こや【小屋】古木優

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不定期連載  日本史コラム  2021年11月13日

東宝名人会のこと

寄席といったら東宝名人会でしょう。

私の場合はね。

日比谷映画街にあった、あそこですよ。桂歌丸の真打ち襲名披露を間近に見たのは懐かしい思い出。

昭和43年(1968)3月、小学5年生の春休みの頃でした。

へええ、落語家っていうのは、こんなことをして一人前になるんだなあとしげしげと。ずいぶん儀式ばっているわけで、それがなんだか心地よかったもんです。

私は、毎週日曜日、北関東の奥地からたいへんな思いをして親に連れられてくるもんでして。

有楽町駅から少し歩いた都会丸出し街のビル、古風なしっかりしたエレベーターでたしか5階でしたか、ホールはいつも立ち見客でいっぱいでした。

出てくるのはほとんどがテレビでおなじみの人気者ばかり。まるで夢を見ているようでした。

なんせ、袖で立って高座を見ていると、その脇を文楽(八代目)やら円生(六代目)やらが通り過ぎるもんでして。感動どころか、演芸界というのはなぜかこんなふうにお近いものなのか、とすぐになじんだりして。

青空球児・好児の「よきすがたなあ」なんて、あそこで聴いて腹を抱えたもんでした。あのネタ、いまでも健在なんですから、うれしくなっちゃいます。

東宝名人会の特殊性は、小学生にはわかっていませんでした。

親の気まぐれで、たまに鈴本や末広亭に行ったりすると、なんだかうらぶれた風情で、次々と出てくるのはまったく知らない芸人ばかりで、ここはどこか格落ちの場所なのだろうかといぶかるほど。野良でさえずるのど自慢を覗いているような心持ちでした。

そんな体験をしたのちに、後日、またもひさかたぶりに東宝名人会に赴けば、やっぱりここでしょ、という安堵に浸れる至福な時間がやさしく包んでくれてました。

日比谷のここは、ほかの寄席とは違うな、という匂いと風情を感じてしまいました。

そんな夢みる時間も昭和55年(1980)8月いっぱいでおしまいに。日劇の取り壊しで日劇ミュージックホールが日比谷に移ってきて、玉突きのように、東宝名人会は流浪の寄席とあいなったのでした。

五代目小さん師匠が「ストリップに追い出されまして」とか、ぼやいてましたっけ。

東宝名人会の名称は2005年(平成17)まで続きはしましたが、ひっきりなしに場所を代えてのさまよえる演芸場となり、すでに威容と高邁は昔日の感となり果てました。

ガキの時分の寄席通いは、みなさんさまざまに自慢の種にするもんです。

ただ、どうしたことか、東宝名人会に足を踏み入れていた元少年に出会ったことは、いまだありません。

気の利いたところで、人形町末広あたりです。東京育ちでも「寄席は日比谷」というのはレアだったんでしょうかね。

あの頃の私は、東宝名人会と北京放送に胸躍らせる日々でした。

大学紛争なんかのニュースを北京放送で聴いていると、東京はとんでもないことになっているように手に汗に握ったもんです。これはこれで、話芸のなせる技なのでしょうね。

■古木優プロフィル
1956年高萩市出身。高田裕史と執筆編集した「千字寄席」の原稿を版元に持ち込み、1995年に「立川志の輔監修」付きで刊行してもらいました。これがどうも不本意で。サイト運営で完全版をめざそうと思い立ち、2004年10月16日からココログで始めました。これも勝手がいまいち。さらに一念発起、2019年7月31日からは独自ドメイン(https://senjiyose.com)を取得して「落語あらすじ事典 web千字寄席」として再始動しました。噺に潜む「物語の力」を知るべく奮闘中。

主な著書など
『千字寄席 噺がわかる落語笑事典』(PHP研究所)高田裕史と共編著 A5判 1995年
『千字寄席 噺の筋がわかる落語事典 下巻』(PHP研究所)高田裕史と共編著  A5判 1996年
『千字寄席 噺がわかる落語笑事典』(PHP研究所)高田裕史と共編著 文庫判 2000年
『図解 落語のおはなし』(PHP研究所)高田裕史と共編著 B5判 2006年
『粋と野暮 おけら的人生』(廣済堂出版)畠山健二著 全書判 2019年 ※編集協力

■主な執筆稿
数知れず。ゴーストライターもあまた。売文の限りを尽くしました。

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