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【柳家小三治、逝く】

やなぎやこさんじゆく

青高の12月生まれ同士



成城石井

柳家小三治師匠が亡くなりました。残念です。

2021年9月25日、テレ東系「新美の巨人たち」で新宿末広亭の屋内が特集された折、ちょっとだけですが、師匠が登場していて、この演芸場のの空間を気持ちのいいほどほめちぎっていました。

お声がちょっとヘンだなあ、なんて感じましたが、あれが見納めでした。深山でこだまを聴いたような思い。

高田馬場の街角では、手塚治虫、楳図かずお、天本英世といった滔々たる有名人を、よくお見かけしたものです。もちろん、師匠も。ムトウとかで。1980年前後の話です。

永六輔が仕切るNHKのテレビ番組にも、師匠は出ていました。俳句つながりだったのですね。師匠は物故の名人上手のものまねなんかやって会場の客を大いに笑わせ、「こんなことやってるから、あたしゃ、出世が遅れたんですな」なんて、大声でひとりごちていました。小ゑんにいじめられてたんでしょうかね。

82年頃。土曜日の昼下がり、師匠のオーディオ番組をよく聴いてました。師匠は相当な音マニアでしたから、ジャズを中心に、たまにはクラシックやボサノバも。管見ながら、藤岡琢也をもしのぐものすごさだったような。

89年春、聖路加国際病院の朝。師匠が、道端にでっかいバイクを横付けして、あの建物に入るところをお見かけしました。

あれは、私のようにどなたかのお見舞いのためだったのか、あるいはご自身の定期診察ででもあったのか。細身に革張り黒ずくめのそのスタイルは永六輔にも似ていて、どこか洗練されていて、素っ気なくて、あこがれを抱くスタイルでした。

粋の体現だったような。六代目林家正蔵のスタイルをまねていたのを、後日知ったときにはホント、びっくりしました。

どこまでも、すっとぼけた、ものまねにたけた、さりげなさを最良とする噺家さんだったのですね。

志ん朝亡き後、小三治師匠の高みには雲助師匠だけが迫ってきているもんだと、勝手に思い込んでいました。その視点は間違いではないと思うのですが、両者の差異は大人と子供くらいあったように感じます。

ラジオ東京の「しろうと寄席」で15週勝ち抜いた果てに「大学に進まず落語家に入門する」という爆弾発言で、番組ファンは「誰に入門するのか」注目していたそうです。

1959年のことですから、文楽、志ん生、三木助、円生、正蔵などなど、あまたの名人上手がわんさか。その中から小さんを選んだのは慧眼だったのかもしれません。兄弟子に小ゑんがいたことが少なからずの不幸だったのでしょうけど。それでも才を盛る器がまったく違っていました。小ゑんは災でしたか。

若林映子あきこさんとは同じクラスだったのかどうか。同窓だったことはたしかなのですがね。ウッディ・アレンの監督第一作は若林映子さん主演のものでした。ビックリです。むちゃくちゃなパクリ映画でしたが、アレンのアジアン・ビューティー好きは筋金入りなのですね。

若林映子さんは12月14日、師匠は12月17日。お二人とも近いお生まれです。

これほど余韻を帯びた噺家、もういません。志ん朝が逝ってちょうど20年。ともに贅言せずとも客を笑わせる噺家でした。嗚呼。

柳家小三治のプロフィル
1939年12月17日~2021年10月7日
東京都新宿区出身。出囃子は「二上がりかっこ」。定紋は「変わり羽団扇」。本名は郡山剛藏こおりやまたけぞう。1958年、都立青山高校卒業。同学年に若林映子わかばやしあきこ、一学年下には仲本工事と橋爪功(天王寺高から転入)。ラジオ東京「しろうと寄席」で15週勝ち抜いて全国的に注目されました。59年3月、五代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。63年4月、二ツ目昇進し、さん治に。69年9月、17人抜きの抜擢で真打ち、十代目柳家小三治を襲名。76年、放送演芸大賞受賞。79年から落語協会理事に。81年、芸術選奨げいじゅつせんしょう文部大臣新人賞受賞。2004年に芸術選奨文部科学大臣賞を、05年4月、紫綬褒章しじゅほうしょう受章。10年6月、落語協会会長に。14年5月に旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょう受章。6月、落語協会会長を勇退し、顧問就任。10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。21年10月2日、府中の森芸術劇場での落語会で「猫の皿」を演じました。これが最後の高座に。10月7日、心不全のため都内の自宅で死去。81歳。戒名は昇道院釋剛優しょうどういんしゃくごうゆう。浄土真宗なのですね。69年に結成された東京やなぎ句会の創設同人の一。俳号は土茶どさ

郡山剛蔵くんを大きく舵切りさせた「しろうと寄席」は、聴取者が参加するラジオ公開放送演芸番組です。一般の聴取者が得意の芸を披露して、プロの審査員に評定され、番組が進行します。ラジオ東京(JOKR、現TBSラジオ)で昭和30年代前半に放送されました。ちなみに、一般人が放送に参加できるようになったのはNHK「素人のど自慢」が初めて。戦前ではあり得ないことでしたから、民主国家日本の画期でした。「しろうと寄席」もこれに倣ったのですね。放送期間は1955年3月9日~62年10月29日。番組開始時では大正製薬の単独提供だったのが、終了時には日電広告に。開始時では毎週水曜21時30分~22時。終了時では毎週月曜14時10分~15時に。司会は牧野周一(声帯模写)。審査員は、桂文楽(落語)、神田松鯉しょうり(講談)、コロムビアトップ・ライト(漫才)。主な出身者には、小三治師匠以外には、牧伸二(ウクレレ漫談)、入船亭扇橋(東京やなぎ句会同人、俳号光石)、片岡鶴八(声帯模写、片岡鶴太郎の師匠)など。フジテレビ系列で昭和40年代前半に放送された同名の番組もありましたが、これは別番組です。

小三治師匠が得意とした主な演目(順不同)

花見の仇討ち」「もう半分」「宿屋の富」「大山詣り」「三年目」「堪忍袋」「船徳」「不動坊火焔」「睨み返し」「長者番付」「粗忽の釘」「子別れ」「お化け長屋」「藪入り」「鹿政談」「芝浜」「三軒長屋」「蛙茶番」「死神」「お神酒徳利」「厩火事」「千両みかん」「小言幸兵衛」「あくび指南」「うどん屋」「癇癪」「看板のピン」「金明竹」「小言念仏」「大工調べ」「千早ふる」「茶の湯」「出来心」「転宅」「道灌」「時そば」「鼠穴」「初天神」「富士詣り」「百川」「薬缶なめ」「蝦蟇の油」「一眼国」「二人旅」「お直し」「湯屋番」「明烏」「たちきり」「五人廻し」「山崎屋」「禁酒番屋」「品川心中」「鰻の幇間」「青菜」「野ざらし」「二番煎じ」「粗忽長屋」「猫の皿」「厩火事」など。

柳家なのか三遊亭なのか、演目だけでは判断がつきません。というか、初代談洲楼燕枝(長島傳次、1837-1900)にならって「はなし」をじっくり体現しようとしたのかもしれません。晩年は滑稽噺ばっかりでしたが。 まくらが異様に発達進化したのは、その後の柳家の芸風ゆえんだったのではないでしょうか。「小言念仏」(マクラが魅力) 、「千早ふる」 (細部まで小さん流)、 「転宅」 はまた聴きたいです。

(2021年10月7日 古木優)

柳家小三治 人形町末広の思い出】

2002年7月14日 第27回朝日名人会 有楽町朝日ホール

人形町末広は、慶応3年(1867)に開場し、昭和45年(1970)1月に閉場しました。今は読売新聞系列のチラシ会社が建つのみ。お隣には刃物老舗の「うぶけや」が。店内に掛かった扁額は、日下部鳴鶴門下の一字ずつの寄せ書きとなっています。その内訳は、「う」が伊原雲涯、「ぶ」が丹羽海鶴、「け」が岩田鶴皐、「や」が近藤雪竹。みなさん、近代を代表する書家です。うぶけやの爪切りは高いけど、しびれる切れ味です。



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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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