【影覗き、陰覗き】かげのぞき ことば 落語 あらすじ
文字通りの「物陰からこっそり見る」から、義理にでもたまには挨拶に来る、顔を見せるの意味。
ほとんどは否定語を伴って「かげのぞきもしない」で、「不義理をする、まったく顔を見せない」という非難の言葉になります。
このフレーズ、古い江戸の言葉で、『全国方言辞典』(佐藤亮一編、三省堂)には記載がありますが、なぜか『日本国語大辞典』(小学館)にも、『江戸語の辞典』(前田勇編、講談社)にも、項目がありません。
慣用表現としては死語となっても、直訳的におおよそ意味が推測できるからでしょうか。
宇野信夫(1904-91、劇作家)が、1935年(昭和10)に六世尾上菊五郎(寺島幸三、1885-1949、音羽屋)のために書き下ろした歌舞伎脚本「巷談宵宮雨」。
この中で、「影覗き」をセリフに用いました。
宇野は、大御所の岡鬼太郎(1872-1943、劇評家)から「あなたはお若いのに、かげのぞきという言葉をお使いになった」と褒められた、ということです。
こんなのが逸話に残るほど、昭和に入ると「影覗き」は使われなくなっていたようです。
当の宇野だって、生まれは埼玉県本庄市で、熊谷市育ち。長じて、慶応に通い出してから浅草で暮らしていたという、えせもの。
この言葉がはたして血肉になっていたのかどうか、あやしいものです。
とまれ、昭和初期にはすでに、老人語としてのほかは、東京でもほとんど忘れ去られていたということでしょうかね。
用のある時は来るけれども、さもなきゃかげのぞきもしやがらねえ。たまには出てこいよ。
雪の瀬川(六代目三遊亭円生)