しろうとうらない【素人占い】演目

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勘当された若だんな。「お天道さまと米の飯は」とまぬけでのんき。

あらすじ

紀伊国屋という綿屋の若だんな。

略して紀綿さんと呼ばれているが、大変な道楽者で、吉原の花魁に入れ揚げてとどのつまりは、勘当。

「お天道さまと米の飯はどこでも付いて回る」
と「唐茄子屋政談」の若だんなとちょうど同じことを言って、家を飛び出し、花魁の所へ転がり込むが、金の切れ目が縁の切れ目、ていよく追い出され、結局、見世に出入りの印判屋の喜兵衛の家で居候を決め込む身とはなった。

若だんながあんまりにも怠け者でずうずうしいから、案の定、かみさんが怒り出す。

喜兵衛は板挟みで、若だんなに
「なにか商売を」
と勧めると、今度の若だんなは
「易者になりたい」
と言い出す。

みかん箱を一つ借り、白布を掛けて見台、魚串が筮竹。

家の半分を借りて「人相手相墨色判断」と看板を書いてもらい、名も平安時代の陰陽師安倍晴明をもじって「今晴明」というごたいそうなのを付けた。

最初に来たのは女で、三味線のお師匠さん。

母親に琴も教えたらどうかと言われ、やった方がいいか見てもらいたいと言うので、無理はコトだからおやめなさいとくだらない駄じゃれでごまかし、三味線だけに心を太棹に持って辛抱が肝心と、落語家のようなことを言って帰す始末。

次は鳶頭の娘。縁談があるが、うまくいくか見てほしいと頼む。

娘が違うと言うのに、強引に娘は火性、先方の男は水性ということにしてしまって、
「だんなは水性だから、鰻と同じ穴っぱいり(浮気)の好きな質、おまえさんは火だから、カッカと焼くので、釣り合わないからおやめなさい。それよりいっそ、芸者にでも出て」
と、めちゃくちゃを言うので、娘は怒って帰ってしまう。

あとから若い者が押しかけ
「この野郎、てめえが易者か。家の姉御をおつゥまぜっ返しゃあがったな」

ポカポカポカと殴られ、コブだらけにされた若だんな。

自業自得とはいえ、すっかり易者に懲り、今度は医者をやると言い出す。

また看板を書き換え、今度は
「施しに五銭で診察する」
と宣伝したので、さっそく客が来る。

女が腰がつると言うと、にわか医者
「それは疝気」
「疝気は男の」
「女だって疝気だ。橙の粉にマタタビをなめなさい」

喜兵衛に女は寸白と教えられ
「おまえさんは医者をやったことがあるね」
「やらなくたってわかります」

そこへ蔵前の万屋という茶問屋から、
「奥方が風邪をこじらせたのでみてくれ」
と言ってくる。

金になりそうだからさっそく出かけて、かっこうをつけるため、お茶を所望。

「これはけっこうで。ご主人はどういうご流儀で?」
「千家でございます」
「それでわかった。奥さまは寸白でしょう」

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うんちく

後継者のいない噺 【RIZAP COOK】

大正4年(1915)9月刊『三遊連柳連名人落語十八番』に、六代目金原亭馬生の速記が掲載されています。

この馬生は、後年、四代目古今亭志ん生を襲名。五代目志ん生の二人目の師匠です。

歯切れのいい江戸前の芸風で人気がありましたが、襲名後わずか一年あまりの大正15年(1926)1月、48歳の若さで亡くなりました。

戦後では、初代林家三平や八代目橘家円蔵の師匠で、七代目橘家円蔵(あのねの円蔵)がたまに演じましたが、彼の没後、東京ではほとんどやり手はいません。

ならぬ勘当、するが勘当 【RIZAP COOK】

とうの昔に死語と化しましたが、勘当には二通りありました。

ほとんどの場合、こらしめのため、家に出入りを禁ずるという形をとり、落語の居候の若だんなはみなこれです。

ただ、どうにも手がつけられず、犯罪などで親族に累を及ぼす場合は、親類同意の上で除籍します。

これで、勘当された者は無籍、つまり無宿人となります。その名を記載したのが久離勘当帳、または言上帳ともいいました。「久離を切って勘当する」というのは、親父の脅しの常套文句でした。

これは町名主が管理し、復籍する際はそこから名前を消します。ついでに、これが「帳消し」の語の起こりです。

懲りない若だんな 【RIZAP COOK】

毎度おなじみ、懲りない若だんな。

今回は易者志望で、また一騒動。原話は不詳ですが、民話がルーツともいわれます。前半は「湯屋番」「素人車」などと同じく、勘当→居候という一連のパターンなので、誰かがバリエーションを変えて改作したのかもしれません。

「きめんさん」で演じることがあるのは、主人公が紀伊国屋という綿屋の息子だからで、上方ではこの題で演じられます。医者の息子という設定もあります。

【語の読みと注】
花魁 おいらん
居候 いそうろう
筮竹 ぜいちく
太棹 ふとざお
鳶頭 とびのかしら
姉御 あねご
疝気 せんき
寸白 すばこ:女の生理病
久離 きゅうり:関係を断絶すること

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ごもくこうしゃく【五目講釈】演目

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「若だんな勘当もの」の一つです。

あらすじ

お決まりで、道楽の末に勘当となった若だんな。

今は、親父に昔世話になった義理で、さる長屋の大家が預かって居候の身。

ところがずうずうしく寝て食ってばかりいるので、かみさんが文句たらたら。

板挟みになった大家、
「ひとつなにか商売でもおやんなすったらどうか」
と水を向けると、若だんな、
「講釈師になりたい」
と、のたまう。

「それでは、あたしに知り合いの先生がいますから、弟子入りなすったら」
大家がと言うと
「私は名人だから弟子入りなんかすることはない、すぐ独演会を開くから長屋中呼び集めろ」
と、大変な鼻息。

若だんな、五十銭出して、
「これで菓子でも買ってくれ」
と気前がいいので、
「まあそんなら」
とその夜、いよいよ腕前を披露することにあいなった。

若だんな、一人前に張り扇を持ってピタリと座り、赤穂義士の討ち入りを一席語り出す。

「ころは元禄十五年極月中の四日軒場に深く降りしきる雪の明かりは見方のたいまつ」
と出だしはよかったが、そのうち雲行きが怪しくなってくる。

大石内蔵助が吉良邸門外に立つと
「われは諸国修行の勧進なり。関門開いてお通しあれと弁慶が」
といつの間にか、安宅の関に。

「それを見ていた山伏にあらずして天一坊よな、と、首かき斬らんとお顔をよく見奉れば、年はいざようわが子の年輩」
と熊谷陣屋。

そこへ政岡が出てくるわ、白井権八が出るわ、果ては切られ与三郎まで登場して、もう支離滅裂のシッチャカメッチャ。

「なんだいあれは。講釈師かい」
「横町の薬屋のせがれだ」
「道理で、講釈がみんな調合してある」

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しりたい

またも懲りない若だんな  【RIZAP COOK】

原話は、安永5年(1776)刊『蝶夫婦』中の「時代違いの長物語」です。

これは、後半のデタラメ講釈のくだりの原型で、歌舞伎の登場人物を、それこそ時代もの、世話ものの区別なく、支離滅裂に並べ立てた噴飯モノ。いずれにしても、客が芝居を熟知していなければなにがなにやら、さっぱりわからないでしょう。

前半の発端は「湯屋番」「素人車」「船徳」などと共通の、典型的な「若だんな勘当もの」のパターンです。

江戸人好みパロディー落語  【RIZAP COOK】

明治31年(1898)の四代目春風亭柳枝(1868-1927)の速記が残ります。柳枝は「子別れ」「お祭り佐七」「宮戸川」などを得意とした、当時の本格派でした。 

寄席の草創期から高座に掛けられていた、古い噺ですが、柳枝がマクラで、「お耳あたらしい、イヤ……お目あたらしいところをいろいろとさし代えまして」と断っているので、明治も中期になったこの当時にはすでにあまり口演されなくなっていたのでしょう。

講談や歌舞伎が庶民生活に浸透していればこそ、こうしたパロディー落語も成り立つわけで、講釈(講談)の衰退とともに、現在ではほとんど演じられなくなった噺です。CD音源は五代目三遊亭円楽のものが出ています。

興津要(早大教授、1999年没)はこの噺について「連想によってナンセンス的世界を展開できる楽しさや、ことば遊び的要素があるところから江戸時代の庶民の趣味に合致したもの」と述べています。

五目  【RIZAP COOK】

もともとは、上方語で「ゴミ」。転じて、いろいろなものがごちゃごちゃと並んでいること。現在は「五目寿司」など料理にその名が残っています。遊芸で「五目の師匠」といえば、専門はなにと決まらず、片っ端から教える人間で、江戸でも大坂でも町内に必ず一人はいたものです。

【語の読みと注】
蝶夫婦 ちょうつがい

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よかちょろ【よかちょろ】演目

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なんだか意味不明の「よかちょろ」。道楽息子の噺です。

別題:山崎屋・上

【あらすじ】

若だんなの道楽がひどく、一昨日使いに行ったきり戻らないので、だんなはカンカン。

番頭に、おまえが信用しないとよけい自棄になって遊ぶからと、与田さんの掛け取りにやるように言ったのがいけないと、八つ当たり。

今日こそみっちり小言を言うから、帰ったら必ず奥へ寄越すように、言いつける。

実はこっそり帰っている若だんな、おやじが奥へ入るとちゃっかり現れ、番頭にさんざん花魁のノロケを聞かせた挙げ句、ずうずうしくも、これからおやじに意見してくるという。

「おやじは、癇癪持ちだから、すぐ煙管の頭でポカリとくるが、あたしの体は花魁からの預かり物で、顔に傷をつけるわけにはいかない。もし花魁が傷のわけを知ったら『なんて親です。おやじというのは人間の脱け殻で、死なないように飯をあてがっとけばいいんです。そういうおやじは片づけてくださいッ』」

興奮してきて番頭の首を締め上げ、大声を出すので奥に筒抜けで、
「番頭ォ」
とどなる声。

「あたしがやりこめて、煙管が飛んできたら体をかわすから、おまえが代わりに首をぬっと出しな」
「ご免こうむります」

嫌がるのをぽかりとなぐり、一回二円で買収し、おやじの前へ。

「おとっつぁん、ご機嫌よろしゅう」
「ちっともご機嫌よくないッ。黙って聞いてりゃいい気になりゃあがってッ。おまえみたいなのは、兄弟があれば家に置く男じゃないんだ」

与田さんとこで勘定は取ってきたかと追及すると、確かに十円札で二百円もらったが、使っちまったと、いう。

おやじ、唖然として、
「たった一日や半日で二百円の大金を使い切れるものじゃない」
と言うと、
「ちゃんと筋道の通った、むだのない出費です」
と、譲らない。

いよいよ頭に来て
「なら、内訳を言ってみろ。十銭でも計算が違ったら承知しないからな」

若だんな、いわく、
「まず髭剃代が五円」

大正のそのころで、一人三十銭もあれば顔中髭でもあたってくれる。

「おとっつぁんのは普通の床屋で、あたしのは、花魁が『あたしが湿してあげます。こっちをお向きなさいったら』って」
と、おやじの顔をグイと両手でこっちへ向けたから、おやじは毒気を抜かれてしまう。

あとは
「『よかちょろ』を四十五円で願います」

「安くてもうかるものだ」
というので、
「ふうん、おまえはそれでも商人のせがれだ。あるなら見せなさい」
「へい。女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすきィ……しんちょろ、味見てよかちょろ、しげちょろパッパ。これで四十五円」

あきれ返って、そばの母親に
「二十二年前に、おまえの腹からこういうもんができあがったんだ。だいたいおまえの畑が悪いから」
「おとっつぁんの鍬だってよくない」
と、ひともめ。

「孝太郎が自分の家のお金を喜んで使ってるんだから、それをお小言をおっしゃるのはどういう料簡です。それに、あなたと孝太郎は年が違います」
「親子が年が同じでたまるかい」
「いいえ、あなたも二十二のときがありました。あなたが二十二であたしが十九で、お嫁に来たとき三つ違い。今でも三つ違い」
「なにを、ばかなことを言ってるんだ」

これから若だんな勘当とあいなる。

底本:八代目桂文楽

【しりたい】

遊三、文楽

「山崎屋」の発端部分を、初代三遊亭遊三が明治20年(1887)前後に、当時流行の「よかちょろ節」を当て込んで滑稽落語に改作したものですが、現在では別話と見なされます。

遊三以後はほとんど演じ手がなく、昭和以後は八代目桂文楽の独壇場でしたが、その没後は継承者はいません。

遊三では、このあと、母親が父親とのなれそめをえんえんとのろけたあげく夫婦げんかになり、おやじが今聞いた「よかちょろ」の歌詞をもう忘れているというので、「パッパというところがありますよ。お父さんパッパ」「ハッハ、よかちょろパッパ」となっていますが、わかりづらい(英語のパパ=パッパを効かしたものか?)ので、文楽が以下をカットしています。

文楽晩年の演出ではオチはありませんが、かつては、若だんながこれ以外の出費を並べて二百円ちょうどにしたので、おやじがケムにまかれて「うん、してみると無駄が少しもない」と落とすやり方もありました。

山崎屋

長編で、道楽者の若だんなが番頭の知恵でおやじをだまし、めでたく吉原の花魁を身請けしてかみさんにするという筋です。

「よかちょろ」のもとになった発端部分は、若だんなの花魁のノロケを、そっくり小僧がまねしてしかられる、というたわいないお笑いです。本体の「山崎屋」でも、この部分はかなり早くから演じられなくなっていました。

よかちょろ節

明治21年(1888)ごろ流行した俗曲です。

芸者だませば七代たたる
パッパよかちょろ
たたるはずだよ猫じゃもの
よかちょろ
スイカズワノホホテ
わしが知っちょる
知っちょる
言わでも知れちょるパッパ

こういう歌詞が伝わりますが、意味は不明。

この噺のとは違いますが、とにかく「パッパよかちょろ」が付けばいいとかなり替え歌ができたようです。

「よか」と「ちょろ」

「よかちょろ」の「ちょろ」は、東京ことばの「ちょろ」または「ちょろっか」で、「安易」「たやすい」の意味。

「よか」は薩摩なまりに引っかけたものでしょう。つまり、「いいよいいよ、ちょろいもんだ」ということ。

遊三の現存の速記は明治40年(1907)のものです。噺中の替え歌「女ながらも……」の元唄は不明で、おそらく内容から、日清か日露の戦時中のものと思われます。

スイカズワ

「猫」は芸者の異称で、猫皮の三味線を商売道具にし、客を「化かす」ところから。「スイカズワのホホテ」は、おそらく「すいかづら(忍冬=ツルクサ、カヅラの一種)の這うて」の誤記・誤聞で、ツルクサが長く這うように、相手をずっと思い続ける意味なのでしょう。「玉かづら→這(延)う」は万葉時代からの代表的な枕詞です。

「いいよいいよ、おまえたちの仲はお見通しだ。ワシが何もかものみこんでいるから心配するな」という内容の、粋な唄ですね。

【語の読みと注】
花魁 おいらん
癇癪 かんしゃく
煙管 きせる
唖然 あぜん
髭 ひげ
料簡 りょうけん

かじむすこ【火事息子】演目

火事好きのせがれ。家出の果ては全身文身の臥煙に。火事が親子の対面。

あらすじ

神田三河町の、伊勢屋という大きな質屋。

ある日近所で出火し、火の粉が降りだした。

火事だというのに大切な蔵に目塗りがしていないと、だんながぼやきながら防火に懸命だが、素人で慣れないから、店中おろおろするばかり。

その時、屋根から屋根を、まるで猿のようにすばしこく伝ってきたのが一人の火消し人足。

身体中見事な刺青で、ざんばら髪で後ろ鉢巻に法被という粋な出で立ち。

ぽんと庇の間に飛び下りると、
「おい、番頭」

声を掛けられて、番頭の左兵衛、仰天した。

男は火事好きが高じて、火消しになりたいと家を飛び出し、勘当になったまま行方知れずだったこの家の一人息子・徳三郎。

慌てる番頭を折れ釘へぶら下げ、両手が使えるようにしてやった。

「オレが手伝えば造作もねえが、それじゃあおめえの忠義になるめえ」

おかげで目塗りも無事に済み、火も消えて一安心。

見舞い客でごった返す中、おやじの名代でやってきた近所の若だんなを見て、だんなはつくづくため息。

「あれはせがれと同い年だが、親孝行なことだ、それに引き換えウチのばか野郎は今の今ごろどうしていることやら……」
と、そこは親。

しんみりしていると、番頭がさっきの火消しを連れてくる。

顔を見ると、なんと「ウチのばか野郎」。

「徳か」と思わず声を上げそうになったが、そこは一徹なだんな。

勘当したせがれに声など掛けては世間に申し訳がないと、やせ我慢。

わざと素っ気なく礼を言おうとするが、こらえきれずに涙声で、
「こっちィ来い、このばかめ。……親ってえものはばかなもんで、よもやよもやと思っていたが、やっぱりこんな姿に……しばらく見ないうちに、たいそういい絵が書けなすった……親にもらった体に傷を付けるのは、親不孝の極みだ。この大ばか野郎」

そこへこけつまろびつ、知らせを聞いた母親。

甘いばかりで、せがれが帰ったので大喜び。

「鳥が鳴かぬ日はあっても、おまえを思い出さない日はなかった、どうか大火事がありますようにと、ご先祖に毎日手を合わせていた」
と言い出したから、おやじは目をむいた。

母親が
「法被一つでは寒いから、着物をやってくれ」
と言うと、だんなはそこは父親。

「勘当したせがれに着物をやってどうする」
と、まだ意地づく。

「そのぐらいなら捨てちまえ」
「捨てたものなら拾うのは勝手……」

意味を察して、母親は大張り切り。

「よく言ってくれなすった、箪笥ごと捨てましょう。お小遣いは千両も捨てて……」

しまいには、
「この子は小さいころから色白で黒が似合うから、黒羽二重の紋付きを着せて、小僧を供に……」
と言いだすから、
「おい、勘当したせがれに、そんななりィさせて、どうするつもりだ」
「火事のおかげで会えたんですから、火元へ礼にやります」

しりたい

命知らずの臥煙渡世   【RIZAP COOK】

ここでは、徳三郎は町火消ではなく、定火消、すなわち武家屋敷専門の火消人足になっている設定です。

これは臥煙(がえん)とも呼ばれますが、身分は旗本の抱え中間(武家奉公人)で、飯田町(今の飯田橋辺)ほか、10か所に火消屋敷という役宅がありました。もっぱら大名、旗本屋敷のみの鎮火にあたります。平時は役中間部屋の大部屋で起居しています。太い丸太ん棒を枕にしてざこ寝して、いざ火事となると不寝番が丸太ん棒の端っこを叩いて起こす、という粗っぽさ。法被一枚、下帯一本で火事場に駆けつけます。家々を回って穴開き銭の緡縄を高値で押し売りしたり、役中間部屋では年中賭場を開いたりしている、江戸のダニです。やくざです。それでも火事となるといさみにましらのごとく屋根から屋根を飛び移っては消火に励むわけで、まさに役に参ずる人たちでした。

せがれが臥煙にまで「身を落とした」ことを聞いたときの父親の嘆きが推量できますが、この連中は町火消のように刺し子もまとわず、法被一枚で火中に飛び込むのを常としたため、死亡率も相当高かったわけです。

小説「火事息子」   【RIZAP COOK】

落語の筋とは直接関係ありませんが、劇作家・演出家でもあった久保田万太郎(1889-1963)に、やはり、爽やかな明治の江戸っ子の生涯を描いた同名の小説があります。

これは、作者の小学校同窓であった、山谷の名代の料亭「重箱」の主人の半生をモデルとしたものです。重箱は今も赤坂にある鰻屋。超高級店です。江戸時代には山谷にありました。今と違って、山谷は避暑地でした。

八代目正蔵の生一本   【RIZAP COOK】

徳三郎は、番頭を折釘にぶらさげて動けるようにしてやるだけで、目塗りを直接には手伝わず、また父親も、必死にこみあげる情を押さえ通して、最後まで「勘当を許す」と自分では口にしません。

ともすればお涙ちょうだいに堕しがちな展開を、この親子の心意気で抑制させた、すぐれた演出です。

こうした、筋が一本通った古きよき江戸者の生きざまを、数ある演者の中で、特に八代目林家正蔵が朴訥に、見事に表現しました。

明治期には初代三遊亭円右の十八番で、昭和に入っては正蔵始め、六代目三遊亭円生、五代目古今亭志ん生、三代目桂三木助など、名だたる大看板が競演しています。

火消屋敷

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