ゆやばん【湯屋番】落語演目



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【どんな?】

若だんな勘当の噺。
日本橋の湯屋で番台に。
女湯目当ての空騒ぎ模様。
風情がよござんす。

別題:桜風呂

あらすじ

道楽の末、勘当中の若だんな、出入りの大工・熊五郎宅の二階に居候の身。

お決まりでかみさんがいい顔をしない。

飯も、お櫃を濡れしゃもじでペタペタたたき、平たくなった上っ面をすっと削ぐから、中ががらんどう。

亭主の熊は、
「ゴロゴロしていてもしかたがないから、奉公してみたらどうです」
と言い出した。

ちょうど友達の鉄五郎が、日本橋槙町で奴湯という銭湯をやっていて、奉公人を募集中だという。

若だんな、とたんに身を乗り出し、
「女湯もあるかい」
「そりゃあります」
「へへ、行こうよ」

紹介状を書いてもらい、湯屋にやってきた若だんな。

いきなり女湯へ飛び込み
「こんちわァ」

度肝を抜かれた主人が、まあ初めは外廻りでもと言うと、札束を懐に温泉廻りする料簡。

木屑拾いとわかると
「色っぽくねえな。汚な車を引いて汚な半纏汚な股引き、歌右衛門のやらねえ役だ」
「それじゃ煙突掃除しかない」
と言うと
「煙突小僧煤之助なんて、海老蔵のやらねえ役だ」
と、これも拒否。

狙いは一つだけ。

強引に頼み込んで、主人が昼飯に行く間、待望の番台へ。

ところが当て外れで女湯はガラガラ。

見たくもない男湯ばかりがウジャウジャいる。

鯨のように湯を吹いているかと思えば、こっちの野郎は汚いケツで、おまけに毛がびっしり。

どれも、いっそ湯船に放り込み、炭酸でゆでたくなるようなのばかり。

戸を釘付けにして、男を入れるのよそう、と番台で、現実逃避の空想にふけりはじめる。

女湯にやってきた、あだな芸者が連れの女中に
「ごらん。ちょいと乙な番頭さんだね」
と話すのが発端。

お世辞に糠袋の一つも出すと
「ぜひ、お遊びに」
とくりゃあ、しめたもの。

家の前を知らずに通ると女中が見つけ、
「姐さん、お湯屋の番頭さんですよ」

呼ぶと女は泳ぐように出てくる。

「お上がりあそばして。今日はお休みなんでしょ」
「へい。釜が損じて早じまい」
じゃ色っぽくないから、
「墓参りに」
がいい。

「お若いのに感心なこと。まあいいじゃありませんか」
「いえ困ります」

番台で自分の手を引っ張っている。

盃のやりとりになり、女が
「今のお盃、ゆすいでなかったの」
と、すごいセリフ。

じっとにらむ目の色っぽさ。

「うわーい、弱った」
「おい、あの野郎、てめえのおでこたたいてるよ」

そのうち外はやらずの雨。

女は蚊帳かやをつらせて
「こっちへお入んなさいな」

ほどよくピカッ、ゴロゴロとくると、女はしゃくを起こして気を失う。

盃洗はいせんの水を口移し。

女がぱっちり目を開いて
「今のはうそ」

ここで芝居がかり。

「雷さまはこわけれど、あたしのためには結ぶの神」
「ヤ、そんなら今のは空癪からしゃくか」
「うれしゅうござんす、番頭さん」

ここでいきなりポカポカポカ。

「なにがうれしゅうござんすだい。ばか、まぬけ。おらァけえるんだ。下駄を出せ」

犬でもくわえていったか、下駄がない。

「そっちの本柾ほんまさのをお履きなさい」
「こりゃ、てめえの下駄か?」
「いえ、中のお客ので」
「よせやい。出てきたら文句ゥ言うだろう」
「いいですよ。順々に履かせて、一番おしまいは裸足で帰します」

しりたい

若だんな勘当系の噺

落語では、若だんなとくれば、「明烏」「千両みかん」のような少数の変わりダネを除いて、おおかた吉原狂い→親父激怒→勘当→居候と、コースは決まっています。

火事息子」「清正公酒屋」「唐茄子屋政談」「船徳」「竃幽霊」「宮戸川」「五目講釈」「山崎屋」などなど、懲りないドラ息子の「奮戦記」は多数ありますが、中でもこの「湯屋番」は、その見事なずうずうしさで、勘当若だんな系の噺ではもっともよく知られています。

古くから口演されてきましたが、明治の初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)がギャグ満載の爆笑噺に改造、ついで三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)や五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)が、現行の型をつくりました。

鼻の円遊の「湯屋番」

初代円遊の速記では、若だんなが歩きながら、湯屋を乗っ取って美人のおかみといちゃつく想像を巡らすところが現行の演出と異なります。

最後のオチは、若だんなが湯銭をちょろまかして懐に入れ、美女とごちそうを食べる想像するのを主人が見つけ、「その勘定は誰がする?」「先方の(空想の)女がいたします」としています。

四代目、五代目小さんの「湯屋番」

ここでのあらすじは、五代目小さんの速記を参考にしました。

男湯を見てげんなりするくだり、番台での一人芝居など、ギャグも含めてほとんど四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)が完成した型で、それが五代目小さんにそのまま継承されました。

四代目小さんは、明治44年(1911)の帝劇開場を当て込み、若だんなが豪勢な浴場を建て、朝野の名士がやって来る幻想にひたる改作「帝国浴場」を創作しました。

もちろん、遠い昔のキワモノなので、今はまったく忘れられています。

六代目円生の「湯屋番」

六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)の「湯屋番」は、めったにやりませんでしたが、やればまったく手を抜かず、四十分はかかる長講で、今レコードを聴いても一瞬もダレさせない、見事な出来です。(ま、これは編集の妙ではありますが)

かみさんが亭主に文句を言う場面から始まり、若だんなが、湯屋の亭主が近々死ぬ予定を勝手に立て、美人のかみさんの入り婿に直る下心で自分から湯屋に行くと言い出すところが、円生演出の特色です。

空想の中で都都逸をうたいすぎてのぼせ、色っぽい年増のかみさんに介抱されて一目ぼれするノロケをえんえんと語る場面は圧巻です。

湯屋の名を、古くは三遊派が「桜湯」、柳派が「奴湯」と決まっていましたが、六代目円生は「浜町の梅の湯」でやっていました。

居候あれこれ

他人の家に食客(=いそうろう)として転がり込む迷惑な人種のことですが、別名「かかりうど」「権八」、また、縮めて「イソ」とも呼ばれます。「誰々方に居り候」という、手紙文から出た言葉です。

居候の川柳は多く、有名な「居候三杯目にはそっと出し」ほか、「居候角な座敷を丸く掃き」「居候たばという字をよけてのみ」「出店迷惑さま付けの居候」など、いろいろあります。落語のマクラでは適宜、これらを引用するのが決まりごとです。

最後の句の「出店」は「でだな」で、居候の引き受け先のことです。

風呂屋じゃなくて湯屋

江戸では風呂屋でなく、「湯屋」。これはもう絶対です。

さらに縮めて「湯」で十分通じます。明治・大正まで、東京の下町では、女子供は「オユーヤ」と呼んでいました。

天正19年(1591)に、伊勢与一という者が、呉服橋御門の前に架かる銭瓶橋のあたりで開業したのが江戸の湯屋の始まりとされます。

ただし、当時は上方風の蒸し風呂でした。

日本橋槇町

にほんばしまきちょう。東京都中央区八重洲2丁目、京橋1丁目。

東京駅八重洲口の真向かいあたりです。

南槙町みなみまきちょう北槙町きたまきちょうに分かれ、付近に材木商が多かったところからついた地名といわれます。北槙町一帯は、元は火除地ひよけちでした。

石工いしくが集住していました。

舟で陸揚げした石材で五輪塔を多くつくったため、五輪町ごりんちょうの俗称もありました。

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