【鶏群の一鶴】けいぐんのいっかく 故事成語 ことば 落語 あらすじ
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数多くの凡庸な人々の中に一人優れた者がいる、という意味。
鶏(=凡人)の中に一羽の鶴(=傑物)がいる、というところから。
『世説新語』容止、『晋書』嵆紹伝などに見えるのですが、『晋書』による故事は以下の通り。
西晋(265-316)の嵆紹(253-304)をめぐる物語です。
嵆紹とは、「竹林の七賢人」で有名な嵆康(223-262)の嫡子です。嵆康は魏の貴族で中散大夫(正五位上)の地位でした。高位ではありません。曹操の曾孫と結婚していますから、嵆紹は曹操の血を継承しています。嵆康は厳密には隠者とは言い難く、世俗の人でもありました。奔放な性格だったそうですが、曹操の一族に連なったわけですから、隠者ぶっているわけにはいきませんでした。政治家半分、隠者半分。そんな人でした。
嵆紹が都の洛陽にはじめて上った時のこと。
嵆紹を見たある男が王戎(234-305)に「稠人の中において、はじめて嵆紹を見る、昂昂然として野鶴の鶏群にあるがごとし」と言ったそうです。「稠人」とは大勢の人の意。大勢の中にあって意気高く、まるで野の鶴が鶏の群にいるようだ、といった意味です。
それにこたえた王充は笑って「君はあいつの父親を知らないからそんなことを言っているんだよ」と。父親とは嵆康のことですから、この時点では、息子の器量は親父のそれを超えられていなかったのでしょう。王戎は竹林の七賢人の一人。嵆康も嵆紹も熟知していました。言うことが心憎い。
嵆紹はそののち、西晋の恵帝(第2代、259-307)に仕え、とんとん拍子で侍中(側近の大臣)にまで出世しました。
ところが、八王の乱(当時の権力闘争)が繰り返され、国内不安定の時代となりました。
恵帝は河間王の不遜ぶりを征圧しようとしたのですが、帝に利あらず。蒙塵(天子が難をさけて都を逃げ出す)とあいなりました。近侍の多くは雲散霧消し、帝に付き従う者がいません。
嵆紹ただ一人。果敢に帝をかばおうとした嵆紹は、敵矢のえじきとなって死んでしまいました。
その際、嵆紹の血が帝の衣についたのだそうです。
やがて乱も落ち着いた頃。
近侍が衣を洗おうとしても、帝は「これは嵆紹の血である」と言って、洗わせなかったそうです。
嵆紹の才やら信やら忠やらのほどがしのばれます。
日本では「掃き溜めに鶴」と言いますね。似ているように見えますが、こちらは美しいものへの称賛です。「泥中之蓮」(泥の中に咲く蓮)が類義語でしょうか。
「鶏群一鶴」の類義語は、むしろ「嚢中之錐」あたりでしょうか。
ちなみに、読売新聞の記事では過去40年で、「鶏群一鶴」または「鶏群の一鶴」が登場したのは3回でした。
【蛇足】
「あなたは鶏群の一鶴、眼光紙背に徹す」。8月27日(日)放送のTBS系「VIVANT」第7話、バルカ行きの機内でうたた寝している野崎(阿部寛)の手甲に、乃木(堺雅人)が掌を重ねながらつぶやくひとことです。乃木が野崎の鋭い洞察と潔い品性をたたえたことばであるのだなあと思いました。しかし、このドラマはそんなに素直でやわな向きではありません。これから起こるとんでもない事態に、乃木は野崎になにかを託した含意ととらえるべきでしょう。じじつ、バルカ入りした乃木は、テントと接触した現場で別班の仲間4人を瞬時にあやめ、全国の視聴者を仰天させてくれました。鶏群の一鶴、眼光紙背に徹す……。「他の人は見えるものにばかり振り回されるのでしょうが、あなたなら、その奥にひそむ真実を見てくれますよね」。乃木のつぶやきはさし迫る危機への祈りだったのかもしれません。いやあ、次回が待ち遠しい。(2023年8月29日)