こほめ【子ほめ】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

他人の子。
心にもなくほめる。
いやあ、気を使います。
愚者が半端に真似して。
失敗するおかしさが秀逸。

別題:年ほめ 赤子ほめ(上方)

あらすじ

人間がおめでたくできている熊五郎がご隠居のところに、人にただ酒をのましてもらうにはどうすればいいかと聞いてくる。

そこで、人に喜んでごちそうしようという気にさせるには、まずうそでもいいからお世辞の一つも言えなけりゃあいけないと教えられ、例えば、人は若く言われると気分がいいから、四十五の人には厄(四十一~三歳)そこそこ、五十なら四十五と、四、五歳若く言えばいいとアドバイスされる。

たまたま仲間の八五郎に赤ん坊が生まれたので、祝いに行けば酒をおごってもらえると算段している熊公、赤ん坊のほめ方はどうすればいいか聞くと、隠居がセリフを教えてくれる。

「これはあなたさまのお子さまでございますか。あなたのおじいさまに似てご長命の相でいらっしゃる。栴檀せんだん双葉ふたばより芳しく、じゃすんにしてその気をのむ。私も早くこんなお子さまにあやかりたい」

喜んで町に出ると、顔見知りの伊勢屋の番頭に会ったから、さっそく試してやろうと、年を聞くと四十歳。

四十五より下は聞いていないので、むりやり四十五と言ってもらい、
「えー、あなたは大変お若く見える」
「いくつに見える?」
「どう見ても厄そこそこ」
「ばか野郎ッ」
としくじった。

さて、八つぁんの家。

男の子で、奥に寝ているというから上がると、
「妙な餓鬼がきィ産みゃあがったな。生まれたてで頭の真ん中が禿げてやがる」
「そりゃあ、おやじだ」

いよいよほめる段になって、
「あなたのおじいさまに似て長命丸ちょうめいがんの看板で、栴檀の石は丸く、あたしも早くこんなお子さまにかやつりてえ」
「なんでえ、それは」
「時に、この赤ん坊の歳はいくつだい?」
「今日はお七夜だ」
「初七日」
「初七日じゃねえ。生まれて七日だからまだ一つだ」
「一つにしちゃあ大変お若い」
「ばか野郎、一つより若けりゃいくつだ」
「どう見てもタダだ」

しりたい

これも『醒睡笑』から

安楽庵策伝あんらくあんさくでんの『醒睡笑せいすいしょう』(「てれすこ」参照)巻一中の「鈍副子どんふうす 第十一話」が原話です。副子とは、禅寺の会計を担当する僧侶のこと。

これは、脳に霞たなびく小坊主が、人の歳をいつも多く言うというので和尚にしかられ、使いに行った先で、そこの赤ん坊を見て、「えー、息子さんはおいくつで?」「今年生まれたから、片子かたこですよ」「片子にしてはお若い」というもので、「子ほめ」のオチの原型になっています。片子とは、満一歳未満の子、赤子をさします。

小咄こばなしがいくつか合体してできた噺の典型で、自由にくすぐり(ギャグ)も入れやすく、時間がないときはいつでも途中で切れる、「逃げ噺」の代表格です。

大看板も気軽に

そういうわけで、「子ほめ」は、逃げ噺、前座噺として扱われます。

五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、三代目金馬(加藤専太郎、1894-1964)といったかつての大物も、時々気軽に演じました。

五代目春風亭柳朝(大野和照、1929-1991)の、ぶっきらぼうな口調も耳に残っています。

オチは、満年齢が定着した現在は、通じにくくなりつつあるため、難しいものがあります。

上方の三代目桂米朝(中川清、1925-2015)は、「今朝、生まれたばかりや」「それはお若い。どう見てもあさってに見える」としていました。

蛇は寸にしてその気をのむ

「その気を得る」「その気を顕す」ともいいます。

解釈は「栴檀せんだん双葉ふたばより芳し」と同じで、大人物は幼年からすでに才気を表している、という意味。「寸」は体長が一寸(3cm)の幼体のことです。

長命丸は四つ目屋から

俗に薬研堀やげんぼり、実は両国米沢町の「四つ目屋」で売り出していた強精剤、催淫剤です。

四つ目屋は、このほか「女悦丸」「朔日丸」(避妊薬)など、その方面のあやししげな薬を一手に取り扱っていました。

両国といわれると、いまではつい両国駅あたりを思い浮かべてしまいますが、四つ目屋の両国は両国橋西詰で、日本橋側です。となると、だいぶ印象が違ってきます。

さて、長命丸。

田舎のおやじが、長生きの妙薬と勘違いして長命丸を買っていき、セガレの先に塗るのだと教えられていたので、さっそく、ばか息子の与太郎の頭に塗りたくると、夜中に頭がコックリコックリ持ち上がった、という艶笑噺があります。

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こごろし【子殺し】落語演目

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【どんな?】

父母が逝った赤ん坊。
五十両付きで養育する借金夫婦は。
陰惨丸出しの噺。
落語ってすごい。
これで笑わせるんですから。
変化球の演目ですね。

【あらすじ】

亭主の働きが悪く、借金取りに責めたてられて、大家にも店立てをくっている夫婦。

いっそ夜逃げをしようと相談中に、知人が尋ねてくる。

ある家で、かみさんが産後の肥立ちが悪くてとうとう死んでしまい、亭主もその跡を追うようにあの世へ行ってしまって、赤ん坊だけ残された。

どこか育ててくれる人はないかと、亭主の兄弟分に頼まれたが、心当たりはないかという相談。

なんでも、引き取ってくれる人には、五十両の養育費を付け、赤ん坊の着物も添えるというので、夫婦は金にひかれて、その子をもらい受けることにした。

その五十両で借金もきれいに返し、一息ついてほっとしたものの、こうなると、じゃまになるのが赤ん坊。

もともと金づくでしかたなく引き取ったもので、ピイピイ泣いて手間がかかり、夜も寝られないとあって、
「五十両ぽっちの目腐れ金でこの先も居すわられたのでは割りに合わねえからいっそ片付けちまおう」
と亭主が言い出す始末。

絞め殺したのでは喉に痕がついてバレるからと一計を案じ、湯に連れていって温め、こたつの脇で布団をかぶせて押さえつけた。

しばらくして見てみると、赤ん坊の死骸は、注文通り、真っ赤。

これを医者に見せ、
「疱瘡で亡くなりました」
と言い立ててさっさと葬式を出し、遺留品もきれいに始末してしまう。

以来、悪行が実を結んでか、にわかに金回りがよくなった夫婦。

そうなると亭主の気が大きくなり、吉原のお女郎になじんで、十日も二十日も帰らない。

おもしろくないのがかみさんで、ある日、やっと帰ってきた亭主をつかまえて責めたてたあげく、赤ん坊殺しの件まで大きな声でしゃべり出すので、亭主は仰天。

そんなことがお上に漏れれば、首と胴が泣き別れになると必死になだめすかす。

「もう決して家は明けない」
と謝って、
「おまえと久しぶりに一杯やろうと酒屋に一升頼んできたから、湯に行っている間に届いたら燗をつけておいてくれ」
と、言い残して出ていく。

ところが天の網、さっきのかみさんの声が人に聞かれて、訴人されたか、奉行所の捕り手が四方から家を囲んだ。

「御用だっ」
「おや、酒屋さんかい」

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【しりたい】

江戸の嬰児虐待

陰惨な噺で、特に現在の社会状況を考えると、リアルすぎてシャレになりません。

百年二百年たとうが、人の世は同じことの繰り返しということでしょうか。

いずれにせよ、資料的価値以外にはないでしょう。

原話も不明で、速記は明治32年(1899)の初代三遊亭円左のみ。

この円左以前も以後も、まったく口演資料がないところをみると、あるいは、これ限りの円左の新作かもしれません。

御用聞き

酒屋に限ってこう呼びました。徳利拾いともいいます。

まず酒の御用を聞き、それから味噌醤油と、二、三回も、御用は御用はと聞くのでついた名とか。

オチは、お上の御用を承る目明しの「御用聞き」と掛けています。

初代円左は、わざわざマクラでそのことを説明していて、当時でさえ、後者の意味がわからなくなりかけていたことがうかがえます。

ここで円左は、江戸時代の目明しを「おてききしゅう」と呼び、速記で「御探偵衆」と当て字させています。そのあたりは、いかにも明治のにおいがします。

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