【お祭り佐七】おまつりさしち 落語演目 あらすじ

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【どんな?】

古くから江戸に伝わる「お祭り佐七伝説」「小糸佐七情話」を踏まえた人情噺。

【あらすじ】

元久留米藩士の飯島佐七郎という浪人。

生まれついての美男子で、武芸は天神真揚流柔術の免許皆伝。

その上、頭がよく如才ないときているから、家中の女たちがほおっておかず、あまりのもて方に嫉妬を買って讒言を受け、藩は追放、親父には勘当されて、今は、芝神明、め組の鳶頭、清五郎の家に転がり込んで、居候の身。

もともと火事が飯より好きで、どうせ侍として二君に仕える気はないから、火消しになろうと清五郎にたびたびせがむが、そこは元侍。

「あっしが手づるをこしらえてあげるから、ちゃんと仕官なさい」
と言うばかりで、いっこうに色よい返事がもらえない。

ある日、鳶の若い衆と品川遊廓に乗り込んだ佐七郎。

もとより金がないので仲間を帰し、居残りをし、退屈まぎれに見よう見まねで雑巾掛けをしながら、身についた早業で、そのままツーッと裸足で脱走、雑巾一本手土産に芝まで帰ってきたと得意気に話すので、清五郎は、め組の顔にかかわると渋い顔。

め組の連中は、この間、二十五人力と自慢するならず者の四紋龍という男を、この若さまが牛若丸のような軽業で翻弄し、手もなくやっつけたのを見て、そのきっぷと力にぞっこん。

「ぜひとも鳶にしてやっておくんなせえ」
と、頭にせっつく始末。

あれやこれやで、今はもう一日も早くめ組の纏を持ってみたい一心の佐七郎だが、相変わらず清五郎は煮え切らない。

火事でもあって一手柄立てれば、頭もその気になってくれるだろうと、一日千秋の思いで江戸中が火の海になるのを待ちわびているが、あいにくその年は火の用心が行き届き過ぎているのか、九月十月になっても、半鐘はジャンともドンとも鳴らない。

そんなある日、退屈まぎれに仲間とガラッポンと博打をしている最中、ジャンジャンジャン、鳴った鳴った鳴った。

神田の三河町あたりで大火事だという。

久しぶりの働き場なので、め組の連中は殺気だち、佐七郎ももみくちゃにされて、いつしか褌一つの素っ裸。

それでも、チャンス到来とばかり飛び出そうとするが、清五郎はガンとして許さない。

「そんなに火事が好きなら、今度、昼間の一軒焼けかなにかの、煙が真っ直ぐ立って座敷から見物できるようなのがあったら見せるが、今夜のはお成り火事といって、玄人でも用意に近づけるような代物でないのに、素人が裸で行こうなどとはとんでもない」
という。

そう意見されてもガマンしきれず、たった一人取り残されて二階でウロウロしながら外をのぞいていた佐七郎、なんとか脱出して、とあせるうち、いい具合に窓格子が緩んでいたのかそっくり外れたので、これを幸い、屋根に出た。

ところが下は芋を洗うような騒ぎで飛び下りられない。

しかたなく、猫のような早業でするすると屋根から屋根へと飛び移り、一番激しく燃え盛っている龍閑町の鰌屋まで来た。

ここはちょうど、め組の持ち場。

奉行以下総出役で、まるで戦場だ。

さすがに煙と火の粉にあおられ、真っ黒になった佐七郎だが、屋根にしがみついて頑張り通すうちにようやく火が消え、め組の消し口を取ることになった。

事情を聞いて、清五郎は渋い顔。

奉行は
「武士の帯刀を捨て、鳶になっての感心な働き。感服いたした」
「へえ、今度は火をのんでみせます」

めでたく奉行の取り持ちで清五郎の子分となり、後に「お祭り佐七」として名をとどろかせた、という一席。

底本:二代目柳家小さん

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【しりたい】

長編のダイジェスト版か

江戸に古くから伝わる「お祭り佐七伝説」「小糸佐七情話」を踏まえた人情噺です。原話や作者は不明ですが、講釈種とも推測されます。

佐七は果たして実在したか、実録などはまったくわかりませんが、江戸前のいなせでいい男の典型として語り継がれました。

本編のあらすじは、明治23年(1890)の二代目柳家(禽語楼)小さんの速記を基にしました。

小さんの噺は、おそらく、講談や伝説を踏まえた長編人情噺の切り取りと考えられます。

そのためか、佐七ものに付き物の芸者小糸との恋のくだりはなく、この前後に小糸との色模様があったのでしょうが、伝わっていません。

速記のマクラで、小さんは、佐七の異名「お祭り」は、彼が火事師(=鳶)で木遣りをよくしたことから、方々の祭りに招かれるうち、ついたものではないかと述べています。

劇化された佐七伝説

人形浄瑠璃では安永6年(1777)初演「絲桜本町育」が初めての本格的な佐七ものです。

ここでは、実は侍の佐七が、主家の重宝・小倉の色紙詮議のため幇間に身をやつしているという設定。

ついで、四世鶴屋南北が文化7年(1810)正月、市村座に書き下ろした「心謎解色糸」、時代は飛んで明治31年(1898)5月、歌舞伎座初演の三世河竹新七作「江戸育於祭佐七」が、佐七ものの劇化しては双璧で、現在でもときどき上演されます。

前者は無頼漢の鳶の者佐七と深川芸者小糸の破滅的な恋が中心。

後者は、小糸と佐七の悲恋を、江戸前の意気といなせで洗い上げた歌舞伎生世話物の傑作ですが、落語の筋とは直接かかわりはありません。

六代目円生が復活

戦後、六代目三遊亭円生が復活して演じました。

円生は、四紋龍との喧嘩のくだりまでで切り、四紋龍が投げられて砂糖まみれになったのを、「相手が乱暴者だから、砂糖漬けにしたのは精糖(=正当)防衛だ」と地口でオチていました。

二代目小さんのは、人情噺だけに、オチはついていません。

「雪とん」は別の噺

同題で別名「雪とん」と呼ばれる噺があります。

これは佐野の大尽、兵右衛門と小糸と佐七の三角関係を中心にした情話です。

小糸と佐七の名を借りただけで、これは全くの別話です。

【語の読みと注】
鳶 とび
木遣り きやり
心謎解色糸 こころのなぞとけたいろいと

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