むだぐちのあらすじ 目次

成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席 故事成語

 たとえば、「恐れ入谷の鬼子母神」なんかがそれ。人のことばの揚げ足取ったり、まぜっ返したり、はたまたへらず口だったり。秀句、ことば遊びの極北にあるのがむだぐち(無駄口)です。音とテンポの小気味よさが命。これぞ江戸文化、笑いのレガシー。落語にときたま登場しては笑いを誘ってくれる秘密兵器です。ほっぽっておくにはしのびない珠玉。そこで、どーんと集めてみました、前代未聞のむだぐち辞典。なに? 牟田口廉也じゃあありませんぜ。2024年9月7日現在。

参考文献:『ことば遊び辞典』(鈴木棠三編、東京堂出版、1959年)

【目次】

■あ行



ああというくすりくれずか【ああという薬くれずか】返事「ああ」の揚げ足取り 

ああにあわめしこうこにちゃづけ【ああに粟飯香香に茶漬け】

あいたいならあわしてやっぺ【逢いたいなら逢わしてやっぺ】「あ痛い」の揚げ足取り

あいたいのことはこちゃしらぬ【相対のことはこちゃ知らぬ】「あ痛い」の揚げ足取り 

あいてほしさのたまてばこ【相手ほしさの玉手箱】

あいとこきゃこけまえのかわへすりこめ【あいと吐きゃこけ前の川へすり込め】

あいのへんじはなまぐさい【あいの返事は生臭い】名を呼んで「あい」と返事したら

あいはこうやにござります藍は紺屋にござります】

あいはたかいにいわしかっていわえ【鮎は高いに鰯買って祝え】「あい」のまぜ返し

あいびしゃたがいにむねにある【相飛車互いに胸にある】将棋で相飛車の時に

あいもはねればかじかをはねる【鮎も跳ねれば鰍を跳ねる】「あい」の揚げ足取り

あがったりだいみょうじん上がったり大明神】

あかべいさしょっこつけれ【あかべいさ塩っこ付けれ】「あかんべい」の

あかめんとろろこしでもあがれ【あかめんとろろ鯡でも上がれ】鯡=にしん

あかんべいひゃっぱいなめろ【あかんべい百杯なめろ】

あかんべんけいへでもかげきよ【あかん弁慶屁でも景清】「あかんべい」の

あきのみやじままわればしちり【安芸の宮島廻れば七里】

あきれがいげにあがる【呆れが湯気にあがる】

あきれがえるのほおかむり【呆れ蛙の頬冠り】あきれ返った時の

あきれがおれい【あきれがお礼】あきれ返った、問題にならない時の

あきれきりまくとんとんびょうし【呆れ切り幕とんとん拍子】呆れ切った時の

あげますのすけろく【上げますの助六】「上げます」という時の 「揚巻」のもじり

あざぶできがしれぬ【麻布で木が知れぬ】

あしがおそいはせんだいがしよ【足が遅いは仙台河岸よ】「足が遅い」と言われた時の

あじにえをすげたこえびしゃく【味に柄をすげた肥柄杓】

あすこへおきやまけんぎょう【あすこへ沖山検校】「あそこに置いた」の

あたじけなすびのかわっきり【あたじけ茄子のかわっ切り】

あだらあっぱへこでっちり【あだら母へこでっちり】「ああ」のまぜ返し

あたりがまえならきんじょはとなり【辺りが前なら近所は隣】「当たり前」の

あたりきしゃりきくるまひき【当たりき車力車曳き】

あたりまえのとうふじる【当たり前の豆腐汁】あたる=味噌を摺る

あたりめえはへっついさま【当たり前は竃様】「当たり前」のむだぐち

あついはじゅんれいふるてがい【熱いは巡礼古手買い】「あるいは」のもじり

あつかまししのほらいり【あつかまししの洞入り】

あっとちょうだいかがみたて【あっと頂戴鏡立て】鏡台のしゃれ

あてられたきのこじる【当てられた茸汁】「ご推量の通り」 または「中毒する」意も

あにはからんやおとうとしょうゆうり【あにはからんや弟醤油売り】

あぶがなけりゃやせうまこえる【虻がなけりゃ痩せ馬肥える】「危ない」の憎まれ口

あぶなやのおそめさん【危なやのお染さん】油屋のお染さん

あめかったらふくろあげよう【飴買ったら袋上げよう】うれしくないことを言う時に

あやしいのきさんぼん【あや椎の木三本】「怪しいぞ」の

あやまはりのりょうじおだぶつほうちんたん【あやま針の療治お陀仏ほうちんたん】

あやまりあんどんあぶらさし【あやまり行灯油差し】「おそれいった」の

あやまりさまはひのやまい【あやまり様は火の病】清盛様は火の病

あやまりこのとろろじる【あや鞠子のとろろ汁】「まいった」の

あやまりの和中散【あやまりの和中散】「大森の和中散」の口合わせ

ありがじっぴきさるごひき【蟻が十匹猿五匹】「ありがとうござる」の洒落

ありがたいならいもむしゃくじら【蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨】

ありがたいのたいのめだま【ありが鯛の鯛の目玉】「ありがたい」の軽口

ありがたやまのとびからす【ありがた山の鳶烏】

あわせかがみのしじみじる【合わせ鏡の蜆汁】相手のおべっかを皮肉る

あんんじなさんなゆうやのけむり【案じなさんな湯屋の煙】火事じゃない

あんしんきよひめじゃになった【安心清姫蛇になった】安珍清姫蛇になった

あんしんまたくぐり【安心股潜り】韓信股潜り

あんだらかぶれ【編んだら被れ】編んだら掛けろ干したら外せ

いいてがあればおおはしもある【いい手があれば大橋もある】永代もあれば大橋もある

いうてもおくれなさよあらし【言うてもおくれな小夜嵐】そう言ってくれるな

いかさまたこさまあしはっぽん【烏賊様蛸様足八本】

いくべえじしとしよう【行くべえ獅子としよう】さあ行こう 「角兵衛獅子」のもじり

いけいけいけにゃあへびがすむ【行け行け池にゃあ蛇が住む】思い切ってやってみよう

いけがなければべんてんさまこまる【池がなければ弁天様困る】「行くな」の返事で

いごくってちゃのめ【いご食って茶飲め】「いいよ」の揚げ足取り いご=飯櫃

いしべきんきちかなかぶと【石部金吉金兜】

いじわるげんたかげすえ【意地悪源太景季】

いただきやまのとびからす【頂き山の鳶烏】

いたけりゃいたちのくそつけろ【痛けりゃ鼬の糞付けろ】「痛い」と言ったら

いただきかさのひも【いただき笠の紐】「いただきましょう」と言う時の

いただきじょろうしゅう【いただき女郎衆】盃をさされて 「岡崎女郎衆」のもじり

いただきのわたさるはし【いただきの渡せる橋】「鵲の渡せる橋の」のもじり

いただきやまのとびがらす【いただき山の鳶烏】「いただきます」の戯言

いたみぎんざん【痛み銀山】

いちごんもないとうしんじゅく【一言も内藤新宿】一言もない

いちにほうきはうりかいのます【市に箒は売り買いの枡】双六で一か二が出たら

いちごんもなしのきさいかちさるすべり【一言も梨の木さいかち百日紅】

いちまいよみかけやまのはんがらす【一枚読みかけ山の半烏】一枚の途中まで読んだ

いのちをとびたのいしやくし【命を飛田の石薬師】

いやならよしゃがれよしべえのこになれ【厭ならよしゃがれ芳兵衛の子になれ】

いらぬおせわのかばやき【いらぬお世話の蒲焼き】

いわぬがはなのよしのやま【言わぬが花の吉野山】

うそをつきじのごもんぜき【嘘を築地のご門跡】

うっちゃっておけすすはきにはでる【うっちゃって置け煤掃きには出る】

うっとうしいものはまつまえにある【うっとうしいものは松前にある】

うるさいのかじばおり【うるさいの火事羽織】

うまかったうしゃまけた【うまかった牛ゃ負けた】

えはなかちょうきりどおし【絵は仲町切通し】

おいでおいでどじょうのかばやきおはちじる【おいでおいで泥鰌の蒲焼きお鉢汁】

おいてくりおのまんがんじ【おいて栗尾の満願寺】

おうらやまぶきひかげのもみじ【お浦山吹日陰の紅葉】

おおありなごやのきんのしゃち【大あり名古屋の金の鯱】

おおいしかったきらまけた【大石勝った吉良負けた】

おおきにおせわおちゃでもあがれ【大きにお世話お茶でもあがれ】

おおしょうちのにゅうどう【大承知の入道】

おおちがいのきしぼじん【大違いの鬼子母神】

大へこみ張り子の達磨へみね打ち

おかしいのみがひとふくろ【おか椎の実が一袋】

おきのどくやはえのあたま【お気の毒や蝿の頭】

おきまりのこうしんさま【お決まりの庚申さま】

押しかけ山のほととぎす

おじゅんでんべえはやまわし【お順伝兵衛早回し】

おそかりしゆらのすけ【おそかりし由良之助】

お黙りこぶしはねえ

おそれいりやのきしぼじん【恐れ入谷の鬼子母神】

おちゃのこさいさいかっぱのへ【お茶の子さいさい河童の屁】

おちょうしのごもんつき【お銚子のご紋付き】

乙うお洒落の蒲焼き

おっとがってんしょうちのすけ【おっと合点承知之助】

おっとよしべえかわのきんちゃく【おっと由兵衛革の巾着】

乙にからんだ垣根の糸瓜

おどろきもものきさんしょのき【驚き桃の木山椒の木】

おみかぎりえじのたくひのよはもえて【お見限り衛士のたく火の夜は燃えて】

おもえばくやししもんじゅのしし【思えばくや獅子文殊の獅子】

おもおもともとのところへおなおりそうらえ【重々と元の所へお直り候え】

おもしろだぬきのはらづつみ【面白狸の腹鼓】

おもちょうじちゃぎつねのかかとちゃんぎり【面丁子茶狐の踵ちゃんぎり】

おやすみのえにつきはいりにけり【お休みの江に月は入りけり】

■か行


かかとがずつうやんであたまへせんきがのぼる【踵が頭痛病んで頭へ疝気がのぼる】

かくなりはつるはりのとうぜん【角なりはつるは理の当然】

かたじけなすび【かたじけ茄子】

かっちけなしのみありのたね【忝け梨の実ありの種】

かまわずともよしのくず【かまわずとも吉野葛】

かんじんかしまのかなめいし【肝心鹿島の要石】

かんにんしなののぜんこうじ【堪忍信濃の善光寺】

きがききすぎすさつきのそら【気が利きすぎす五月の空】

きがもめのおふじさん【気がもめのお富士さん】

ききにきたののほととぎす【聞きに北野の時鳥】

きこうかるかやおみなべし【聞こう刈萱女郎花】

きたがなければにっぽんさんかく【北がなければ日本三角】

きたりきのじや【来たり喜の字屋】

気遣い梨の木さいかち猿すべり

きのえはとっこではのねはあご【木の根はとっこで歯の根は顎】

きみょうちょうらいやのわかだんな【奇妙頂礼屋の若旦那】

ぎょいはよしののさくらもち【御意は吉野の桜餅】

きょろりかんすのおちゃがわく【きょろり鑵子のお茶がわく】

きんかくではいけんならばいいつてがある【金角で拝見ならばいい伝手がある】

きんのしたにはふのくだゆう【金の下には歩の九太夫】

ぐいちかすざけひげにつく【ぐいち粕酒髭につく】

くちばかりのいかのしおから【口ばかりの烏賊の塩辛】

ぐにんなつのむし【愚人夏の虫】

くれはおけやのたなにあり【くれは桶屋の棚にあり】

けいまのふんどしはずされぬ【桂馬の褌はずされぬ】

けしがからけりゃとうがらしはひっこむ【けしが辛けりゃ唐辛子は引っ込む】

けっこうけだらけはいだらけ【けっこう毛だらけ灰だらけ】

けんじてんのうあきのたの【献じ天皇秋の田の】

けんのんさまへつきまいり【剣呑様へ月参り】

こころえだぬきのはらつづみ【心得狸の腹鼓】

こっちへきなこもち【こっちへきな粉餅】

こまりいりまめさんしょうみそ【困り煎り豆山椒味噌】

ごめんそうめんゆでたらにゅうめん【御免素麺茹でたらにゅうめん】

これからさけのだんのうら【これから酒の壇ノ浦】

■さ行


さあ大変下女鉢巻を腹にしめ

山六去って猿眼

さましてたんとおあがり【冷ましてたんとお上がり】

さよならさんかくまたきてしかく【さよなら三角また来て四角】

さらになしじのじゅうばこ【更に梨地の重箱】

さんすけまったり【三助待ったり】

しかたなかばしかんだばし【仕方中橋神田橋】

しからばごめんのこうむりはおり【然らば御免の蒙り羽織】

しかられたんぼのしいなぐさ【叱られ田圃のしいな草】

しくじっぴょうごにんぶち【四九十俵五人扶持】

失敬もっけい鼻もっけい

じゃまにならのきむくろんじ【邪魔に楢の木椋ろんじ】

しょうがなければみょうががある【生姜なければ茗荷がある】

しょうしんしょうめいけぶけちりん【正真正銘けぶけちりん】

しらぬがおのはんべえ【知らぬ顔の半兵衛】

すこしおそしどう【少し御祖師堂】

すったこった【すったこった】

すってんころり山椒味噌

すまないのじろうなおざね【済まないの次郎直実】

せきのきよみずいなり【急きの清水稲荷】

そういやそうれんぼうずがおってくる【そういや葬礼坊主が追ってくる】

そううまくは烏賊の金玉

草加越谷千住の先だ

そうかもんいんのべっとう【そうか門院の別当】

そうそうへんじょうあまつかぜ【早々返上天津風】

そうで有馬の水天宮

そうはいかのきんたま【そうは烏賊の金玉】

そうはとんやがおろさない【そうは問屋が卸さない】

そのことあわせにひとえもの【そのこと袷に単衣物】

そのてはくわなのやきはまぐり【その手は桑名の焼き蛤】

そろそろときたやましぐれ【そろそろと北山時雨】

■た行


たこうはいわれぬえどびんやっこ【高うはいわれぬ江戸鬢奴】

ただどりさつまのかみ【只取り薩摩守】

たまげたこまげたあずまげた【たまげた駒下駄東下駄】

だんだんよくなるほっけのたいこ【だんだんよく鳴る法華の太鼓】

ちがいないのまんなか【違いないの真ん中】

ちと怪しし男之助

ちゃぬきのこんぴら【茶抜きの金平】

頂戴針箱煙草盆

ちょうど芳町

ちょびとお妻八郎兵衛

ちんぷんかんぷん猫の糞

告げる合邦外ヶ浜

つら山の武者所

手がないの次郎直実

敵もさるもの引っ掻くもの

てんでんがらがら笙の笛

どういうもんだ広徳寺の門だ

どうしたひょうしのひょうたんじゃ【どうした拍子の瓢箪じゃ】

どうでありまのすいてんぐう【どうで有馬の水天宮】

道理で南瓜がとうなすだ

どこぞの達磨の縁の下

途方とてつ妙稀代

飛んだ茶釜が薬罐に化けた

■な行


内藤宿の唐辛子

なにがなんきんとうなすかぼちゃ【何がなんきん唐茄子かぼちゃ】

なにかごようかここのかとおか【何か御用か九日十日】

茄子の巾着口開かぬ

なぜのかみがやっこをふる【なぜの神が奴を振る】

なんだかんだはなかんだ【なんだかんだ洟かんだ】

にげたうちによこもっこう【逃げたの内に横木瓜】

似たり鼈甲二枚挿し

塗り箸ところてんで箸にかからぬ

根つ切り葉つ切り病切り

寝待ち藪柑子

飲み込み山の寒烏

飲んだる達磨の橡の下

■は行


ばちが当たれば太鼓で受ける

張って悪いは親父の頭

はらがきたやまきんかくじ【腹が北山金閣寺】

飛車取り王手は詰みよりこわい

びっくり下谷の広徳寺

ひどい目に袷帷子単衣物

百も合点二百も承知

ふさぎの虫や赤蛙

ふところがなかのちょう【懐が中の町】

鮒と鯰と泥鰌が安い

平気の平左衛門

べらに坊が付きゃ天秤棒に目鼻

ほいと山谷の痔の神様よ

坊主ぼっくり山の芋

ほっておけさの盆踊り

■ま行


まかりいずものおおやしろ【まかり出雲の大社】

負けたを走る昼狐

待っていたのの天神さま

真っ平御免素麺冷素麺

みあげたもんだよやねやのふんどし【見上げたもんだよ屋根屋の褌】

耳を痛やの玉霰

昔権現逃げるが勝ち

無官の太夫おつもり

目のない釘で切っても来れない

もはや蛙の頬冠り

■や行


やかましかァ薬罐をかぶれ

やけのやん八二人連れ

やはり兵衛太郎

雪の西明寺

ゆるり関白太政大臣

よい所へ鷺坂伴内

様子が有馬の松

よしてもくんな小夜嵐

弱り名古屋は城でもつ

■ら行


頼光の家来でまた負けの綱

羅漢さまの頭

利息の高も金次第

流行におくれ狼

悋気嫉妬の修羅には家内

留守の間の書き出し

恋慕れれつ

蝋燭箱の書き付け

六尺おどれ沖のこのしろ

六部裁つ晴れ着の切れは頭陀袋

■わ行


わかったわかった牛の爪

わけは追分で越しゃ軽井沢

わっちゃ足袋屋にある

わり椀持てほいどしろ

笑い清めたてまつる

んだら叔母ヘコでっちり

成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

しょうふくていえんしょう【笑福亭円笑】噺家

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【芸種】落語
【所属】上方落語協会
【入門】1981年4月、六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)に、笑福亭猿笑で。2008年9月、四代目笑福亭円笑。
【出囃子】駕屋
【定紋】五枚笹
【本名】鈴木義男
【生年月日】1940年3月26日 ※柳家小三治と同学年
【出身地】東京都品川区
【学歴】攻玉社高校
【血液型】O型
【出典】公式 上方落語家名鑑 Wiki
【趣味や特技】手ぬぐい収集。
【蛇足】41歳で入門。上方でただ一人、江戸弁で江戸落語。

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うていえんば・しょだい【烏亭焉馬・初代】噺家

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【芸種】はなし
【活躍地】江戸
【本名】中村利貞。字は英祝。通称は和泉屋和助。別号に立川焉馬たてかわえんば、立川談洲楼だんじゅうろう鑿釿言墨金のみちょうなごんずみかねなども。
【生没年月日】1743-1822年6月2日
【出身地】本所相生町(墨田区緑1丁目)。大工棟梁家
【前歴】幕府小普請方大工
【ネタ】
【出典】Wiki 都立図書館 天竺老人 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
【蛇足】はなしを自作自演した落語中興の祖。興行記録「花江都歌舞伎年代記はなのえどかぶきねんだいき」、洒落本「客者評判記」、義太夫節「碁太平記白石噺」なども。烏亭焉馬の名は、「烏焉馬」といわれた成語からの命名。「烏」も「焉」も「馬」も字の形が似通っていてまぎらわしい意。自作自演のはなしを、まぎらわしいあやしげなものとして、はなしをするおのれの存在を自虐的にとらえたわけですね。噺家の原点はここから始まったことになります。

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えどのまち【江戸の町】知っておきたい


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落語や時代劇に登場する江戸の町。そこに出てくることばを集めました。

■土地

江戸入府えどにゅうふ 天正18年(1590)8月1日、徳川家康が江戸城に入ったことをさす。=江戸入城 =江戸入国

御城おしろ 江戸城。江戸町人の日頃の呼称

御府内ごふない 江戸の正式名称

御用地ごようち 江戸幕府の土地

武家地ぶけち 江戸全体の69%

町地ちょうち 江戸全体の16%。町数まちすうは18世紀半ばで1678町

寺社地じしゃち 江戸全体の15%

ときかね 時刻を知らせる鐘。江戸城西ノ丸にあったものが、寛永3年(1626)に日本橋石町三丁目に移り、その後は12か所にも

■水運

江戸湊えどみなと 江戸城前の港。ここを中心に開かれた

河岸かし 町地の荷揚げ場

物揚ものあ 武家地の荷揚げ場

わたし 渡し船の発着する場所。渡船場とせんばとも

■屋敷

屋敷屋敷 家を建てることを許された土地

大名屋敷だいみょうやしき 諸国の大名が幕府から下賜された土地。明暦の大火(1657)以降には、上中下に分けて営むように

上屋敷かみやしき 藩主と家族が住む場所

中屋敷なかやしき 隠居した藩主が住む場所

下屋敷しもやしき 藩主の別荘。避難所や仮屋敷にも。四谷、駒込、下谷、本所などに多い

蔵屋敷くらやしき 湊や河岸にあって、年貢米や特産物を収納したり売ったりするための場所

大縄地おおなわち 大番以下の幕臣で同じ組に属する者にまとめて下賜された土地

上地あげち 幕府拝領地を返納や没収などで戻した土地

定火消屋敷じょうびけしやしき 幕府お抱えの火消しに任命された幕臣に下賜された土地。計10か所

■町地

ちょう 町地では「ちょう」。室町むろまちなどの古町こちょうは例外

まち 武家地では「まち」。番町ばんちょうなど江戸初期の町名には例外も

両側町りょうがわちょう 表通りを挟み、その両側でひとつの町となっているところ

片側町かたがわまち 町の片側だけでできた町。武家地によくあった

横町よこちょう 町地で表通りから横に入る道。幕府の許可制

横丁よこちょう 幕臣の宅地や寺町に入る道

新道じんみち 家屋ができた後にできた町地の道。幕府の許可制

小路こうじ 武家地の通りの呼称。横町に相応

たな 武家が拝領地を町人に貸して地代を取った土地。玄冶店げんやだな木原店きわらだななど。十軒店じっけんだなは例外

代地だいち 町の全部や一部が移転させられた土地

元、本、新もと、ほん、しん 町の丸ごと移転でできた町名。移転元は元や本が、移転先には新が冠された

門前町もんぜんちょう 寺社の前にできた町。寺社奉行支配(管轄)。町奉行所に権限がないため岡場所が発達

広小路ひろこうじ 町地の防火地帯、避難場所

火除明地ひよけあけち 武家地の防火地帯、避難場所。火除地ひよけちとも

■遊里

吉原よしわら 幕府公認の遊郭。初期は葭町に、明暦大火後は浅草田圃に

岡場所おかばしょ 非公認の遊里

四宿ししゅく 江戸の幹線道路に通じる宿場。品川(東海道)、新宿(甲州街道)、千住(奥州街道)、板橋(中山道)。飯盛女めしもりおんなや宿場女郎が黙認され岡場所としても発展


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らくごのねんぴょう【落語の年表】古木優


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落語の流れを時系列に作成していきます。

和暦(西暦)落語と世間
寛政10年(1798)6.-岡本万作が神田豊島町藁店に寄席を。6.-万作に対抗して山生亭花楽(→初代三笑亭可楽)が下谷柳の稲荷神社内で寄席を。5日で終わり。9.28花楽は目黒不動で祈願。10.1花楽、武州越ヶ谷で講席。のち松戸で講席。三笑亭可楽に改名。11.12深川元町で母娘の敵討ち、敵は死亡し母娘はおかまいなしに。
この年、初代桂文治、大坂座摩社内で寄席を。寄席時代の幕開け
寛政11年(1799)1.-桜川慈悲成撰、式亭三馬序『太平楽』刊
寛政12年(1800)この年、可楽が江戸に帰り二度の咄の会を。摺り物に烏亭焉馬、桜川慈悲成、可楽の3人の狂歌を載せる
寛政13年/享和元年(1801)2.5改元
享和2年(1802)1.-『浪華なまり』
この年、百川堂灌河編『新撰勧進話』京都版。「盗っ人の仲裁」→三代目小さんが「締め込み」に。この年、十返舎一九『落咄臍くくり金』江戸版。「餅搗き」は上方「尻餅」の原話
享和3年(1803)この年、桜川慈悲成『遊子珍学文』。「三年目」の原話
享和4年/文化元年(1804)2.11改元
文化2年(1805)
文化3年(1806)
文化4年(1807)
文化5年(1808)
文化6年(1809)
文化7年(1810)
文化8年(1811)
文化9年(1812)
文化10年(1813)
文化11年(1814)
文化12年(1815)
文化13年(1816)
文化14年(1817)
文化15年/文政元年(1818)4.22改元
文政2年(1819)
文政3年(1820)
文政4年(1821)
文政5年(1822)
文政6年(1823)
文政7年(1824)
文政8年(1825)
文政9年(1826)
文政10年(1827)
文政11年(1828)
文政12年(1829)
文政13年/天保元年(1830)12.10改元
天保2年(1831)
天保3年(1832)
天保4年(1833)
天保5年(1834)
天保6年(1835)
天保7年(1836)
天保8年(1837)
天保9年(1838)
天保10年(1839)4.1円朝、湯島切通片町(文京区湯島4)で誕生
天保11年(1840)
天保12年(1841)
天保13年(1842)
天保14年(1843)
天保15年/弘化元年(1844)12.2改元
弘化2年(1845)3.3円朝、橘家小円太で土手倉(中央区日本橋2)で初出勤
弘化3年(1846)
弘化4年(1847)
弘化5年/嘉永元年(1848)2.28改元
嘉永2年(1949)
嘉永3年(1850)
嘉永4年(1851)
嘉永5年(1852)
嘉永6年(1853)
嘉永7年/安政元年(1854)11.27改元
安政2年(1855)3.21 小円太、初代円生の菩提寺(浅草金龍寺)に参詣して三遊派再興を誓う。円朝に改名
安政3年(1856)この年、円朝は池之端七軒町に転居、母を引き取り父も迎える
安政4年(1857)
安政5年(1858)
安政6年(1859)
安政7年/万延元年(1860)3.18改元
万延2年/文久元年(1861)2.19改元
文久2年(1862)
文久3年(1863)
文久4年/元治元年(1864)2.20改元
元治2年/慶応元年(1865)4.7改元
慶応2年(1866)
慶応3年(1867)
慶応4年/明治元年(1868)9.8改元
明治2年(1869)
明治3年(1870)
明治4年(1871)
明治5年(1872)
明治6年(1873)
明治7年(1874)
明治8年(1875)
明治9年(1876)
明治10年(1877)
明治11年(1878)
明治12年(1879)
明治13年(1880)
明治14年(1881)
明治15年(1882)
明治16年(1883)
明治17年(1884)
明治18年(1885)
明治19年(1886)
明治20年(1887)
明治21年(1888)
明治22年(1889)
明治23年(1890)
明治24年(1891)
明治25年(1892)
明治26年(1893)
明治27年(1894)
明治28年(1895)
明治29年(1896)7.28円朝が日蓮宗の大信者に(日宗新報604号)
明治30年(1897)
明治31年(1898)
明治32年(1899)
明治33年(1900)8.11三遊亭円朝没。8.21麗々亭柳橋没(41)。11.-三代目春風亭柳枝没
明治34年(1901)
明治35年(1902)
明治36年(1903)
明治37年(1904)
明治38年(1905)
明治39年(1906)
明治40年(1907)1,5六代目朝寝坊むらく没(49)。
明治41年(1908)
明治42年(1909)
明治43年(1910)
明治44年(1911)
明治45年/大正元年(1912)5.29初代柳家つばめ没。7.30改元
大正2年(1913)
大正3年(1914)
大正4年(1915)
大正5年(1916)
大正6年(1917)
大正7年(1918)
大正8年(1919)
大正9年(1920)
大正10年(1921)
大正11年(1922)
大正12年(1923)9.1関東大震災
大正13年(1924)8.18三代目古今亭今輔没。11,2二代目三遊亭円朝(初代三遊亭円右→)没(65)
大正14年(1925)
大正15年/昭和元年(1926)1.29余代目古今亭志ん生没。5.3に代目三遊亭金馬没。12.25改元
昭和2年(1927)
昭和3年(1928)3.11第二次落語研究会第1回※全179回。44年3月まで
昭和4年(1929)
昭和5年(1930)
昭和6年(1931)
昭和7年(1932)
昭和8年(1933)
昭和9年(1934)9.21東宝名人会第1回公演(東宝劇場5階、510席の東宝小劇場で)
昭和10年(1935)
昭和11年(1936)
昭和12年(1937)
昭和13年(1938)
昭和14年(1939)
昭和15年(1940)
昭和16年(1941)
昭和17年(1942)2.-三代目柳家つばめ没(59)。11.1正岡容主催の寄席文化向上会(大塚鈴本)で第1回「特殊古典落語鑑賞」※「古典落語」の初出
昭和18年(1943)
昭和19年(1944)
昭和20年(1945)
昭和21年(1946)2.3第三次落語研究会第1回※46年8月まで
昭和22年(1947)
昭和23年(1948)10.9第四次落語研究会第1回※全115回。58年まで
昭和24年(1949)
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
昭和27年(1952)
昭和28年(1953)4.11三越落語会第1回。桂小金治「三人旅」、古今亭今輔「印鑑証明」、柳家小さん「提灯屋」、三遊亭円生「百川」、桂三木助「宿屋仇討」、桂文楽「心眼」※子母田万太郎が提唱
昭和29年(1954)
昭和30年(1955)
昭和31年(1956)5.30東横落語会第1回(渋谷・東急百貨店東横店)。※主催は湯浅喜久治。東横落語会・全公演データリスト
昭和32年(1957)8.30東横落語会「円朝祭」※サラ口で三木助「真景累ヶ淵」
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)6.6落語勉強会(東宝演芸場)※若手の勉強会で公演後、飯島友治が批評(ダメ出し)。7.30東京落語会(NHK)第1回※東京落語会全公演・データリスト(仮公開)
昭和35年(1960)
昭和36年(1961)10.-四代目柳家つばめ没(69)。
昭和37年(1962)4.5精選落語会第1回(イイノホール)。三笑亭可楽「今戸焼」、桂文楽「明烏」、林家正蔵「花見の仇討」、柳家小さん「笠碁」、三遊亭円生「百川」、新人推薦で三遊亭全生(→五代目円楽)「たらちね」※68年12月まで
昭和38年(1963)
昭和39年(1964)9.12紀伊國屋寄席第1回※不定期で、66年から毎月1回開催。11.30古典落語をきく会(紀伊國屋ホール)※桂文楽、三遊亭円生、林家正蔵
昭和40年(1965)
昭和41年(1966)
昭和42年(1967)
昭和43年(1968)3.14第五次落語研究会第1回
昭和44年(1969)
昭和45年(1970)
昭和46年(1971)
昭和47年(1972)
昭和48年(1973)9.21五代目古今亭志ん生没
昭和49年(1974)
昭和50年(1975)
昭和51年(1976)
昭和52年(1977)
昭和53年(1978)
昭和54年(1979)9.3六代目三遊亭円生没
昭和55年(1980)4,21藤浦富太郎没(95)。
昭和56年(1981)
昭和57年(1982)
昭和58年(1983)
昭和59年(1984)
昭和60年(1985)6.28東横落語会最終演(第294回)。※東横落語会・全公演データリスト
昭和61年(1986)
昭和62年(1987)
昭和63年(1988)
昭和64年/平成元年(1989)1.7改元
平成2年(1990)
平成3年(1991)
平成4年(1992)
平成5年(1993)
平成6年(1994)
平成7年(1995)
平成8年(1996)
平成9年(1997)
平成10年(1998)
平成11年(1999)
平成12年(2000)
平成13年(2001)10.1三代目古今亭志ん朝没
平成14年(2002)5.16五代目柳家小さん没
平成15年(2003)
平成16年(2004)
平成17年(2005)2.10東宝名人会第1260回で最終演(芸術座)。4.18二代目桂文朝没
平成18年(2006)
平成19年(2007)
平成20年(2008)
平成21年(2009)
平成22年(2010)
平成23年(2011)
平成24年(2012)
平成25年(2013)
平成26年(2014)
平成27年(2015)
平成28年(2016)
平成29年(2017)
平成30年(2018)
平成31年/令和元年(2019)5.1改元
令和2年(2020)
令和3年(2021)3.19東京落語会(NHK)、毎月開催の形式での公演終了※東京落語会・全公演データリスト(仮公開)。10.7十代目柳家小三治没
令和4年(2022)
令和5年(2023)5.28藤浦敦没。7.21五街道雲助に人間国宝(文化審議会)
令和6年(2024)2.25落語協会百周年
令和7年(2025)

参考文献:「ホール落語と六代目三遊亭円生」(宮信明)/読売新聞



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えどござんまい【江戸五三昧】ことば

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江戸にあった代表的な五つの火葬場のことです。

もちろん、死体を焼却する施設。火葬場、焼き場、龕堂、火屋、荼毘所などと呼ばれます。

東京の火葬場は現在、23か所あります。民営が7、公営が16、都営が1。

たとえば、民営火葬場は以下の7施設です。

町屋斎場(荒川区)東京博善㈱
四ツ木斎場(葛飾区)東京博善㈱
桐ヶ谷斎場(品川区)東京博善㈱
代々幡斎場(渋谷区)東京博善㈱
落合斎場(新宿区)東京博善㈱
堀ノ内斎場(杉並区)東京博善㈱
戸田葬祭場(板橋区)㈱戸田葬祭場

都営と公営は、合わせると以下の18施設です。

瑞江葬儀所(江戸川区)都営
臨海斎場(大田区)大田区、目黒区、世田谷区、品川区、港区の共同運営
青梅市民斎場(青梅市)青梅市
立川聖苑(立川市)立川市
八王子市斎場(八王子市)八王子市
日野市営火葬場(日野市)日野市
府中の森市民聖苑(府中市)府中市
南多摩斎場(町田市)町田市
瑞穂斎場(瑞穂町)西多摩郡
ひので斎場(日の出町)西多摩郡
大島町火葬場(大島)大島町
小笠原村父島火葬場(父島)小笠原村
小笠原村母島火葬場(母島)小笠原村
神新島村火葬場 神津島村
津島村火葬場(新島)新島村
式根島火葬場(式根島)新島村
八丈町火葬場(八丈島)八丈島
三宅村火葬場(三宅島)三宅島

では、かんじんの江戸期の江戸の町では、どうだったでしょうか。

火葬場は、基本的には寺ごとにあるもので、寺の奥隅に建てられた荼毘所や火屋として成り立っていたようです。

それが、大きく変わるのが、明暦の大火(1657年)。

これ以降、火葬場は江戸の郊外に移っていきました。

土地を多く確保できたため、専用施設化に。

江戸時代には、「江戸五三昧」ということばがありました。

ここでいう「三昧」は供養→火葬場の意味です。以下の5つの火葬場をさしました。これは諸説がありますが、以下はとりあえずの説です。

小塚原火葬地

寛永年間(1624-45)、浅草下谷周辺に19か所あった火葬寺を、火葬の煙や臭いが寛永寺へ及ぶことを懸念し、四代将軍徳川家綱(1641-80)の命で小塚原にまとめて移転となりました。寛永寺は将軍家の菩提寺のひとつですから、これはやはりまずかったのでしょう。明治期になると、木村荘平(牛鍋いろは大王、1841-1906)の起こした旧東京博善が日暮里火葬場と合併して町屋日暮里斎場となり、現在では町屋斎場となっています。
※小塚原→南千住南組→町屋日暮里斎場→町屋斎場

代々木村火屋

文禄年間(1593-96)、四谷千日谷の火屋(=火葬場)が千駄ヶ谷村に移転し、寛文4年(1664)に代々木村狼谷にさらに移転しました。四ッ谷西念寺、勝典寺、戒行寺、麹町栖岸院、必法院など5施設の荼毘所となったのがはじまりです。900坪の敷地を有し、ここには火葬の仕事に従事する家が3軒あったそうです。明治初期には個人経営だったのが、明治26年(1893)に旧東京博善に譲渡され、代々幡斎場となりました。
※四谷千日谷→千駄ヶ谷村→代々木村狼谷→代々幡斎場

上落合村法界寺

市谷薬王寺町の蓮秀寺(日蓮宗、新宿区市谷薬王寺町22)の末寺、無縁山法界寺に荼毘所があったことがはじまりです。法界寺は廃寺となりました。法界寺は外から目隠しの垣根で囲まれていて中を見ることはできず、入り口は2か所あって「焼場法界寺」の表札がかかっていたそうです。法界寺には檀家がないため、死者を火葬するだけの施設だったようです。明治26年(1893)、旧東京博善に移り、落合斎場へ。「らくだ」に出てきます。
※高田上落合村法界寺→落合斎場

桐ヶ谷村霊源寺内荼毘所

桐ヶ谷斎場の道路を隔てた隣にある霊源寺(浄土宗、品川区荏原1-1-2)の龕堂(=荼毘所)でした。江戸期には「火葬寺」と呼ばれていました。3538坪有した境内には、その中を街道が通り、「浄土宗江戸三田長松寺末諸宗山無常院」と号したそうです。明治18年(1885)、火葬場と寺が分離され、福永幸兵衛など10人の組合経営となり、法行合名会社(匿名組合経営)となりました。昭和4年(1929)、東京博善に併合されました。「黄金餅」に出てきます。
※桐ヶ谷霊源寺→法行合名会社(匿名組合経営)→桐ヶ谷斎場

砂村新田阿弥陀堂荼毘所

砂村(江東区)の十間川と小名木川の間にある岩井橋付近にあった砂村新田の阿弥陀堂、極楽寺の荼毘所がはじまりです。「砂村の隠坊」と呼ばれていました。「四谷怪談」第三幕「隠亡堀の場」の舞台でも有名。「隠亡堀の戸板返し」ですね。明治期には砂村荻新田に移り、明治26年(1893)、旧東京博善の傘下となり、東京博善に引き継がれました。同年、旧東京博善傘下となった亀戸火葬場は、深川浄心寺(日蓮宗、江東区平野2-4-25、江戸十祖師の一)の荼毘所としてはじまり、亀戸に移転した火葬場です。明治27年(1894)、砂村火葬場と合併して砂町葬祭場(砂村亀戸)となりましたが、昭和40年(1965)に廃止されました。
※砂村新田極楽寺→砂村荻新田→亀戸火葬場(←深川浄心寺)と合併→砂町火葬場→廃止

これら以外には、炮録新田(葛西)や芝増上寺今里村下屋敷(白金)などにも火葬場があったそうです。

炮録新田は都営の瑞江葬儀所(江戸川区春江)とのかかわりが推定されます、よくわかりません。

芝増上寺今里村下屋敷(白金)は、明治期には東京府の公営屠畜場(港区白金台2-20)となりました。明治43年(1910)まで営業していましたが、移転しました。この地域には外国公館が点在し外国人居留者が多いのは明治以来のことで、新鮮で良質な精肉の需要があったのでしょう。明治期に開店した肉料理店には「今半」のように「今」を冠した店が多かったのですが、その意味は、今里町の「良い肉を使っていますよ」という客へのメッセージだったのだそうです。

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とうげつあんはくしゅ【桃月庵白酒】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会 理事
【前座】1992年4月、六代目五街道雲助に、五街道はたごで
【二ツ目】1995年6月、五街道喜助
【真打ち】2005年9月、三代目桃月庵白酒
【出囃子】江戸
【定紋】裏梅、葉付き三ツ桃
【本名】愛甲尚人
【生年月日】1968年12月26日
【出身地】鹿児島県肝属郡
【学歴】鹿児島県立鶴丸高校→早稲田大学社会科学部除籍 ※落研
【血液型】A型
【ネタ】朝友 など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】江戸東京落語まつり2023(2023年6月30日-7月5日、総勢36人)。

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あいがさ【相傘】川柳 ことば

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相傘を淋しく通す京の町  三17

「相傘」は男女が一本の傘をさすこと。相合傘とも。

相合傘の男女が歩いていても、穏やかな京の町では誰もひやかさない。江戸では悪口やひやかしの浴びせ倒しがあるから相合傘をするわけで、だいぶ違うものだ、という程度の話。

いまは相合傘の男女がいてもひやかしたりはしませんが、昭和40年代までの東京の下町ではひやかしは当たり前でした。ご祝儀です。

相傘はだまって通すものでない  二十27

右の手と左でうまい傘をさし  明七満01

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