大工調べ だいくしらべ 演目

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江戸っ子が言い立てる悪態。小気味よさがうまく出ているのはこの噺!

【あらすじ】

神田小柳町に住む大工の与太郎。

ぐずでのろまだが、腕はなかなか。

老母と長屋暮らしの毎日だ。

ここのところ仕事に出てこない与太郎を案じた棟梁(とうりゅう)・政五郎が長屋までやって来ると、店賃(たなちん)のかたに道具箱を家主・源六に持っていかれてしまったとか。

仕事に行きたくても行けないわけ。

四か月分、計一両八百文ためた店賃のうち、一両だけ渡して与太郎に道具箱を取りに行かせる。

政五郎に「八百ばかりはおんの字だ、あたぼうだ」と教えられた与太郎、うろおぼえのまま源六に「あたぼう」を振り回し、怒った源六に「残り八百持ってくるまで道具箱は渡せない」と追い返される。

与太郎が
「だったら一両返せ」
と言えば
「これは内金にとっとく」
と源六はこすい。

ことのなりゆきを聞いた政五郎、らちがあかないと判断。

与太郎とともに乗り込むが源六は強硬だ。

怒った政五郎は
「ものがわからねえから丸太ん棒てえんだ。つらァ見やがれ、この金隠しッ」
と啖呵を切り、
「この度与太郎事、家主源六に二十日余り道具箱を召し上げられ、老いたる母、路頭に迷う」
と奉行所へ訴えた。

お白州で、両者の申し立てを聞いた奉行は、与太郎に、政五郎から八百文を借り、すぐに源六に払うよう申し渡した。

源六は有頂天。

またもお白州。

奉行が源六に尋ねた。
「一両八百のかたに道具箱を持っていったのなら、その方、質株はあるのか」
源六「質株、質株はないッ」
奉行「質株なくしてみだりに他人の物を預かることができるか。不届き至極の奴」

結局、質株を持たず道具箱をかたにとったとがで、源六は与太郎に二十日間の大工の手間賃として二百匁払うよう申しつけられてしまった。

奉行「これ政五郎、一両八百のかたに日に十匁の手間とは、ちと儲かったようだなァ」
政五郎「へえ、大工は棟梁、調べをごろうじろ(細工はりゅうりゅう、仕上げをごろうじろ)」

【しりたい】

大家のご乱心! その1

お奉行所の質屋に対する統制は、それは厳しいものでした。

質物には盗品やご禁制の品が紛れ込みやすく、犯罪の温床になるので当然なのです。

早くも元禄5年(1692)には惣代会所へ登録が義務付けられ、享保の改革時には奉行所への帳面の提出が求められました。

株仲間、つまり同業組合が組織されたのは明和年間(1764-72)といわれますが、そのころには株を買うか、譲渡されないと業界への新規参入はできなくなっていました。

いずれにしても、モグリの質行為はきついご法度。大家さん、下手するとお召し取りです。

大家のご乱心! その2

この長屋の店賃、4か月分で一両八百ということは、月割りで一分二百。高すぎます。

店賃も地域、時代、長屋の形態によって変わりますから一概にはいえませんが、貧乏な裏長屋だと、文政年間(1818-30)の相場で、もっとも安いところで五百文、どんなにぼったくっても七百文がいいところ。ほぼ倍です。(銭約千文=一分、四分=一両)

日本橋の一等地の、二階建て長屋ならこの値段に近づきますが、神田小柳町は火事で一町内ごと強制移転させられた代地ですから、地代も安く、店賃もそれほど無茶苦茶ではないはずです。

神田小柳町

かんだこやなぎちょう。現在の東京都千代田区神田須田町一、二丁目、および神田鍛冶町三丁目にあたります。

元禄11年(1698)の大火で下谷一丁目が焼けた際、代地として与えられました。延享2年(1745)以来、奉行所の直轄支配地となっています。

あたぼう

語源は「当たり前」の「当た」に「坊」をつけた擬人名詞という説、すりこぎの忌み言葉「当たり棒」が元だという説などがありますが、一番単純明快なのは、「あったりめえでえッ!べらぼうめェッ!」が縮まったとするもの。さらに短く「あた」とも。

でも、「あたぼう」は、下町では聞いたこともないという下町野郎は数多く、どうも、落語世界での誇張された言葉のひとつのようです。

落語というのは長い間にいろんな人がこねくりまわした果てに作り上げられたバーチャルな世界。現実にはないものや使わないものなんかがところどころに登場するんです。

それはそれで楽しめるものですがね。

与太郎について

実は普通名詞です。

したがって、正確には「与太郎の○○(本名)と呼ばれるべきものでしょう。

元は浄瑠璃の世界の隠語で、嘘、でたらめを意味し、「ヨタを飛ばす」は嘘をつくことです。

落語家によって「世の中の余り者」の意味で馬鹿のイメージが定着されましたが、現立川談志が主張するように、「単なる馬鹿ではなく、人生を遊び、常識をからかっている」に過ぎず、世の中の秩序や寸法に自分を合わせることをしないだけ、と解する向きもあります。

【もっとしりたい】

大岡政談のひとつ。裁き物には「鹿政談」「三方一両損」「佐々木政談」などがある。政五郎の最後の一言は「細工はりゅうりゅう、仕上げをごろうじろ」のしゃれ。棟梁を「とうりょう」でなく「とうりゅう」と呼ぶ江戸っ子ことばがわからないとピンとこない。明治24(1891)年に禽語楼小さんがやった「大工の訴訟(しらべ)」の速記には、「棟梁」の文字に「とうりゃう」とルビが振られている。これなら「とうりょう」と発音するのだが。落語を聴いていると、ときにおかしな発音に出くわすものだ。「大工」は「でえく」だし、「若い衆」を「わけえし」「わかいし」と言っている。「遊び」は「あすび」と聞こえるし、「女郎買い」は「じょうろかい」と聞こえる。歯切れがよい発音を好み、次のせりふの言い回しがよいように変化させているようだ。池波正太郎は、落語家のそんな誇張した言いっぷりが気に入らなかった。「下町で使われることばはあんなものではなかった。いつかはっきり書いておかなくてはならない」などと書き散らしたまま、みまかった。残念。この噺では貨幣が話題となっている。江戸時代では、金、銀、銭の3種類の貨幣を併用していた。ややこしいが、一般的なところを記しておく。 1両=4分=16朱  金1両=銀60匁=銭4貫文=4000文。いまの価格にすると、1両は約8万円、1文は20円となるらしい。ただし、消費天国ではなかったから、つましく暮らせば1両でしのげた時代。いまの貨幣価値に換算する意味はあまりないのかもしれない。1両2分800文とは、6800文相当となる。幕末期には裏長屋の店賃が500文だった。ということは、13か月余相当の額。5代目古今亭志ん生は「4か月」ためた店賃が「1両800」とやっている。月当たり1200文。うーん、与太郎は高級長屋に住んでいたのだろうか。質株とは質屋の営業権。江戸、京阪ともに株がないと質屋を開業できなかった。享保8(1723)年、江戸市中の質屋は253組、2731人いたという。ずいぶんな数である。もぐりも多くいたそうだから、このような噺も成り立ったのだろう。勘兵衛の職業は家主。落語でおなじみの「大家さん」のことだ。「大家といえば親も同然」と言われながらも、地主(家持)に雇われて長屋を管理するだけの人。地主から給金をもらい、地主所有の家を無料で借りて住んでいる。マンションの管理人のような存在である。この噺では、大家の因業ぶりがあらわだ。こんなこすい大家もいたものかと、政五郎や与太郎以上に人間臭くて親近感がわいてくる。

(古木優)

【大工調べ 古今亭志ん朝】

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