎌倉から訪ねてきた加古川本蔵の後妻、戸無瀬。

応対に出たお石はもとよりその気はなし。

はぐらかすように親切ごかしに「祇園清水知恩院、大仏様ご覧じたか。金閣寺拝見ならば、よい伝手があるぞえ」。

ということで、戸無瀬ともどもお疲れさま。

金角のむだぐちはほかに「金閣寺の和尚さま」「金角寺の和尚さま」などがあります。

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かくなりはつるはりのとうぜん【角なりはつるは理の当然】むだぐち ことば

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「かく=このように」と駒の角を引っ掛けた将棋さしのむだぐち。

「やっぱり、角が龍馬に成ってしまったか」というくらいの意味。

これは成った方か成られた方か、どちらのことばとも取れます。

角に掛けた将棋のむだぐちは多く、「角なるからは是非もなし」「角なり果てる身の因果」「角道の説法屁一つ」など。

最後のは「百日の説法屁一つ」のもじりで、たった一手のミスが命取りという勝負事の怖さ。

もう一つ、「角とだにえやは伊吹のさしも草」。これは藤原実方ふじわらのさねかたの「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の上の句をそっくりいただいたもの。

「さし=指し」で、相手がそう来るとは知らなかった、という意味でしょうが、これは、和歌の知識がないと言えないかもしれません。

「百人一首」の一首です。

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かまわずともよしのくず【かまわずとも吉野葛】むだぐち ことば

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桜の名所の「吉野」と「よし=かまわない」を掛けたしゃれで、ご当地のもう一つの名産の葛粉を付けています。かまわないからほっておいてくれ、の意味。

「吉野葛」の代わりに「吉野木」とも。どちらも出典は明和7年(1770)刊の洒落本『遊子方言』なので、出自は遊里からでしょう。

もっとおどけて「おっとよしの木かしわの木さるすべり」と言うことも。

「吉野」が付くことばは無数にあるので、類似の言い回しはもっと多いかも知れません。

吉野の縁では、「青菜」の「義経にしておけ」も同意。

「かまわず」のしゃれの方は、上野の不忍池をもじった「かまわずの池」があります。

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おそれいりやのきしぼじん【恐れ入谷の鬼子母神】むだぐち ことば

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現代でも辛うじて生き残っていて、もっとも有名なむだぐちでしょう。

「恐れ入りました」と地名の「入谷」を掛け、そこから現地の鬼子母神を出したもの。

ここでは雑司が谷のそれではなく、台東区入谷の真源寺(法華宗本門流)の鬼子母神堂。

それでなければ、ダジャレが成り立ちません。

「恐れ入り」のしゃれはこのほかにも数多く、「入相」「煎り酒」「入谷の七合神」「入山」「入山形」「入山三了」「恐れ久松」「恐れ山猫」「恐れちゃんちき茶の袴」と、あげたらきりがありません。

最後に極めつけは、安政4年(1857)初編刊、梅亭金鵞の滑稽本『七偏人』から。「大酩酊に及んで、恐れ入谷の霜のもみぢば真赤にならの八重桜、池田いたみのお酒の香りが、京九重に匂ひぬるかなッ」。

なんともはや。

米テレビドラマ『0011 ナポレオン・ソロ』に相方で活躍するイリヤ・クリヤキン役のデビッド・マッカラムが女性にすごい人気でした。

「恐れいりやのクリヤキン」などと地口ってました。

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かかとがずつうやんであたまへせんきがのぼる【踵が頭痛病んで頭へ疝気がのぼる】むだぐち ことば

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とうていあり得ないことをコミカルにむだぐちにしたもの。

不可能を表すたとえは「煎り豆に花」「石が流れて木の葉が沈む」などがありますが、なんでもありのご時節、踵が頭痛病むくらいでなければ、誰も驚かないでしょう。

五代目古今亭志ん生の小咄に、胴と足が別々のところに奉公して……というのがあります。

落語こそ、動物はおろか、ナマ首まで口をきき、自分の頭の池に飛び込む異次元世界です。

ちなみに、西洋ではこういうのを「奇蹟」と呼びます。

『ノートルダム・ド・パリ』でビクトル・ユゴーが描く15世紀のパリには「奇蹟通り」と呼ぶ怪しげな一角がありました。

日が落ちると必ず「奇蹟」が起こり、歩けない人が駆け出し、目が見えない人がぱっちり目を開きます。

それからみんなそろって追い剥ぎに「変身」するわけですが。

もっとも、もうひとひねりして、「足が目を開け目が走り出す」くらいでないと、このむだぐちのレベルには達しません。

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おいてくりおのまんがんじ【措いて栗尾の満願寺】むだぐち ことば

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文語で「く」にはさまざまな意味がありますが、基本的には「放っておく」「やめておく」に大別されます。

それに命令形、または依頼形が付いて「やめてくれ」「かまうな」の意味。

「それはこっちにおいといて」という「おく」も同じでしょうか。

江戸では伝法でんぽうに「ええ、おきゃあがれ」とも。

芝居では「おかっせえ」と古風になリます。それをむだぐちにしたのが本項。

といっても、これは長野県のローカル限定で。「おいてくれ」のことば尻に地元の名刹の山号を付けてしゃれています。

栗尾山満願寺は、長野県安曇野市にある、聖武天皇の神亀2年(725)ごろ創建という古刹。

その後、新義真言宗豊山派しんぎしんごんしゅうぶざんはの寺院となり、今では地獄極楽図とつつじ公園が有名です。

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かんじんかしまのかなめいし【肝心鹿島の要石】むだぐち ことば

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慣用句の「かんじんかなめ」をしゃれたもの。

もっとも大切な要点という意味です。

鹿島の要石は、常陸国の一宮、鹿島神宮の境内にある神石。

「肝心春日」という異名もあり、地震の鎮め石と言われます。

おそらく、大鯰でも封じ込んでいるのでしょう。

意味自体は、名所古跡を洒落に織り込んだだけの単純なものですが、「か」の頭韻を重ねたリズムは耳に快く、これぞむだ口の真髄でしょう。

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おもちょうじちゃぎつねのかかとちゃんぎり【面丁子茶狐の踵ちゃんぎり】むだぐち ことば

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「おもしろい」のむだぐちですが、はるかに長ったらしく凝っています。

「面白狸の腹鼓」の言葉をどんどん変化させたもの。

まず白を丁子茶ちょうじちゃ(紅色がかった茶色)に、狸を狐に、腹をきびすに置き換えています。

最後の「ちゃんぎり」は、リズムを出すためのお囃子、口拍子で、当たりがねの異名を付けたもの。

当たり鉦は、江戸時代、願人坊主がんにんぼうずなどが用いた小型の鉦。

左手に持った鉦を右手の棒でこすって音を出し、托鉢たくはつして歩きました。

転じて歌舞伎の下座げざ音楽にもなり、「ちゃんぎり」はその陽気な音色から。似た言い回しに「面黒狐の腹鼓」があります。

これは機械的に白を黒、狸を狐にしただけですが、腹鼓を打つはずのない狐を持ってくることで、不釣り合いな滑稽さがより際だちます。

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おもえばくやししもんじゅのしし【思えばくや獅子文殊の獅子】むだぐち ことば

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「くやしい」とだけ言えば済むものを、言葉尻の「しい」から「獅子」を掛け、延々と言葉遊びにしています。

文殊は知恵を司る菩薩。獅子に乗っているという伝承があるので、こう付けたもの。

これも、将棋で負けたときのくやしまぎれのむだ口かもしれません。

この後さらにおふざけで「トッピキピイの角兵衛獅子」と続けることも。

こうなるともはやヤケのヤンパチで、芸者などが嫉妬のあまり、やけ酒をあおって毒づくようすが想像できます。

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おちょうしのごもんつき【お銚子のご紋付き】むだぐち ことば

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「ちょうし」は「銚子」と「調子」を掛けています。

ふだん言うことを聞かない子が、たまに客が来たときだけ、妙にいい子ぶって手伝いなどしたがるのはよくあること。それを親が冷やかす言葉。

まあ、小遣い目当てでしょうが、外面ばかりで調子のいいことと、客に出すお銚子を掛けています。

「ご紋付き」も、客を招いた改まった席の象徴に付けたもの。

からかう調子の裏に、今からこんなジキルとハイドじゃ、将来が思いやられるという親のため息が聞こえますね。

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おじゅんでんべえはやまわし【お順伝兵衛早回し】むだぐち ことば

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江戸時代、酒席でよく使われた洒落。

「お順に早く盃を回しましょう」の意味で、浄瑠璃「近頃河原達引ちかごろかわらのたっぴき」の登場人物「お俊伝兵衛猿回し」をもじったもの。

通称「お俊伝兵衛」は天明2年(1782)ごろ初演で、井筒屋伝兵衛と京都先斗町の近江屋抱えの遊女お俊の心中と、猿回し与次郎の孝行物語をからませています。

お俊の「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」の悲痛なセリフは有名で、明治大正までは誰もが知っていました。

昭和初期、衆議院議員の堀切善兵衛が代表質問に立ったとき、小声で聞き取れなかったので、すかさず議場から「そりゃ聞こえませぬ善兵衛さん」とヤジが飛んだという逸話があります。

かつては政治家でも粋でした。

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おおちがいのきしぼじん【大違いの鬼子母神】むだぐち ことば

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将棋で、相手の手を「そいつは大間違いだ」と牽制するときの洒落言葉。

鬼子母神は日蓮宗の名刹、威光山法明寺で、通称、雑司が谷の鬼子母神。豊島区南池袋にあります。

なんのことはなく、「おおちがい」と「ぞうしがや」を強引に掛けてダジャレにしただけ。

なんともひどい代物です。「大違い」には、他人の子供をむさぼり食ったという伝説の鬼子母神の、大いなる料簡違いをも指しているのかもしれません。

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おおしょうちのにゅうどう【大承知の入道】むだぐち ことば

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百も承知、と請け合う返事を洒落言葉にしたもの。

「おお」は強調語。これはダジャレで、「法性寺ほっしょうじ入道にゅうどう」と掛けたものです。

法性寺は、京都市東山区にある浄土宗西山禅林寺派の名刹。

法性寺の入道とは、関白藤原忠通ふじわらのただみち(1097-1164)のことで、出家後、この寺に住んだのでこう呼ばれました。

小倉百人一首の歌人の一人です。

その作者名が「法性寺入道前関白太政大臣藤原忠通ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじんふじわらのただみち」と、百人中もっとも長ったらしいため、後年、やたら長い名前の代名詞になりました。

寿限無」と同じです。

そのこととむだぐちとは特に関係なく、ただダジャレのために名前を借りられただけですね。

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おおきにおせわおちゃでもあがれ【大きにお世話お茶でもあがれ】むだぐち ことば

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ものの言いようの難しさの典型。

「大きにお世話」はきっちり「でござりました」などと結べば、普通に丁重な謝礼の言葉になります。ところが、言い捨ててしまうと、「余計なお世話。放っとけ」となり、けんかの元です。

この後の方に「お茶でも飲んでろ」とむだぐちをくっつけたのが本項。

これは、安永年間(1772-81)から、続く天明年間(1781-89)に、吉原などの遊里から出た流行語でした。

「茶」は「茶化す」「茶にする」というように、人を外らして揶揄する意味。

そこから、軽蔑の意味をこめて「お茶でも」と付けたのでしょう。

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おおいしかったきらまけた【大石勝った吉良負けた】むだぐち ことば

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なんのことはなく、「うまかった牛ゃ負けた」と同じ意味。

「おいしかった」と大石内蔵助を掛け、大石が討ち入りで勝利したから「かった=勝った」。そこから敗者の吉良上野介を出したむだぐち。

ただもう一つ、「大石」から漬物石を効かせ、そこから香の物の異称である「きら」を出したというのは、うがち過ぎでしょうか。

吉良家の官職の「こうずけ」から「香漬け」という洒落は、古くからありました。

もっとも、大石も「昼行灯」で、仇討ちもできない腑抜けとばかにされていた頃は「大石軽うてはりぬき石」と陰口を叩かれていたのですが。

「はりぬき石」は軽石のこと。

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おうらやまぶきひかげのもみじ【お浦山吹日陰の紅葉】むだぐち ことば

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「お羨ましい」と「浦(裏)山」を掛け、さらに「やまぶき」と、しりとりのように続けています。

「浦山」は日陰の境涯の自分の象徴。最後の「日陰の紅葉」でそれを強調しています。

小判にも例えられる山吹の黄金色と、朽ちてくすんだ紅葉の紅の対比。落ち目のおのれに引き比べ、相手の華やかな人生を羨む愚痴です。

むだぐちなので、これは皮肉。取って付けたようなていねい語の「お」がそれを物語ります。

現代でもよく見られますが、はぶりがよくなった同僚に「おい、おうやましいご身分だな。こちとら貧乏人に、少しお恵みいただけませんかね」など、毒を含んだ嘲りを浴びせる、あれですね。

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いうてもおくれなさよあらし【言うてもおくれな小夜嵐】むだぐち ことば   

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もとは明和年間(1764-72)から文政年間(1804-18)ごろまで、長く歌い継がれた上方の端唄「朝顔の盛り」(別名「かくれんぼ」)。

その末尾の一節を、日常の洒落言葉にしたものです。意味は「そんなことを言ってくれるな」で、相手の手厳しい拒絶を受けて少し甘え、なだめるような調子があります。

「さよあらし」は「さような(ことを)」のダジャレ(上方では口合)で、倒置表現で「言うても……」につなげています。

参考までに少し長いですが、元唄を。

※現代的仮名遣いに変えて読みやすくしています。

朝顔の
盛りは憎し迎いかご
夜は松虫ちんちんちろりちろり
見えつ隠れつかくれんぼ
行末は
誰が肌触れん紅の花
案じ過ごしを枕にかたれ
髪結わぬ夜のおみなえし
言うてもおくれな小夜嵐

優艷な三味線の三下がりの音じめで、盛りを過ぎて独り寝を余儀なくされた遊女の、夜ごとの憂悶を唄い上げています。

最後の二節で「結わぬ」と「言う」を掛け、さらに「小夜嵐」=夜半に吹き荒れる嵐で、このまま情人との恋が吹き散らされてしまうおびえが表現されています。

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おいでおいでどじょうのかばやきおはちじる【おいでおいで泥鰌の蒲焼きお鉢汁】むだぐち ことば

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将棋のむだぐちの一つ。相手の指し手を受け、「どうぞどうぞいらっしゃい。すぐ泥鰌どじょうの蒲焼きにして食ってやるから」という挑発です。泥鰌は「三匹目の泥鰌はいない」という言い回しがあるくらい、「カモ」の代名詞。それと「どうぞ」を掛けたひどいだじゃれ。

「おいでおいで」はもともと、子供を手招きするときの言葉なので、それだけ泥鰌ちょうろうの度が強いということでしょう。「お鉢」は女房詞で飯櫃めしびつのこと。仕上げに泥鰌汁にして煮てやるというだめ押しです。「お鉢が回る」で、「こっちの番」という意味も含んでいるかもしれません。

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かたじけなすび【かたじけ茄子】むだぐち ことば

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「かたじけない=ありがたい」というだけの意味に、ことばが連なるむだぐち。「かたじけない」の「な」から「なすび」に引っ張り込む腕力には驚きです。

「な」ならなんでもよいので、「かたじけ奈良茶」ともいいます。

そんならば、「かたじけナイスガイ」とか「かたじけ夏目雅子」とかは、どんなものでしょう。

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おもしろだぬきのはらつづみ【面白狸の腹鼓】むだぐち ことば

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「おもしろい」を「尾も白い」としゃれ、そこから動物の「狸」と付けたむだぐちです。尾が白い獣はいくらもいるのに、あえてなぜ狸かといえば、やはり腹鼓(狸囃子)の滑稽さからでしょう。あるいは、腹鼓から、腹が破けるほどおかしい意味合いもあるかもしれません。

狸を狐に変えた例もありますが、当然言い捨てで腹鼓はなし。「面白い」を狸に掛けた洒落、むだぐちはけっこうあります。

最後の部分だけあげると、「有馬山」「磯にはんべる」「金鍔焼き」など。

「面白い」自体のむだぐちはさらに多く、「面白山」「面白の魚田」「面ちょろし」「尾も白し頭も白し尾長鳥」「おもちょうじちゃぎつねのかかとちゃんきり」など。

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おどろきもものきさんしょのき【驚き桃の木山椒の木】むだぐち ことば

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「これは驚いたよー」という意味。

「おどろき」を木の種類のように、語呂合わせがうまくいって、人口に膾炙していますね。でも、これが「むだぐち」というものだとはつゆ知らず。

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おっとがってんしょうちのすけ【おっと合点承知之助】むだぐち ことば

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「わかってるよー」という意味。「引き受けたよ」ということも。いかにもありそうな人の名のようなものいいをするわけです。ホントにむだぐちですねえ。

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おちゃのこさいさいかっぱのへ【お茶の子さいさい河童の屁】むだぐち ことば

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ものごとがすらすらさらさらスムーズにできるという意味です。

俗謡のはやしことば「のんこさいさい」をもじっていることばです。

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うっとうしいものはまつまえにある【うっとうしいものは松前にある】むだぐち ことば

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気分がうっとうしい、気が晴れないとぼやく相手への、多少の慰めをこめての揚げ足取りです。

「松前」は直接には師走、正月前のこと。節季の支払いや借金に追われる煩わしさに比べたら、今の時期のうっとうしさなど物の数ではないよ、というわけ。

ついでに遠い北海道の「松前」と掛け、そこまではるばる旅しなければならない苦しみに比べれば、という意味を含めてダメを押しています。

「うっとうしい」は、気鬱なことと雑事で煩わしいことのほか、地方によってはあつかましい、騒がしいなどの意味も。

どちらにせよ、生活を悩ませる愚痴の種全般ですね。

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うっちゃっておけすすはきには出る【うっちゃって置け煤掃きには出る】むだぐち ことば


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「うっちゃって」はラ行五段活用の動詞「打っ棄る」「打っ遣る」の連用形。

「かまわないから放っておけ」と突き放す言い方に「すすはきには出る」と付け、ことば遊びにしたもの。

明和7年(1770)の『辰巳之園たつみのその』にそのまま男の台詞で出ています。

深川遊郭を舞台に男女の色模様が描かれてはいますが、これは洒落本。

有名な『春色辰巳園しゅんしょくたつみのその』は天保年間の人情本です。 文学史的には、洒落本が通人の文学なら、人情本は「いき」「はり」の文学とされています。

互いに50年ほどの時代差もありますから、心の表現に差異が出るのも当然です。

時代が下ると「通」もさらに洗練されて「いき」の境地に届くのでしょうか。

洒落本『辰巳之園』はいまだ「いき」の洗練まではありません。

洒落ことばで遊んでいるだけで。

人情本にいたると男女の色恋に妙な意気地や反語が出張ってきまして、やがては円朝や黙阿弥にいたれば、さらに複雑かつ霊妙な男女の心持ちが表現され、維新後は近代主義のがま口にのみこまれていくのです。

参考文献:『洒落本集成』第4巻(中央公論社、1977年)

「煤掃き」は大掃除で、何か大切なものをなくしたとき、「どうせ暮れの大掃除には出てくるから」と慰める形ですが、この場合、大掃除うんぬんは付けたりで、ただ茶化すために付けているだけでしょう。

「柳田格之進」では、武士の客が盗んだ疑いを掛けられた五十両の金包みが、煤掃で本当に見つかって、上へ下への大騒動になります。


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いらぬおせわのかばやき【いらぬお世話の蒲焼き】むだぐち ことば


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「いらねえ世話を焼かずと、放っておけ」という拒否宣言と、鰻の蒲焼きを掛けたもの。洒落になっているくらいなので、もとより本気ではありません。

男女の痴話げんかで、男の方がすねたそぶりを見せている、というところ。これはおそらく『江戸生艶気蒲焼えどうまれうわきのかばやき』あたりが発生源でしょう。天明5年(1785)にベストセラーになった山東京伝さんとうきょうでんの黄表紙です。

「お世話」は同じ意味で「お世世せせ」となる例もありますが、もともと「おせせ」はお女中言葉をもじったものなので、これを使うのは女の方になります。

「蒲焼き」は「焼き豆腐」と変わることもあります。


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いやならよしゃがれよしべえのこになれ【厭ならよしゃがれ芳兵衛の子になれ】むだぐち ことば


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遊びに誘ったのにはねつけられたときの、子供の悪態です。

「よし(=やめ)にする」から人名の「芳兵衛」と続けますが、「よしべえ」はおそらく「由兵衛」で、隠語で詐欺師のこと。同時に相手の「よすべえ」という断りと掛けた洒落にもなっています。

腹立ちが治まらない場合は、さらに後に「ぺんぺん(=三味線)弾きたきゃ芸者の子になれ、車が曳きたきゃ車力の子になれ」と続けます。

類似の悪態では、「嫌ならいやさきとんぼの女房」「嫌ならおけやれ桶屋の褌かぶって寝ろやれ」などが各地に伝わっています。「おけやれ」とは「よしとけ」の意。


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いちごんもなしのきさいかちさるすべり【一言も梨の木さいかち百日紅】むだぐち ことば


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「恐れ入りました」という無条件降伏宣言。

その言葉尻の「なし」と「梨」を掛けただけのダジャレです。

洒落だけにまじめに謝っているわけはなく、「恐れ入谷の鬼子母神」同様、おちゃらけですね。

「梨の木」の後に続けた二種類の木のつながりは、よくわかりません。

「さいかち」「猿」ともに「甲虫、兜虫(かぶとむし)」の異称であることから、あるいは「かぶとを脱いだ」の意味を含んでいるのかもしれません。

「百日紅」は「猿滑り」で、猿が木から落ちるようにしくじった、というニュアンスもあるでしょう。

類似のむだぐちに、江戸東京限定で「一言も内藤新宿」というのもあります。


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いじわるげんたかげすえ【意地悪源太景季】むだぐち ことば


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「いじわるげんだかげすえ」とも。将棋を起源としたむだぐちは、双六起源と並んで数多く、最大の供給源です。

これもその一つで、「いじわる」と「かじわら(梶原)」を強引に引っ掛けたダジャレ。

梶原源太景季(1162-1200)は源平時代の武将で、『平家物語』の「宇治川の先陣争い」で後世に名を残した人。芝居では「源太勘当」の主人公で、江戸時代には色男の代名詞でした。とんだとばっちりです。

将棋のむだぐちの発生源は、夏の風物詩で、お互いヘボの縁台将棋でしょう。同じ勝負事でもお固い囲碁では、ほとんどこの種のむだぐちは見られません。

江戸後期の滑稽本『浮世風呂』では、湯屋の二階の将棋で、壮絶な、むだぐち合戦が闘われます。


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こっちへきなこもち【こっちへきな粉餅】むだぐち ことば


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「来な」と「きな粉」を掛けた駄洒落の語呂合わせ。「こっちへ来な」と言っているだけのことです。「きな粉」は、黄な粉、黄粉、黄金粉などと記されます。

変形に「こっちへ来のめ(=木の芽)田楽」があり、この場合は地方により、「来」は「こ」とも発音します。

「きな粉餅」の用例でもっとも知られているのは、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」。寺の鐘供養で、大勢の僧侶(聞いたか坊主)が集まって騒いでいるところへ、白拍子花子に姿を変えた清姫の怨霊が出現。美貌で坊主たちを籠絡し、女人禁制の寺内へまんまと潜入しますが、その場面の歓迎の言葉が「さあさあ、こっちへきな粉餅きな粉餅」でした。

ほかに、戯作『春色辰巳之園』でも使われています。


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ぐいちかすざけひげにつく【ぐいち粕酒髭につく】むだぐち ことば


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「愚人夏の虫」で出た五二ぐに同様、やはり双六博打すごろくばくちで、五一ぐいちも悪い目。

三六とともに、意味のないまったくのカス目で、そこから五一三六=どっちもどっち、どんぐりの背比べという慣用句も生まれました。

しゃれとしては、ぐいちから「ぐい」と酒をあおると掛け、「カス目」から粕酒(=どぶろく)とつなげています。

最後の「ひげ」は、博打で目が出ず「ひけ(=負け)を取る」のダジャレ。

やけ酒をあおっても、口の周りや髭に、賽の目同様何の役にも立たない酒粕がくっつくだけ。

踏んだり蹴ったり、というところでしょう。


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けいまのふんどしはずされぬ【桂馬の褌はずされぬ】むだぐち ことば


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将棋の対局中に、桂馬が前方の二枚の敵駒に両取り、両天秤をかけることを、しゃれて言ったもの。

両取りは二股、両脚を開いて掛けているのといっしょで、どちらかの駒を捨てないかぎり、これは外せません。

そこで「股」「脚」から褌としゃれたわけです。別名「吊り褌」とも。

で、結局大駒をタダ取りされた上に、次はいきり立った馬に成られて本当に褌が外れ、「金」が出てしまったりするわけで。

こうなると、踏んだり蹴ったり。


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けしがからけりゃとうがらしはひっこむ【罌粟が辛けりゃ唐辛子は引っ込む】むだぐち ことば


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「けしからん」という一喝に対し、まぜっ返しというより、タンカでけんかを売っている感じです。

「けしからん」から「芥子が辛い」とダジャレで、「なんだ、芥子が辛くねえだ?あったりめえだい。芥子の実なんぞが辛かったら、トンガラシははだしで逃げださァ」と毒づいています。

「唐辛子は…」以下は出典によって多少変わり、「山椒や蕃椒(=唐辛子)ァ佐渡ィ金堀にでもやるわい」「唐辛子やわさびは株を売って裏店へ引っ込むわえ、べらぼうめ」など。

こういう言いたい放題を、無謀にも腕の立つ侍にでも面と向かって浴びせた日には、たちまち首と胴がおさらばするのは必至。

首提灯」のおにいさんがよい教訓です。


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けんじてんのうあきのたの【献じ天皇秋の田の】むだぐち ことば

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「けんじ」は同音異義語で、出典により「見じ」=拝見する、「献じ」=さしあげる、の二通りの意味になります。

どちらにしても「天智天皇てんじてんのう」と掛けるしゃれは同じです。そこから、「百人一首」で第一番、天智天皇の歌「秋の田の かりほのいほの とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」を出しています。この歌は『後撰和歌集ごせんわかしゅう』収録です。

「見じ」では「どれどれ拝見」、「献じ」では「一献さしあげましょう」の意味の、気取ったむだぐちになります。通常は「秋の田の」はただの付けたりであることも多いですが、さらに「あき」でしゃれを付け加え、見ていたらあきれた、とする例もあります。

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けんのんさまへつきまいり【剣呑様へ月参り】むだぐち ことば


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将棋ネタで、危うく相手のワナを見破って「あぶないあぶない」というむだぐち。「けんのん(剣呑=危険)」と「かんのん(観音)」を掛けたひどいダジャレです。

観音から月参り、つまり信心の毎月の参詣を出しただけです。

「月参り」は、ただことばを整えるための付け足しと思われますが、もう一つ「月」「突き」のしゃれもあるかもしれません。

「これからこう駒を突いて、こう参りましょう」と、危機回避から逆襲への意思を示したとも解釈できます。

それにしても、こんなダジャレで尊い観世音菩薩をダシにするとは、仏罰が当たること間違いなしでしょうね。


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こころえたぬきのはらつづみ【心得狸の腹鼓】むだぐち ことば


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心得た、腹に呑み込んだから安心しろというのを、幾分おどけてむだぐちで言ったものです。

しゃれとしては、ただ「こころえた」の「た」からたぬきを出しただけ。

「腹鼓」には、胸をたたいて請け合う意味を含めたのでしょう。

「心得た」のしゃれことばは多く、ほとんどが同じパターンです。

例をいくつか挙げますと、「心得たんぼ」(「お休みの江に月は入りけり」の解説参照)「心得太兵衛」「心得玉子のふわふわ」「心得太郎兵衛のばばさま」「心得ましたと木綿四手ゆうしでの」などなど。

むだぐちの締めに「狸の腹鼓」とした例は「面白狸の腹鼓」がありました。


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ありがたやまのとびからす【ありがた山の鳶烏】むだぐち ことば

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照れを含んだ感謝の意で「ありがたや」の言葉遊び。語尾の「や」から語呂合わせで「やま」、そこから連想で「鳶」「烏」を出しただけです。

「鳶烏」の最初の形は「時鳥ほととぎす」。

「ありがた山」も最初は「ただ取る山」→「待ちかね山」だったのを、ニュアンスを変えて謝礼の言葉になってから、爆発的に流行。

「山の」の後付け部分だけでも「桜」「二軒茶屋」「猫」、「呑込山」「出来兼山」と、さまざまなバリエーションができました。

しまいには、現代の子供のおふざけの「蟻が十匹」まで、この系譜は続いています。

「ありがた山」は「有難山」と記すこともあります。

蛇足ですが。

大昔、大学の体育祭でのこと。

講堂のステージでは、ウェイトリフティングの競技が行われていました。誰がどれだけ重いバーベルを持ち上げられるかいう、あれです。

体重150kgもあろうかという肥満型の男子学生がのっそり登壇し、100kgのバーベルをうんとこやっとこ持ち上げたのです。

割れんばかりの拍手喝采。と同時に、「いいぞー、肉山くーん!」の声援が湧きました。会場は大爆笑。ウケた。

肥満学生の名前が「肉山」だったわけでもないし、肉屋のせがれでもなかったはずです。

贅肉ぷりぷりの、およそスポーツとは無縁そうな男が130kgを持ち上げたことからの、その意外な状況と、ふいに頭をよぎった語感が結びつけられた、野次馬の安直な連想だったのでしょう。

わかりやすい発想です。

むだぐちが生まれる場面は、およそ、とっさのひらめきが突き上げるものなのですね、きっと。

この「ありがた山の鳶烏」もそんなところから生まれた、唐突な瞬間芸だったといえます。

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いただきやまのとびからす【頂き山の鳶烏】むだぐち ことば

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「ありがた山の鳶烏」とまったく同じパターンで、「いただきます」を洒落て言葉遊びにしただけです。

詳細はその項を参照。ただ、「ありがた山」と併せて補足すると、なんでもかんでも語尾に「山」を付けて「○○山」とするのは、安永年間(1772-81)に流行した通人言葉です。

ただ洒落けを付けるためのもので、「山」自体にあまり意味はありませんが、あるいは「さま」を気取って符牒化したのかも知れません。

「頂き……」自体も変形が多く、「頂き笠の緒」「頂き女郎衆」「頂きの渡せる橋」などがあります。

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おきまりのこうしんさま【お決まりの庚申さま】むだぐち ことば

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「今さら言うまでもねえ、決まりきったことだ」というむだぐち。「庚申さま」は庚申待ちのこと。

江戸時代の習俗で、庚申の日の夜、町内の衆が集まり、一晩徹夜で夜明かしをしました。庚申の夜に寝ると、三尸という想像上の虫が体内に入り込んで命を縮めるとか、この夜に妊娠すると、生まれた子供は盗賊になるなどの迷信があり、要は厄除けです。庚申待ちは厳格に決まった日に行うため、こう続けたものです。「お定まり」も同意で、ともに江戸っ子が日常よく口にしました。「お決まり(決まり)」「お定まり」とだけ言い捨てた場合、「紋切り型」「代わり映えしない」という否定的なニュアンスが強くなります。

三尸は年に一度、人に宿った体内から出て、天帝おつげに行きます。一年間、その人はどんなことをしてきたのかを天帝に伝えることになっています。これは道教の習わしです。庚申さまとは多分に道教の影響があるのです。

この三尸なる虫。中国哲学の加地伸行氏は、三尸=かぐや姫、という説を唱えています。そのものずばりではないでしょうか。『竹取物語』は仏教典が初出とのことですが、日本人向けに潤色されたのは中国でのことでしょう。

ことばよみいみ
庚申 かのえさる
三尸 さんし

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だんだんよくなるほっけのたいこ【だんだんよく鳴る法華の太鼓】むだぐち ことば

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現代でも知られたむだぐちです。

情勢がだんだん好転してくるというのを、「なる」→「鳴る」から太鼓の音に引っ掛けたもの。「だんだん」は「どんどん」のダジャレです。

江戸では法華宗(日蓮宗)信者が数多かったので、お題目を唱えながら集団で太鼓を打ち鳴らし、町中を練り歩く姿は頻繁に見られたもの。

「だんだん」には、「ドンツクドンドン」と遠くから法華大鼓(団扇太鼓)の音が聞こえてきて、近づくにつれ徐々に大きく響くさまも含んでいるでしょう。

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おやすみのえにつきはいりけり【お休みの江に月は入りけり】むだぐち ことば



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「おや、寝ちまったよ」または「ここらでブレイクしましょう」という意味の洒落。

婚礼に使われる謡の「高砂」の一節「はや住之江に着きにけり」をもじったものです。

「早住之江」と「お休み」を掛けただけのダジャレで、謡曲の「着き」から「月」を出すことで、「夜」「寝入る」という意味合いを導いています。

いやあ、なかなか典雅なものです。

「お休み」のむだ口には、ほかに「お休み田んぼの塔あり」があります。

これはやはり洒落の「心得たんぼ」をもじったもの。

「たんぼ」は湯たんぽで、「とうば」とも呼ぶことから、お休み、寝るにつなげたもの。

さらに「たんぼ」から「田んぼ」を、「とうば」から「塔」を出し、田舎道で向こうに休憩場所の寺院の塔が見える光景に変換しています。

これはもう、連歌や俳諧の手法。

ダジャレやむだぐちは連歌や俳諧に影響受けたり与えたりしていったのですね。

ばかにしたものではありません。



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せきのしみずいなり【急きの清水稲荷】むだぐち ことば



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「急き」と、歌枕の「関の清水」を掛けたもの。気が急く、忙しないということのしゃれです。

関の清水は、蝉丸神社下社(大津市)の社内にかつてあった湧き水。稲荷の祠がありました。

この社は、古代から山城と近江の国境、東海道と東山道の分岐点に設けられていた逢坂山の関に隣接し、その守護神社であったもの。

そこから俗に「逢坂の関の清水」と呼ばれました。

この清水を詠んだ名歌は多く、紀貫之(866-945)の「逢坂の 関の清水に 影みえて 今やひくらん 望月の駒」はよく知られています。

しゃれとしては「関」が付けばなんでもいいわけで、同じ意味で「せき(関)が原」というのもありました。

強いて関連を付ければ、関所はどこでも日没の前にはもう閉まってしまうので、旅人は付近で野宿したくなければ、全速力で急がなければならなかった理屈です。



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おきのどくやはえのあたま【お気の毒や蝿の頭】むだぐち ことば



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「おや、へえ、お気の毒に」という、同情の言葉とは裏腹な、文字通り毒を含んだ冷やかし。

蝿の頭には毒があるという俗信から、「気の毒」と掛けてこう続けたものです。

このへらず口は明和年間(1764-72)の初め、新興の深川遊郭が発祥で、それからしばらく大流行しました。

「お気の毒」のむだぐちでは、ほかに「お気の毒の人丸さま」があります。

これはダジャレで、「おきのどく」と、万葉歌人の柿本の人丸(=人麿)の「かきのもと」を無理やり引っ掛けただけ。

『東海道中膝栗毛』では、相手の「さりとてはお気の毒な」を受ける形で「ナニお気の毒の人丸さまだ? イヤ四斗樽しとだるさまが(聞いて)あきれらァ」と、さらにダジャレでまぜっ返しています。



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ぎょいはよしののさくらもち【御意は吉野の桜餅】むだぐち ことば



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「構わずとも吉野葛」同様、良し→吉野のしゃれで、今回は桜餅と付けています。

「ぎょい」は「御意」で、武家で殿様の思し召し、またはご機嫌のこと。

殿のおことばをいただいて、ひたすら「仰せごもっとも」と返答する場合の紋切型ですが、この場合は「御意はよし」で、ご機嫌うるわしいの意味です。

それを町人どもがからかい半分に茶化して、「お気に召した」の意味のむだぐちたたきに使っているわけです。

実にどうも無礼千万、けしからんもんで。

こういう、しらじらしくぎょうぎょうしい物言いは、多くは遊里で幇間が客に使ったり、通人気取りの若だんなが「ゲス」ことばとともに用いたものです。



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くちばかりのいかのしおから【口ばかりの烏賊の塩辛】むだぐち ことば

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烏賊の嘴だけで塩辛をこさえたって、食えたもんじゃない、無意味だというところから、口先ばかりの相手ををピシャリ。

「いか」は「いかさま」と掛けていて、インチキ、嘘つきを匂わせています。

実際は、動物学的には烏賊に嘴はないのだそうで、俗にそう呼ばれているのは潮の排出部分だとか。

それでも、「いかくちばし」は食通には珍重され、中身は干物にすると珍味です。

とまれ、烏賊なら刺身でもなんでもよかったのに、なぜわざわざ塩辛としたのか、「のしおから」の5音が必要だったのですね。

「のさしみ」の4音よりも言いやすいわけで、語呂のよさからきています。

烏賊が潮や墨を吹き出すように、口から出任せ出放題いう揶揄も隠れているのかもしれません。

「しおから」から「トンボ」を連想、トンボには隠語で愚か者、泥棒という意味もあるのでそれを利かせたのか。

そこまでいくとうがち過ぎですかね。

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おそかりしゆらのすけ【遅かりし由良之助】むだぐち ことば



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「由良之助か、遅かったァ」という絶句のしゃれ。それだけ。

遅刻をたしなめることばとして、歌舞伎ファンでなくてもたまに使われています。

戦前までの東京では、生活の至るところに歌舞伎のにおいがあったようです。

日常会話の端々に芝居の名セリフや、そのもじりがごく普通に使われていたわけです。

なかでも『仮名手本忠臣蔵』となると、どんなワキのセリフでも、骨の髄までしゃぶり尽くされていました。

これもその一つ。

「四段目」、塩冶判官が腹に九寸五分を突き立てたところで、花道から家老の大星由良之助がバタバタ。

そこで「由良之助か、遅かったァ」となるわけです。

もっともこれは実際の判官のセリフではなく、客席の嘆きの声なのですが。

これが遅刻をたしなめることばとして定着。

といっても本気ではなく、相手をからかうしゃれことばとなったものです。

逆に、遅刻した側のわびごとは、その前の「三段目」喧嘩場での判官のセリフ「遅なわりしは拙者の不調法」。

バレ小咄では、由良之助が髪を下ろした瑤泉院にお慰み用張り形(女性用婬具)を献上。そのサイズが合わず「細かりし由良之助」。



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きのねはとっこではのねはあご【木の根はとっこで歯の根は顎】むだぐち ことば



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その気はない、と言う相手をまぜっ返すむだ口です。

「きのね」は「気のねえ」で、それと「木の根」を掛けているのが、次の「とっこ」で分かります。

「とっこ」は同音異義語で、「盗人」「蟻地獄」「独鈷」「かつおぶし」など、さまざまな意味が考えられますが、この場合、木の切り株の意味の「とっこ」しかぴったりハマりません。

新潟県や長野県の方言なので、このむだぐち自体もそのあたりのローカルなものかもしれません。

次に「木」から「葉」、ついで「歯」と変換し、「歯のねえ」から「歯の根」→「あご」と悪じゃれます。

まぜっ返し自体はあまりタチがいいとはいえませんが、ことばの連鎖的な変化としては、なかなかに凝っています。



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ごめんそうめんゆでたらにゅうめん【御免素麺茹でたらにゅうめん】むだぐち ことば

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一応「ごめん」と謝った形ですが、こうまでざれごとを並べ立てたら、謝る気などさらさらないのは見え見え。おそらく子供の軽口でしょう。

許されるどころか、逆に大雷が落ちるのは必至です。

しゃれとしては、「めん」という韻を重ねただけの他愛ないものですが、むだぐちとしての言葉のリズムはなかなかのもの。

「ごめんそうめん」は、古語の「御免候え」のもじり。

「ごめん」のしゃれもなかなか多く、「御免素麺冷素麺」「御免素麺売れたら一銭」「御免茄子おいて南瓜、一服西瓜今日は冬瓜」「御免頂来豆の粉しんちこ」「しからば御免の蒙り羽織」などなど。

この中には謝罪というより、「しからば御免」のように、「ちょっと失礼」という意味だけのものも含まれています。

受けた相手の逆襲は「五面(=御免)も十面もねえっ」に尽きるでしょう。

【語の読みと注】
御免候え ごめんそうらえ
御免素麺冷素麺 ごめんそうめんひやそうめん
御免茄子おいて南瓜 ごめんなすおいてかぼちゃ
一服西瓜今日は冬瓜 いっぷくすいかきょうはとうがん
御免頂来豆の粉しんちこ ごめんちょうらいまめのこなしんちこ
しからば御免の蒙り羽織 しからばごめんのこうむりはおり

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おもおもともとのところへおなおりそうらえ【重々と元の所へお直り候え】むだぐち ことば



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これは将棋で、王手に対しての相手の「待った」を許すときのむだぐちです。

元ネタは能楽の三番叟で、後半の狂言方のセリフ「元の座敷へ重々とお直り候え」をもじったもの。

「落ち着いて元の場所に駒を戻しなさい」といったところ。

「待った」というものは、本来許されるものではありません。

それをあえて許し、妙に仰々しい文句でうながすところに、勝者の余裕と鼻持ちならない侮蔑の念がうかがわれます。



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しょうがなければみょうががある【生姜なければ茗荷がある】むだぐち ことば



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「しょうがない」というあきらめのことばに対するまぜっ返し。「しょうがない」と「生姜」を掛け、「生姜がなければ代用品の茗荷があるだろう」と茶化しています。

「茗荷」はかなり紋切り型ですが、「冥加」と掛けたしゃれ。冥加は仏の恩恵のことで、この場合は「しょうが(=生姜)なくても、まあなんとかなるんじゃないの」くらいの感じでしょう。

似た言いまわしでは、江戸で古くから使われた「仕様模様」があります。

「仕様」はやり方、手段。模様はこの場合は、仕組むこと、工夫、趣向の意味ですから、ほぼ同じニュアンス。

つまり、同じ音韻、意味を重ねた強調表現。

この後に否定「……がない」が付けば「しょうがない」と同じ意味になります。

もう一つ、ストレートに「しょうがない」を表すむだぐちには「生姜苗(=ねえ)茄子苗(=ねえ)田無の市」があります。

これは、「ねえ」という否定と「苗」を掛け、江戸郊外の苗市を出したしゃれです。

「茄子」はもちろん「しょうがなす」→「しょうがない」のダジャレでもあります。



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ありがたいならいもむしゃくじら【蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨】むだぐち ことば



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「ありがたいなあ」というしゃれことば。それだけです。

「ありがたい」の中の「あり」に蟻、「たい」に鯛を掛けて、その大きさのギャップを強調しているのです。語感が気持ちいいですね。

ぜひとも声に出してみたいところ。



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そのてはくわなのやきはまぐり【その手は桑名の焼き蛤】むだぐち ことば



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合点承知之助」や「恐れ入谷の鬼子母神」と並んで、今に生き残るもっとも知られたむだぐちです。

「その手は食わない」から東海道桑名と掛け、さらに、ご当地名物の焼き蛤を出しています。「その手」なので、これももともとは将棋からかもしれません。

焼き蛤の代わりに「四日市」「三日市」としている例もありますが、これは土地つながりだけで、しゃれとしての意味はありません。

「そうはいかない」の別のむだぐちには、「その手は食わぬ水からくり猿が臼挽き」「その手でお釈迦の団子こねた」などがあります。

「水からくり……」の方は、からくり仕掛けの子供のおもちゃで、猿が噴水の仕掛けで臼を挽くようになっているもの。

「からくり」→「魂胆はは見抜かれている」という警告と、「水」→「すべてパアになるからむだなこと」という嘲りを含んでいます。



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おおありなごやのきんのしゃちほこ【大あり名古屋の金の鯱】むだぐち ことば



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「おい、本当か」という相手の疑問を受け、「もちろんだ」と強く保証する江戸っ子流。

ここまで調子に乗って軽口を叩かれると、多分に眉唾ものですね。

「大あり」と尾張名古屋の洒落は常番。

それに名古屋城の金の鯱鉾をもう一つくっつけ、話はどんどん大げさになっていきそうです。

「金」を出すことで、「俺っちの言うことは武士の金打だから間違いねえ」とだめ押しする気なのでしょう。

実際には金の鯱鉾は名古屋に限らず、天守焼失前の江戸城にもあったので、なんのことはなく、これは江戸っ子の負け惜しみ。

類似のむだぐちに「大ありさまの五段長屋」があリます。

これは「大あり」と「尾張さま」の洒落。

「五段長屋」は、江戸の市ヶ谷浄瑠璃坂にあった、尾張徳川家の侍長屋。今でいう社宅ですね。

【語の読みと注】
鯱鉾 しゃちほこ
金打 きんちょう:命がけの誓約



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そろそろときたやましぐれ【そろそろと北山しぐれ】むだぐち ことば



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「来た」と「北」を掛け、そこから、京都の北山から降りおろす時雨を出しています。

「北山時雨」はポピュラーな冬の季語。

昭和初期の小唄勝太郎から現代の川中美幸まで、歌謡曲の歌詞にもけっこう取り上げられています。

ここで厄介なのは、「来た山」としゃれる場合、慣用的に意味が複数あることです。

まずは、単純明快に誰かがやってきたの意。

ただ、「そろそろと」が付く場合、単に「そろそろ待ち人がやってきた」というほかに「やっとこっちの思惑通りになってきた、しめしめ」というニュアンスが加わることがあるので、要注意。

次に「腹が来た山」から「急に腹が減った」というスラング。

江戸時代には「腹が減った」ことを「腹が来た」と言いました。時雨は予期せず降ることから。

そこからもう一つ「気まぐれ」の異称にもなりました。

次に、同じ「来た」でも、異性に気があること。

「あいつは俺にきた山」など。

これは「恋心がきざした」ということでしょうが、一説には、京の北山の麓に、昔口寄せの巫女(霊媒)が出没したところから、「口寄せ」→接吻とエロチックな意味が付いたとか。

「北山」のしゃれには、ほかに「北山桜」「北山寒烏」「北山の宝心丹」など、これも多数。

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くれはおけやのたなにあり【くれは桶屋の棚にあり】むだぐち ことば



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くれくれとしつこくねだる相手をこれで撃退。「くれ」と、桶の原材料の材木であるくれを掛けています。

「いいかげんにしておけや」と「桶屋」も掛かっているわけです。

榑なら桶屋の仕事場の棚にあるから、「欲しけりゃそこからかっぱらっておけ」というわけ。

頼む側も断る側も「くれ」のしゃれはけっこうあり、「くれのかね(暮れの鐘=金をくれと掛ける)」、江戸の地名を出した「榑木河岸くれきがし」など。榑木河岸は、旧日本橋榑正町くれまさちょうにあった河岸通りで、中央区江戸橋三丁目付近。

この手のしゃれではるか後年のものでは、東京節(1918年)の替え歌の一節で「なににもくれないクレマンソー」というのがありました。

ベルサイユ講和会議(1919年)で、「クリルくれくれクレムリン」てえのはなかったんですかね。



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けっこうけだらけねこはいだらけ【結構毛だらけ猫灰だらけ】むだぐち ことば



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映画「男はつらいよ」シリーズで、寅次郎の口癖として全国的に有名になりました。

この後、「ケツの周りは糞だらけ」というスカトロじみたセンテンスが付きます。

語呂合わせの典型的なもので、映画のイメージから東京特有のものと思われがちですが、古くから全国各地に流布していました。

『俚言集覧』にも記載され、伊豆、駿河、出雲地方などの用例があります。

まぜっ返しで、「結構」という取り澄ました返辞の言葉尻を取ってあなどるもの。

地方によって、「結構毛だらけ猫の穴」「結構毛だらけ猫穴だらけ」などの変形が見られます。



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こまりいりまめさんしょみそ【困り煎り豆山椒味噌】むだぐち ことば



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「困り入リ(=困り果て)ました」の「入りま」に「煎り豆」を掛け、さらに豆の縁で、大豆の山椒煮から山椒味噌とつなげた、典型的なむだぐち。

意味は「困った」の一言だけで、以下はすべてしゃれでしかありません。

山椒は実が丸くてごろごろしているところから「ころり山椒」の異名があり、そこから「ころりと参った」=なすすべがない、という意味を含ませたのかもしれません。

「困る」のむだぐちも多く、「困った膏薬貼り場がねえ」「困り桐の木」「こまりたこ彦之進」「困り名古屋」「困りの天神」「困りの天満宮」「困り山の重忠」「困るに数の子」と、挙げれば切がありません。

最後のは正月料理の「ごまめ」と「困る」のダジャレ。つくづく神代の昔より、憂き世に悩みの種は尽きまじ、ですね。



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きこうかるかやおみなべし【聞こう苅萱女郎花】むだぐち ことば



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秋を代表する花々を並べた「桔梗苅萱女郎花」のもじり。

「聞こう」を「桔梗」としゃれ、「か」から「刈萱」とつなげ、さらに「おみなべし」を「おみなえし」と続けたものです。それだけ。

「おみなえし」と言わず、あえて別読みの古風な「おみなべし」としたのは、「さあ、聞くべし」という心でしょう。

「おみなべし」「をみなべし」「をみなへし」は中世以前の読み方です。

しゃれことばとしてはシンプルですが、それだけに、典型的なむだぐちのサンプルともなっています。

【語の読みと注】
桔梗苅萱女郎花 ききょうかるかやおみなべし



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うまかったうしゃまけた【うまかった牛ゃ負けた】むだぐち ことば



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ダジャレを使った典型的なむだ口の例で、特に説明の必要もないかと思います。

「牛」の部分は「鹿」になることも。

牛と馬は、農村の二つの大きな柱で、ことわざや慣用句でもよく比較されます。

「牛を馬に乗り換える」「馬を買わんと欲してまず牛を買う」など。

いずれの場合にも牛は二番手扱い。

迅速と鈍重。イメージの差でしょうか。

古く、児童の遊戯で「馬か牛か」というのがありました。

下駄か草履をコイン代わりに投げ上げ、表か裏かを当てっこする他愛ないものですが、この場合も馬=表、牛=裏でした。



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あたじけなすびのかわっきり【あたじけ茄子の皮っ切り】むだぐち ことば



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関東地方の方言です。

欲が深い、ケチ、あつかましいという意味の「あたじけない」に茄子を掛けたしゃれ。

「皮っ切り」は、皮ばかりで中身が空っぽなこと。

茄子は昔は安価な野菜で貧乏人の象徴とされたので、そのまた切れっ端なら救いようがありません。

ケチで強欲、シャイロックですね。

「あたじけなすび」は「かたじけなすび」の地口でもあります。

後者は「お有り難やの大明神」と同様、ただただ感謝感激、茄子も正月の縁起物の一つでもあったのに、「か」を「あ」に一音変えただけで、ポジがネガになる皮肉です。



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えはなかちょうきりどおし【絵は仲町切通し】むだぐち ことば

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「ええ」という返事のまぜ返し。

こんな具合でしょうか。

「あんた、今日は休みなのかい」
「絵は仲町切通し」

こんなどうでもよいことをわざわざことばにするのも洒落てます。さすがは江戸文化。

「絵は神明前」というバージョンもあります。こんな低レベルなら、いくらでもつくれますね。

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きょろりかんすのおちゃがわく【きょろり鑵子のお茶がわく】むだぐち ことば



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「きょろりかん」「きょろりんかん」はあっけにとられ、呆然とすること、またはなにが起きてもあっけらかん、けろりとしていること。

ことば尻の「かん」から鑵子=薬罐につなげ、さらに「お茶がわく」で、「へそが茶をわかす」の意味を効かせています。

ややニュアンスに違和感はあるものの、前者の意味で「あきれけえって物が言えねえ。お笑い草だ」となるでしょう。

別解釈では、ぼうっとしていて薬罐の茶がわいても気が付かない、とも。

鑵子は江戸では薬罐ですが、上方ではもっと大きな茶釜のこと。

どちらにせよ、意味は変わりません。

類似のむだぐちに「きょろりが味噌をなめる」「きょろりが味噌をねぶる」がありますが、こちらは第二の意味でポーカーフェイス、鉄面皮のたとえです。



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うるさいのかじばおり【うるさいの火事羽織】むだぐち ことば



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「うるさい」というときのむだぐち。

ただ、それだけです。

火事場織とは、防火用として、大名などが着たラシャや革製の羽織をさします。

陣羽織ともいいます。

これは、身分のたかい人が着るものです。

羽織の種類は多岐にわたり、その羽織でどんな階層の人がわかるようになっていました。

たとえば、こんなかんじです。

袖丈よりも羽織丈の短い若衆の蝙蝠羽織。

市井の老人が着た袖無羽織=甚兵衛羽織。

袖丈と袖口が同じ長さの広袖羽織。

腰に差した刀や馬に乗る武士のための、腰から下が割れている背割羽織=打裂羽織。

幕末の洋式訓練に用いた筒袖羽織。

という具合に、使い方や階級・身分によって、その形態や素材など、さまざまでした。



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いたみぎんざん【痛み銀山】むだぐち ことば



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「痛み入る」のしゃれことば。

「石見銀山ねずみ捕り」は、江戸時代、石見国(島根県)笹ヶ谷鉱山で銅などといっしょにに採掘された砒石(硫砒鉄鉱、砒素などを含む)を焼成してできた殺鼠剤(ねずみ捕り)です。主成分は亜ヒ酸。

これを「石見銀山」とか「猫いらず」とか呼んでいたもので、全国的に使われていました。

「石見銀山ねずみ捕り」を「痛み銀山寝ずに取り調べて」などとも言ったりしています。式亭三馬「忠臣蔵偏癡気論」にも。

使い方はいろいろです。



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うそをつきじのごもんぜき【うそを築地のご門跡】むだぐち ことば

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「ええ、うそをつきゃあがれ」と軽く相手を突き放すときの軽口。

「うそをつく」と、江戸の地名の築地を掛け、さらに、その地にある本願寺とつなげています。

「うそを築地」と切ることも。

「門跡」は幕府が制定したもので、出家した皇族が住職を務める格式の高い寺院のこと。築地本願寺は西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山)での唯一の直轄寺院です。

門跡に準じる「准門跡」の格ながら、俗にはやはり「ご門跡さま」と呼ばれます。中央区築地の場外市場には「門跡通り」があります。

江戸期にはこのあたりに寺院があったそうです。現在の建物は関東大震災(1923年)で焼失した後、昭和9年(1934)にできたもの。伊藤忠太の設計です。

ですから、旧築地市場一帯が本願寺の境内でした。地名から、このむだぐちは江戸東京限定です。

ほかに「うそを筑紫(つくし)」などとも言いました。

うそつきのむだぐちはけっこう多いもの。

「うその皮のだんぶくろ」「うそばっかり筑波山」……。ご存じ「うそつき弥次郎」などが代表例です。

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いしべきんきちかなかぶと【石部金吉金兜】むだぐち ことば

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人の性情そのものを擬人化した表現。

石と金属で作られているように、とにかくガッチンガッチン、堅餅の焼冷まし。

まじめ一途の堅物で、大阪でいう沈香も焚かず屁もひらず。

遊びも楽しみもまったく知らない、上方落語によく登場する「芸子という粉は一升なんぼや?」という人間を揶揄したもの。

これにさらに「金兜」が付き、リズム的にも強調されてことば遊びの部類になります。

もとは将棋の対局で、駒の金将に掛け、相手の難攻不落の堅陣をこうボヤいたのが始まりとか。

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あやまはりのりょうじおだぶつほうちんたん【あやま針の療治お陀仏ほうちんたん】むだぐち ことば

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「いや、これはあやまった」というのは東京の古い言い回しで、ちょっと照れた調子で「ゴメンゴメン」というところ。

「あやまはり」は「あんまはり」と掛けたしゃれ。

かつて、視覚障害者の流しのマッサージで、針療治はオプションのサービスでした。続く「お陀仏」はスラングでやはり間違い、誤りの意味。

「ほうちんたん」は、江戸日本橋本町の近江屋で売っていた気付け薬「豊心丹ほうしんたん」のもじりで、おふざけでさまざまなことばに付けました。

ということで、ここまでくると謝意など微塵もなく、ただおちゃらけているだけですね。

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あにはからんやおとうとしょうゆうり【あにはからんや弟醤油売り】むだぐち ことば

【RIZAP COOK】

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「あにはからんや」は漢文体の「豈はからんや」で反語。「とうてい信じられない」「思いがけないことに」の意味です。

続く「弟醤油売り」は、幕府瓦解、廃藩置県後、プライドだけはまだ高い没落士族が、いまだに「豈はからんや」などと漢文口調で反り返っているのに、跡取りの長兄以外の次男、三男は、行商で醤油を売り歩くほど落ちぶれていると揶揄したもの。

「豈(あに)」は「兄」と掛け、後の「弟」と対比しています。したがってこれは明治初期、「士族の商法」の時代限定の言い回しですね。

【RIZAP COOK】

あつかまししのほらいり【あつかまししの洞入り】むだぐち ことば

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あつかましい、ずうずうしいの言葉尻を「獅子」に掛けただけのしゃれ。

「獅子の洞入り」は、太刀、薙刀などの捌き方の一手で、一説には馬術の手綱捌きの一つとも。

さらに、そこから転じて、角兵衛獅子の子供が演ずるアクロバットや曲芸もそう呼びました。

いずれにしても、ずうずうしいの意味とは噛み合わないので、「洞入り」は単なる語呂合わせで付けただけかもしれません。

「あつかましい」には、古くはいかめしい、りっぱという意味もあったので、それならぴったりですが、一般的な意味とはかけ離れていて、やはり無理筋でしょう。

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あたりきしゃりきくるまひき【当たりき車力車曳き】むだぐち ことば

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江戸・東京の職人言葉で「あったりめえよ」といったところ。

「あたぼう」と同義です。

昭和の頃までは「あたりきしゃりき」まではまだ使われていましたが、「くるまひき」は聴いたことがありません。

今ではもう、ことば全部が滅亡種ですね。

「き」は単なる言葉癖で、「りき」から語呂合わせで「車力」を出しています。

車力も車曳も、もとは大八車を曳く都市部の労働者でした。

これが明治維新後、人力車を走らせる俥曳きの意味に転じました。

類似の言い回しとして、「車曳き」のところが「穴馬力」(荷馬車の意)「あんまの眼玉」などと変えられた例があります。

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あじにえをすげたこえびしゃく【味に柄をすげた肥柄杓】むだぐち ことば

★auひかり★

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「味に」は「巧みに」で、「おつに」と似たニュアンス。「すげる」は継ぎ足す意味で、併せて、うまく言いつくろってごまかすこと。

「肥柄杓」は、調子を整えるために加えたもので、元の柄杓の柄に、また余計な柄(=屁理屈)をくっつけやがって、という非難。

肥は汚物の象徴なので、それだけ嫌悪感も増す勘定です。

歌舞伎では黙阿弥の世話狂言『髪結新三』の「永代橋の場」で「柄のねえところに柄をすげて、べらべら御託を抜かしゃがりゃ」とあります。

肥柄杓は、江戸では「こいびしゃく」と発音します。

★auひかり★

あざぶできがしれぬ【麻布で木が知れぬ】むだぐち ことば  

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この形はどちらかといえば、言葉遊び、むだぐちというより、なぞなぞを含んだしゃれ言葉、隠し言葉です。

たとえば、先代円楽が声を入れていたCMで「うでた(茹でた)卵で→かえりゃせぬ(=帰りゃせぬ)」の類。

この場合、謎解きは麻布、六本木の地名由来。昔麻布に六本の大木があったが、その所在はもう知れないことから「木」と「気」を掛け、麻布というだけで「気が知れない」=本心が解らない意味と言うわけ。

謎かけの兄弟分で、用例は無数。

江戸人の洒落っ気横溢で、日常で使う場合、答えをすぐ付けるのが普通です。

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