【悋気の独楽】りんきのこま 落語演目 あらすじ
【どんな?】
悋気=嫉妬。
浮気性のだんな。
行くか行かぬか。
小僧相手に独楽で占い。
別題:三ツ紋の独楽 辻占独楽 喜撰
【あらすじ】
だんなが田中さんのところへ行くと言って、夜出かけていった。
やきもち焼きのおかみさん、これは女のところだと当たりを付け、小僧の長吉に提灯の火を頼りに後をつけさせるが、これに気づいただんなが、長吉を買収しようとお妾さん宅へ連れていく。
長吉は抜け目がなく、口八丁手八丁。
小僧は口も身上も軽いと脅し、酒をたらふく呑んだ挙げ句、二十銭で寝返ることにする。
「えー、まさに賄賂受納つかまつりました」
だんなは
「帰ったら、山田さん宅をのぞいてオレに声をかけられたことにし、ただいま碁が始まるようすですから、今夜のお帰りはないでしょう、と言え」
と言い含める。
証拠物件にと、
「これはだんなさまが店の者に食わせろとおっしゃったと、こう言うんだ」
と餡ころ餠まで渡す周到さ。
そうしているうち、長吉がきれいな箱を見つけた。
中には三つの独楽。
それぞれ違った紋がついている。
旦那が言うには、花菱の紋はおめかけさんの独楽。
「はあ、副細君で」
「変な言い方をするな。こっちの三柏がうちのやつのだ」
「ご本妻の」
「これが抱茗荷で、おれのだ。これを三つ一度にまわす。そこで、おれの独楽が花菱の方へ着けばここに泊まるという、辻占の独楽だ」
遊びに独楽売りから買ったものだからと、だんなが独楽をくれたので、長吉は喜んで、そろそろ引き揚げることにした。
「決してご心配ありません。お楽しみ」
「お楽しみだけ余計だ。こっちへ来たら時々寄れ」
「へい、日に三、四度」
「そんなに来られてたまるか」
どうせおかみさんからも、にせ情報を流した上二十銭ふんだくるつもり。
店はもう戸締まりしていたので、
「だんなのお帰り」
と大声で叫んで堂々と通ると、さっそく
「おかみさんがお呼びだ」
という。
だんなの筋書きが功を奏して、執拗な尋問をなんとかかわしたと思ったら、
「奉公人が用をするのは当たり前だよ」
と、なにもくれない。
逆に、肩をたたいてくれと言いつけられる。
しぶしぶ肩につかまっているうち、眠くなるので、長吉、本店のお嬢さんがこの間、踊りのおさらいにお出になったときの「喜撰」はよかったと、
「チャチャチャンチン、世辞で丸めて浮気でこねてェ、ツチドンドン」
と拍子に乗って背中を突いた。
その拍子に、独楽がポロリ。
紋がついているのでごまかしきれず、ついにすべて白状させられる。
おかみさんが
「やってお見せ」
と言うので実演すると、だんなの独楽はツツツーと花菱の方へ。
「えー、あちらにお泊まりです」
「おまえのやり方が悪いんだ。もう一度おやり」
「へい。……あっ、おかみさんの独楽が近づいた。だんなの独楽が逃げる逃げる逃げる……あちらへお泊まりです」
おかみさん、カンカンで、
「こっちィおよこし」
と自分でまわすが、なぜかだんなの独楽がまわらない。
「これはまわらないわけです。心棒(=辛抱)が狂いました」
【しりたい】
やり手など
幕末には純粋な上方落語でした。
明治になって三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京に移しました。
あまり根付かなかったらしく、速記は小さんのほかは、八代目春風亭柳枝(島田勝巳、1905-59)のものくらいです。
先の大戦後では、やはり上方の三代目林家染丸(大橋駒次郎、1906-68)、東京で上方落語を演じた二代目桂小南(谷田金次郎、1920-96)が得意にし、小南門下だった二代目桂文朝(田上孝明、1942-2005)もレパートリーにしていました。
だんなと本妻の虚々実々の腹の探りあいがニヤリとさせ、「権助提灯」などよりずっとおもしろいのに、あまりやり手がいないのは惜しいことです。
四代目志ん生の改作
四代目古今亭志ん生(鶴本勝太郎、1877-1926、鶴本の)は、五代目志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の二度目の師匠です。
「転宅」「あくび指南」などを得意とした、江戸前の粋な芸風でした。
その志ん生が音曲の素養を生かし、この噺を「喜撰」と題して改作しています。
後半の独楽回しの部分を切り、小僧が清元の「喜撰」に熱中するあまりおかみさんを小突くので、「おまえ、人を茶にするね(=馬鹿にするね)」「へい、今のが喜撰(宇治茶の銘柄と掛けた)です」というサゲにしました。
これは一代限りで継承者はなく、五代目志ん生にも伝わっていません。
五代目志ん生は「稽古屋」で「喜撰」をうたっています。
独楽
こま。日本渡来は平安時代以前で、コマは高麗から渡ったことから付いた名称です。
江戸時代になり、八方独楽、銭独楽、博多独楽など、さまざまな種類が作られ、賭博や曲独楽もさかんに行われました。
「喜撰」
歌舞伎舞踊「六歌仙容彩」の四段目で、『古今和歌集』で有名な六歌仙のそれぞれを、それぞれの性格に応じて踊り分けるものです。
第一段が僧正遍昭(義太夫)、以下、文屋康秀(清元)、在原業平(長唄)、喜撰法師(清元・長唄の掛け合い)、大伴黒主(長唄)となり、それぞれに小野小町と、その分身である茶汲み女・祇園のお梶がからみます。
天保2年(1831)3月中村座初演で、代々の坂東三津五郎のお家芸となっています。
「世辞で丸めて浮気でこねて」は、喜撰が花道に登場するときの冒頭の歌詞で、浮き立つようなしゃれた節回しで有名です。
それにつけても、一介の商家の小僧にまで踊りや音曲の素養が根付いていた、かつての江戸東京の文化水準の高さには驚かされます。
花菱
はなびし。家紋の一つです。わりと一般的です。
菱とは、ヒシ科の一年生植物。池、沼などの中に生えて、水面に浮かんでいます。
葉の形状は菱状三角形です。夏に四弁の白い小花が咲きます。実は硬くて、角状のトゲが目立ち、中の白い種子は食用になります。
花菱とは、この菱の葉に似た四つの弁を並べて、花びらに見立てた形からつきました。
唐花菱、唐花とも呼ばれます。
大陸由来の文様とされています。
平安期には有識文様として、公家の調度品や衣装などに用いられていました。
使いはじめは、甲斐の武田氏でした。
「武田菱」は有名です。
江戸期には、松田氏、安芸氏、板倉氏、松前氏なども使っていました。
三柏
みつかしわ。家紋です。日本十大家紋の一つとされています。
三柏は、柏紋の中でも一般的に広く使われています。
さまざまなバリエーションがついて派生しています。
「丸に三柏」「蔓柏」「剣三柏」「鬼三柏」「三土佐柏」「三巴柏」「実付き三柏」「八重三柏」などがあります。
抱茗荷
だきみょうが。こちらも家紋。
ミョウガの花を図案化したものです。
こちらも日本十大家紋の一つです。
バリエーションは70種類以上ありますが、実際に使われている紋のほとんどは「抱茗荷」と、それを丸で囲んだ「丸に抱茗荷」です。
普及したのは戦国時代以後で、しかも摩多羅神の神紋として用いられるのが大きな特徴です。
さらには、音が「冥加」に通じることから、神仏の加護が得られる縁起のよい紋と考えられています。
神社や寺などでよく目にします。