うしのがんやく【牛の丸薬】落語演目

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【どんな?】

短い噺です。
けっこう複雑な構成にも。

別題:牛の丸子

【あらすじ】

大和炬燵やまとごたつ(土製の小型の四角いあんか)の古くなったのをいじっているうちに、これで丸薬を作ってひともうけしてやろうと思いついた甚兵衛。

炬燵に水を加えて土団子をこしらえ、仲間の喜六と二人で田舎に売りに行く。

牛の流行病の特効薬だと、甚兵衛が農民を言いくるめていくうちに、喜六がキセルでコショウの粉を牛にかがせ、クシャミを連発するとすかさず「丸薬」を飲ませた上、水を浴びせてコショウを洗い流し、治してみせる。

トリックに引っ掛かった農民、まんまとだまされて辺りに触れ回ったため、われもわれもと殺到して、見事に売り切れる。

思惑が当たった甚兵衛と喜六、笑が止まらない。

「全部売れた。ハハハハハ」
「あんまり笑うな。バレる」
「ハハハハ」
「笑うなってのに」
「しかし甚兵衛さん、懐が暖まったもんだね」
「当たり前だ。基はコタツなんだから」

【しりたい】

上方落語を東京に移植

上方落語「牛の丸子がんじ」を、八代目桂文治(1883-1955、山路梅吉)が東京に移したものです。おそらく昭和に入ってからでしょう。

先の大戦後、大阪から東京に出て活躍した二代目桂小文治(稲田裕次郎、1893-1967)がオリジナル版を初めて紹介。

その後、九代目桂文治(1892-1978、高安留吉、留さん)が、「あらすじ」に示したような純粋な「べらんめえ版」で演じましたが、現在、東京では、やり手がいません。

「がんじ」は今でいう錠剤(丸薬)のことですが、わかりにくいので、いまではこの題名は使われていません。

米朝説 民話のにおい

「壷算」などと同様、一種のサギ噺で、民話がルーツと思われますが、原話は不明です。

ちくま文庫版『桂米朝コレクション4』に、現在唯一、この噺の古格を伝えている三代目桂米朝(中川清、1925-2015)の速記及び解説があります(音源なし)。

その中で同師は「私は何となく民話とのつながりを感じます。(中略)大昔は、悪賢い狡い人間は、ある意味で尊敬されていたのではないか。時代とともに、古い昔がたりに教訓的なものが付加されてゆき、すべて勧善懲悪的なはなしになっていったのかと思われるのです」と、述べています。

上方版・二つの流れ

米朝は五代目笑福亭松鶴(竹内梅之助、1884-1950)と四代目桂文団治(水野音吉、1878-1962、杉山文山)両巨匠のものを聞き覚えしたとのことですが、この噺は実際、大阪では笑福亭系統と桂派、二通りの演出の流れがあったようです。

ふたたび米朝師の前掲書を引用すると「五世松鶴型の演出が文団治型と大きく違うところは、キセルに胡椒を詰めて牛の鼻に吹き込むことを、その村にかかるまで一切言わずに、土の丸薬をいったいどうするのか、聴客にもその時まで知らさないやり方」ということで、ご自身はこちらで演じているそうです。

この噺の後継者は、米朝門下の二代目桂枝雀(前田達、1939-1999)と、五代目松鶴の孫弟子にあたる三代目笑福亭仁鶴(1937-2021、岡本武士)でした。

大和炬燵

黒土の素焼で、小型のアンカです。上部が丸く、布が張ってあり、中は火鉢になっていて、たどんを入れて暖めたもの。

昭和初期まで、関西地方では使われていました。

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