やなぎやきょうしろう【柳家喬志郎】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1999年4月、柳家さん喬に、柳家さん坊で
【二ツ目】2002年11月、柳家喬四郎
【真打ち】2013年9月、柳家喬志郎
【出囃子】かんかんのう
【定紋】丸に三ツ柏
【本名】齋藤歩
【生年月日】1972年7月15日
【出身地】静岡県牧之原市
【学歴】静岡県立吉田高校→帝京大学
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は



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やなぎやさんか【柳家さん花】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】2006年9月、柳家さん喬
【前座】2007年4月、柳家小んぶ
【二ツ目】2010年9月
【真打ち】2021年9月、柳家さん花
【出囃子】海女
【定紋】丸に三ツ柏
【本名】早川亘
【生年月日】1979年8月1日
【出身地】千葉県
【学歴】千葉県立国分高校→東京農業大学中退→三遊亭円丈
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は横になること。

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てっかい【鉄拐】落語演目

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【どんな?】

北京の上海屋での宴会芸。
仙人がものすごい技を。
こいつの人生が一変。
中国大陸が舞台の噺。
底抜けに奇天烈で壮大。

別題:張果老

あらすじ

北京の横町に、上海屋唐左衛門という大貿易商がいた。

中国はもちろんのこと、ロンドンやニューヨークにも支店を持つという大金持ち。

毎年正月には世界中から知人、友人、幹部社員などを集めて大宴会を催し、珍しい芸人を集めて余興をやらせることにしていた。

毎年のこととて、余興の種が尽き、いい芸人が集められなくなった。

そこで、番頭の金兵衛が各地を巡り、募ることにした。

金兵衛は山また山を越え、とある山中で道に迷っていると、大きな岩の上にボロボロの着物を着て杖をつき、ヒゲぼうぼうの老人がぼんやり座っている。

聞いてみると、鉄拐と名乗る仙人。

何か変わったことができるかと尋ねると、腹の中からもう一人の自分を吐き出してみせたから、これは使えると金兵衛は大喜び。

渋るのを無理に承知させ、鉄拐の雲に便乗して北京に帰った。

鉄拐の芸は大受けで大評判となり、お座敷や寄席の出演依頼がどっと押し寄せた。

今では当人もすっかりその気になり、上海屋に豪邸をもらい、厄貝、モッ貝、シジミッ貝という三人の弟子を取り、近ごろは女を物色するというありさま。

評判がよくなると、ねたむ者も出る。

「このごろ昔のおんぼろななりを忘れてぜいたく三昧、お高くとまってやたらに寄席を抜きゃあがる。どうでえ、あの野郎をへこますために、鉄拐の向こうを張るような仙人を連れてこようじゃねえか」

そんなわけで引っ張ってきてのが、張果老という仙人。

こちらは、徳利から馬を出す。

新し物好きの世間のこと、鉄拐はあっと言う間に飽きられ、お座敷ひとつかからない。

逆に張果老は大人気。

面白くない鉄拐、どんな芸か見てやろうと、ある晩ライバルの家に潜入してみると、張果老は大酒をのんで高いびき。

この徳利からどうやって馬が出るのかしらんと、口に当てて息を吸い込んだから、たちまち中の馬は徳利から鉄拐の腹の中へ。

虎の子の馬が盗まれて、今度は張果老があっと言う間に落ち目に。

しかし悪いことはできないもので、いつの間にか、犯人は鉄拐だという噂が立った。

「先生、あんたが馬泥棒てえ評判ですが」
「とんでもねえ、ヒヒーン」

腹の馬がいなないて、あっさりバレた。

「それならそれで、今度はあんたの分身を馬に乗せて吐き出すという新趣向を出したらどうだ」

そんな悪知恵を授けた者がいる。

ところが、鉄拐は馬を吐き出せないので、客を腹の中に入れて見物させる。

これが大当たりで、たちまち満員札を口と肛門に張る騒ぎに。

そのうち、酔っぱらった客二人が大げんかを始め、さすがの鉄拐もたまらず吐き出す。

それがなんと、李白と陶淵明。

スヴェンソンの増毛ネット

しりたい

原話は慈悲成本

原話は、桜川慈悲成さくらがわじひなり(八尾大助、1762-1833)が作成した『落噺常々草おとしばなしつねつねぐさ』の中の「腹曲馬はらのきょくば」といわれています。

『落噺常々草』は文化年間(1804-18)に刊行された笑話本です。

江戸後期の戯作者げさくしゃ。親の慈悲成、芝楽亭しばらくてい暫亭しばらくていなどとも号しました。

本業は芝宇田川町に住んだといわれている鞘師さやしで、杉浦如泉すぎうらじょせん門の金工でした。陶器の販売もしていたようです。

ちなみに、杉浦如泉は金工で、杉浦如竹じょちくの高弟でした。

師にならった高彫りに加え、平象嵌ひらぞうがんを得意としたそうです。

慈悲成は、桜川杜芳とほう(岸田杜芳)に師事して、戯作を始めました。

杜芳は、寛政年間に活躍した狂歌師、戯作者です。

慈悲成の残した作品には、黄表紙きびょうし天筆阿房楽てんひつあほうらく』『作者根元江戸錦さくしゃこんげんえどにしき』、噺本はなしぼん滑稽好こっけいこう』『軽口噺かるくちはなし』などがあります。

滑稽本こっけいぼん合巻ごうかんにも挑んだそうですが、現在の評価としては、長い作者生活のわりには佳作に乏しい、とされています。

どうでしょうか。いずれ、見直される日が来るかもしれません。

慈悲成はまた、多芸でも知られています。

茶道、狂歌、絵画など。噺家でもありました。

烏亭焉馬うていえんばとともに、落語中興の祖とされています。

焉馬は同好者を集めて噺の会を催しました。

慈悲成は、おはこの茶道や茶番狂言などを利用して富裕層の屋敷に出入りし、噺芸や幇間のような座敷芸を行っていました。

慈悲成のこのような芸風は、後世の落語界に少なからぬ影響を与えています。

慈悲成の座敷芸は他方で、幇間をも育成しました。

慈悲成の門下には、桜川甚好じんこう、桜川善好ぜんこうらの幇間が輩出しています。

古今亭志ん生もマクラで、この二人の系統を例に出して幇間芸をたたえていました。

現在も引き継がれる幇間の名代「桜川」が、雄弁に物語っています。

「腹曲馬」 国立国会図書館所蔵

鉄拐仙人

道教の八仙の一人で、李鉄拐といいます。

伝説によると、自宅に肉体を置いたまま魂で華山まで飛び、太上老君(道教の神・老子)に会いましたが、帰ってみると、弟子が肉体を火葬してしまった後で、戻るべきところがなくなり、困りました。

そこで、近所に行き倒れの物乞いがいたのを幸い、その屍骸を乗っ取って蘇生したとか。

鉄拐がボロをまとった姿で登場するのは、この故事に由来します。

李鉄拐

張果老

同じく、八仙の一人。

白いロバに乗っているのが特徴です。

このロバ、用のないときは紙のように折りたたんで行李に納められ、水を吹きかけると、たちまち、一日何万里も歩くロバになります。

噺の中の馬は、このロバのことでしょう。

北京の大富豪の「番頭」が金兵衛というのが笑わせるじゃないですか。

この噺が得意だった立川談志は、「上海は新横町2の2上海屋唐右衛門」で演じていました。

談志なりのリアリティーなのでしょうが、目くそ鼻くそを笑うがごときこざかしさ。リアリティーもへったくれもない設定です。

ま、そこがいいのですがね。

李白と陶淵明が最後に出てきますが、両者とも酔いどれ詩人で有名です。

だからこそ、オチの意味がああるわけで。

談志は、大島渚と野坂昭如に代えたりもしています。

だからといって、まあ、さしたるおかしさがかもしだされるわけでもないでしょう。

張果老

【鉄拐 立川談志】

スヴェンソンの増毛ネット

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こまちょう【駒長】落語演目

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【どんな?】

つつもたせを仕組んだ借金夫婦。
夫が出ているうち女は男に情が移り。
志ん生がやってた珍しい噺。
「お直し」と真逆に向かう物語です。

別題:美人局

【あらすじ】

借金で首が回らなくなった夫婦。

なかでも難物は、五十両という大金を借りている深川の丈八という男だ。

この男、実は昔、この家の女房、お駒が深川から女郎に出ていた時分、惚れて通いつめたが振られて、はては、今の亭主の長八にお駒をさらわれた、という因縁がある。

「ははあ、野郎、いまだに女房に未練があるので、掛け取りに名を借りて、始終通ってきやがるんだ」
と長八は頭にきて、
「それなら見てやがれ」
と渋るお駒を無理やりに説き伏せ、一芝居たくらむ。

丈八あての恋文をお駒に書かせ、それが発覚したことにして、丈八が来る時を見計らって、なれ合いの夫婦げんかをする。

あわてる丈八に、どさくさに二、三発食らわして、
「こんな女は、欲しいなら、てめえにくれてやる」
と、わざと家を飛び出す。

その間に、今度は本当にお駒を丈八に口説かせ、でれでれになった頃合いを見計らって踏み込む。

「不義の現場押さえた」
とばかり、出刃包丁で脅しつけ、逆に五十両をふんだくった上に裸にむいてたたき出すという、なかなか手の込んだもの。

序幕はまったく予定通り。

「こんな女ァ、てめえにくれてやるが、仲へ入った親分がいるんだから、このままじゃあ義理が立たねえ。これから相談してくるから、帰るまでそこォ動くな」

尻をまくって威勢よく飛び出した長八。

筋書きがうまくいって安心したのか、まぬけな奴もあるもので、親分宅で酒を飲みながら時間をつぶすうち、ぐっすりと夜明けまで寝込んでしまった。

第二幕。

こちらは長八の家。

丈八は上方者で名うての女たらし。差し向かいでじわじわ迫る。

「わいと逃げてくれれば、この着物も、これもあんたのもん」
とやられると、お駒も昔取った杵柄。

「つくづく貧乏暮らしが嫌になり、あんな亭主といては一生うだつが上がらない。この上は」
と、急きょ狂言を書き直し、長八が帰らないのを幸い、丈八といつしか一つ床に。

挙げ句の果てに、夜が明けぬうち、家財道具一切合切かき集め、手に手を取って、はいさようなら。

瓢箪から駒だ。

翌朝。

長八があわてふためいて家に駆け込んでみると、時すでに遅く、モヌケのカラ。

火鉢の上に、書き置き一通。

「ついには、うそがまことと、相なりそろう。おまえと一緒に暮らすなら、明くればみその百文買い、暮るれば油の五勺買い。朝から晩まで釜の前。そのくせ、ヤキモチ焼きのキザ野郎。意気地なりの助平野郎」

さらには
「丈八さんと手に手を取り、二世も三世も変わらぬ夫婦の楽しみを……」

「あのあまァ、どうするか見てやがれッ」
と出刃を持って飛びだすと、カラスが上で
「アホウ、アホウ」

底本:五代目古今亭志ん生、四代目橘家円喬

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

【しりたい】

円朝作の不倫噺

原話は、明和5年(1768)刊の笑話本『軽口はるの山』巻四の「筒もたせ」とみられます。

この小咄はかなり短く、金に困った男が友達に、うまくすれば銀三百匁にはなるから「美人局」をやってみろとけしかけられます。

そこで、かみさんに因果を含めて近所の若い者を誘惑させ、いよいよ「間男見つけた」と戸棚から飛び出したものの、あわてて「筒もたせ、見つけた」と言ってしまうというおマヌケなお笑いです。

これをもとに、明治初年に三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が一席の落とし噺に仕立てたとみられますが、円朝自身の速記は残っていません。

代わりに、春陽堂版「円朝全集」(1929年刊)には、円朝の口演をもっとも忠実にコピーしたとされる門下の三遊一朝(倉片省吾、1846[1847]-1930)の速記が掲載されました。

この噺の登場人物名は、すべて講談の大岡政談や浄瑠璃中の、白子屋お駒の情話から取ったものです。

お駒の実録などについては、「城木屋」をどうぞ。

三遊一朝

「教訓」としての円朝演出

一朝の速記を見ると、マクラで、うぬぼれが強く人間をばかにするカラスの性癖を引き合いに、「まして人間はうぬぼれが強うございまして、おれの女房はおれよりほかに男は知らない、どんなことをしてもおれのことは忘れまい、なぞと思っていると大違いでございます」と語っています。

男の思い上がりを、円朝がこの噺を教訓として戒めているのがうかがわれます。

なるほど、これがあって初めて、オチのカラスの「アホウ、アホウ」が皮肉として効いてくるわけです。

古い速記では、「美人局」と題した四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)のもの(明治28年=1895年)も残っています。

円喬は上方ことばを自在に操れた人なので、活字だけを追っても、大阪弁の丈八の口説きに、いかにもねっとりとした色気が感じられます。

つつもたせ

「美人局」と書きます。博打から出た言葉といわれます。

筒持たせ、つまり博打の胴を取るように情夫がしっかり状況をコントロールしている意味でしょう。

それとも、もう少しエロチックな意味があるのかもしれません。

「美人局」の表記は、中国で元代のころに遡るといいます。

井原西鶴(1642-93、俳諧、浮世草子)なども使っているので、上方ではかなり古くから使われた言葉なのでしょう。

明くれば味噌の百文買い

芝居がかった、女房の置手紙の文句ですが、食うや食わずの貧乏暮らしを象徴する言い回しです。

河竹黙阿弥(吉村芳三郎、1816-93)の芝居「御所五郎蔵」でも、敵役星影土右衛門の子分が主人公を辱めて「こなたと一生連れ添えば(中略)米は百買い酒は一合」と、似たような表現で罵倒します。

「味噌こし下げて歩く」も同意です。

志ん生の独壇場

先の大戦後は、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)が一手専売で、ほかに演じ手はありませんでした。

おそらく、敬愛する四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)の速記などから独力で覚えたものでしょう。志ん生の次男、三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)が継承していました。

志ん生は、この噺の欠点である構成の不備や不自然さを卓抜なくすぐりで補い、不倫噺を、荒唐無稽の爆笑編に転化することで、後味の悪さを消す工夫をしています。

当サイトのあらすじは、主に志ん生の速記・音源を参考にしましたが、オチ近くの女房の置き手紙などは、円喬のをそっくり取り入れています。

【語の読みと注】
美人局 つつもたせ

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こごろし【子殺し】落語演目

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【どんな?】

父母が逝った赤ん坊。
五十両付きで養育する借金夫婦は。
陰惨丸出しの噺。
落語ってすごい。
これで笑わせるんですから。
変化球の演目ですね。

【あらすじ】

亭主の働きが悪く、借金取りに責めたてられて、大家にも店立てをくっている夫婦。

いっそ夜逃げをしようと相談中に、知人が尋ねてくる。

ある家で、かみさんが産後の肥立ちが悪くてとうとう死んでしまい、亭主もその跡を追うようにあの世へ行ってしまって、赤ん坊だけ残された。

どこか育ててくれる人はないかと、亭主の兄弟分に頼まれたが、心当たりはないかという相談。

なんでも、引き取ってくれる人には、五十両の養育費を付け、赤ん坊の着物も添えるというので、夫婦は金にひかれて、その子をもらい受けることにした。

その五十両で借金もきれいに返し、一息ついてほっとしたものの、こうなると、じゃまになるのが赤ん坊。

もともと金づくでしかたなく引き取ったもので、ピイピイ泣いて手間がかかり、夜も寝られないとあって、
「五十両ぽっちの目腐れ金でこの先も居すわられたのでは割りに合わねえからいっそ片付けちまおう」
と亭主が言い出す始末。

絞め殺したのでは喉に痕がついてバレるからと一計を案じ、湯に連れていって温め、こたつの脇で布団をかぶせて押さえつけた。

しばらくして見てみると、赤ん坊の死骸は、注文通り、真っ赤。

これを医者に見せ、
「疱瘡で亡くなりました」
と言い立ててさっさと葬式を出し、遺留品もきれいに始末してしまう。

以来、悪行が実を結んでか、にわかに金回りがよくなった夫婦。

そうなると亭主の気が大きくなり、吉原のお女郎になじんで、十日も二十日も帰らない。

おもしろくないのがかみさんで、ある日、やっと帰ってきた亭主をつかまえて責めたてたあげく、赤ん坊殺しの件まで大きな声でしゃべり出すので、亭主は仰天。

そんなことがお上に漏れれば、首と胴が泣き別れになると必死になだめすかす。

「もう決して家は明けない」
と謝って、
「おまえと久しぶりに一杯やろうと酒屋に一升頼んできたから、湯に行っている間に届いたら燗をつけておいてくれ」
と、言い残して出ていく。

ところが天の網、さっきのかみさんの声が人に聞かれて、訴人されたか、奉行所の捕り手が四方から家を囲んだ。

「御用だっ」
「おや、酒屋さんかい」

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

【しりたい】

江戸の嬰児虐待

陰惨な噺で、特に現在の社会状況を考えると、リアルすぎてシャレになりません。

百年二百年たとうが、人の世は同じことの繰り返しということでしょうか。

いずれにせよ、資料的価値以外にはないでしょう。

原話も不明で、速記は明治32年(1899)の初代三遊亭円左のみ。

この円左以前も以後も、まったく口演資料がないところをみると、あるいは、これ限りの円左の新作かもしれません。

御用聞き

酒屋に限ってこう呼びました。徳利拾いともいいます。

まず酒の御用を聞き、それから味噌醤油と、二、三回も、御用は御用はと聞くのでついた名とか。

オチは、お上の御用を承る目明しの「御用聞き」と掛けています。

初代円左は、わざわざマクラでそのことを説明していて、当時でさえ、後者の意味がわからなくなりかけていたことがうかがえます。

ここで円左は、江戸時代の目明しを「おてききしゅう」と呼び、速記で「御探偵衆」と当て字させています。そのあたりは、いかにも明治のにおいがします。

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こごとこうべえ【小言幸兵衛】落語演目

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【どんな?】

麻布の長屋。
小言を吐きまくってる大家。
ブンブンうるさいおじさん。
こういうの、必ずいますよね。

別題:搗屋幸兵衛 道行き幸兵衛 借家借り(上方)

【あらすじ】

麻布古川町、大家の幸兵衛。

のべつまくなしに長屋を回って小言を言い歩いているので、あだ名が「小言幸兵衛」。

しまいには猫にまで、寝てばかりいないで鼠でもとれと説教しだす始末。

そこへ店を借りにきた男。商売は豆腐屋。

子供はいるかと聞いてみると、餓鬼なんてものは汚いから、おかげさまでそんなのは一匹もいないと、胸を張って言うので、さあ幸兵衛は納まらない。

「とんでもねえ野郎だ、子は子宝というぐらいで、そんなことをじまんする奴に店は貸せない。子供ができないのはかみさんの畑が悪いんだろうから、そんな女とはすっぱり別れて、独り身になって引っ越してこい。オレがもっといいのを世話してやる」
と、余計なことを言ったものだから、豆腐屋はカンカンに怒り、毒づいて帰ってしまう。

次に来たのは仕立て屋。

物腰も低く、堅そうで申し分ないと見えたが、二十歳になるせがれがいると聞いて、にわかに雲行きが怪しくなる。

町内の人に鳶が鷹を生んだと言われるほどのいい男だと聞いて、幸兵衛、
「店は貸せねえ」

「なぜといいねえ、この筋向こうに古着屋があって、そこの一人娘がお花。今年十九で、麻布小町と評判の器量良し。おまえのせがれはずうずうしい野郎だから、すぐ目をつけて、古着屋夫婦の留守に上がり込んで、いつしかいい仲になる。すると女は受け身、たちまち腹がポンポコリンのボテレンになる。隠してはおけないから涙ながらに白状するが、一人息子に一人娘。婿にもやれなければ嫁にもやれない。親の板挟みで、極楽の蓮の台で添いましょうと、雨蛙のようなことを言って心中になる」

(ここで芝居がかりになり)「本舞台七三でにやけた白塗りのおまえのせがれが『……七つの金を六つ聞いて、残る一つは未来に土産。覚悟はよいか』『うれしゅうござんす』『南無阿弥陀仏』……おい、おまえの宗旨は? 法華だ? 古着屋は真言だから、『ナムミョウホウレンゲッキョ』『オンガボキャベエロシャノ』。これじゃ、心中にならない。てえそうな騒動を巻き起こしゃあがって、店は貸せないから帰っとくれっ」

入れ替わって飛び込んできたのは、えらく威勢のいい男。

「やい、家主の幸兵衛ってのはてめえか。あの先のうすぎたねえ家を借りるからそう思え。店賃なんぞ高えことォ抜かしゃがるとただおかねえぞ」
「いや、乱暴な人だ。おまえさんの商売は?」
「鉄砲鍛冶よ」
「なるほど、それでポンポンいい通しだ」

底本:二代目古今亭今輔、六代目三遊亭円生

【しりたい】

切り離された前半

これももともと上方落語です。

本来は、豆腐屋の前に搗米つきごめ屋が長屋を借りにきて、「仏壇の先妻の位牌が毎日後ろ向きになっているので、後妻が、亡霊に祟られているのではないかと気にしてやがて病気になり、死んでしまった。跡でその原因が、搗米屋が夜明けにドンドンと米をつくためだとわかった。してみりゃあ同業のてめえも仇の片割れだ。覚悟しゃあがれ」と、幸兵衛に因果話で脅かされて、ほうほうの体で逃げ出すくだりがあり、そこから「搗屋幸兵衛」の別題があります。

現在では、この前半は別話として切り離して演じられるのが普通です。

搗米屋または搗屋は、今で言う精米業者のこと。

精白されていない米を力を込めて杵で搗きつぶすので、その振動で位牌が裏向きになったというわけです。

原話に近い上方演出

正徳2年(1712)に江戸で刊行された『新話笑眉』中の「こまったあいさつ」が原話です。

上方落語「借家借り」の古いやり方はこれに近く、最初に搗米屋、次に井戸掘りが借りに来て、それぞれ騒音と振動の原因になりやすいので断られることになります。

ここでは因果話がなく、「出来合いの井戸を(長屋の庭に)掘るのかと思った」というオチも今ではわかりにくく、おもしろさにも欠けるためか、現在では東西とも仕立て屋、鉄砲鍛冶を出すことが多くなっています。

麻布古川町

あざぶふるかわちょう。芝あたり。新堀川(古川、金杉川)北岸低地の年貢町屋。

江戸時代の当初は麻布本村あざぶほんむらの中に属していたのですが、元禄11年(1698)に白金しろかね御殿御用地になり、代地として三田村(古川右岸)の古川あたりを与えられました。

これがその名の由来です。港区南麻布1丁目。

正徳3年(1698)に町方支配となりましたが、町奉行と代官の両者の支配を受けていました。

江戸の内とはいえなかったようです。

鷹場があったため、年貢やその他の諸役を務める町でした。

家数2
地主9
店借7

これだけ。小さかった。この噺の設定にはもってこいだったようです。

古川右岸は三田古川町といいました。だから、古川町は麻布と三田にあったことになります。

古川(新堀川、金杉川)という、芝の将監橋から引かれた掘割ほりわりの左岸(のち河川改修のため右岸)に広がった町なのでこの名があります。

将監橋については、項目を立てさらに記しました。お読みください。

麻布十番もこの付近で、十番の由来は、前記の将監橋から麻布一の橋まで古川沿岸の工事区を十区に分けた終点、十番目にあたるところから、という説もあるのですが、こちらも諸説ごろごろ。

総じて、江戸時代を通して、麻布あたりはほとんどが武家屋敷と寺社地で、町屋はその合間を縫って細々と点在していたに過ぎません。

現在の繁栄ぶりが信じられないような、狸やむじなが出没する寂しい土地だったようです。

家主

いえぬし。上方では「家守やもり」、江戸では「大家おおや」「差配さはい」とも。

普通は地主に雇われた家作かさく(借家)の管理人です。

町役人ちょうやくにんを兼ねていたので、店子に対しては絶大な権限を持っていました。

ちなみに、上方では土地や家屋の所有者を「家主いえぬし」呼びます。江戸では「地主」。

家主 江戸☞貸家の管理人   
   上方☞貸家の所有者

ややこしいです。

万一の場合、店子の連帯責任を負わされます。

その選択に神経質になるのは当たり前で、幸兵衛の猜疑心は、異常でもなんでもなかったわけです。

幸兵衛が、最初の賃貸希望者の豆腐屋に「近所にはないからちょうどいい」と言うくだりもあります。

町内の職業分布にも気を配って、「合格者」を決定していたことがよくわかります。

江戸では実際、トラブルを避ける意味もあって、小売商は一町内に一職種しか認められませんでした。

ラーメン屋の隣がラーメン屋、またその向かいがラーメン屋などという、商道徳がズレた現代とはだいぶ違います。

将監橋

江戸には、「将監橋しょうげんばし」という名の橋が二つありました。

芝の将監橋   金杉川に架かっていました。
日本橋の将監橋 紅葉川に架かっていました。

芝の将監橋は、川さらいを受け持つ、幕府の川浚奉行だった岡田善同よしあつ善政よしまさ親子(ともに将監を名乗る)の功労を後世に伝える主旨で名づけられたのだそうです (続江戸砂子) 。

岡田将監は、治水、土木工事の達人だったのですね。

日本橋の将監橋は、海賊衆といわれ、水主同心かこどうしんを担当し幕府御用船の保管と運航を担当していた、船手頭ふなてがしらの向井将監の屋敷が隣接していたことにちなんでいます。

向井正綱が仇敵徳川家康の家臣となり、幕府の水軍と水運の親玉となって、十一代にわたり「将監」を世襲しました。

そこらへんのところは隆慶一郎の『見知らぬ海へ』に描かれています。この当時の「海賊」ということばは、海の専門家、くらいの意味です。

将監というのは、近衛府このえふ(天皇の警護にあたる役所)の三番目の役職名です。

かみ、すけ、じょう、さかん。これが四等官ですから、「じょう」にあたる職名が将監ということです。

あんまり偉くないですが、江戸時代にはもう、そんなことはどうでもよくなっていました。そのあらましは以下の通りです。

官職について

官職とは、公的な役所で働く人が与えられる役職名です。平安時代まではまともで、朝廷がそれなりの人に与えていました。

ところが、鎌倉時代になると、儀式や法会の資金欲しさに、朝廷は官職名を売り出すようになりました。

天皇に直結する朝廷は日本の最高ブランド。

これを利用して人々の名誉欲を金で釣ったわけです。欲しがって釣られた人々は武士です。

御家人を任官させたり、名国司みょうこくし(実体のない国司の名称)に補任させたり。

武士の間では官名を称するのが普通になってきました。

これに拍車をかけたのが、朝廷を丸ごとのみこむ争乱、南北朝時代(1338-92)の争いです。日本全国の武士が北朝か南朝かに別れて争った時代。

彼らは戦うための支柱となる朝廷の後ろ盾を必要としました。

そこで、北朝方の足利尊氏や南朝方の北畠顕信らが、配下となった主なる武士に「官途書出かんどかきだし」といって叙位任官を朝廷に取り次いで与えるという慣習を乱発しました。

朝廷が二つあったわけですから、官位官職の数も二倍以上。大安売りです。

南北朝の争乱は、六十余年に及びましたから、その後も由々しき慣習は消えず、武家政権が続く間、つまり明治にいたるまで横行していったわけです。

とりわけ、戦国時代という無政府状態にあっては、守護大名が家臣などに官途状を出して国司名(受領名ずりょうめい)を与えていました。

それどころか、その官名のを勝手に名乗ること(私称)を許すケースが多く登場してきました。

これは朝廷のあずかり知らない僭称せんしょう(勝手に自称する)です。

公式の場では官名を略したり、違う表現に置き換えたりしていたようです。

太郎、次郎などの輩行名はいこうめい左衛門さえもん兵衛ひょうえなどの官職名を組み合わせた名を与える、「仮名書出けみょうかきだし」という慣習も登場して、とどまるところを知りませんでした。

先祖が補任された官職や主家から与えられた受領名を子孫がそのまま用いるケースも現れました。

向井将監は代々「将監」を名乗っていました。

だからこそ、向井といえば将監、将監橋が命名される由縁となるのです。

こうなると、朝廷はまったく関知せず、武士が官名を勝手につける「自官じかん」という慣習が定着していきました。ブランド壟断ろうだん。むちゃくちゃです。

百官名

ひゃっかんな。家系や親の持つ官職を名乗ることをいいます。

百官名が受領名と違うのは、受領名が正式な官職名を私称として用いることを指すのに対して、百官名は必ずしも正式な官名を指すものではなくなっていった点です。

てきとうなんですね。

戦国時代からは、武士の間で官名を略して、「大膳だいぜん」「修理しゅり」など役所の名だけを名乗る人や、「将監しょうげん」「将曹しょうそう」など官職の等級だけを名乗る人などの風習が広がりました。

そうなると、百官名というのはもう、官位官職ではなく、ただの名前でしかありませんね。

百官名を名乗る場合は、官職と同じく。


名字+百官名+いみな(名前)


こういう方式が一般的です。

向井将監忠勝、吉良上野介義央、といったかんじです。

ただ、われわれは、「吉良上野介こうずけのすけ」と呼んでいて、「義央よしなか」という本当の名前はすでに忘れていますね。

まあ、向井将監も同じです。正綱だろうが、忠勝だろうが、向井の家は将監。向井将監は海賊衆だ、という認識です。

ちなみに、上野介。

これは、「親王任国しんのうにんこく」といって、上野国こうずけのくに(群馬県)、常陸国ひたちのくに(茨城県)、上総国かずさのくに(千葉県)だけは、国司の長官(かみ、守)は親王が任命されるので、臣下の最高位は次官(すけ、介)となる慣習でした。

だって、親王自身は京都にいるわけで、実際に任地に赴くのは「介」以下、ということになるのです。

9世紀、平安時代の初めの頃からの慣習です。奈良時代には臣下の上野守こうずけのかみが代々出ています。

そんなわけで、実質的には、他国の「守」と同じ位置にあるのが「上野介こうずけのすけ」「常陸介ひたちのすけ」「上総介かずさのすけ」となります。ややこしいですが。

話はここから。

吉良上野介は赤穂浪士に討ち取られました。

その前には、本多正純ほんだまさずみ。この人も、上野介を名乗っていましたが、宇都宮釣り天井事件(1622年)であえない最期でした。

江戸時代には、百官名で「上野介」をいただくのを、みなさん避けていました。不幸な死に方したくないから。

もう一人。小栗上野介忠順ただまさ

この幕末の能吏は、最初は豊後守だったのですが、阿部正外まさとうが豊後守だったため、はばかって百官名を変えようとしたようでして、とうぜん、空きのあった上野介を名乗ったとのこと。

阿部は後に老中となる人で、小栗とは格が違っていました。

小栗はそういうことには無頓着の人だったようです。

その結果が斬首に。悲劇です。

ま、そんなことが、佐藤雅美の『覚悟の人 ―小栗上野介忠順伝―』(岩波書店、2007年)にたしか載っていましたっけ。

三つの先例があるのなら、上野介は忌み名と呼ばれてもおかしくはありませんね。

東百官

あずまひゃっかん。

これはなにか。

関東地方、東国で行われていた慣習です。京都から遠く離れていたため、お侍のみなさんはけっこう好き勝手にやっていたわけなんですね。百官名もどきです。

頼母たのも」「平馬へいま」「一学」「左膳」「久米くめ」「求馬もとめ」「靱負ゆきえ」「右門うもん」といった、官職に似せた名、つまり、擬似官名とでもいうものが東国では広く流布していました。

もう、ここまでくれば、お武家の勝手し放題、なんでもあり、ですね。

東百官は「相馬百官」とも呼んでいたそうですから、これは、平将門が新皇しんのうに就いたときに始まったものなのでしょう。

それを思うと、関東独自のお家芸のようで、後世も大切にはぐくんでいきたいものです。

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しんしょうのなかにはっかーが!【志ん生の中にハッカーが!】志ん生雑感 志ん生!

テレビドラマ「VIVANT」(TBS系)が話題です。

8月6日放送の第4話では、丸菱商事のシステムを改竄して誤送金を仕組んだのは太田梨歩(飯沼愛)だったことが判明しました。

彼女宅から警視庁公安部が押収したブツの中には、なんと『昭和の名人 古典落語名演集20 五代目古今亭志ん生』(キングレコード)も。

渋いです。

このディスクが怪しいと睨んだ野崎守(阿部寛)。PCに差し込むと出囃子「一丁入り」が公安部内、場違いに響きわたります。

ディスプレイには「blue@walker」の文字が次々と表れて。太田梨歩は名うての暗躍ハッカーだったのでした。

志ん生とハッカー。

この盤には「首ったけ」「火焔太鼓」「幾代餅」が収録されています。お得です。

ドラマ後半では、乃木憂助(堺雅人)がじつは自衛隊内のかそけき組織「別班」の一員だったことが。

これには視聴者全員ビックリでしたが、それ以上の椿事はやはり志ん生CDにハッカー(の名)が潜んでいたことでしょう。まさに首ったけ。

このドラマの視聴者にどれほどの志ん生ファンが潜伏しているのかは知りませんが、私なんかは、その唐突ぶりに噴飯の吃驚を禁じ得ませんでした。

小道具づかいに長けた「VIVANT」。

スタッフの粋なセンスにほろ酔いますが、劇中、何度か映る神田明神境内の祠にも「ひょっとしてこれも?」なぁんて淡い勘繰りをつのらせます。

赤い饅頭が供えられていたりいなかったりと。謎めいてくるではありませんか。

お次は「饅頭こわい」とかね。饅こわと別班。渋辛なおもむきで迫ってきます。

古木優

首ったけ 五代目古今亭志ん生

さんゆうていきんちょう【三遊亭金朝】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1998年6月、三代目三遊亭小金馬(梅本勝久、1949-2018)に入門、金兵衛で
【二ツ目】2001年11月
【真打ち】2013年9月、四代目三遊亭金朝
【出囃子】猩猩くずし
【定紋】中陰鬼蔦
【本名】大橋岳登志
【生年月日】1975年9月21日
【出身地】千葉県成田市
【学歴】成田市立玉造中学校→東京学館高校→上武大学
【血液型】O型
【ネタ】中村仲蔵 一分茶番 藪入り 初天神 牛ほめ
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は雑俳、読書、いろんな人といろんな場所での飲酒。

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さんゆうていてんどん【三遊亭天どん】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年4月、二代目三遊亭円丈(大角弘、1944-2021)に入門
【前座】1997年9月、三遊亭天どん
【二ツ目】2001年5月
【真打ち】2013年9月
【出囃子】松の木小唄
【定紋】三ツ組橘
【本名】高野泰三
【生年月日】1972年8月12日
【出身地】東京都東久留米市
【学歴】埼玉大学教育学部
【血液型】O型
【ネタ】鰻の幇間 掛け取り万歳 紺屋高尾 芝浜 粗忽長屋 唐茄子屋政談 百年目 船徳 妾馬 らくだ など 新作も
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は演芸観賞。2007年、第17回北とぴあ若手落語家競演会北とぴあ大賞。2014年4月、平成25年度国立演芸場花形演芸大賞銀賞。2015年5月、平成26年にっかん飛切落語会飛切落語大賞奨励賞。

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きんげんていりょうま【金原亭龍馬】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年4月、金原亭伯楽に入門、小駒
【前座】1997年6月
【二ツ目】2000年11月
【真打ち】2013年9月、金原亭龍馬
【出囃子】すととん節
【定紋】鬼蔦 裏梅
【本名】平井健太郎
【生年月日】1972年10月6日
【出身地】千葉県千葉市
【学歴】日本大学経済学部中退 ※経商法落研
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は銭湯めぐり、ツーリング、三味線。2008年、第7回さがみはら若手落語家選手権日本文化情報会賞。2009年、第8回さがみはら若手落語家選手権日本文化情報会賞。

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かわやなぎつくし【川柳つくし】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年3月、川柳川柳(加藤利男、1931-2021)に、つくしで
【前座】1997年5月
【二ツ目】2000年11月
【真打ち】2013年9月
【出囃子】イエローサブマリン
【定紋】三ツ組橘
【本名】熊井佳奈子
【生年月日】1968年9月7日
【出身地】千葉県市川市
【学歴】早稲田大学教育学部国語国文学科近世文学専修(興津要ゼミ)→出版社で辞典編集→寄席通い
【血液型】B型
【ネタ】新作
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はオリジナルソング作り、歌のカバー。特技はウクレレ漫談。2008年4月、関東女子お笑い選手権ウクレレ漫談を演じ3位。2008年8月、関東女子お笑い選手権ショート落語を演じ3位。落語ガールズ。

落語ガールズ:女性落語家の認知・精進などを目的として、落語協会、落語芸術協会、落語立川流の真打、二ツ目のユニット。平成29年(2017)結成。現在のメンバーは、川柳つくし、林家ぼたん、古今亭駒子、三遊亭藍馬、立川小春志、三遊亭律歌、春雨や風子、柳家花ごめ、三遊亭遊かり、林家あんこ、春風亭一花、立川だん子、三遊亭遊七、三遊亭あら馬。



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ここんていぶんぎく【古今亭文菊】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】2002年11月、二代目古今亭円菊(藤原淑、1928-2012)に入門
【前座】2003年1月、古今亭菊六
【二ツ目】2006年5月
【真打ち】2012年9月、古今亭文菊
【出囃子】関三奴
【定紋】裏梅
【本名】宮川真吾
【生年月日】1979年2月23日
【出身地】東京都世田谷区
【学歴】学習院大学文学部史学科(堀越孝一教授)
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】真打ち襲名披露には十二世市川團十郎(ホンモノ)が寄席で口上。師匠の円菊は病のため欠席

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ここんていしんよう【古今亭志ん陽】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1998年12月、三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)に入門
【前座】1999年11月、朝松。2001年10月、初代古今亭志ん五(篠崎進、1949-2010)門下に                                     
【二ツ目】2003年5月、朝太。2010年9月、六代目古今亭志ん橋門下に
【真打ち】2012年9月、志ん陽
【出囃子】越後獅子
【定紋】鬼蔦
【本名】殖栗不二雄ふえくりふじお
【生年月日】1974年10月24日
【出身地】東京都北区
【学歴】農大一高→拓殖大学
【血液型】AB型
【ネタ】
【出典】落語協会 Wiki
【蛇足】RAKUGOもんすたぁず(古今亭志ん陽、柳家小傳次、柳家燕弥、春風亭三朝)



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しゅんぷうていいちのすけ【春風亭一之輔】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】2001年5月、春風亭一朝に入門
【前座】2001年7月、春風亭一之輔
【真打ち】2012年3月
【出囃子】さつまさ
【定紋】中陰光琳蔦
【本名】川上準一としかず
【生年月日】1978年1月28日
【出身地】千葉県野田市
【学歴】埼玉県立春日部高校→日本大学芸術学部
【血液型】A型
【ネタ】あくび指南 麻のれん 初天神 本膳 など
【出典】落語協会 Wiki YouTube
【蛇足】「笑点」(日本テレビ系)大喜利のレギュラー回答者(2023年2月5日~)。江戸東京落語まつり2023(2023年6月30日-7月5日、総勢36人)。



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しんきろうりゅうぎょく【蜃気楼龍玉】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年2月、六代目五街道雲助
【前座】1997年4月、五街道のぼり
【二ツ目】2000年6月、金原亭駒七。05年2月、五街道弥助
【真打ち】2010年9月、三代目蜃気楼龍玉
【出囃子】三下がり箱根八里
【定紋】裏梅
【本名】加藤暢彦
【生年月日】1972年11月10日
【出身地】埼玉県秩父市
【学歴】小鹿野高校
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は飲酒。2000年、岡本マキ賞。2008年、第18回北とぴあ若手落語競演会大賞。2014年4月、平成25年度国立演芸場「花形演芸大賞」銀賞。2014年、第69回文化庁芸術祭新人賞。2016年3月 、平成27年度国立演芸場「花形演芸大賞」大賞。



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さんゆうていおにまる【三遊亭鬼丸】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年1月、三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)に
【前座】1997年4月、三遊亭歌ご
【二ツ目】2000年6月、三遊亭きん歌
【真打ち】2010年9月、三遊亭鬼丸
【出囃子】草競馬
【定紋】中陰片喰
【本名】若生晃一
【生年月日】1972年8月31日
【出身地】長野県上田市
【学歴】東洋大学経営学部
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は浦和レッズと阪神タイガースの観戦。北とぴあ若手落語家選手権奨励賞。日本橋演芸大賞大賞。2020年3月、令和元年度彩の国落語大賞。



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はやしやきくまろ【林家きく麿】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1996年11月、林家木久蔵(木久扇)に、林家十八で
【前座】1997年3月
【二ツ目】2000年5月、林家きく麿
【真打ち】2010年9月
【出囃子】おおスザンナ
【定紋】光琳蔦
【本名】高田大輔
【生年月日】1972年7月16日
【出身地】福岡県北九州市
【学歴】福岡県立東筑高校
【血液型】
【ネタ】厩火事 転宅 など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は顔ハメパネルでの撮影。2010年、北九州市市民文化賞。2011年、北九州市文化大使



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いりふねていせんり【入船亭扇里】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1996年4月、九代目入船亭扇橋(橋本光永、1931-2015)に、入船亭扇ぱいで
【前座】1996年11月
【二ツ目】2000年5月、入船亭扇里
【真打ち】2010年9月
【出囃子】俄獅子
【定紋】蔦の葉
【本名】赤沼修一郎
【生年月日】1976年7月11日
【出身地】神奈川県横浜市
【学歴】横浜市立本郷中学校→神奈川県立永谷ながや高校
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は競馬、料理、日本史研究、絵本著述



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かつらぶんじゃく【桂文雀】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1996年5月、春風亭小朝に、春風亭あーちゃんで。1999年11月、二ツ目昇進、春風亭あ太郎。2000年12月、三代目桂文生に移門してふたたび前座、桂笑生
【二ツ目】2002年5月
【真打ち】2010年3月、三代目桂文雀
【出囃子】早木魚
【定紋】結び柏
【本名】斎藤匡彦
【生年月日】1972年12月11日
【出身地】神奈川県横浜市→千葉県四街道市
【学歴】駒澤大学
【血液型】A型
【ネタ】明烏 風の神送り 伽羅の下駄 近日息子 さじ加減 写真の仇討ち 佃祭 虎の子 中村仲蔵 八問答 鼻ねじ 浜野矩随 竃幽霊 表彰状
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は図書館通い、献血、自転車。2006年、北とぴあ若手落語家選手権奨励賞。2009年、東西若手落語家コンペティション優勝。2015年、第70回文化庁芸術祭新人賞。



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やなぎやさんのすけ【柳家三之助】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1995年9月、十代目柳家小三治(郡山剛蔵、1939.12.17-2021.10.7)に
【前座】1996年5月、柳家小ざる
【二ツ目】1999年11月、柳家三之助
【真打ち】2010年3月
【出囃子】都鳥
【定紋】変わり羽団扇 五瓜に雲上機
【本名】溝口博之
【生年月日】1973年5月1日
【出身地】千葉県銚子市
【学歴】上智大学経済学部
【血液型】O型
【ネタ】朝友 など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は旅客機に関する全ての現象、観劇、パソコン、小楽器、カメラ、ウイスキー(の他酒全般)、水泳。



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さんゆうていそうき【三遊亭窓輝】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1995年10月、六代目三遊亭圓窓(橋本八郎、1940-2022)に
【前座】1995年11月、三遊亭窓輝
【二ツ目】1999年11月
【真打ち】2010年3月
【出囃子】新曲浦島
【定紋】三ツ組橘
【本名】橋本大樹
【生年月日】1970年4月16日
【出身地】東京都豊島区
【学歴】明大中野高校
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はプロ野球(中日ファン)、若手芸人野球チームR 監督。実父は六代目三遊亭圓窓



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かつらぶんぶん【桂文ぶん】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1995年10月、三代目桂文生に、桂文々
【二ツ目】1999年9月、桂文ぶん
【真打ち】2010年3月
【出囃子】さいごどん
【定紋】結び柏
【本名】蓮見英俊
【生年月日】1969年12月25日
【出身地】埼玉県志木市
【学歴】西武台高校
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はサッカー観戦。



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やなぎやこせん【柳家小せん】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1997年2月、鈴々舎馬桜に、鈴々舎わか馬で
【前座】1997年4月
【二ツ目】2000年6月。06年1月、十代目鈴々舎馬風に移門
【真打ち】2010年9月、五代目柳家小せん
【出囃子】せり
【定紋】中陰花菱
【本名】河野重信
【生年月日】1974年6月28日
【出身地】神奈川県横浜市戸塚区
【学歴】明治学院大学国際学部国際学科
【血液型】B型
【ネタ】金明竹 紋三郎稲荷 など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は音楽関係いろいろ。2002年、北とぴあ若手落語家競演会大賞。2010年、第1回落語協会大喜利王選手権優勝。2010年、初代落語協会大喜利王。三K辰文舎



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ここんていきくたろう【古今亭菊太楼】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1995年5月、二代目古今亭円菊(藤原淑、1928-2012)に
【前座】1995年7月、古今亭菊一
【二ツ目】1999年5月、古今亭菊可
【真打ち】2008年9月、古今亭菊太楼
【出囃子】紀文大尽
【定紋】裏梅
【本名】西村一郎
【生年月日】1968年6月28日
【出身地】長崎県生まれ→千葉県育ち
【学歴】早稲田大学商学部中退
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は散歩、そうじ



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ここんてい しんまる【古今亭 志ん丸】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1994年4月、六代目古今亭志ん橋に、古今亭きょう助で
【二ツ目】1999年5月、古今亭志ん太
【真打ち】2008年9月、三代目古今亭志ん丸
【出囃子】四季の山姥
【定紋】鬼蔦
【本名】永井隆之
【生年月日】2月7日
【出身地】埼玉県深谷市
【学歴】本庄高校→城西大学 ※落研
【血液型】
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はおいしいものを食べること、感動する話を聞くこと、笑顔を見ること、笑い声を聞くこと。2005年、にっかん飛切落語会奨励賞。2006年、にっかん飛切落語会努力賞。



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しゅんぷうていももえ【春風亭百栄】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1995年2月、七代目春風亭栄枝(天津征、1938-2022)に、春風亭のり太で
【前座】1995年6月
【二ツ目】1999年5月、春風亭栄助
【真打ち】2008年9月、春風亭百栄
【出囃子】月の巻
【定紋】丸に花菱
【本名】青木規雄
【生年月日】1962年9月3日
【出身地】静岡県静岡市
【学歴】静岡学園高校→放浪→ロサンゼルス寿司店
【血液型】AB型
【ネタ】ひっかけ免許筆記試験 江戸っ子検定 チャキチャキ級
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はニャーDEミャー、「月かよ」の朗読。2007年、花形演芸大賞銀賞。2011年、第3回落語協会大喜利王選手権優勝。11年、第三代落語協会大喜利王。大江戸台風族の台風4号。アブノーマルな世界観の新作中心



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さんゆうていうたやっこ【三遊亭歌奴】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1995年3月、三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)に
【前座】1995年6月、三遊亭歌きち
【二ツ目】19999年5月、三遊亭歌彦
【真打ち】2008年9月、四代目三遊亭歌奴
【出囃子】供奴
【定紋】片喰
【本名】柴田陽介
【生年月日】1977年3月19日
【出身地】大分県大分市
【学歴】大分大学教育学部附属小・中学校→大分県立大分商業高校
【血液型】O型
【ネタ】うどん屋 応挙の幽霊 お神酒徳利 掛け取り(寅屋登場の歌奴オリジナル版) 片棒 子別れ 肝つぶし 芝浜 立ち切り 試し酒 好きと恐い ねずみ 寝床 船徳 棒鱈 妾馬 淀五郎 五貫裁き 小間物屋政談 さじ加減 三方一両損 大工調べ 阿武松 小田原相撲 越の海 佐野山 花筏 授業中 電話の遊び
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は旅行、相撲鑑賞、寅さん鑑賞、カラオケ。2002年、第12回北とぴあ若手落語家競演会大賞。2007年、水天宮ロイヤルパークホテル主催落語一番勝負古典部門優勝。2008年、さがみはら若手落語家競演会大賞。2010年、2010年彩の国落語大賞。



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さんゆうていかきつ【三遊亭歌橘】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1994年9月、三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)に、三遊亭歌いちで
【前座】1995年3月
【二ツ目】1999年5月、三遊亭あし歌
【真打ち】2008年9月、三代目三遊亭歌橘
【出囃子】八木節
【定紋】片喰
【本名】恩田龍也
【生年月日】1976年6月24日
【出身地】栃木県足利市
【学歴】青藍泰斗高校(旧葛生高校)
【血液型】A型
【ネタ】電報違い 品川心中 坊主の遊び 紺田屋 西行 我孫子宿(飯島やへい作)【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は読書。



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やなぎやがたろう【柳家我太楼】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1994年10月、三代目柳家権太楼に、柳家太助で
【二ツ目】1998年11月
【真打ち】2007年3月、柳家我太楼
【出囃子】晒しくずし
【定紋】丸にくくり猿
【本名】尾形貴志
【生年月日】1970年8月17日
【出身地】埼玉県岩槻市(さいたま市)
【学歴】岩槻市(埼玉市)立柏陽中学校→大相撲東関部屋床山
【血液型】A型
【ネタ】寿限無 時そば 親子酒
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は海外旅行、ゴルフ。大江戸台風族の台風3号



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しゅんぷうていりゅうちょう【春風亭柳朝】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1994年8月、春風亭一朝
【前座】1994年10月、春風亭朝吉ちょうきち
【二ツ目】1998年11月、春風亭朝之助ちょうのすけ
【真打ち】2007年3月、六代目春風亭柳朝
【出囃子】てんつつ合方
【定紋】中陰光琳蔦
【本名】谷田正宏
【生年月日】1970年8月28日
【出身地】静岡県静岡市
【学歴】北海道立札幌旭丘高校→日本大学法学部
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は銭湯めぐり、美しいものを愛し感じふれる(着物、美人、景色)、ハンズ、歴史探訪(有名人の墓めぐり・京都検定)、好物(麺類・坦々ごま鍋・焼肉・豆腐・しゃぶしゃぶ・オムライス・コーヒーなど)、鉄道の旅。1995年、第1回岡本マキ賞。2002年、北とぴあ若手落語会奨励賞



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