【粗忽の使者】そこつのししゃ 落語演目 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
【どんな?】
そこつには、軽はずみ、そそっかしい、あわてもの、といった意味があります。
【あらすじ】
杉平柾目正という大名の家臣、地武太治部右衛門という、まぬけな名の侍。
驚異的な粗忽者だが、そこがおもしろいというので、殿さまのお気に入り。
ある日、大切な使者をおおせつかり、殿さまのご親類の赤井御門守の屋敷におもむかねばならない。
家を出る時が、また大変。
あわてるあまり、猫と馬をまちがえたり、馬にうしろ向きで乗ってしまい、 「かまわぬから、馬の首を斬ってうしろに付けろ」 と言ってみたりで、大騒ぎ。
先方に着くと、きれいに口上を忘れてしまう。
腹や膝をつねって必死に思い出そうとするが、どうしてもダメ。
「かくなる上は……その、あれをいたす。それ、あれ……プクをいたす」
「ははあ、腹に手をやられるところを見るとセップクでござるか」
「そう、そのプク」
応対の田中三太夫、気の毒になってしまった。
「何か思い出せる手だてはござらぬか」
治部ザムライ、幼少のころから、もの忘れをした時には、尻をつねられると思い出す、ということをようやく思い出したので、三太夫がさっそく試した。
だが、今まであまりつねられ過ぎて尻肌がタコになっているため、いっこうに効かない。
「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」
とたずねても、みな腹を抱えて笑うだけで、だれも助けてくれない。
これを小耳にはさんだのが、屋敷で普請中の大工の留っこ。
そんなに固い尻なら、一つ釘抜きでひねってやろうと、作事場に申し出た。
三太夫は藁にもすがる思いでやらせることにした。
ただ、大工を使ったとあっては当家の名にかかわるので、留っこを臨時に武士に仕立て、中田留五郎ということにし、治部右衛門の前に連れていく。
あいさつはていねいに、頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留、初めは
「えー、おわたくしが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」
などとシャッチョコばっていた。
治部右衛門と二人になると、とたんに地を出した。
「さあ、早くケツを出せ。……きたねえ尻だね。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」
えいとばかりに、釘抜きで尻をねじり上げる。
「ウーン、いたたた、思い出してござる」
「して、使者の口上こうじょうは?」
「聞くのを忘れた」
【しりたい】
この続き 【RIZAP COOK】
今では演じられませんが、続編があります。
この後、治部右衛門が使者に失敗した申し訳に腹を切ろうとします。
九寸五分の腹切り刀と扇子を間違えているところに殿さまが現れます。
「ゆるせ。御門守殿には何も用がなかった」
ハッピーエンドで終わります。
使者にも格がある 【RIZAP COOK】
治部右衛門は直参ではなく、殿さまじきじきの家来である陪臣、それも下級藩士ですから、じかに門内に馬を乗り入れることは許されません。必ず門前で下馬し、くぐり戸から入ります。
作事場とは? 【RIZAP COOK】
大名屋敷に出入りする職人、特に大工の仕事場です。 作事とは、建物を建築したり修理したりすることをいいます。「作事小屋」「普請小屋」ともいい、庭内に小屋を建てることもありました。大大名では、作事奉行、作事役人が指揮することもあります。
「太閤記」では、木下藤吉郎が作事奉行で実績をあげ、出世の糸口としています。
赤井御門守 【RIZAP COOK】
赤井御門守とは、ふざけた名前です。もちろん架空の殿さまです。
あるいは、赤い門からの連想で「赤門」、加賀百万石の前田家をきかせたのかもしれませんが、どう見ても、そんな大大名には思えません。
「妾馬」での六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)によると、ご先祖は公卿だった、算盤数得表玉成卿で、任官して「八三九九守」となった人とか。
石高は12万3千456石7斗8升9合半と伝わっています。
どうも、江戸の庶民は、高貴な人たちの官位という制度と聞きなれない名称の音の響きに奇妙な好奇心を抱いていたようなふしがうかがえます。
高貴な世界に関心とあこがれがあった、ということなのでしょう。
「火焔太鼓」では太鼓、「妾馬」では女と、やたらと物を欲しがるのも特徴です。
落語に登場する殿さまには、この噺に最初に登場した、根引駿河守吝坂慾之守治部右衛門の主君である、杉平柾目正もいます。赤井の殿さまほど、有名ではありませんが。