あさのれん【麻暖簾】落語演目

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【どんな?】

落語の按摩さんは、なぜか強情な人が多いです。

別題:按摩の蚊帳

【あらすじ】

按摩の杢市は、強情で自負心が強く、目の見える人なんかに負けないと、いつも胸を張っている。

今日も贔屓のだんなの肩を揉んで、車に突き当たるのは決まってまぬけな目の見える人だという話をしているうちに夜も遅くなった。

だんなが泊まっていけと言って、離れ座敷に床を取らせ、夏のことなので、蚊帳も丈夫な本麻のを用意してくれた。

女中が部屋まで連れていくというのを、勝手知っているから大丈夫だと断り、一人でたどり着いたはいいが、入り口に麻ののれんが掛かっているのを蚊帳と間違え、くぐったところでぺったり座ってしまう。

まだ外なので、布団はない。

いやに狭い部屋だと、ぶつくさ言っているうちに、蚊の大群がいいカモとばかり、大挙して来襲。

杢市、一晩中寝られずに応戦しているうち、力尽きて夜明けにはコブだらけ。

まるで、金平糖のようにされてしまった。

翌朝、だんながどうしたのと聞くので、事情を説明すると、だんなは、蚊帳をつけるのを忘れたのだと思って、杢市に謝まって女中をしかるが、杢市が蚊帳とのれんの間にいたことを聞いて苦笑い。

「いったい、おまえは強情だからいけない」
と注意して、
「今度は意地を張らずに案内させるように」
と、さとす。

しばらくたって、また同じように遅くなり、泊めてもらう段になった。

また懲りずに杢市の意地っ張りが顔を出した。

だんなが止めるのも聞かず、またも一人で寝所へ。

今度は女中が気を利かせて麻のれんを外しておいたのを知らず、杢市は蚊帳を手で探り出すと
「これは麻のれん。してみると、次が蚊帳だな」

二度まくったから、また外へ出た。

底本:五代目古今亭志ん生

スヴェンソンの増毛ネット

【しりたい】

ジュアル落語の典型

原話は不明です。この噺を得意にしていた晩年の三代目小さんの、「按摩の蚊帳」と題した速記(大正13年)が残されています。

もともとオチを含め、「こんにゃく問答」などと同じく、実際に寄席で「目で見る」噺なので、速記も少なく、音源もあまりありません。

昭和に入って、ラジオ放送やレコードが盛んになっても、このため、これらのメディアに取り上げられることも少なかったようです。

小さんにはオチのところに工夫があります。

杢市が最初、のれんにそっと触れ、次に両手を広げて大きな動作で触るというものです。

これも、目で見ていないとその芸の細かさはわからないでしょう。

オチも普通に寄席で演じるときはしぐさオチで、蚊帳の外に出たところを動作で表現しますが、レコードやラジオではそうはいかず、戦後この噺を一手専売にした五代目古今亭志ん生も、速記では「また向こうへ出ちゃった」と地の説明で終わっています。

志ん生の隠れた逸品

戦後は五代目志ん生の独壇場でした。志ん生がいつ、誰からこの噺を教わったか、よくわかりません。やり方は三代目小さんのものを踏襲しながら、「目をあいてりゃァなんか見りゃァほしくなってくるでしょ?……それェ見ただけで、エエほしいなッと思うことが、自分の思ったことが通らない。じゃァ情けないじゃァありませんか。それよか目が見 め)えなきゃなんにも見ないですからねェ、ええ。これいちばんいいですよォ。ああァ目あきは気の毒だ……」というようなセリフに、杢市の片意地、負けず嫌いと、その裏にある身障者の屈折した心理が、より色濃く出ているといえるでしょう。

志ん生没後は、五代目小さんが時々演じたくらいで、現在はあまりやり手がいません。

三代目小さん以来、前半に杢市がだんなに語る、提灯を持っていて暗闇で人に突き当たられ、「おまえさんみたいな、そそっかしい目あきに突き当たられんのが嫌だから、こうやって提灯を持ってるんだァ」と毒づいたはいいが、実は提灯の灯はもともと消えていた、という体験談を入れるのがお決まりです。こうした内容も、昨今ではいろいろな意味で誤解を生じやすく、やりにくくなっているのが現状でしょう。

蚊帳にもいろいろ

蚊帳は、古くは竿を通し、天井から吊り下げました。

部屋の大きさによって、五六 (五六は縦横の割合。三畳用)や六七(四畳半用)などの種類がありました。これを「箱蚊帳」といいます。

子供用、または一人用のは簡易な「幌蚊帳」です。

材質は麻がいちばん。軽くて丈夫で風通しがよくて雷除けにもなりました。

麻と木綿との混織もありましたが、蚊帳はなんといっても麻にかぎりました。

この噺で杢市が寝かされるのは八畳間で、本式には八十のサイズになりますが、三代目小さんの速記では六八(正確には七八。六畳用)で代用しています。

女性の按摩さん

按摩は按摩取ともいい、マッサージ、鍼灸師の古称です。

この仕事は江戸時代には目の不自由な人がほとんどでした。

四世鶴屋南北作の歌舞伎『東海道四谷怪談』の宅悦、同じく黙阿弥作『加賀鳶』の熊鷹道玄とおさすりお兼のように、健常者もいました。

女性の按摩さんもけっこう多かったようです。

女性の按摩さんには按摩以外にも売春をする人もいたようです。「枕つきのもみ療治、二朱より安い按摩はしないよ」と居直る、尾上多賀之丞のお兼のセリフは有名です。

男性の按摩は「当道座」という全国的な互助組合が組織させていました。

女性の按摩には「瞽女座」がありました。

「盲御前」がなまって「瞽女」となったということです。

こちらは全国組織ではなく、駿河、甲斐、信濃、越後あたりに留まり、多くは藩が抱えていました。

瞽女の主たる仕事は三味線を弾いて歌謡して流すこと。

とりわけ、長岡藩では藩主牧野氏と縁故があった山本ごいが瞽女頭となり、瞽女屋敷を拝領、継承は徒弟制でした。

代々の瞽女頭は「ごい」を名乗りました。

何人かで連れ合って各地を巡遊し、昼は門付け、夜は瞽女宿で寄席を催して地域の人々をなごませました。

振りの按摩さん

流しのもみ療治を「振りの按摩」といいましたが、振りでも固定客がつけば、なかなか羽振りはよくなります。

「按摩上下十六文」と、芝居の中でよく朗誦して流していく按摩が登場しますが、実際は三十二文から四十八文が相場。

自宅で診療所のように「足力」を営む場合は、鍼灸付きで幕末には百文。

ステータスと技術は、「振り」とは段違いに本格でした。

「あんまはりの療治」というその看板の文句は「あやまった(しまった)」という意味の地口として、「あやまはりの……」と、よく使われました。

いちな

この噺に登場するのは「杢市」で、芝居や落語に登場する按摩さんはよく「徳の市」とか「恭城」とか、名前の後に「いち」が付いています。

これは、かつて琵琶法師にだけ与えられた「城」「都」「市」「一」「壱」(いずれも「いち」と読みます)の字を名前に添える「いちな」というものです。

検校、勾当、座頭、衆分の順で格付けされた当道座(按摩、琵琶法師など視覚障害者の同業組合)の世界で通用する認定証のような名称でした。

江戸時代になると、当道座とは関係のない人たちも「いちな」を付けるようになっていきました。

【語の読みと注】
按摩 あんま
瞽女 ごぜ
杢市 もくいち
贔屓 ひいき
当道座 とうどうざ
瞽女座 ごぜざ
足力 そくりき

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