「済まない」と「くまがい(熊谷次郎直実)」を無理に掛けただけのダジャレ。
よく注意すると、これと同レベルのダジャレがもう一つ潜んでいます。1184年3月20日の少年惨殺事件の犯行現場、「須磨の浦(すまのうら)」と「すまない」。油断も隙も敦盛です。「くまがい」のままではいくらなんでもわかりません。一度ダジャレで崩して「済まない」として初めて浮かび上がってくるという、凝ったといえば凝った代物です。
もう一つ、「済まない」は、本来は「許せない」「納得できない」の意味もありますから、前後でどういう状況を受けて言っているかによって、怒っているのか謝っているのか、解釈も変わってきます。