【お釣りの間男】おつりのまおとこ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
間男をネタにしたバレ噺。
主人公はあの与太郎。
あとはどうなりますやら。
別題:七両二分 二分つり
【あらすじ】
町内の与太郎。
女房が昼間中から間男を引き込んで、堂々と家でいちゃついているのにも、いっこうに気づかない。
知らぬは亭主ばかりなりで、髪結床ではもう、おあつらえ向きの笑い話となっている。
悪友連中、火のあるところにさらに煙をたきつけてやろうと、通りかかった与太郎に
「てめえがおめでてえから、留守に女房が粋な野郎を引きずり込んで間男をやらかしてるんだ。友達の面汚しだから、帰って暴れ込んでこい」
とたきつける。
悪い奴もあるもので
「今ごろ酒でものんでチンチンカモカモやっている時分だから、出し抜けに飛び込んで『間男見つけた、重ねておいて四つにするとも八つにするともオレの勝手だ。そこ一寸も動くな』と芝居がかりで脅かしてやれ」
と、ごていねいにも出刃まで用意してけしかけたから、人間のボーッとした与太郎、団十郎のマネができると大喜び。
その上、間男の相場は七両二分だから、脅せば金が取れると吹き込まれ、喜び勇んで出かけていく。
乗り込んでみると、案の定、女房と間男がさしつさされつ堂々とお楽しみ中。
「間男見つけた。重ねておいて」
「なにを言ってるんだねえ。どこでそんなことを仕込まれてきたんだい」
「文ちゃん、源さん、八つァんに、七公に、髪結床で教わった」
「あきれたもんだねえ」
「さあ、八つになるのがイヤなら、七両二分出せ」
「今あげるからお待ち」
金でまぬけ亭主を追い出せるなら安いものと、こちらも願ったりかなったり。
八円で手を打った。
「一枚二枚三枚……八枚。毎度あり」
「さあ、この女ァ、オレが連れていくぜ」
「ちょっと待っておくれ」
「まだ文句があるのか」
「八円だから、五十銭のお釣りです」
底本:初代三遊亭円遊
【しりたい】
原話「七両二分」
原話は寛政6年(1794)刊『喜美談話』中の「七両二分」。「竹里作」とある、この小咄は……。
どうも女房がフリンしているらしいので亭主、遠出すると見せかけてかみさんを油断させた上、隣家に頼んで、朝早くから張り込ませてもらい、壁越しにようすをうかがっていると、果たして間男が忍んできたようす。さあ重ねておいて四つ切りだと、勇んで踏み込んでみると、なんと、枕屏風の外に小判で八両。亭主、これを見るとすごすごと引き返し、隣のかみさんに、「ちょっと二分貸してくれ」。
八両から間男の示談金の「七両二分」を引いて、二分の釣りというわけですが、思えばこの「竹里」なるペンネーム、どう考えても「乳繰り」をもじったもので、怪しげなこと、この上なしです。
初代円遊のバレ噺
この噺、別題「二分つり」「七両二分」ともいい、上方でも江戸でも、しょせん、ある種の会やお座敷でしか演じられなかった代物です。
むしろ江戸時代よりさらに弾圧がきびしくなった明治になって大胆不敵にも、これを堂々と何度も寄席でやってのけた上、速記(明治26年)にまで残したのが、初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)でした。
よくもまあ、検閲をすり抜けたものだと感心しますが、さすがにお上の目は節穴でなく、それ以後の口演記録はありません。
現在でも、さすがにこういう噺を寄席で一席うかがう猛者はいませんが、この噺を短くしたものや、類話の間男噺で、与太郎が間男の噂を当の亭主にばらしてしまい、「誰にも言うなよ」というオチがつく小噺がよく「紙入れ」などのマクラにも用いられます。
間男代金・七両二分の由来については、「紙入れ」をご覧ください。
間男の川柳、名セリフ
間男の類語は「不義」「密通」「姦通」、今でいう「不倫」。武家社会の「不義」は、間男のみならず、恋愛一般の同義語でした。
つまり、当事者が奥方でも娘でもお妾でも女中さんでも、色恋ざたは、見つかり次第なます斬りがご定法だったわけで。間男の川柳は数々あります。
主に、噺のマクラに用いられるものです。
町内で 知らぬは亭主 ばかりなり
間男と 亭主抜き身と 抜き身なり
据えられて 七両二分の 膳を食い
天明期に「賠償金」の額が下落すると、こんなのがつくられました。
生けておく 奴ではないと 五両とり
女房は ゆるく縛って 五両とり
女房の 損料亭主 五両とり
亭主が現場を押さえた時の口上は、この噺にもある通り、出刃包丁を突きつけ「間男めっけた。重ねておいて四つにするとも八つにするともオレが勝手だ。そこ一寸も動くな」が通り相場。
「団十郎のマネができる」と、与太郎が喜ぶことでもわかるように、このセリフは芝居からきています。
歌舞伎でも生世話物がすたれつつある今日、このセリフを歌舞伎座で聞くことも、あまりなくなりました。
【語の読みと注】
竹里 ちくり
乳繰り ちちくり