えどいり【江戸入り】ことば 江戸覗き

ここでは、徳川家康が江戸城に入ったのは8月1日(八朔)だったというのは実はうそだった、という話について記します。

関東入部  【RIZAP COOK】

史実は以下の通り。天正18年(1590)のことです。

7月5日 北条氏直が豊臣秀吉に降伏、小田原城が落城。
7月13日 秀吉が家康の関東転封を発表。
7月19日 秀吉と家康がが江戸城に入る。秀吉が家康に江戸城普請を命じる。その後、秀吉は宇都宮に移動。
7月中 家康配下の有力武将の知行割が行われる。

このように見ると、家康の江戸城に入城したのは8月1日以前だったことがわかります。

八朔  【RIZAP COOK】

中世の農村で「憑の節句」と呼ばれたもので、物品を贈答する予祝儀礼のひとつです。室町幕府がこれを儀礼に確立しました。織豊時代には中絶しましたが、家康が天皇に太刀と馬を献上して復活へ。江戸幕府は八朔を正月三が日と同等の重要な年中行事として、参賀儀礼に定めました。

八朔の当日(8月1日)は、大名や三千石以上の旗本が登城し、太刀目録と馬代目録を将軍に献上しました。ほかには、大名の嫡子や隠居、幕府の主な役人、医師、金座の後藤、本阿弥、御用絵師の狩野、猿楽師といった諸職人、それと町方の代表者(樽屋、奈良屋、喜多村)の参賀と献上がありました。

関連項目:品川心中

権現神話  【RIZAP COOK】

よく言われるのは、家康が入部する以前の江戸は荒野であり寒村であり、というイメージです。

でも、実際の天正年間の江戸は港町として栄え、東海から関東に荷発着する重要な拠点だったのです。北条氏がすでに開発、開拓していたのです。江戸を「なにもない土地」のイメージに語るのは、家康を大都市に様変わりさせていった功労者とたたえる意図があったのでしょう。

都市建設のこのようなイメージ作りを「葦原伝説」と名づけていますが、家康の江戸はまさにそれにぴったりの地だったわけですね。
それこそが二百六十年にわたる「お江戸」の「権現神話」の始まりだったといえるでしょう。毛沢東や金日成の創成神話に通ずるものです。

ちなみに、「権現」とは、仏や菩薩(悟った人)が衆生(人々)を救うためにいろいろな姿になって仮の姿になって現れること。これを権現といいます。権化とも。本地垂迹説では、仏が化身して日本の神さまになって現れることをさします。ここでいう権現は「東照権現」という名の徳川家康のこと。つまり、家康は権現になった仏だった、ということです。江戸時代に「権現さま」と言ったら、神君家康公、つまりは徳川家康のことです。浄土宗の信者で通っていた家康はじつは神さまになったつもりであいましたが、そのじつは仏だったということです。

参考文献:『新編千代田区史』通史編(東京都千代田区、1998年)、岡野友彦『家康はなぜ江戸を選んだか』(教育出版、1999年)、竹内誠他『東京都の歴史』(山川出版社、1997年)、藤田覚、大岡聡編『街道の日本史 江戸』(吉川弘文館、2003年)、加藤貴編『江戸を知る事典(東京堂出版、2004年)、大濱徹也、吉原健一郎編『江戸東京年表』(小学館、1993年)、『新装普及版 江戸文学地名辞典』(東京堂出版、1997年)

【語の読みと注】
権現 ごんげん:仏の仮の姿

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