【どんな?】
とんまな奴。
なんだか味わい深くてほのぼの。
唐茄子はかぼちゃのことです。
与太郎噺。
【あらすじ】
二十歳になっても、頭に霧がかかっている与太郎。
おじさんが心配して、商売を覚えさせようと、唐茄子を売らせることにした。
元値が大が八銭、小七銭。
勘定のしやすいように、大小十個ずつ籠に振り分けてやり、
「これは元値だから、よく上を見て(掛け値をして)売れ」
と、よく言い聞かせて送り出す。
与太郎、裏通りでいきなり
「かぼちゃぁ」
と蛮声を張り上げたので、そこにいた男、自分の顔を言われたと思って目を白黒。
「へっ、かぼちゃよりジャガイモに似てらぁ」
品物は新しいかと聞かれて
「新しいとも。今まで生きてた」
大二つ買って
「二十銭で釣りをくれ」
と言うと
「釣りはねえから、二十銭にまけとかぁ」
上にまける始末。
「上を見て」がわからないから、もとの七銭と八銭で売って、文字通り平和に空を見上げている。
見かねて男が相長屋の衆に売りさばいてくれ、安いからたちまち売り切れたが、もうけは一銭もなし。
おじさん、ようすを聞いて
「おまえのばかは慢性だな」
「万世橋の次は須田町」
「停留所じゃねえ」
そんなことじゃ女房子が養えないからもう一度行ってこい、と追い出す。
もとの所へ来ると
「唐茄子ばっかり食っちゃいられねえ。まあ安いから、八銭のをまた三つ」
「今度は十銭」
掛け値の意味を教わったと聞き、
「ぼんやりだな。おまえ、いくつだ?」
「六十だ」
「見たとこ二十歳ぐれえだな」
「二十は元値で、四十は掛け値だ」
【しりたい】
もとは「みかん屋」
上方の「みかん屋」を、四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)が小三治時分の大正初年に東京に移しました。
小さんも当初は「みかん屋」でしたが、日本橋常盤木倶楽部での第一次落語研究会で、売り物を唐茄子に変えました。
「みかん屋」で与太郎が「今年のみかんは唐茄子のように大きい」と言うくすぐりがあります。
初代三遊亭円右(沢木勘次郎、1860-1924)が人情噺の「唐茄子屋政談」を得意にしていたこともあり、洒落で変えてみたと、小さんは語っています。円右は当時の大看板で、円朝の孫弟子です。二代目円朝を継いだのですが、高座に上がることなく亡くなりました。
オチも含め、大筋は売り物が違うだけで、「みかん屋」もまったく変わりません。
東京では五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)とその門下に伝わり、CDでは五代目と談志のものがありますが、現在の上方ではあまりやり手がいないようです。
原話は『醒睡笑』
オチの「掛け値」のくだりの原話は、安楽庵策伝の『醒睡笑』(「子ほめ」参照)巻五「人はそだち」第十九話です。
あきんどの持ちたる子を見て、「これの息子は、ことしいくつぞや」。 親のいひける、「あれはそら値十三といふて、定の値十二ぢゃ」。
唐茄子野郎と言われたら
唐茄子はかぼちゃを小型化し、甘味を強くした改良品種で、明和年間(1764-72)から出回りました。
唐茄子もかぼちゃも、初物でも安値で、「初かぼちゃ女房はいくらでも買う気」という川柳があります。
そのせいか、「かぼちゃ(唐茄子)野郎」といえば、安っぽい間抜け野郎の代名詞。
与太郎が唐茄子を売らされるのには必然性があるわけです。
五代目小さんのくすぐり
●おじさんが小言で与太郎に
おじ「遊んでちゃなあ、飯が食われない。なんで飯を食うか知ってるか?」与太「箸と茶碗じゃねえか」
おじ「当たりめえだ」
与太「だって、ライスカレーはシャジで食う」
●かごが空になって
客「ありがとうございますとか、なんとか言え」
与太「どういたしまして」