ちりからは鼓、たっぽうは大鼓の擬音語。そこから、芸者を揚げてにぎやかで陽気なお座敷をこう言いました。「だいようき(大陽気)」も同義。
正岡容は『明治大正風俗語事典』で、鳴り物入りの座敷は吉原に限るので、新宿などの「岡場所」の遊郭にはない、という説を紹介しています。
本所の達磨横丁を出て、全盛の吉原へやってきたが、ちりからたっぽう大陽気、両側はもう万燈のようで……。
文七元結
500題超。演目ごと1000字にギュッと。深いところがよくわかる。
落語の演目に登場することばを解説します。独特の表現や転訛などでわかりにくくなっている、よく出てくることば500が対象です。
ちりからは鼓、たっぽうは大鼓の擬音語。そこから、芸者を揚げてにぎやかで陽気なお座敷をこう言いました。「だいようき(大陽気)」も同義。
正岡容は『明治大正風俗語事典』で、鳴り物入りの座敷は吉原に限るので、新宿などの「岡場所」の遊郭にはない、という説を紹介しています。
本所の達磨横丁を出て、全盛の吉原へやってきたが、ちりからたっぽう大陽気、両側はもう万燈のようで……。
文七元結
そそのかす、けしかけるの意味。「そくら(嘱賂)」はけしかける、煽動する、悪知恵を授けること。
訛って「そこら」「そくろ」とも発音しました。語源はよくわかりません。単独に使われることはなく、「かう」は「飼う」で、古い用例で毒を盛ること。
そこから転じて、耳によからぬ悪知恵などを吹き込むことを言いました。
おおかた誰か、そくらをかった奴があるのでございますが、私は少しも覚えがない。
蝦夷錦古郷之家土産(三遊亭円朝)
一蓮托生で悪事をする共犯者のこと。
芝居では特に、二人でゆすりに押しかける片割れをこう呼びます。
現代でも使われる「あいぼう(相棒)」の漢字を当て字に使う場合もありますが、同義の「尻押し」とともに、こちらは単に協力者の意味で、必ずしも悪事の共犯とは限りません。
もっとも有名な用例としては、河竹黙阿弥の世話狂言『弁天小僧』「浜松屋店先の場」です。
正体が露見した弁天小僧の「知らざあ言って…」の名乗りに続く相棒の南郷の「その相摺の尻押しゃあ…」という七五調のツラネ(続きゼリフ)があります。語源としては「あいづり(相吊)」または「あいづれ(相連)」が転じたものとされます。
押さえるとたんに、両方の頭からすっと引っこ抜いた。あいずりの長五郎ィ渡して、こいつがばらばらばらばらばらばらっと逃げ出したんで……。
双蝶々(六代目三遊亭円生)
店屋物をとってもらうときに使うことば。落語にはよく出てきます。
もうめんどうくせえから、うなぎでもそういってもらいましょう。
湯屋番
大通りに対する小道。通りから分かれた小道。
表通りに入り口がある横丁で、地主が管理する私道。地主と町会所の相談で公許を得て造る道。
長谷川町の三光新道のな、常磐津の「かめもじ」ってのをちょいと呼んできてもれえて。
百川
文字通りの「物陰からこっそり見る」から、義理にでもたまには挨拶に来る、顔を見せるの意味。
ほとんどは否定語を伴って「かげのぞきもしない」で、「不義理をする、まったく顔を見せない」という非難の言葉になります。
このフレーズ、古い江戸の言葉で、『全国方言辞典』(佐藤亮一編、三省堂)には記載がありますが、なぜか『日本国語大辞典』(小学館)にも、『江戸語の辞典』(前田勇編、講談社)にも、項目がありません。
慣用表現としては死語となっても、直訳的におおよそ意味が推測できるからでしょうか。
宇野信夫(1904-91、劇作家)が、1935年(昭和10)に六世尾上菊五郎(寺島幸三、1885-1949、音羽屋)のために書き下ろした歌舞伎脚本「巷談宵宮雨」。
この中で、「影覗き」をセリフに用いました。
宇野は、大御所の岡鬼太郎(1872-1943、劇評家)から「あなたはお若いのに、かげのぞきという言葉をお使いになった」と褒められた、ということです。
こんなのが逸話に残るほど、昭和に入ると「影覗き」は使われなくなっていたようです。
当の宇野だって、生まれは埼玉県本庄市で、熊谷市育ち。長じて、慶応に通い出してから浅草で暮らしていたという、えせもの。
この言葉がはたして血肉になっていたのかどうか、あやしいものです。
とまれ、昭和初期にはすでに、老人語としてのほかは、東京でもほとんど忘れ去られていたということでしょうかね。
用のある時は来るけれども、さもなきゃかげのぞきもしやがらねえ。たまには出てこいよ。
雪の瀬川(六代目三遊亭円生)
江戸の町人特有の、縁起直しの呪文。
相手に不吉なこと、不浄なことを言われた後、必ず間を置かずに「つるかめつるかめ」と重ねて唱えます。
鶴と亀はともに長寿のシンボル。
縁起のいいものとされていたからで、いうなら精神的な口直しでしょう。
芝居では黙阿弥の代表的な世話狂言「髪結新三」で、大家に「オレに逆らったらてめえの首は胴についちゃあいねえんだ」と脅かされた小悪党の新三が、すかさず大げさに唱えて震える喜劇的なシーンが印象的です。
昭和初期までは老人の間では普通に使われていたと思います。
恐怖の度合いが強い場合は、さらに「万万年」を付けて呪力を強化します。
後家安「それじゃあちょっとおらあ行ってくるから」
お藤「また竹の子かえ」
後家安「縁起でもねえ、鶴亀鶴亀」
鶴殺疾刃包丁(後家安とその妹)
「竹の子」は博打のこと。剥かれるところから。
『明治東京風俗語事典』(正岡容)には「つるかめつるかめ」の項目が立っていて、「ツルもカメもめでたい動物なので、縁起の悪いときにこうとなえる」とあります。
この本は、典拠をすべて円朝作品から採取しているので、出元は同じでした。
【RIZAP COOK】 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席 寄席
「敷居が高い」の洒落。
「敷居が高い」とは、相手に不義理のある場合に使うことで、格式ある家や老舗に入りにくいことの意に使われることが多く、これは誤用です。
このことばの正しい使い方、六代目円生が範を垂れていました。
うかがわなくてはならんのですが、どうもオタクには敷居が鴨居になっちまって。なにしろ借金がそのままですし。
六代目三遊亭円生
鼠が入ってこないように隙間をなく作った食器棚。
だれだい。鼠入らずの中に首つっこんでるのは。六さんかい。
品川心中
配合具合や病状にによっては毒となる薬のこと。
例えば、バッファリンなどの血液をサラサラにする薬を間違って血友病患者などが服用すれば、敵薬どころか死薬となりかねません。
これが広く現代にもあてはまるのは、純粋に調剤される医薬品としての薬だけでなく、広く栄養素や、それらを含む食物にも当てはまる故です。
別に洒落ではないのですが、同音異義語の「適薬」の部分的な対義語となります。
ビタミン過多、脂肪過多などはもちろん「敵薬」のうちで、肉類の食べすぎや糖分、塩分の過剰摂取も、広い意味の「敵薬」。
この意味が転じて、鰻と梅干などのいわゆる「食い合わせ」も敵薬と呼ばれることがありました。
この場合、経験則のみで科学的根拠は怪しいものが多いのですが、とにかく、後から食べた方の食材が敵薬とされるわけです。
もう一つ、近代では、樋口一葉の「大つごもり」に「金は敵薬」とあり、抽象的な使用例も加わってきています。
「ちんちん鴨」と縮めた形もありますが、きれいごとで言えば、男女の仲がむつまじいことで、悪く言えば、いちゃついて見ていられないさま、をさします。
そこからさらにエスカレートして、文字通りの濡れ場、くんずほぐれつの交合そのものの隠語ともなりました。
「かもかも(鴨鴨) 」 は単なる語呂合わせです。
一説には、鴨肉は薬食いとして、江戸では美味で貴重品だったことから連想して、女の肉体そのものの象徴としてくっついたともいわれます。
うがってみれば、ドン・ジョバンニやカサノバのような女たらしには、すべての女はまさしく鴨(獲物)、「ヘイ、カモン」だったこともあるでしょう。
置炬燵で、ちんちん鴨だか家鴨だか。
三遊亭円朝「敵討札所の霊験」
鉄瓶がかっかと熱くなる擬音語から、嫉妬に胸を焦がす意味です。
これは男の場合にも言いますが、ほとんどは女のヤキモチ。
「熱い」の意味から、まったく反対の嫉妬される側、すなわち熱々の恋人同士を指すことも。
この場合には次項の「ちんちんかもかも」として使われた場合が大半です。
花魁の方じゃ、いやな芸者じゃあないかってんで、ちんちんを起こして、あっしを夜っぴて花魁が寝かさない。
ちきり伊勢屋
けちん坊、吝嗇である、の意味です。
「ケチくさい」のニュアンスから「貧弱な」「取るに足りない」という意味も派生しました。
語源は、「大言海」によると、「あた(あだ)」は蔑みの意味を表す接頭語、「しけない」は「しわけなし(い)」が縮まった言葉で、「しわい=ケチ」の古い形です。
江戸っ子風の洒落言葉として「あたじけなすび(茄子)」という表現もあります。
これは文字通り「ケチん坊」のことで、感謝の意味の「かたじけなすび」とまったく同型です。
ふだんあだじけない嘉藤太が平松なぞへ連れて参ってあれを喰え是をたべろと馳走致しますのは不思議な事だと。
三遊亭円朝「敵討霞初島」
【語の読みと注】
平松 ひらまつ:料亭の名
徹底的に否定的なニュアンスで「気取って」「きざったらしく」「半可通に」という悪口。
「いい間」というのはやはり、歌舞伎から来ているのでしょう。
役者が絶妙の間(タイミング)で見栄を切るのをまねて、オツに気取って見栄を張り、上から目線で鼻持ちならない粋人気取りのことです。
勘違いでおのれに酔いしれているような人間は、今の世にも掃いて捨てるほどいますね。
おれもいい間のふりをして、ああ、弥助でもいれな、なんて高慢なつらをしたんだが。
【語の読みと注】
弥助 弥助:すし
ばかな、異常な。
定説となっている語源は、寛文年間(1661-73)に大評判になった見世物から。
当時の随筆『本朝世事談綺』(菊岡沾凉)には、「寛文十二年の春、大坂道頓堀に、異形の人を見す。其貌醜き事たとふべきもなし。頭するどくとがり、眼まん丸にあかく、おとがひ猿のごとし」とあります。
後世に伝えられるほどのインパクトだったのでしょう。
井原西鶴も、その十六年後の貞享5年(元禄元年、1688)出版『日本永代蔵』巻四の三で「ある年は形のおかしげなるを便乱坊と名付、毎日銭の山をなして」と書いています。
ごく普通の人間にこうした粉飾を施したインチキだった可能性は十分ありますが。この「人物」、全身真っ黒で、愚鈍なしぐさを見せて客の笑いを取ったことから、後年、江戸で「阿呆、愚か者」という意味の普通名詞として定着。
「あたりまえ」と語呂合わせで結びついて「あたぼう」という造語も生まれました。「べらんめえ」も、「べらぼうめ」が崩れた形です。
その他、形容動詞化して(悪い意味の)「はなはだしい」「むやみな」「法外な」という意味が加わりました。
「箆棒」と書くのは、ペラペラの箆で穀(ごく=雑穀)を押しつぶすような愚か者の意味であと付けしたもので、「ごくつぶし」と同義語です。「やんま久次」で、胸のすくようなオチに使われていますね。
俺の屋敷に俺が行くのに、他人のてめえの世話にはならねえ。大べらぼうめェ。
あたりまえだ、当然だ。
悪態やタンカによく使われる、「当たり前だ」「当然だ」を意味する江戸語ですが、これ、高座の噺家始め一般の解釈では「当たり前(あたりめえ)だ、べらぼうめ」が縮まった形とよく言われます。
「べらぼう」は、寛文年間(1661-73)に評判になった見世物に由来し、「ばか」の意味ですから、「当たり前」の後に江戸下町の職人特有の、罵言の形の強調表現が付いた形。
この説明にはいささか、補足が必要です。
言葉の変化としては、以下の順番になります。
「当たり前」→「あたりき」→「あた」
どんどん縮まり、もっとも短くなった「あた」に、擬人化の接尾語「坊」が付いた形ですね。
「坊」は親しみをこめた表現で、「あわてん坊」などと同じです。
これは文政2年(1819)にものされた随筆『ききのまにまに』に「当り前といふ俗言を、あた坊と云ことはやり」とありますから、そう古い造語ではなさそうです。
本来「べらぼう」とは別語源なので、誤解されやすいのですが、「坊」という語尾が同じなので、語呂合わせでいつの間にか結びついたのでしょう。
原型の「当たり前」は労働報酬、それこそもらってアタリメエ、という分け前のこと。
「あたりき」は、少し乱暴な職人言葉で、「あたりきしゃりき」とも。これは、擂粉木の意味の「あたりぎ(当たり木)」と掛けて洒落たものです。
蛇足です。
江戸初期に兵法家にして新当流槍術の達人、阿多棒庵なる者がおりまして、この人物はなんと、柳生兵庫助利厳に槍術の印可を授けた、いわば師匠なのですが、この名をはじめて耳にしたとき、これはてっきり「あたぼうあんが強えのは、あったぼうだべら棒め」という洒落が語源ではないかと思い、ほうぼう調べてはみたものの、残念ながらいまだ、そんな資料は探し出せていません。
なあんだ。
阿多という姓ですから、九州の、それもそうとうに古い一族の御仁なのでしょう。
「八百ぐれえあたぼうてんだ」
「なんだい、あたぼうてえなあ」
「江戸っ子でえ。あたりめえだ、べらぼうめなんかいってりゃあ、日のみじけえ時分にゃあ日が暮れちまうぜ。だから、つめてあたぼうでえ」
江戸っ子の美学の一つで、粋、いなせ、勇み肌と似たニュアンスですが、実際は鉄火と同じく、もう少し荒々しいイメージです。
明治初期では、江戸っ子の権化のような名優・五代目尾上菊五郎の芸風・セリフ廻しがそのお手本とされました。
普通に「伝法」と言う場合は、主に口調を指す場合が多く、男女を問わず「伝法な言い回し」といえば、かなり乱暴で、なおかつ早口なタンカをまくし立てること。
女の場合は、一人称に「おれ」を用い、男言葉を使う鳶の者の女房などが典型です。
以上までは、まあまあ肯定的な意味合いですが、「伝法」の元の意は、浅草の伝法院の寺男たちが、寺の権威をかさに着て乱暴狼藉、境内の飲食店で無銭飲食し放題、芝居小屋も強引に木戸を破って片っ端からタダ見と、悪事のかぎりを尽くしたことから、アウトロー、無法者の代名詞となったもの。
間違っても美学のかけらもない語彙でした。
それが幕末になって、この「伝法者」の粗暴な言葉遣いが、芝居などでちょっと粋がって使われるようになってから、語のイメージがかなり変質したのでしょう。
いずれにしても、歴史ある名刹にとっては、迷惑このうえない言葉ですね。
文字通り鉄でできた仮面(武具)を着けたように、ずうずうしく、恥を恥とも思わず平然としていることです。
形容動詞化してよく使われ、「鉄面皮な」「鉄面皮だ」と、もっぱら悪口に使われます。
「面の皮が厚い」とも。
人からどんなに非難の目を向けられようと、兜の面をかぶったように、平気で跳ね返してしまう人間はよくいます。
「鉄面牛皮」ということばもあって、こちらは「きわめてあつかましい」の意。
江戸時代には、鉄に匹敵するもの、いや、それ以上のものはというと牛の皮だった、ということでしょうか。
江戸時代からあった表現です。
おもしろいのは、かつては「鉄面だ」という形で、剛直、権威や権力を恐れないという、肯定的な意味があったふしがうかがえることです。
「悪党」のようなものでしょうか。
「鉄面牛皮」はもうとっくに死語ですが、昭和の末期ごろまでは普通に使われていた「鉄面皮」も、いつの間にかあまり聞かれなくなったようです。
「とど」というのは、ボラ(魚)の成魚のこと。
ボラはいわゆる出世魚で、オボコ、イナッコ、スバシリ、イナ、ボラ、トドと名が変わり、トドが最後の「留め名」です。
噺家でいえば円生、役者なら團十郎というところ。
つまり、人間にとっては、太ってもっとも食べごろになった状態です。
そこから派生して、それ以上はない、ぎりぎり、限度という意味が付きました。
「つまり」も同義語で、「最終的に」「結局は」という意味ですから、「とどのつまり」は言葉の重複、というより、「とど」が「つまり」をより強調した形になります。
別の語源説では「とど」は「到頭(とうとう)」が短縮されたものとも言います。
「とど」単独では、主に歌舞伎台本で、セリフの応酬から場面が転換する切れ目に、締めくくりをつけて新たな展開を準備するため、地で説明する部分がよくあります。
それが「ト書き」で、「ト」は「トド」の略。
古くは日常でも「結局」の意味で使われ、芝居の影響で人情噺、芝居噺でもよく用いられましたが、昭和57年(1982)に亡くなった八代目林家正蔵(彦六)を最後に、もう高座でも死語と化したようです。
女性特有の病気の総称。
身体的には男女を問わず血管をさしますが、芝居や落語では、広く血行障害に起因する女性特有の病気の総称のこと。
主に、産褥時や生理時、また、更年期障害の一症状として血行不良が起こり、その結果生じる、頭痛、目まい、精神不安定などの症状を、すべてこう呼びました。
これは、漢方医学では、到底病因や疾病の特定が不可能なため、致し方なく、なんでも「血の道の病」とされていたからでしょう。男の「疝気」や「腎虚」と同じようなものです。
「東海道四谷怪談」(四世鶴屋南北)で、出産直後のお岩が悩まされるのがこれでした。
伊藤喜兵衛(高師直の家臣)が、田宮伊右衛門(お岩の夫)を、孫娘お梅と添わせたいばかりに、じゃまになるお岩を「血の道の妙薬」と称した毒薬で殺そうとしたのが、すべての悲劇の発端となります。
もとは文字通り、鍛冶職人が用いる、真っ赤に熱した鉄のこと。
そこから、さまざまなことばが派生しました。
人間の気質でいえば、カッカとなりやすく、始終けんか腰の勇み肌を鉄火肌と呼びます。
火事場のように命がけの勝負をする博打場を鉄火場とも。
落語に登場する「鉄火」は、もっぱらこうした博打場、または博打打ちです。
博打打ちだった三代目桂三木助の十八番に「竃幽霊」がありますが、その後半で、かまどに隠した三百円の金に気が残って化けて出る左官の長五郎の幽霊。
その自己紹介で、「あっしゃあ、シャバにいたときには、表向きは左官屋だったんですが、本当を言うと向こうぶちなんです。白無垢鉄火なんですよ」
ここで言う白無垢とは、素人、かたぎのこと。
つまり、表向きは善良な職人でも、裏の顔は鉄火、今でいう「反社」ということですね。
【語の読みと注】
竃幽霊 へっついゆうれい
白無垢鉄火 しろむくでっか