もりおうがいしぶえちゅうさいにとうじょうするえんちょう【森鷗外『澀江抽斎』に登場する円朝】

【RIZAP COOK】

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

森鷗外『澀江抽斎』の「その百十三」に以下のようなくだりがありました。かなり終わりのほうです。

或日又五百と保とが寄席に往った。心打は円朝であったが、話の本題に入る前に、かう云ふ事を言った。「此頃緑町では、御大家のお嬢様がお砂糖屋をお始になって、殊の外御繁昌だと申すことでございます。時節柄結構なお思ひ立で、誰もさうありたい事と存じます」と云った。話の中に所謂心学を説いた円朝の面目が窺がはれる。五百は聴いて感慨に堪へなかったさうである。

 明治20年頃のこと。澀江抽斎の四女陸(くが)が稲葉氏の援助で本所緑町に砂糖店を開きました。評判を聞きつけた円朝は、さっそく高座にちょっとした話題としてマクラにかけたようです。維新後、士族が生活自立に苦労しているのを見るにつけ、このように「がんばってます」といった情報を伝えたかったのでしょう。文中の五百(いお)は保(たもつ)の母、保は陸の夫です。円朝はつねに世事の変化に敏感だったといえます。

ただ、澀江陸はある事情で、円朝はじめ士族のご婦人方の応援にこたえられず、まもなく砂糖店を店じまいすることになってしまいました。残念です。

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えどのまち【江戸の町】知っておきたい

落語はじめ時代劇などに登場する江戸の町を表現することばを集めました。

■土地

江戸入府えどにゅうふ 天正18年(1590)8月1日、徳川家康が江戸城に入ったことをさす。=江戸入城 =江戸入国

御城おしろ 江戸城。江戸町人の日頃の呼称

御府内ごふない 江戸の正式名称

御用地ごようち 江戸幕府の土地

武家地ぶけち 江戸全体の69%

町地ちょうち 江戸全体の16%。町数まちすうは18世紀半ばで1678町

寺社地じしゃち 江戸全体の15%

ときかね 時刻を知らせる鐘。江戸城西ノ丸にあったものが、寛永3年(1626)に日本橋石町三丁目に移り、その後は12か所にも

■水運

江戸湊えどみなと 江戸城前の港。ここを中心に開かれた

河岸かし 町地の荷揚げ場

物揚ものあ 武家地の荷揚げ場

わたし 渡し船の発着する場所。渡船場とせんばとも

■屋敷

屋敷屋敷 家を建てることを許された土地

大名屋敷だいみょうやしき 諸国の大名が幕府から下賜された土地。明暦の大火(1657)以降には、上中下に分けて営むように

上屋敷かみやしき 藩主と家族が住む場所

中屋敷なかやしき 隠居した藩主が住む場所

下屋敷しもやしき 藩主の別荘。避難所や仮屋敷にも。四谷、駒込、下谷、本所などに多い

蔵屋敷くらやしき 湊や河岸にあって、年貢米や特産物を収納したり売ったりするための場所

大縄地おおなわち 大番以下の幕臣で同じ組に属する者にまとめて下賜された土地

上地あげち 幕府拝領地を返納や没収などで戻した土地

定火消屋敷じょうびけしやしき 幕府お抱えの火消しに任命された幕臣に下賜された土地。計10か所

■町地

ちょう 町地では「ちょう」。室町むろまちなどの古町こちょうは例外

まち 武家地では「まち」。番町ばんちょうなど江戸初期の町名には例外も

両側町りょうがわちょう 表通りを挟み、その両側でひとつの町となっているところ

片側町かたがわまち 町の片側だけでできた町。武家地によくあった

横町よこちょう 町地で表通りから横に入る道。幕府の許可制

横丁よこちょう 幕臣の宅地や寺町に入る道

新道じんみち 家屋ができた後にできた町地の道。幕府の許可制

小路こうじ 武家地の通りの呼称。横町に相応

たな 武家が拝領地を町人に貸して地代を取った土地。玄冶店げんやだな木原店きわらだななど。十軒店じっけんだなは例外。

代地だいち 町の全部や一部が移転させられた土地

元、本、新もと、ほん、しん 町の丸ごと移転でできた町名。移転元は元や本が、移転先には新が冠された

門前町もんぜんちょう 寺社の前にできた町。寺社奉行支配(管轄)。町奉行所に権限がないため岡場所が発達

広小路ひろこうじ 町地の防火地帯、避難場所

火除明地ひよけあけち 武家地の防火地帯、避難場所。火除地ひよけちとも

■遊里

吉原よしわら 幕府公認の遊郭。初期は葭町に、明暦大火後は浅草田圃に

岡場所おかばしょ 非公認の遊里

四宿ししゅく 江戸の幹線道路に通じる宿場。品川(東海道)、新宿(甲州街道)、千住(奥州街道)、板橋(中山道)。飯盛女ましもりおんなや宿場女郎が黙認され岡場所としても発展

日本史コラム【目次】 

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

■先史・古代

旧石器、縄文時代 最終氷河期 列島最古の人々 どこから来たか 3万年前の種子島 捏造の新石器 土器の出現 はじまりとひろがり 定住生活 縄文文化の東西南北 三内丸山遺跡 クリと人々 縄文人の一生 再生のまつり 縄文人って? 縄文人と犬 測定技術 続縄文文化 

弥生時代 はじまりを知る 相続と格差 最古のイエネコ 平和から戦争へ 世界史の中の弥生時代 土器と稲作 稲作の視点 新たな年代観 貝塚後期 青銅器と鉄器 墳墓と王の姿 中国王朝と弥生時代 邪馬台国論争 戦いとクニ 卑弥呼の真相 弥生時代と古墳時代 騎馬民族説の顛末 巨大化した古墳 纏向遺跡 製鉄のはじまり 古代国家の誕生 国家形成と飛鳥宮 多賀城と大宰府 沖ノ島 正倉院文書 出土文字資料 延喜式 古代と中世の違い 年代測定の進展 鉛同位体比分析 総括の弥生時代 考古学からの日朝関係史 

見直される半島との関係 半島と倭 渡来人 「任那」の実態 
「聖徳太子」はいたのか  厩戸王 推古王権 遣隋使の役割 
藤原京の実際  「天皇」の登場 「日本」のデビュー 見直し藤原京
律令国家の最盛期  長屋王家木簡 公地公民制 墾田永年私財法
仲麻呂と道鏡  藤原仲麻呂 道鏡の登場 揺れる王朝
桓武天皇と嵯峨天皇  桓武朝 唐式の祭祀と装束 薬子の変
引き続きの日中交流  遣唐使は「停止」 唐物と巡礼僧 国風文化の実態
受領の底力  国司の底力 任国支配 受領の実態
アップデート摂関政治論  女系の重視 政所政治の疑問 太政官の機能

■中世

武士のはじまり 平安時代
初めての武士政権 平安時代
更新される源頼朝 鎌倉時代
北条政子の実像 鎌倉時代
モンゴル襲来の深層 鎌倉時代
鎌倉新仏教の実態 鎌倉時代
新しい後醍醐政権 室町時代
義満と天皇 室町時代
幕府が分裂 室町時代
社会経済史、文化史 室町時代
一揆のイメージ 室町時代
戦国、始まりと終わり 戦国時代

■近世

変わる信長像 戦国時代
秀吉の真相 戦国時代
関ヶ原の戦いの意味 江戸時代
消えるか、鎖国 江戸時代
江戸の都市生活 江戸時代
刷新される綱吉像 江戸時代
新説三大改革 江戸時代
変わる田沼政治 江戸時代
近世の身分制度 江戸時代
一変した化政文化 江戸時代
藩は「三十年一日」 江戸時代
大塩の乱の評価 江戸時代

■近現代

明治維新の実体 明治時代
二つの国際秩序 明治時代
憲法発布から日清・日露へ 明治時代
転換期の大正 大正時代
軍靴と銃声 昭和時代
「先の大戦」とは 昭和時代
占領と戦後改革 昭和時代
高度成長期の新視点 昭和時代
バブル経済 昭和時代
現在史の書かれ方 平成時代

参考文献:高橋秀樹、三谷芳幸、村瀬信一『ここまで変わった日本史教科書』(吉川弘文館、2016年)、藤尾慎一郎、松木武彦『ここが変わる!日本の考古学 先史・古代史研究の最前線』(吉川弘文館、2019年)、中央公論新社編『歴史と人物5 ここまで変わった! 日本の歴史』(中央公論新社、2021年)、大津透ほか編『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店、2013~15年)

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