【尿瓶】しびん 落語演目 あらすじ
【どんな?】
江戸期に知らない人がいるなんて!
現代とおんなじじゃないですか。
この噺のおかしみはどう伝えられるのかな。
別題:花瓶 尿瓶の花生け(上方)
【あらすじ】
田舎の侍が、道具屋をあさると、古いしびんを見つけた。
侍、これを花瓶と間違えて、
「明日国元に帰るが、土産物にしたいからぜひほしい」
という。
道具屋が
「それはしびんでございます」
と正直に言っても
「ああ、しびんという者が焼いたか」
と、いっこうに通じない。
そこで道具屋の安さん、このばかを一つ引っかけてやれと
「これは日本に二つとないものでございます。だんなさなのお目利きには感服いたします」
とおべんちゃらを並べ、
「五両」
と吹っ掛ける。
知らぬほど怖いものはなく、侍は
「安い」
と喜び、即金で買っていった。
花瓶と勘違いして、侍が宿で花をいけていると、知り合いの本屋があいさつに来て、
「それは小便をするしびんでございます」
と教えたから、さあ怒ったのなんの。
道具屋にどなり込み、
「手討ちに致すから首を出せ」
と刀の柄に手を掛けたから、安さんは真っ青になって震えた。
「病気の老母に、朝鮮人参という五両もする高い薬をのまさなければなりません。その金欲しさ、悪いこととは知りながら、ただのしびんを五両でお売りしました。母の喜ぶ顔を見ますれば、もうこの世に思い置くことはございませんから、その時まで命を預けてください」
もちろん、その場からドロンするつもりでのウソ八百。
侍は
「孝行のためとあらばさし許す」
と帰っていった。
おふくろなんぞ、もう三年前に死んでいる。
隣の吉つぁんが騒ぎを聞きつけてやって来て
「おい、首ゃあついているかい。それにしてもさすがはお侍、よく代金を返せと言わなかったな」
「それもそのはず。小便(売買契約破棄)はできねえ。しびんは向こうにある」
【うんちく】
朝鮮人参 【RIZAP COOK】
時代劇に登場する、高価な薬といえばこれ。享保年間(1716-36)に種子が朝鮮から渡来しました。
根を乾燥したものが、漢方薬に用いられます。
肝心の薬効は、強壮・健胃などで、疲労や虚脱、胃腸虚弱などに効果があるとされますが、むろん万能薬ではありません。
「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星由良之助に、「人参のんで首くくるようなもの」というセリフがあります。
これは、高価な人参を無理して手に入れて病人が回復しても、べらぼうな薬代の借金で結局は首をくくらなければならない、という皮肉で、ムダな骨折りという意味のことわざになっています。
この程度の薬でも町人にとっては「高嶺の花」で、江戸時代では事実上、無医、無薬同然、病気になればほとんどが「はいそれまでよ」だったわけです。
しびん 【RIZAP COOK】
「しゅびん」ともいい、昔は陶製でした。
八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)もマクラで説明しているのですが、江戸時代は瀬戸物屋で、たかだか20-25文が相場。
日用品なので、いくら侍でも知らないのはおかしいと言えなくはありません。
現代同様、元来病人、老人の使うものなので、どこの家にもあるという品ではありませんでした。
文楽の隠れた十八番 【RIZAP COOK】
三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)が、大阪在住中に仕込んだ上方落語「しびんの花活け」を東京風に直しました。
円馬に芸を仕込まれた八代目桂文楽が直伝で継承、十八番の一つに仕立てたものです。
文楽在世中は、東京ではほかにやり手はありませんでした。
本家の大阪では、橘ノ円都(池田豊次郎、1883-1972)が持ちネタとし、道具屋は大坂の日本橋筋の露店、武士は鳥取藩士で演じました。
演題は「こいがめ」と同様に汚いので、「花瓶」で演じられることもあります。
「小便」はご法度 【RIZAP COOK】
買わずに逃げる意味の「小便」は、もともと江戸ことばですが、現在でも業界では普通に使われているようです。
道義的には、商取引上は一種の詐欺行為と見なされるので、「引っ掛ける」から「小便」としゃれたものでしょう。
もとは、露天商などの符丁でした。
「左少弁」は、どうも怪しいものです。
「小便」の由来 【RIZAP COOK】
原話は、宝暦3年(1753)刊の『軽口福徳利』中の「しゆびん」、続いて同13年(1763)刊『軽口太平楽』中の「しゅびんの花生」があげられます。
いずれも大坂ルーツです。
もっとも古い原型には、元禄7年(1694)、江戸で刊行の『正直咄大鑑』赤之巻四「買て少弁」中の「商人の物売にねをつけてまけたるとき、かわぬを江戸ことばにしやうべんのするといふ由来」という、長ったらしい題の小咄もみられます。
これは、左少弁道明卿という公家の家人が主命で江戸に下り、日本橋の骨董屋でさんざん値切ったあげく買わなかったことから、常識をわきまえないのを「少弁」→「しょうべん」と呼んだ由来話です。
これが「小便=買わずに行く」と転化したわけでしょうが、ともかく現行のオチの部分の元となっています。
宝暦年間の二つの原話は田舎者と無筆の者をからかう内容です。
前者は、田舎者がしびんを十個も買うのでわけを尋ねると、「故郷でそばを打つので、つゆを入れる猪口にする」という笑話。
後者は、逆に客がしびんと気付いて詰問するので、花瓶だとだまそうとした亭主がしどろもどろになり「いえ、そんな名のあるものではありません」とごまかすもの。
どちらも「小便」のくだりはありませんが、後者の方が現行により近い内容です。
【語の読みと注】
日本橋筋 にっぽんばしすじ