おおどこのいぬ【大どこの犬】落語演目



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【どんな?】

動物が主人公の上方噺。
大富豪に飼われていた犬の物語です。

別題:鴻池の犬(上方)

【あらすじ】

日本橋石町の、さる乾物屋。

朝、表戸を開けようとすると、なにかが引っ掛かっているのか、開かない。

小僧が裏口から回って見てみると、戸袋のところに箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの犬の赤ん坊。

川の中に放り込んでも寝覚めが悪いから、飼ってやることにしたが、そのうち、黒いのを小僧が大変かわいがり、兄弟同然にして育てた。

ある日、商人風の男が尋ねてきて、主人にお宅の黒犬を譲ってほしいと、五両差し出す。

飼い主の小僧は品川に使いに行って留守なので、一日返事を待ってもらったが、翌日の昼、男がやってきても小僧はまだ戻らない。

これ以上引き延ばすことはできないので、事情によっては独断で決めようと主人がわけを尋ねた。

男は大坂鴻池の、東京の出店の者。

主人の坊ちゃんがかわいがっていた黒犬が死んだので代わりを探しているが、その犬は熊そっくりに喉に月の輪型の差し毛があり、そっくりなのがなかなか見つからずに困っていたところ、たまたま、ご当家の犬が同じ所に同じ形の月の輪があるのを見てお願いにあがった、決して殺して生き血を取るというような料簡はなく、大坂へ連れて帰って坊ちゃんの遊び相手をするだけだから、ぜひ譲ってほしいと事を分けて頼むので、主人も、鴻池のような大家にもらわれれば、クロもぜいたくができ、出世だからと、その場で承知して犬を引き渡す。

大坂にもらわれたクロは、下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛もつやつやとして、体もずんずん大きくなった。

いつしか近所の犬どものボスになり、「鴻池のクロ」といえば知らぬ者はないぐらいのはぶり。

ある日、クロが門前で日向ぼっこをしていると、見慣れない、みすぼらしい灰色の犬がよたよたと現れる。

おっそろしく汚いので
「てめえは何者だ」
「へえ、このへんに鴻池のクロさんてえ方が」
「クロはオレだ」
「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」

よく見ると、犬は末の弟のシロ。

兄弟感激して対面をして、わけを尋ねると、自分がもらわれた後、それを知った小僧が大変に怒って、腹いせにシロと中の弟のブチは家を追いだされた、という。

二匹で食うや食わず、掃き溜めでゴミあさりをしていた。

突然、野犬狩りの太い棒が飛んできて、ブチは
「キャーン」
と言ったのが、この世の別れ。

シロは一匹になって、上の兄貴を頼ろうと艱難辛苦の末、ボロボロになって大坂にたどり着いたとやら。

聞いたクロ、
「オレに任せておけばもう心配いらねえ。エサはゲップが出るほどもらえるし、オレの犬小屋は人間サマが寝られるくらい広いから、二、三匹来たって驚きゃしねえ、大船に乗った気でいろ」
と請け合い、
「クーロ、クロクロクロクロ」
と呼ばれるたびに、鯛だのカステラだのを、弟に持ってきてやる。

シロは食べたことのないものばかりで、目をシロクロ。

また
「クーロ、クロクロ」
と兄貴が呼ばれたから、今度はどんなものを持ってくるかと期待して待っていると、今度はしおしおと手ぶらで、
「坊ちゃんのオシッコだった」

【しりたい】

上方落語の逆輸入版

原話は、安永2年(1773)刊の笑話本『聞上手』中の「犬のとくゐ」。 

これは、オチを含む後半部分の原型で、黒とブチ、2匹の犬の会話になっています。

「黒こいこい」と呼ぶ声がするので、何かエサでももらえるのだろうとブチに促されて黒が行ってみると、「子供の小便だった」というたわいないもので、これは、上方で子供に小便させる時の「クロクロクロ」(またはシーコイコイ)を利かせたものです。

この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。

三代目桂米朝(中川清、1925-2015)は「題名を明かさずに演じた方が、初めの捨て子のくだりがおもしろい」と述べています。

オチは、今では「クロクロ」がわかりにくいので、米朝は「コイコイコイ」とやっています。

東京版は「彦六十八番」

明治30年(1897)ごろ、初代三遊亭円左(小泉熊山、1853-1909、狸の)が東京に「逆輸入」しました。

円左は大阪のものをそのままやっていました。

のちに三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。

円馬の芸の愛弟子だった八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)は手掛けることなく、東京では戦後、上方の桂文次郎直伝のものを八代目林家正蔵が再構成し、十八番にしました。

正蔵は、もらわれ先を再び大坂鴻池に戻し、犬がはるばると東海道を下っていくことにして、噺に奥行きとスケールを出していました。

その没後は、六代目三遊亭圓窓(橋本八郎、1940-2022)が継承して演じました。

最近は、地味ながらアットホームな一種の人情譚として若手の高座にも取り上げられているようです。

鴻池善右衛門

鴻池の始祖新六は、講談で名高い山中鹿之助の次男と伝えられます。

その子、初代善右衛門が、摂津鴻池村で造り酒屋を営んだことから家名がつき、初代は海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。

以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。

上方落語では「三十石」「莨の火」「占い八百屋」などに数多くその名が出ていて、明治までで十代を数えます。

十代目善右衛門(1841-1920)は、明治10年(1877)に第十三国立銀行を設立するなど、明治大正の関西財界に君臨しました。

黒犬の生き血

難病治療に効果があると信じられました。

ヨーロッパでも黒犬は魔力を持つものと見なされ、黒ミサや呪術でしばしば生贄とされていました。

大どこ

東京版のタイトルですが、大金持ちの意味です。

「オオドコロ(大所)」が略されたものでしょう。

「犬になるとも大どこ(所)の犬になれ」という諺があり、意味は「寄らば大樹の陰」と同じです。

【語の読みと注】
石町 こくちょう
鴻池 こうのいけ



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