【寿限無】じゅげむ 落語演目 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
志ん朝
【どんな?】
生まれた男児に名前を付けます。隠居を寄るべにしたら、無量寿経から命名されて。
【あらすじ】
待望の男の子が生まれ、おやじの熊五郎、お七夜に名前を付けなければならないが、いざとなるとなかなかいいのが浮かばない。
自分の熊の字を取って熊右衛門とでもするか、加藤清正が好きだから、名字の下にぶる下げて「田中加藤清正」と付けるか……いや、ハイカラな名前でネルソン、寝ると損をするから、稼ぐように……と考えあぐねて、平山の隠居のところへ相談に行く。
何か好みがあるかと聞かれ、三日の間に五万円拾うような名前、と欲張ったが、そんなのはダメだと言われ、それなら長生きするような名前を、ということになった。
隠居、松、竹、梅、鶴、亀と、長命そうな字がつくのを並べるが、どれも平凡過ぎて気に入らない。
「そんなら、長助てえのはどうだ? 長く親を助ける」
「いいねえ。けど、あっしども一手販売で長生きするってえ、世間に例がねえなめえはないですかね」
隠居、しばらく考え、今お経に凝っているが、無量寿経という経文には、案外おめでたい文字があると言う。
たとえば、寿限無。
寿命限りなしというから、これはめでたい。
五劫のすり切れず、というのがあるが、三千年に一度天人が天下って羽衣で岩をなで、それがすり切れてなくなってしまうのが一劫だから、五劫というと何億年か勘定できない。
海砂利水魚は数えきれないものをまとめて呼んだ言葉。
水行末、雲来末、風来末はどこまで行っても果てしない大宇宙を表す。
衣食住は人に大切だから、田中食う寝るところに住むところ。
やぶらこうじぶらこうじというのもあり、正月の飾りに使う藪柑子だからめでたい。
またほかに、少々長いが、パイポ、シューリンガ、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナーというのがある。
パイポは唐のアンキリア国の王さま、グーリンダイはお妃、ポンポコピーとポンポコナーは 二人の王子で、そろってご長命……それだけ聞けばたくさんで、あれこれ選ぶのはめんどうと熊さん、出てきた名を全部付けてしまう。
この子が成長して小学校に行くと、大変な腕白だから、始終近所の子を泣かす。
「ワーン、おばさんとこの寿限無寿限無五劫のすり切れず海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところ藪ら柑子ぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガ、シューリンガーのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピ、ポンポコナの長久命の長助が、あたいの頭を木剣でぶったアー」
言いつけているうちに、コブがひっこんだ。
【しりたい】
ルーツは
仏教の教説をもとにした噺です。
野村無名庵(野村元雄、1888-1945、落語評論家)は、この噺の原典として、民話集『聴耳草子』中の小ばなしを挙げています。
その中の子供の名は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて、この山越えて、チャンバラチャク助、木挽の挽助」で、長いだけで特に長寿には関係ありません。
話の終わりは、子供が井戸に落ち、長い名を皆で連呼して、和尚まで経文のような節で呼ぶので子供が「だぶだぶだぶ」と溺死してしまいます。
寿限無が死んでしまう、のです。
ここがミソ。
だから、あんまり長い名前は付けないほうがいいよ、とでも言いたそうなご仏教的な教訓が漂っているんですね。
無名庵は東京大空襲の犠牲となりました。
こちらは寿限無とは無関係に亡くなったのでしょうが。
大阪の演出(「長命のせがれ」)もこれと同じで、残酷な幕切れになります。
劫
「劫」には「石劫」と「芥子劫」があります。前者がこの噺の隠居の解釈。後者の「芥子劫」は、方四十里の城の中の芥子一粒を、三年に一度鳳がくわえていき、これがすべてなくなる時間です。
演者によって変わりますが、「五劫」そのものの定義なら前者、名前として無限の寿命を強調するなら後者でしょう。
言い立てのリズムを重んじれば「すりきれ」、はなしの内容重視なら「すりきれず」というところ。
そこで、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)は、客には「すりきれず」と聞こえさせ、実際には「すりきれ」と言っているという、苦肉の妥協案を編み出しました。
「劫を経る」という言葉があります。長い年月を経る、年季を積む、といった意味で使います。石劫も芥子劫も原初では同根です。
「劫」の字は濁らずに「こう」と読むと、とてつもなく長い時間をさすのですから。
甲羅は劫臈の混同だそうです。
臈は僧侶の修行年数をさします。劫も臈も時間にからむ言葉なのですね。
となると、亀の甲羅を長生きの目安にするのもわかります。
芥子は罌粟。かつて、僧侶の修行には必須のアイテムでした。
EGO-WRAPPINの「くちばしにチェリー」。
おそらくは罌粟がはばかれるのでチェリーにしているのでしょう。
芥子劫の理を説く歌だったことがよくわかります。深いなあ。
大看板の前座噺
「寿限無」は前座の口ならしの噺で、大看板の師匠連はさすがにあまり手がけません。
八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)は信仰篤かったためか、滋味あふれる語り口で、この噺をホール落語でも演じました。
戦後の大物では、自分の飼い犬に「寿限無」と名づけた三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)、熊五郎が無類におかしかった九代目桂文治(1892-1978、高安留吉、留さん)が、それぞれ得意にしました。
聴きどころ
長い名が近所の子から母親、父親と渡りゼリフになるところが、この噺のおかしみでしょう。
母親が、「あーら、悪かったねえ。ちょいとおまいさん、たいへんだよ。『寿……』が金ちゃんの……」と言うとオヤジが、「なんだと。するとナニか、『寿……』の野郎が……」と繰り返します。
もっとも、安藤鶴夫(花島鶴夫、1908-69、小説家、評論家)は『落語国・紳士録』(青蛙房、1959年、→旺文社文庫→ちくま文庫→平凡社ライブラリー)の中で、気の利いた「こぼれ噺」を創作しています。
例によって長い名でしかられている寿限無に、友達が「どうしたの、寿っちゃん」と尋ねたりしているのです。
世界一の長寿者?
古代はともかく、近世以降での長寿記録保持者は「武江年表」などに記載されている、志賀随翁にとどめをさすでしょう。
なにせ、この怪老人、享保10年(1725)の時点で数え178歳。
逆算すると天文18年(1548)の生まれ。はっきりした没年はわかりませんから、ひょっとすると、まだ生きているかもしれません。
これが文句なしに人類史上最長寿、と思っていたら、やっぱり現れました、対抗馬が。世界は広い。
臼田昭『ロンドン塔の宝探し 英文学零話』(駸々堂出版、1988年)に登場する英国代表ヘンリー・ジェンキンズは169歳(1501-1670)、ついで、かの有名なウイスキー銘柄のラベルになったオールド・パーが152歳(1483-1635)の由。
まあ、三人とも、怪しげなことではいい勝負ですが、なんにしても、あやかりたいものです。
「の・ようなもの」にも登場
『の・ようなもの』(森田芳光監督、1981年)。落語映画の最高峰、不朽の傑作です。
都電荒川線の駅を降りて、浴衣姿の志ん魚と志ん菜が落語を教えにいった先は「下町女子高」。
落研の面々が大声で「寿限無」を棒読みしていました。
そのシーンが素っ気なくて無機的で、なんともおかしい。笑っちゃいます。
落研下級生の中にはなんと、「エド・はるみ」さんもまじっていたのです。
昭和56年(1981)のこと。
その頃はもちろんそんな名前じゃなかったわけですが、未来の「エド・はるみ」さんは当時、日出学園高校(千葉県市川市)の2年生、17歳でした。
オーディションに合格し、『の・ようなもの』でみごと映画デビューを果たしたのです。
存在感ありました。40年以上たった今でもしっかり覚えてます。すごいなあ。