【穴蔵】あなぐら ことば 江戸覗き 落語 あらすじ
江戸で穴蔵といえば、りっぱな地下室をさしました。
ここでは、土蔵とはまた別の、穴蔵と呼ばれた貴重品置き場について記します。
穴蔵伝説の誕生 【RIZAP COOK】
明暦の大火(明暦3年=1657)で、穴蔵に入れておいた財産が無事だったという噂が広まって、その後、これが大流行したといいます。
店賃18匁の裏長屋の住人でさえ穴蔵を用意したという話は、アート・ブレイキー来日の昭和35年(1960)の頃に、そばの出前も「モーニン」を口ずさんでいたと話に似ています。
ま、それはどうでもいいことですが。
穴蔵といっても、ただ土を掘ってそこに物を入れるのではありません。
ヒバ、スギなどの防水性の高い木材を使って、板と板の隙間にはチャンといわれる防水接着剤や槙肌(樹木の繊維)などが詰められていました。
チャンは、松ヤニ、地の粉(粘土の粉末)、荏油(エゴマの種子から抽出)でつくる木工用接着剤のことです。
ともかく、さまざまな工夫をして水漏れを防いだわけですね。
こんなことを商売にしていたのが穴蔵大工です。資材の調達、大工の手配、穴蔵設計のすべてを一貫して請け負っていました。
こういう業者を穴蔵屋と呼びました。
穴蔵屋は、穴蔵以外にも雪隠(トイレ)、湯殿(バスルーム)、流し(キッチン)などの設置、さらには上水工事にもかかわっていました。
水回りを得意としていたのですね。船大工や橋大工の系統だといわれています。
穴蔵の目的は防火 【RIZAP COOK】
穴蔵を作る理由は防火用の倉庫を設けるためです。
江戸の人々は、以下のようなぐあいに穴蔵を活用していました。
「火事だぁ」の声が上がると、商家では、作り置きしてあった穴蔵に貴重品を運び込みます。
入り口に蓋をして油紙を敷きます。
砂を広げてよく踏みつけて、その上に水でたっぷり湿らせた畳を一枚覆って、その上に水を満杯にした桶を置くのです。
ここまでやっておくと、仮に家が焼けてしまっても、其の衝撃で水桶が壊れて水があたりにあふれ出し、畳をさらに湿らせて類焼しづらい状態となります。
穴蔵は入り口である天井をきちんと防ぎさえすれば、火が中に入りにくい構造です。
土蔵よりも確実に残せます。
しかも小規模でも作れるところが、さまざまな階層にわたって流行した理由です。
参考文献:小沢詠美子『災害都市江戸と地下室』(吉川弘文館、1998年)、波多野純『復原・江戸の町』(筑摩書房、1998年)、小澤弘、丸山伸彦編『江戸図屏風をよむ』(河出書房新社、1993年)、加藤貴編『江戸を知る事典(東京堂出版、2004年)、大濱徹也、吉原健一郎編『江戸東京年表』(小学館、1993年)、『新装普及版 江戸文学地名辞典』(東京堂出版、1997年)