【尻餅】しりもち 落語演目 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
【どんな?】
切羽詰まった大晦日の極貧夫婦。
女房の尻をたたき餅つきにみせる。
苦いバレ噺もどき。
【あらすじ】
亭主が甲斐性なしで、大晦日だというのに、餠屋も頼めない貧乏所帯。
女房が、せめて近所の手前、音だけでもさせてほしいと文句を言う。
これは、少しでも金を都合してきてくれという心なのだが、能天気な亭主、これを間に受けて、自作自演で景気よく餠屋に餠を搗かせている芝居をしようと言い出す。
夜、子供が寝たのを見計らい、そっと外に出て、聞こえよがしに大声で
「えー、親方、毎度ありがとうございます」
と叫び、子供にお世辞を言ったりする場面も一人二役で大奮闘。
いやがるかみさんに着物をまくらせ、手に水をつけて尻をペッタン、ペッタン。
そのうち、尻は真っ赤になる。
かみさんはしばらくがまんしていたが、とうとう、
「あの、餠屋さん、あと、幾臼あるの?」
「へい、あと二臼です」
「おまえさん、後生だから餠屋さんに頼んで、あとの二臼はお強にしてもらっとくれ」
【しりたい】
原話は「笑府」から
中国明代の笑話本『笑府』に類話があるといわれています。これは、明和5年(1768)に抄訳が刊行され、それ以降につくられた多くの落語や小咄のネタ本になっていますが、具体的にどの話が「尻餅」に相当するのか、いまひとつはっきりしません。
「尻をたたく」というシチュエーションでいえば、新婚初夜に派手に「泣き声」が聞こえたので、客が後で冷やかすと、実はそれは花婿が、新婦に尻をたたかれて発した声だったという、『笑府』閨風部の艶笑小ばなし「婿呼痛」がそれかもしれません。
おこわと白蒸
もとは上方落語で、オチは東京では「お強にしとくれ」ですが、上方は「白蒸でたべとくれ」です。
白蒸は、糯米を蒸して、まだ搗いていない状態のもので、なるほど、「もう叩かないどくれ」という意味ではこちらの方が明快でしょう。
上方では笑福亭系の噺です。五代目笑福亭松鶴(竹内梅之助、1884-1950)、六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)の十八番でした。東京では、あらすじでもテキストにした八代目三笑亭可楽(麹池元吉、1898-1964)のやり方が現行の基本になっています。
可楽はこの前に「掛け取り万歳」の後半部を付け、この夫婦の貧乏と能天気を強調しておくやり方でした。
餅屋
江戸時代、ふつう餅搗きは12月26日から。これを餅搗始といいました。この日から大晦日まで、「引摺」といって、餅屋が何人かで道具を持ち、得意先を回って歩きます。
正月の餅はおろか、鏡餅も買えない切羽詰まった状況というのは、落語では「三百餅」「子ころし」などにも描かれます。
「尻餅」の直接の原話である、享和2年(1802)刊の江戸板笑話本『臍くり金』中の「餅搗」では、貧乏な医者が下男の三介の尻をたたく設定になっています。
ほのかなエロティシズム
東京でも上方でも、女房の尻をまくって亭主が「白い尻だなあ」と、思わず見とれたように言う(生唾をのみ込む?)セリフがあります。
江戸時代には、アノ時の「後ろから」の体位は、畜生道ということで禁断だったわけで、この亭主も、所帯を持って初めて、まじまじとその部分を拝み、新鮮な感動をおぼえたのでしょう。
いずれにしても、この「餅搗」、禁断のセックスの暗喩と勘ぐれば、エロの色調もより濃厚になってきそうです。とはいうものの、さほどのもんじゃありません。