【死神】しにがみ
男の命は風前の灯
【どんな?】
米津玄師も唸る幽冥落語の逸品。
元ネタはドイツ、はたまたイタリア由来とか。
ローソク使った寿命の可視化が真骨頂。
別題:全快 誉れの幇間
【あらすじ】
借金で首が回らなくなった男、金策に駆け回るが、誰も貸してくれない。
かみさんにも、金ができないうちは家には入れないと追い出され、ほとほと生きるのがイヤになった。
一思いに首をくくろうとすると、後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。
驚いて振り返ると、木陰からスッと現れたのが、年の頃はもう八十以上、痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。
「な、なんだ、おめえは」
「死神だよ」
逃げようとすると、死神は手招きして、「こわがらなくてもいい。おまえに相談がある」と言う。
「おまえはまだ寿命があるんだから、死のうとしても死ねねえ。それより 儲かる 商売をやってみねえな。医者をやらないか」
もとより脈の取り方すら知らないが、死神が教えるには
「長わずらいをしている患者には必ず、足元か枕元におれがついている。足元にいる時は手を二つ打って『テケレッツノパ』と唱えれば死神ははがれ、病人は助かるが、枕元の時は寿命が尽きていてダメだ」
という。
これを知っていれば百発百中、名医の評判疑いなしで、儲かり放題である。
半信半疑で家に帰り、ダメでもともとと医者の看板を出したが、間もなく日本橋の豪商から使いが来た。
「主人が大病で明日をも知れないので、ぜひ先生に御診断を」
と頼む。
行ってみると果たして、病人の足元に死神。
「しめたッ」
と教えられた通りにすると、アーラ不思議、病人はケロりと全快。
これが評判を呼び、神のような名医というので往診依頼が殺到し、たちまち左ウチワ。
ある日、麴町の伊勢屋宅からの頼みで出かけてみると、死神は枕元。
「残念ながら助かりません」
と因果を含めようとしたが、先方はあきらめず、
「助けていただければ一万両差し上げる」
という。
最近愛人に迷って金を使い果たしていた先生、そう聞いて目がくらみ、一計を案じる。
死神が居眠りしているすきに蒲団をくるりと反回転。
呪文を唱えると、死すべき病人が生き返った。
さあ死神、怒るまいことか、たちちニセ医者を引っさらい、薄気味悪い地下室に連れ込む。
そこには無数のローソク。
これすべて人の寿命。
男のはと見ると、もう燃え尽きる寸前。
「てめえは生と死の秩序を乱したから、寿命が伊勢屋の方へ行っちまったんだ。もうこの世とおさらばだぞ」
と死神の冷たい声。
泣いて頼むと、
「それじゃ、一度だけ機会をやる。てめえのローソクが消える前に、別のにうまくつなげれば寿命は延びる」
つなごうとするが、震えて手が合わない。
「ほら、消える。……ふ、ふ、消える」
【しりたい】
異色の問題作
なにしろ、この噺のルーツや成立過程をめぐって、とうとう一冊の本になってしまったくらい。西本晃二『落語「死神」の世界』(青蛙房、2002年)です。
一応、原話はグリム童話「死神の名付け親」です。
それを劇化したのがイタリアのルイージ・リッチとフェデリコ・リッチ兄弟のオペレッタ「クリスピーノと死神」で、この筋か、または、グリム童話「死神の名付け親」の筋を、三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が福地桜痴(源一郎、1841-1906、幕臣→劇作家、東京日日新聞社長、衆院議員)あたりから聞き込んで、落語に翻案したものといわれています。
東西の死神像
ギリシアやエジプトでは、生と死を司る運命もしくは死の神。
キリスト教世界の死神は、よく知られた白骨がフードをかぶり、大鎌を持った姿で、悪魔、悪霊と同一視されます。古来、日本にはこんなイメージがありません。日本では死神があんまり出てこないのです。
この噺で語られる死神はというと、ぼろぼろの経帷子をまとったやせた老人で、亡者の悪霊そのもの。
しかし、こんなのは日本文化にはなじまないもの。明らかに明治期に西洋から入ってきた死神の図像的な翻案です。
とはいえ、円朝は死神像をでたらめにこさえたわけでもありません。
江戸時代も後期になると、聖書を漢訳本で読んだ国学者たちの間で醸成していった西洋と日本の掛け合わせ折衷文化が庶民の日常にもじわじわと及ぼしてきます。
ついには、これまでの日本人がまったく抱いてこなかった「死を招く霊」が登場するのです。
たとえば、下図は『絵本百物語』(桃山人著、竹原春泉斎画、天保12年=1841年)の「死神」。このようにすっとんきょうな、乞食のようなじいさんのような姿の死神像も一例です。
日本の「死神」は古くからあまりイメージされてきていませんから、人々の心の中に一定のイメージがあるわけではありませんでした。
それでも「死神」というからには死を連想させるわけで、老人、病人、貧者の姿がおさまりよいのでしょう。異形のなりではありますが。
円朝の「死神」では、筋の上では西洋の翻案のためか、ギリシア風の死をつかさどる神とい、新しいイメージが加わっているようにも見えます。
日本では死神に対する誰もが抱く共通した図象イメージがなかったことが、円朝にはかえっておあつらえ向きだったことでしょう。
ローソクを人の寿命に見立てる考えなども、日本人にはまったくなかった発想でした。ここでの死神は、じつは、明治=近代の意識丸出しのそれなんですね。
「古典落語」といいながらも、大正期にできた噺までも許容しているわけです。
古典落語を注意深く聴いていると、妙に「近代」が潜り込んでいることに気づくときもあります。
芝居の死神
三代目尾上菊五郎(1784-1849、音羽屋)以来の、音羽屋の家芸です。
明治19年(1886)3月、五代目尾上菊五郎(寺島清、1844-1903)が千歳座の「加賀鳶」で演じた死神は、「頭に薄鼠色の白粉を塗り、下半身がボロボロになった薄い経帷子に葱の枯れ葉のような帯」という姿でした。
不気味に「ヒヒヒヒ」と笑い、登場人物を入水自殺に誘います。客席の円朝はこれを見て喝采したといいます。この噺の死神の姿と、ぴったり一致したのでしょう。
二代目中村鴈治郎(林好雄、1902-83、成駒屋)がテレビで落語通りの死神を演じましたが、不気味とユーモアが渾然一体で絶品でした。八五郎役は森川正太(新井和夫、1953-2020)。
鴈治郎が演じた死神は、「日本名作怪談劇場」。昭和54年(1979)6月20日-9月12日、東京12チャンネル(テレビ東京)で放送された全13回の怪談ドラマの中の一話でした。
以下が放送分です。「死神」は第10話だったようです。夏の暑いところを狙った企画だったのですね。
第1話「怪談累ヶ淵」(6月20日放送)
第2話「怪談大奥(秘)不開の間」(6月27日放送)
第3話「四谷怪談」(7月4日放送)
第4話「怪談吸血鬼紫検校」(7月11日放送)
第5話「怪談佐賀の怪猫」(7月18日放送)
第6話「怪談利根の渡し」(7月25日放送)
第7話「怪談玉菊燈籠」(8月1日放送)
第8話「怪談夜泣き沼」(8月8日放送)
第9話「怪談牡丹燈籠」(8月15日放送)
第10話「怪談死神」(8月22日放送)
第11話「怪談鰍沢」(8月29日放送)
第12話「怪談奥州安達ヶ原」(9月5日放送)
第13話「高野聖」(9月12日放送)
ハッピーエンドの「誉れの幇間」
初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)は、「死神」を改作して「誉れの幇間」または「全快」と題し、ろうそくの灯を全部ともして引き上げるというハッピーエンドに変えています。
円遊の「全快」は、善表という幇間が主人公です。
「死神」のやり方
円朝から初代三遊亭円左(小泉熊山、1853-1909、狸の)が継承します。
先の大戦後は六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)、五代目古今亭今輔(鈴木五郎、1898-1976、お婆さんの)が得意としました。
円生は、死神の笑いを心から愉快そうにするよう工夫し、オチも死神が「消える」と言った瞬間、男が前にバタリと倒れる仕種でした。
十代目柳家小三治(郡山剛蔵、1939-2021)のは、男がくしゃみをした瞬間にろうそくが消えるやり方でした。
詳しいご説明、大変参考になります。この話も外国人に向けてライブ字幕をつけてさん喬師匠に演じていただいています。学生たちが最後にぞっとしたり、「こんな終わり方の落語があるのか」と気づかせたりするのを楽しんでいます。ありがとうございます。