あいさつ【挨拶】川柳 ことば

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あいさつに女はむだな笑ひあり  二05

いつも笑顔の女性は愛敬があるとされて世間では高評価なのですが、「むだな笑ひ」とはうわべだけの笑いや心にもない笑いのことで、この句はどうやら、飾ったり偽ったりの笑いはよろしくない、と暗に言っているようです。

「女は愛敬」が当たり前の、江戸の価値観による句です。

前だれでふきふき内儀おかみあいさつし  宝十三松03

あいさつを内儀はくしで二ツかき  一34

あいさつに困りかんざし差し直し  五22

ちょっとした義理は天気の噂なり  三十七38

世間とどうつきあっていくか。そんなとき、「笑ひ」ばかりか、さまざまな所作が緩衝材になったりちょっとした手助けになったりしてくれるんですね。いまも同じでしょう。

ちなみに、「挨拶」は仏教語、しかも禅語です。『碧巌録』に載っています。「挨」はおす、「拶」はせまる。師僧と弟子との禅問答の応酬を意味し、これを何度も何度も繰り返します。だから、コミュニケーションの手始めを意味するようになったのですね。どこか厳しさが込められたことばなのですがね。

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あい【あい】川柳 ことば



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奥行おくゆきのない呉服屋はあいという  十三31

「あい」は「はい」という応答語。日本橋あたりの大きな呉服屋なら「あーい」と長ったらしくこたえる返事も、奥行きのない小さな店では「あいッ」と短い。それだけのこと。こんな、どうでもよいことでも江戸の人はおもしろがったのですね。

小半日こはんにちいなないてゐる呉服店ごふくだな  八31

こちらは、通行人にまで呼び込もうとしています。高級店じゃありません。新宿や銀座にもその手の店がありました。ある種の風物詩でしたが。



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あいがさ【相傘】川柳 ことば

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相傘を淋しく通す京の町  三17

「相傘」は男女が一本の傘をさすこと。相合傘とも。

相合傘の男女が歩いていても、穏やかな京の町では誰もひやかさない。江戸では悪口やひやかしの浴びせ倒しがあるから相合傘をするわけで、だいぶ違うものだ、という程度の話。

いまは相合傘の男女がいてもひやかしたりはしませんが、昭和40年代までの東京の下町ではひやかしは当たり前でした。ご祝儀です。

相傘はだまって通すものでない  二十27

右の手と左でうまい傘をさし  明七満01

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あいきょう【愛敬】川柳 ことば

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「あいきょう」は「愛敬」「愛嬌」と記すことが多いようです。「接すると好感を催させる柔らかなようす」「見て(聞いて)笑いを覚えさせる感じ」といった意味合い。その人がもつ雰囲気をさします。似たことばで「愛想」がありますが、こちらはその人の行為からの印象で、「愛敬」とはちょっと異なります。

もとは仏教語の「あいぎゃう」で、「愛敬(愛嬌)」は「あいぎょう」と濁っていましたが、どうしたわけか、室町期以降、「あいきょう」と清音となります。

愛敬はこぼれてへらぬ宝也  六十一29

愛敬はこぼれるもので、減るものでもないのでいくらでも。若い女へのご教訓めいた句でしょうか。愛敬は人柄にも通じるようで、悪からぬ印象です。

愛きゃう娘そこからもここからも  十三10

「そこからもここからも」は縁談をさしているのですね。川柳は言外を察する気働きがないとわからないものですが、これも江戸の空気というもの。

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あいそう【愛想】川柳 ことば

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あいさうにふくぶくしいと嫁をほめ  二十九24

ここでの「愛想」はお世辞。おもてなしでの好印象をさします。「ふくぶくしい」とは肥えていることで、近代以前は、肥えていることが美でしたし、器量のよしあしでした。ダイエットは近代の概念なんですね。

本来の「愛想」はその人の行為からの印象。「愛敬」はその人がもつ雰囲気からの印象。似ていますが、ちょっと違います。

愛想のよいをほれられたと思ひ  八28

よくあること。愛想笑いを「おれに惚れてる」と勘違いしているわけ。色恋は勘違いから始まります。

ちっとづつ焼くのも女房あいそ也  天五智06

「焼く」と言えば嫉妬。女房が焼いてくれないと調子が出ない、という平和な風景です。

あいそうに傾城やけどさせる也  十六06

「傾城」は遊女。このシチュエーションで「やけど」と言えば、遊女が煙管の雁首を客の手やら腕やらにたたいてやけどさせるという、まさに焼いてる状態。

これだって、遊里サービスの一環にすぎませんが。あまり遊んでない男は勘違いして本気になってしまいます。野暮の始まりです。

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あいのやま【相の山】川柳 ことば

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面白くなる銭のなくなる相の山  八十二18

「相の山」は伊勢神宮の内宮ないぐう外宮げぐうの間にある小高い山。「間の山」とも。

江戸時代を通して有名な話ですが、ここには、三味線を弾いて参詣客から銭も乞う女がいました。

客が女目当てに投げる銭をばちではじいてわが身に当たらせない特技が売り物でした。客は絶対当ててやろうとついつい銭を使ってしまうという、まるでゲーセン感覚の遊びです。いつも二人でやっていて、「お杉」「お玉」と名乗っていました。

相の山→お杉お玉→銭当ての連想です。それにしても、すごい商売ですね。

抜打ぬきうちにお杉お玉へ銭つぶて  七十四02

客はいろんな手でお杉お玉を狙い撃ちです。

手がらなりお杉お玉をいたがらせ  宝十三松03

たまには当たるわけで。これも彼女らの手の内でしょうか。

毛のばちで弾けばあわれな相の山  宝七、十一

「毛のばち」とは胡弓こきゅうを連想させます。これでは銭をうまくはじけませんね。かわいそうな話ですが、「だったらいいな」という、ただの妄想でしょう。

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あいぼれ【相惚れ】川柳 ことば

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相ぼれの仲人実はまわしもの  五32

「相ぼれ」は相思相愛。大店おおだなの若だんなと遊里の花魁おいらんの、なんかが理想的なストーリー運びです。「まわしもの」は間者とかスパイ。大店のだんな(若者の親父)からの指示で、ひそかに乗り込んだ番頭とかのイメージでしょうか。好例は「山崎屋」ですね。

仲人なこうどのあとからできる面白さ  九31

仲人を地者じものとおもやたいこ持ち  一27

「地者」はふつうは素人女で、芸子や娼妓の対語として使います。ここでは素人男性のようですね。「地者とおもやたいこ持ち」は素人と思ったら幇間だった、という意。

相ぼれのおさきにつかふ隣の子  三十七27

「おさきにつかふ」は利用する。同じ町内の男女の相思相愛を詠んだ句。

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あかいしんにょ【赤い信女】川柳 ことば

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石塔せきとうの赤い信女をそそのかし  拾二09

「赤い信女」は夫に先立たれた女性。

落語の世界では「後家さん」として登場します。

「信女」とは仏式で葬った女性の戒名(僧が死者に付ける名)の付ける称号で、男性の場合は「信士」。先に亡くなった夫の墓に「〇〇信女」と法号を刻んで、この人の妻はまだ生きていますよというしるしに赤で字を塗るところから、「赤い信女」という熟語が生まれました。

たいていの辞書には項目として載っています。

川柳に登場する「赤い信女」なるものは、亡夫に操を立てたのはいいけれど、人生そう短くはなく、生きているうちに世間の誘惑に惑わされて後悔している妻の心境を詠む場合に登場します。

これも川柳や落語での類型です。川柳の世界では、このような後家さんをまどわすのは寺の坊さんだというのが通り相場です。

妻帯できない浄土真宗以外の各宗派の僧侶がこの手の女性を狙っている、というのが世間の常識でした。

浄土真宗は略して「真宗」としても登場しますが、この宗派は、宗祖の親鸞自身が妻帯したため、今日まで真宗の僧侶は頭も丸めず妻帯しています。

ただ、現在の仏教界では、真宗以外の各宗の坊さんも妻帯しています。これは明治以降のことです。日本の仏教界の現在は、戒律が緩い状態にあります。江戸時代のほうがまだ厳しかったのです。

辻善之助が『日本仏教史』が唱えた「江戸時代以降、日本の仏教は葬式仏教に堕した」といった説は、最近の研究では見直されてきています。

そうはいっても、江戸時代、寺社は大きな幕府や各藩から禄をいただいていたために生活には困らず時間もしっかりもあったようです。

そのような状態では、ろくでもない思いにいたる僧侶も少なくはなかっただろうという推測はかなうでしょうね。

信女の月をよどませる和尚也  筥二15

「月をよどませる」とは生理が止まった由。和尚がはらませた、ということ。

「信女の月」は「真如の月」の洒落。

「真如」とは万物の本体。すべてに通じる絶対普遍の真理。「真如の月」は闇と照らすように真理が人の心の迷いを破ること。

真理は迷妄を開くわけで、はらませれば別な迷妄が開く、というわけでしょうか。

ろくでもない坊さんが描かれています。

ちなみに、「真如の月」の対語は「無明長夜むみょうじょうや」。煩悩にとらわれて仏法の根本がわからずに迷った状態でいることで、光のない長い夜にたとえたものです。

「無明の闇」といった表現でも登場します。真如の月=悟り、無明の闇=迷い、ということですね。

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あかさか【赤坂】川柳 ことば

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赤坂と御油の間で頭痛がし  拾二智01

ここでの「赤坂」は東海道の一宿。江戸から数えて36番目の宿。三河(愛知県東部)。今の愛知県豊川市赤坂町。

34番目の吉田、35番目の「御油」と続いて、飯盛り女がい多くいたということから、朝まで遊んでしまったので頭が痛い、ということなのでしょうか。

江戸から34番目は吉田宿。吉田→御油→赤坂は東海道のほぼ中間点。

道中ついついゆるみが出て、遊んでしまう客が多かったそうです。それでも「頭痛」とは。いったいどんな遊びだったのでしょう。

「夏の月御油よりいでて赤坂や」は芭蕉。

五十七人は赤坂さしてにげ  十一11

この「赤坂」は中山道の赤坂宿。美濃(岐阜県)の不破郡赤坂村。今の岐阜県大垣市。江戸から数えて56番目の宿。盗賊の熊坂長範が大暴れして討たれた地として有名です。

熊坂は源義経に討たれたといわれますが、その地がかつての青墓宿。

時代が変わると近くに赤坂宿が設けられたため、謡曲「熊坂」「烏帽子折」では赤坂宿が舞台となっています。

東海道の赤坂とはおおざっぱには近くですが、国がまるで違います。

「五十七人」とは熊坂の手下は70人だったという言い伝えから、熊坂とともに討ち死にしたのが13人いたことから、残り57人は命からがら青墓から赤坂に逃げて込んだ、という意味でしょうか。

江戸の人はご丁寧にも人数を勘定して句に埋め込んだのですね。こっちのほうにびっくりです。あまりよいセンスとも思えませんが、川柳には時折みられる律儀句です。

牛若は千拾四人きり給ふ  五23

これも。熊坂+手下13人+五条橋の千人斬り=1014人とは。

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