宗漢 そうかん 演目

【RIZAP COOK】

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

古代中国が舞台のバレ噺。戦国七雄を題材にしてもしょせんはね。

別題:薬籠持ち

【あらすじ】

中国は、魏の国の宗漢という医者。

この先生、名医だが大変に貧乏で、日本でいうと裏長屋住まい。

ある雨の日、玄関先で
「お頼み申します」
という声がするので出てみると、
「楚の国からはるばるやってきたものだが、主家のお嬢さまが長い病で難渋しているので、先生にぜひお見舞いを願いたい」
と言う。

先生大喜びで、二つ返事で引き受けたものの、金がないのでお供の者も雇えない。

そこで、やむなく細君を連れていくことにしたが、医者が女の供を連れていては外聞が悪いので、細君を男装させ、長旅をして楚までやってきた。

先方に着くと、下へも置かない大歓迎。

お茶を出されても、細君の方は返事をするとバレるので、おっかなびっくり下を向いているばかり。

見舞ってみると、さほどたいしたことはないので、薬を与えて帰ろうとすると、日はとっぷりと暮れなずみ、折しも大雨が降りり出した。

いくら待っても、やむ気配がない。

恐縮した主人が、一晩泊まっていくようにすすめるので、宗漢先生もその気になったものの、この家ではあいにく、夜具を洗濯に出してしまって余分なものが今ない、という。

そこで、
「まことに申し訳ないことながら、先生は十一歳になる息子と寝ていただき、お供の方は、手前の家の下男とかじりついて、肌と肌とを押しつけて寝ていただくと温かでございます」
ときたので、先生は仰天した。

今さら自分の女房だと言うわけにもいかず、とうとうその晩は心配のあまり、まんじりともせず夜を明かした。

翌朝。

宗漢夫婦が帰ったあと、例の十一歳の息子が
「お父さん、昨夜ボク、あのお医者さんと寝たでしょ。あのオジサン、貧乏だね」
「なぜ」
「フンドシしてなかったよ」

それを聞いていた下男が
「そりゃそうだろう。あのお供なんか、金玉がなかったからな」

【RIZAP COOK】

【うんちく】

戦国七雄

魏、楚ともに紀元前4-3世紀に割拠した戦国七雄。

魏は山西省南部から河南の北部一帯にかけて、楚は揚子江中流一帯を占めていました。隣国とはいえ、日帰りなどとてもできませんが、時空間をものともしないのが落語の落語たるところです。

細君に男装

なんのことはなく、簪を抜かせただけです。

昔、中国では男女とも、服装から髪型からまったく同じで、これでは困るというので、女には目印として簪を付けさせたというのがこの噺の前提ですが、もちろん、噺家のヨタを真に受けられては困ります。

少年愛も潜んだ噺

原話は不詳。四代目橘家円喬が明治28年(1895)8月、『百花園』に寄せた速記以後、内容が内容だけに演者の記録はもちろんありません。

「薬籠持ち」と題して、バレ小咄として演じるときは、宗漢を日本の医者にし、薬籠(=薬箱)持ちの下男をクビにしたばかりなので、しかたなくかみさんを男装させて出かけることにしています。

その場合、中国のようにはいかないので、ちゃんと男の着物を着せ、頭には頭巾をかぶせて、下男に化けさせています。

往診先は山向こうの村の金持ちで、医者は診察したばかりの子供といっしょに寝かされます。

オチは、貧乏医者で「金がない」というダジャレを含んでいますが、勘ぐれば少年愛のにおいまでするアブない噺ではあります。

【語の読みと注】
魏 ぎ
楚 そ

【RIZAP COOK】

本膳 ほんぜん 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

【RIZAP COOK】

今も悩ますテーブルマナー。フレンチばかりか和食にだって昔から。

【あらすじ】

ある村のむらおさ(庄屋)の家で嫁取りをした。

村の衆が婚礼の際に祝物を贈った返礼に、今夜、村のおもだった者三十六人が招待され、ごちそうになることになったが、誰も本膳の作法や礼式を知らない。

恥をかきたくないので、江戸者の手習いのお師匠さんに頼んで、泥縄で教えてもらうことにした。

相談された師匠、
「今夜ではとても一人ずつ稽古する時間はないから、上中下どこの席についても、自分のすることをまねするように」
と言い、
「羽織りだけは着ていくように」
と注意する。

「それなら間違えがねえ」
と一同安心して、いよいよ宴席。

主人があいさつし、盃が回された後、いよいよ本膳。

師匠が汁碗の蓋を取ると、一同同じように蓋を取る。

師匠が一口吸うと、隣の男が次席の者に
「これ、二口吸うでねえぞ。礼式に外れるだ。一口だぞ。一口一口」

これを順番に同じ文句で隣の人間に伝えていくのだから、末席まで伝わるのにえらく時間がかかる。

今度はご飯を一口食うと、同じように
「たんと食ってはダミだぞ」
と伝達が回る。

師匠、おかしくなってクスリと笑うと、とたんに鼻先に飯粒が二粒くっついた。

一同、さあ、食うだけでは礼式を違えると、一斉に飯粒を鼻へ。

間違って五粒くっつけてしまった男が、あわてて三粒食ってしまう騒ぎ。

平碗が出て、中身は悪いことに里芋の煮っころがし。しかも箸が塗り箸だから、ヌルヌルしてはさめない。

師匠、不覚にもつるっと箸がすべって、膳の上に芋が転がり出た。

仕方なく箸で突っ付いていると、さっそくあちらでもこちらでも芋をコロコロコロ。箸でコツンコツンやるから、膳は傷だらけ。

先生、
「今のは違う違う」
といくら注意しても聞こえないから、隣の脇腹を拳固で突いた。

「あいてッ、今度の礼式はいてえぞ」
とまた、その隣をドン。それがまた隣をドン。

「いてえ、あにするだ」
「本膳の礼式だ。受け取ったら次へまわせ」
「さあ、この野郎」
「そっとやれ」
「そっとはやれねえ。覚悟スろ。ひのふのみ」
「いててッ」

最後の三十六人目が思いきり突いてやろうと隣を見ても誰もいない。

「先生さまぁ、この礼式はどこへやるだ?」

底本:八代目林家正蔵(彦六) 三代目柳家小さん

【RIZAP COOK】

【しりたい】

大昔から変わりなく

後漢(25-220)の笑話集『笑林』中の「-人欲相共只喪」が最古の原話とされます。

これは、葬列で足を踏まれた人が怒って「バカ」と罵ったのを後ろの者が追悼の儀礼と勘違いし、一同まねして「バカ」と叫んだというお話。 

日本の笑話では、元和年間(1615-24)刊の『戯言養気集』中の無題の小咄で、信濃国深志の連中が伊勢参宮して御師(=伊勢神宮の神職)に膳をふるまわれ、先達の坊さんが山椒にむせて顔をしかめ、水をのんだのを全員まねする、というお笑い。万治2年(1659)刊の『百物語』にも、にゅう麺の薬味の山椒にむせてクシャミをし、四つんばいで退出するのをまた一同まねする小咄があります。

各地の民話に類話があるようで、現代の結婚式風景などを見ても、テーブルマナーなるものが古今東西、いかに人を悩ませてきたかが伺われます。

本膳

日本料理の正式の膳立てで、ふつうは三の膳まであります。最初に出る一の膳を本来「本膳」と呼びますが、三の膳までひっくるめてそう呼ぶ場合もあります。

正式なマナーとしては、和え物と煮物に続けて箸をつけない、菜と汁をいっしょに食べない、迷い箸をしない、おかわりの時は飯碗を受け取ったら必ず一度膳に置く、などがあります。いやはや、うるさいことです。本膳では、一の膳に飯がつくのがふつうです。

彦六、小さんが得意に

三代目柳家小さんから四代目を経て、五代目小さんに受け継がれていたほか、三代目小さんの養子だった二代目柳家つばめに教わって、八代目林家正蔵(彦六)もよく演じました。地味で笑いも少なく、ウケにくい噺なので、現在は若手ではほとんど手掛ける者がなく、CDも出ているのは五代目小さんのもののみです。

正蔵のものは、小さん系のやり方とほとんど変わりありませんが、招待されるきっかけが違っています。三代目小さんの大正3年(1914)の速記では名主の家へ江戸者の婿が来る披露で、庄屋以下が出かける設定です。江戸の人間に村の恥を見せたくないという見栄が、師匠に作法を習いに行く動機になっているわけです。

正蔵ではこの要素を省き、村長の招待で村民一同が出かけることにしてあります。これで、名主と庄屋は同じであるのに、同じ地方の一つの村に同時にいるのはおかしいという矛盾を解消しています。

オチは、五代目小さんは「この拳はどこへやるだ?」としていました。

村長

むらおさ。庄屋、名主に同じです。藩主(天領の場合は幕府→代官)の任命で、地頭(代官)の下で年貢そのほか、村の事務を司りました。関東以北で名主、関西で庄屋と呼びました。

講談にも類話

講談「荒茶の湯」では、福島正則以下の無骨な侍が、茶の席で上座の加藤清正を逐一まねして失敗します。

【RIZAP COOK】

試し酒 ためしざけ 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

今村信雄の新作。いや、ブラックの。いやいや、中国の笑話だとか。諸説紛々。

【あらすじ】

ある大家の主人。

客の近江屋と酒のみ談義となる。

お供で来た下男久造が大酒のみで、一度に五升はのむと聞いて、とても信じられないと言い争い。

挙げ句に賭けをすることになる。

もし久造が五升のめなかったら近江屋のだんなが二、三日どこかに招待してごちそうすると取り決めた。

久造は渋っていたが、のめなければだんなの面目が丸つぶれの上、散財しなければならないと聞き
「ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考えるだよ」
と、表へ出ていったまま帰らない。

さては逃げたかと、賭けが近江屋の負けになりそうになった時、やっと戻ってきた久造、
「ちょうだいすますべえ」

一升入りの盃で五杯、息もつかさずあおってしまった。

相手のだんな、すっかり感服して小遣いをやったが、しゃくなので
「おまえにちょっと聞きたいことがあるが、さっき考えてくると言って表へ出たのは、あれは酔わないまじないをしに行ったんだろう。それを教えとくれよ」
「いやあ、なんでもねえだよ。おらァ、五升なんて酒ェのんだことがねえだから、心配でなんねえで、表の酒屋へ行って、試しに五升のんできただ」

底本:五代目柳家小さん

【しりたい】

諸説いろいろ

今村信雄(1894-1959)が昭和初期にものした新作といわれています。父は講談や落語を専門とした速記者、今村次郎(1868-1937)。第一次落語研究会の発起人の一人でした。息子の信雄も速記者で、『落語の世界』(青蛙房、1956年、のち平凡社ライブラリー)などもある落語研究家でした。

ところが、この噺には筋がそっくりな先行作があります。

明治の異色の英国人落語家、初代快楽亭ブラックが明治24年(1891)3月、「百花園」に速記を残した「英国の落話」がそれで、主人公が英国ウーリッチの連隊の兵卒ジョン、のむ酒がビールになっている以外、まったく同じです。

このときの速記者が今村次郎ということもあり、今村信雄はこのブラックの速記を日本風に改作したのではと思われます。

では、オリジナルはブラックの作または英国産の笑話かというと、それも怪しいらしく、さらにさかのぼって、中国(おそらく唐代)の笑話に同パターンのものがあるともいわれます。具体的な文献ははっきりしません。

結局、この種のジョークは気の利いた文才の持ち主なら誰でも思いつきやすいということでしょう。案外、世界中に類話が分布しているのかもしれません。

小さん十八番

初演は七代目可楽で、その可楽の演出を戦後、五代目柳家小さんが継承、ほぼ古典落語化するほどの人気作にしました。

今村信雄自身も『落語の世界』で、「今(1956年)『試し酒』をやる人は、柳橋、三木助、小勝、小さんの四人であるが、(中略)中で小さん君の物が一番可楽に近いので、今、先代可楽を偲ぶには、小さんの『試し酒』を聞いてくれるのが一番よいと思う」と述べています。

飲兵衛噺を得意にしていた人だけに、大杯をあおる場面の息の継ぎ方のうまさなど今さら言うまでもありません。

その小さん門下を中心に、現在もよく演じられ、大阪では桂米朝の持ちネタでもありました。

【語の読み】
落話 おとしばなし