【お神酒徳利】おみきどっくり 落語演目 あらすじ
【どんな?】
インチキ易で消えた徳利を見つけた(?)番頭。
その後の展開が西まで広がって。
別題:占い八百屋(上方)
【あらすじ】
日本橋の馬喰町一丁目に刈豆屋吉左衛門という旅籠があった。
先祖が徳川家康から拝領した、銀の葵の紋付きの一対のお神酒徳利を家法にして代々伝えてきたが、大切なものなので一年一回、大晦日の煤取り(大掃除)の時しか出さない。
ある年の大晦日、その煤取りの最中に、台所に水をのみにきた番頭の善六がひょいと見ると、大切なお神酒徳利が流しに転がっている。
入れものがないので、そばの大きな水瓶に放り込んで蓋をした。うっかり者の番頭、それっきり忘れてしまった。
店ではいよいよお神酒をあげようとすると、徳利がなくなっているので大騒ぎ。
ところが善六、帰宅して、はっと水瓶のことを思い出し、すぐ報告をと思うのだが、痛くもない腹をさぐられるのも……と困っていると、しっかり者の女房が知恵を授ける。
女房の父親がたまたま易者をしているので、それに引っかけて、筮竹はバレやすいから、商売柄、算盤をパチパチやって、ニワカ素人易者のふりをして言い当てて見せればいい、というわけ。
善六、店に戻ると、さっそく女房に言われた通り、いいかげんに易をたて、水瓶の蓋を取って徳利を「発見」してみせたので、主人は大喜び。
善六は易の大先生だと、店中の評判になる。
たまたま宿泊していて、この評判を聞きつけたのが大坂今橋・鴻池の番頭。
「主人の十七になる娘が三年この方大病で、あらゆる名医を頼み、加持祈禱も尽くしたが効果がなく困っていたところなので、ご当家にそんな大先生がおられるなら、ぜひ大坂に来ていただきたい」
とたっての願い。
善六、頭を抱えるがもう遅い。
帰って、また女房に相談すると、
「寿命のことは私にはわかりませんとかなんとかゴマかして、礼金の三十両もせしめておいで」
と尻をたたくので、不承不承、承知して、東海道を下ることとなった。
途中の神奈川宿・新羽屋源兵衛という本陣。
泊まろうとすると、家内になにやら取り込みがあるようす。
聞けば、宿泊中の薩州の侍の、密書入りの巾着が盗まれたとかで、主人が疑いをかけられて役所へひかれたという。
善六のことを聞くと、店中大喜び。
「ぜひ大先生にお願いを」
と言われて善六はゲンナリ。
もうこれまでと逃げ支度にかかった時、部屋の障子がスーっと開いて、色青ざめた女がおずおずと入ってくる。
聞くと、
「近在の百姓の娘で、この宿で働いているのですが、父親の病気を直したい一心からつい出来心で巾着に手を出してしまいました」
という。
「ご高名な易の先生が来ているというので、もう逃げられないと思い、こうして出てきました。どうぞお慈悲を」
と泣くので、善六、これぞ天運、と内心ニンマリ。
威厳を取りつくろって、巾着が、稲荷さまのお宮が嵐でつぶれて床板が積み重ねてある間に隠してあることをうまく聞き出した。
これは稲荷の祟りだ、と言いつくろって、巾着を首尾よく掘り出して見せたので、善六、もう神さま扱い。
女には礼金から五両与えて逃がしてやり、拝まれながら大坂へ出発した。
着いた鴻池でも、下へもおかない大歓迎。
しかし、そろそろ「仕事」にとりかからなければならないと、また気が重くなりだしたその夜、善六の夢枕に不思議な白髭の老人が立った。
これが実は、正一位稲荷大明神。
神奈川宿での一件以来、霊験あらたかな神社と評判で、はやりにはやって宮の造営もできたとかで、褒美として娘の「治療法」を教えてくれる。
稲荷に言われた通り、乾隅(西北の方角)の柱四十二本目を三尺五寸(106cm=卒塔婆の長さ)掘り下げると、一尺二寸(36.36cm)の観音像が現れた。
それを祭ると、病人はたちまち全快。
さあ、鴻池の喜びはひとかたでなく、望みのものをお礼に、と。
それならと、馬喰町に旅籠を一軒持たせてもらい繁盛した、という。
算盤占いだけに、生活がケタ違いによくなった、という話。
出典:六代目三遊亭円生
【しりたい】
世界中に流布する類話
上方落語のルーツ研究では右に出る者がない宇井無愁の『落語の根多』によると、日本各地に類話があるばかりか、朝鮮、中国、トルコ、コーカサスにも類似した民話があるとのことです。
「ごくあたりまえのことが無知の目には奇蹟とうつり、世間の無知が人気者を作り出すという諷刺になっている」(同書)という、相対価値観のパターンは共通しているのかもしれません。
やり方に二つの系統
この噺のやり方(演出)には、二つの系統があります。
一つは、上方噺「占い八百屋」を三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京に移して、それが四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)へと継承された、小さん系の型。
もう一つは、五代目金原亭馬生(宮島市太郎、1864-1946年、赤馬生、おもちゃ屋の)からの直伝で、この噺を押しも押されもせぬ十八番に仕上げた、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)のやり方です。
柳系と三遊系と分けてしまえば、いつものことですが。元は上方由来の噺ですから、そんなのとも違いますかね。
上のあらすじは、円生のものをテキストにしました。
この噺を得意とした三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)ははほぼ円生通りのやり方でした。
ただ、オチが「これも神奈川の稲荷大明神のおかげだね」「なあに、カカア大明神のおかげだ」となっています。
大阪、小さん系はいたずらから
小さんの方は前半が異なり、上方の通りで主人公は八百屋。
出入り先のお店で女中をからかってやろうとわざと徳利の片割れを水がめに隠しますが、ゲンが悪いと大騒ぎになって言い出せなくなり、やむなく算盤占いで……というのが発端です。
ここでは徳利は貴重品でも何でもありません。
在所の弟の訴訟事を占ってほしいという主人の頼みで三島宿(上方では明石宿)まで出かけ、途中の宿屋で頼まれた泥棒探しを運良く解決したものの、たちまち近在から依頼が殺到。
たまらなくなって逃走し、「今度は先生が紛失した」というオチです。
類話「出世の鼻」とのかかわり
「出世の鼻」(別題「鼻利き源兵衛」)という噺は、「お神酒徳利」に似ていますが、別話です。
主人公の八百屋が、算盤占いの代わりに、紛失物のにおいを鼻で嗅ぎ出すという触れ込みで、幸運にも大金持ちに成り上がるという異色作です。
馬喰町の旅籠
「宿屋の富」でも記しましたが、日本橋馬喰町は江戸随一の宿屋街です。
東海道筋からの旅人はもとより、江戸に全国から集まった「お上りさん」はほとんど、ここらへんの旅宿に草鞋を脱ぎました。
「八十二軒御百姓宿」といい、幕府公認、公許の旅籠街で、大坂では高津がこれにあたります。
この場合の「百姓」は「万民、人民」というほどの意味です。
大きく分けて、百姓宿と旅人宿がありました。
百姓宿は公事宿で、訴訟・裁判のために上京する者を専門に泊め、勘定奉行所の監督下で必要書類の作成など、事務手続きも代行しました。
旅人宿は、公事宿の機能をを兼ねる旅籠もありましたが、主に一般の旅人を宿泊させました。
ただし、こちらは町奉行所の管轄下で、怪しい者、手配の犯人が潜伏していないかなど、客を監視して逐一お上に通報する義務を負っていたところが、「公許」の旅籠街たるところです。
馬喰町の旅籠は「宿屋の仇討ち」にも登場します。
円生の噺中の「刈豆屋吉左衛門」は馬喰町の総取締で、実在の人でした。
五代目小さんのくすぐり
●八百屋が宿の待遇に文句をつけて
「客が着いたら、女房に閨房(ベッド)のお伽(お相手)をさせましょう、くらい言え」