ごにんまわし【五人廻し】演目

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明治の噺。古典落語は関東大震災以前の作品のことなんですね。

【あらすじ】

上方ではやらないが、吉原始め江戸の遊廓では、一人の花魁(おいらん)が一晩に複数の客をとり、順番に部屋を廻るのが普通で、それを「廻し」といった。

これは明治初めの吉原の話。

売れっ子の喜瀬川花魁。

今夜は四人もの客が待ちぼうけを食ってイライラし通しだが、待てど暮らせど誰の部屋にも一向に現れない。

宵にちらりと見たばかりの三日月女郎などはまだかわいい方で、これでは新月女郎の月食女郎。

若い者、といっても当年四十六になる牛太郎の喜助は、客の苦情に言い訳するのに青息吐息。

最初にクレームを付けたのは職人風のお兄さん。

おいらんに、空っケツになるまでのみ放題食い放題された挙げ句、思わせぶりに「すぐ来るから待っててね」と言われて夜通し、バターンバターンと草履の音がする度に今度こそはと身を乗り出しても、哀れ、すべて通過。

頭にくるのも無理はない。

喜助に散々毒づいた挙げ句、モモンガ-、チンケント-、脚気衝心、肺結核、発疹チフス、ペスト、コレラ、スカラベッチョ、まごまごしゃあがると頭から塩ォかけて食らうからそう思えと言いたい放題。

ほうほうの体で逃げだすと、次は官員らしい野暮天男。

四隣沈沈、空空寂寂、閨中寂寞とやたら漢語を並べ立てて脅し、閨房中の相手をせんというのは民法にでも出ておるのか、ただちに玉代を返さないとダイナマイトで……と物騒。

平謝りで退散すると今度は通人らしいにやけた男。

黄色い声で、「このお女郎買いなるものはでゲスな、そばに姫が待っている方が愉快とおぼし召すか、はたまた何人も花魁方が愉快か、尊公のお胸に聞いてみたいねえ、おほほほ」と、ネチネチいや味を言う。

その次は、最初の客に輪を掛けた乱暴さで、てめえはなんぞギュウじゃあもったいねえ、牛クズだから切り出し(細切れ)でたくさんだとまくしたてられた。

やっとの思いで喜瀬川花魁を捜し当てると、何と田舎大尽の杢兵衛だんなの部屋に居続け。

少しは他の客の所へも廻ってくれと文句を言うと「いやだよ、あたしゃあ」

お大尽、「喜瀬川はオラにおっ惚れていて、どうせ年季が明ければヒイフになるだからっちゅうてオラのそばを離れるのはいやだっちゅうだ」と、いい気にノロケて、玉代をけえせっちゅうんならオラが出してやるから、帰ってもらってくれと言う。

一人一円だから都合四円出して喜助を追い払うと、花魁が「もう一円はずみなさいよ」

あたしに一円くれというので、出してやると喜瀬川が「もらったからにはあたしのものだね。……それじゃあ、改めてこれをおまえさんにあげる」「オラがもらってどうするんだ」「これ持って、おまはんも帰っとくれ」

【しりたい】

みどころ

明治初期の吉原遊郭の様子を今に伝える、貴重な噺です。「五人廻し」と題されていますが、普通、登場する客は四人です。

やたらに漢語を連発する明治政府の官人、江戸以来(?)のいやみな半可通など、当時いたであろう人々の肉声、時代の風俗が、廓の雰囲気とともに伝わってきます。

特に、六代目円生のような名手にかかると、それぞれの人物の描き分けが鮮やかです。

それにしても、当時籠の鳥と言われた女郎も、売れっ子(お職)ともなると、客の選り好みなど、結構わがままも通り、勝手放題に振舞っていたことがわかります。

廓噺と盲小せん

吉原遊郭の情緒と、客と女郎の人間模様を濃厚に描く廓噺は、江戸の洒落本(しゃれぼん)の流れを汲み、かつては数多く作られ演じられましたが、現在では一部の噺を除いてすたれました。

「五人廻し」始め、「居残り佐平次」「三枚起請」など、今に残るほとんどの廓噺の原型を作り、集大成したのが、薄幸の天才落語家・初代柳家小せん(1883-1919)です。

歌人の吉井勇にも愛された小せんは、若い頃から将来を期待されましたが、あまりの吉原通いで不幸にも梅毒のため盲目となり、足も立たなくなって、おぶわれて楽屋入りするほどに衰え果てました。

それでも、最後まで高座に執念を燃やし、大正8年(1919)5月26日、36歳の若さで亡くなるまで、後の五代目古今亭志ん生や六代目三遊亭円生ら「若手」に古き良き時代の廓噺を伝え残しました。

「五人廻し」の演出 その1

現行のものは初代小せんが残したものがひな型です。

登場人物は六代目円生では、江戸っ子官員、半可通、田舎大尽(だいじん=金持ち)で、幻のもう一人は、喜瀬川の情夫ということでしょう。古くはもう一人、しまいに花魁を探してくれと畳を裏返す男を出すこともありました。本サイト「千字寄席」のあらすじでは古い速記を参照して、その客を四人目に入れてみました。

ギャグでは、三人目の半可通が、「ここに火箸が真っ赤に焼けてます……これを君の背中にじゅう……ッとひとつ、押してみたい」と喜助を脅すのが小せんのもので、今も生きています。

「五人廻し」の演出 その2

円生は、最初の江戸っ子が怒りのあまり、「そも吉原てえものの始まりは、元和三年の三月に庄司甚右衛門……明治五年、十月の幾日(いっか)に解放(注:娼妓解放令)、貸座敷と名が変って……」と、えんえんと吉原二百五十年史を講義してしまいます。その他、「半人前てえ人間はねえ。坐って半分でいいなら、ステンショで切符を坐って買う」というこれも小せん以来の、いかにも明治初期らしいギャグ、また、「てめえのへそに煙管を突っ込む」(三代目三遊亭円馬)などがあります。

オチは各自で工夫していて、小せんは、杢兵衛大尽の代わりに相撲取りを出し、「マワシを取られて振られた」とやっています。

二代目小さんの古い速記では「ワチキは一人で寝る」、六代目円生では、大尽が振られた最後の一人で、オチをつけずに終わっていますし、五代目志ん生は大尽が二人目、最後に情夫を出して、これも「帰っとくれ」と振られる皮肉な幕切れです。

【五人廻し 古今亭志ん朝】

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