【かつぎや】
かつぎや
縁起をかつぐ
【どんな噺】
正月ネタの噺。
縁起でもないことばがドッカンドッカン。
「縁起かつぎ」の「かつぎ」です。
別題:かつぎや五兵衛 七福神 正月丁稚(上方)
【あらすじ】
呉服屋の五兵衛だんなは、大変な御幣かつぎ(=縁起かつぎ)。
元旦早々、番頭始め店の者に、
「元旦から仏頂面をしていては縁起がよくない」
「二日の掃き初めが済まないうちに、箒に触るのはゲンが悪い」
などと、うるさく説教してまわるうち、飯炊きの作蔵がのっそりと現れた。
「魔除けのまじないになるから、井戸神さまに橙を供えてこい」
と、言いつける。
「ただ供えるんじゃない。歌を添えるんだ。『新玉の 年立ち返る あしたには 若柳水を 汲みそめにけり、これはわざとお年玉』。いいか」
間もなく、店中で雑煮を祝う。
そこへ作蔵が戻ってきた。
「ご苦労。橙を供えてきたか」
「りっぱにやってきたでがす」
「なんと言った」
「目の玉の でんぐりげえる 明日には 末期の水を 汲みそめにけり、これはわざとお入魂」
「ばか野郎」
ケチを付けられて、だんなはカンカン。
そこで手代が、餅の中から折れ釘が出てきたのは、金物だけに金がたまるしるしと、おべんちゃら。
作蔵が、またしゃしゃり出た。
「そうでねえ。身上を持ちかねるというこんだ」
そうこうするうち、年始客が来だしたので、だんな自ら、書き初めのつもりで記帳する。
伊勢屋の久兵衛というと長いからイセキュウというように、縮めて読み上げるよう言いつけたはいいが、アブク、シブト(=死人)、ユカンなど、縁起でもない名ばかり。
それぞれ、油屋久兵衛、渋屋藤兵衛、湯屋勘兵衛を縮めたものだから、怒るに怒れない。
そこへ現れたのが、町内の皮肉屋、次郎兵衛。
ここのだんながゲンかつぎだから、一つ縁起の悪いことを並べ立て、嫌がらせをしてやろうという趣向。
案の定、友達が首をくくって死んだので弔いの帰りだの、だんながいないようだが、元旦早々おかくれになったのは気の毒だだのと、好き放題に言った挙げ句、
「いずれ湯灌場で会いましょう。はい、さようなら」
だんなはとうとう寝込んでしまう。
なお悪いことに、ゲン直しに呼んだはずの宝船絵売りが、値段を聞くと一枚シ文、百枚シ百文と、シばかりを並べるので、いらないと断ると、
「あなたの所で買ってくれなきゃ、一家で路頭に迷うから、今夜こちらの軒先を借りて首をくくるから、そう思いねえ」
と脅かされて、踏んだり蹴ったり。
次に、また別の宝船屋。
今度は、いろいろ聞くと家が長者町、名は鶴吉、子供の名は松次郎にお竹と、うって変わって縁起がいいので、だんなは大喜び。
たっぷり祝儀をはずむ。
「えー、ごちそうに相なりまして、お礼におめでたい洒落を」
「うん、それは?」
「ご当家を七福神に見立てましょう。だんなのあなたが大黒柱で大黒様、お嬢さまはお美しいので弁天さま」
「うまいねえ、それから?」
「それで七福神で」
「なぜ?」
「あとは、お店が呉服(五福)屋さんですから」
【しりたい】
原話は多数
極端な御幣かつぎ(=縁起かつぎ)をからかった笑話は、各地の民話にも数多く残されています。
笑話集で最古とみられる原典は『醒睡笑』(安楽庵策伝)です。寛永5年(1628)刊『醒睡笑』巻一の「祝ひ過ぎるも異なもの」と題した一連の小咄は「かつぎや」の原話とみられています。
この章は二十三話からなります。
ほとんどがこの噺のプロット通り、主人公がせっかく縁起をかついでいるのに、無神経な連中に逆に縁起の悪いことばかり並べられて全部ぶち壊しになってしまうパターンです。
貞享3年(1686)刊『鹿の巻筆』にも類話が載っています。三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839.4.1-1900.8.11)の速記も残っています。
明治22年(1889)の二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)の速記では「かつぎや五兵衛」と題しています。
かつぎや五兵衛→御幣かつぎ=縁起かつぎ
ここからのもじりでしょう。二代目小さん以降は「かつぎや」でやっていますし、だんなにさからうのは権助が通り相場となっているようです。
「しの字嫌い」も同類の噺です。演者によってはネタが重複します。後述の通り。
上方では丁稚が悪役
上方版の「正月丁稚」では、丁稚(でっち=小僧)の定吉が不吉なことを並べる役。後半は、番頭始め店の者がゲン直しに「裏を閉めて、裏閉め(=浦島)太郎は八千歳」など、厄払いのダジャレを並べます。
オチは定吉が、布団を出して「夜具(=厄)払いましょう」と言うもので、古い江戸落語の「厄払い」の類話にもなっています。
上方落語では、だんなが愛人にしている芸者の縁起かつぎをからかって、正月早々不吉なことばかり並べる「けんげしゃ茶屋」もあります。
古風な噺で、五代目桂文枝(長谷川多持、1930.4.12-2005.3.12、三代目桂小文枝→)のは絶品でした。「けんげしゃ」は京ことばで「かつぎや」と同じ意味です。
元日の掃除は禁?
江戸には古くから、元旦には箒を持たない(=掃除をしない)慣習がありました。
明和2年(1765)刊『川柳評万句合勝句刷』に「箒持つ 下女は叱られ はじめをし」とあります。
このタブーのいわれは不明です。箒を逆さに立てて手拭いを被せ、客を早く帰らせるまじないがあったので、あるいは箒の呪力により、福の神を追い払ってしまうことをおそれたからかもしれません。
若柳水
わかやぎみず。若やぐ水の意。若水ともいい、旧年の邪気を取り除き、人を若返らせる願いをこめた習慣です。
虫除け
むしよけ。腹痛を防ぐまじない。「わざと」は「心ばかりの」の意味です。
宝船の絵
元旦の夕方から二日の昼頃までのわずかな頃合い。
宝船売りが、七福神の乗った船の図に、廻文歌「長き夜の とをのねぶりの 皆目覚め 波のりぶねの 音のよきかな」を書き添えた刷り物を、「お宝ァ、お宝ァ、宝船ぇー」と唱えて売り歩きました。
上から読んでも下から読んでも同じ文を、廻文といいます。
宝船売りは年に一度、この頃合いだけに練り歩いて売るものですから、副業ばかりです。
大伝馬町三丁目の鱗形屋孫兵衛の鶴林堂(地本問屋=書店)から売り出されていました。そこに行って、卸してもらうのですね。
正月二日の夜、これを枕の下に引き、吉夢の初夢を見るようにとのまじないでした。
このならわし、つまり、二日の夜が初夢というならわしは、天明年間(1781-89)だそうです。
『松浦の太鼓』という、明治の歌舞伎があります。忠臣蔵ものです。
吉良邸討ち入りの前夜。
すす竹売りに身をやつした大高源吾(俳名子葉)が俳句の師宝井其角に出会い、其角の「年の瀬や 水の流れと 人の身は」という前句に「明日待たるる その宝船」と付け、密かに決意を披露する場があります。
ただ、其角は付け句の真意をわかりかねている風情でした。ここがいい。

類話「しの字嫌い」
同じ題材を扱った噺に、隠居が、「死」につながるというので「し」のつく言葉を使うことを下男に禁止する類話「しの字嫌い」があります。
これは、「かつぎや」の噺のマクラや最初の宝船売りとのくだりを独立、ふくらませたものと考えられます。


