らくごのあらすじじてん うぇぶ せんじよせ
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さあ!
このページは2025年11月10日に更新されました。
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【きょうの茶噺】

またも仕事で松が岡へ行っていました。ここには東慶寺(臨済宗円覚寺派)があります。今は男寺ですが、江戸時代には尼寺でした。関東では、この寺と上州(群馬県)の満徳寺(太田市、時宗)が駆け込み寺で名を上げています。夫がしでかす理不尽な不行跡にも妻から離縁を求められなかったのが江戸時代でしたが、この二寺のいずれかに駆け込めば離縁ができるというならわし。縁切寺とか駆け込み寺とか呼ばれていました。当時の慣習法ですね。日本の社会にはこういう抜け穴がいたるところにあったものでした。アジールというやつですね。そこで「雲州は会者相州は定離なり」という川柳が。雲州(島根県)は縁結びの神の出雲大社をさし、相州(神奈川県)は東慶寺を。会者定離(えじゃじょうり)は仏教が説く「四苦」のひとつで、会うは別れが定めという人生の苦しみをさします。当たり前のことをただ並べているだけの句ですが、並べて対比することでかすかな弛緩と笑いが醸し出されています。東慶寺に駆け込んで三年間じっとしていれば、ご破算となって晴れてしゃばに戻れるという世の定めがまかり通っていました。なんともまあ。やり直しのシステムが機能していたのですね。まるで『ザ・ロイヤルファミリー』。江戸時代はなんともまあ奇妙な時代でしたが、人々のかそけき救いの手だてだったのですね。今では、駅前の中華「大陸」で炒飯や餃子をがっつりたいらげてから寺社に乗り込むインバウンドの群れ。なんでこんな町中華がこの界隈にあるのか。なにゆえインバウンドが知るに及ぶのか。ともに違和感をはらんでおり、じつに奇妙で不思議です。北鎌倉の晴れやかな秋は馬のいななきが聴こえそう。
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不思議な構図の歌麿の春画


