【宋襄の仁】そうじょうのじん 故事成語 ことば 落語 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
無益な情をかける。→いらぬ気遣い。
なんとも、お人よしのとのさまだこと。
初出は『春秋左氏伝』僖公二十二年。
お話はこんなぐあいです。
春秋時代の宋は、かつての殷(商とも)の生き残りが運営している国。小国でしたが、プライドだけは異様に高いのです。
宋は斉と友好関係でした。ともに、春秋の五覇に数えられたりしています。
斉の桓公が亡くなると、おれもなれるかと、宋の襄公は盟主気取りとなります。それを快く思わない楚の成公。楚は南の大国です。宋の比ではありません。
そんなこんなで、前638年、宋軍と楚軍が、泓水(河南省商丘市)を挟んでにらみあうことに。
楚軍がいよいよ泓水を越えようとしています。
目夷が襄公にささやきます。この人は宋の令尹(宰相)です。
「楚は体形をくずして川を渡っています。いまですぞ。ここを討ちましょう」
「君子はそんな卑怯な手は使わないものだ」
ええー。いまがチャンスなのに。
楚軍は渡河を終えて、陣形を整えました。
そこで勝負。
あれれ。またたくまに宋軍は楚軍に殲滅されてしまいました。襄公も矢傷を。
うーん。これでは。
襄公は矢傷がもとで、二年後に亡くなります。
あーあ。
これが宋襄の仁です。なんとも、いやはや。
ときどき、このような原則を貫こうとするアタマのお固い人がいるものです。これでは厳しい現実社会は生き抜けません。
当時、宋国の人(宋人)は殷のなれの果て、遺民であることを、周囲からは侮られていたようです。宋を題材とする故事はことごとく、宋人が愚かで嘲笑の的となるものばかりです。これもそのひとつなのですね。
過去40年間の読売新聞記事では、5回使われていました。数は少ないのですが、なかなかぐっとくる使われ方をしていましたよ。