【出来心】できごころ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
オチによっては「花色木綿」とも。
江戸前の泥棒噺。
前半で切ると「間抜け泥」。いかにもの笑い。
別題:花色木綿 間抜け泥(前半)
【あらすじ】
ドジな駆け出しの泥棒。
親分に、
「てめえは素質がないから廃業した方がいい」
と言われる。
心を入れ替えて悪事に励むと誓って、この間土蔵と間違って寺の練塀を切り破って向こうに出たとか、電話がひいてあるので入ったら交番だったなどと話すので、親分はあきれて、おめえにまともな盗みはできねえから、空き巣狙いでもやってみろと、こまごまと技術指導。
まず声をかけて、返事がなかったら入るが、ふいに人が出てきたら
「失業しておりまして、貧の盗みの出来心でございます」
と泣き落としで謝ってしまう。
返事があったら人の家を訪ねるふりをして
「何の何兵衛さんはどちらで?」
とゴマかせばいいと教えられ、さっそく仕事に出かける。
ある家で
「ええ、何の何兵衛さんはどちらで?」
「なにを?」
「いえその、イタチ西郷兵衛さんは……」
としどろもどろで逃げ出した。
次の家では、主人が二階にいるのも気づかず、羊羹を盗み食いして見つかり、
「イタチ西郷兵衛さんはどちらで?」
「オレだよ」
「えっ? その、もっといい男の西郷兵衛」
「なにを?」
「よろしく申しました」
「誰が?」
「あたしが」
「この野郎ッ」
……あわてて逃げ出す。
「あんな、まぬけの名の野郎が本当にいるとは思わなかった」
と胸をなで下ろしながらたどり着いたのが、長屋の八五郎の家。
畳はすり切れ、根太はボロボロ。
転がっているのは汚い褌一本きり。
しかたなく懐に入れ、八五郎が帰ってきたので、あわてて縁の下に避難。
八五郎は、粥が食い散らされているのを見て、
「ははあ泥棒か」
と見当をつけるが、かえって泥棒を言い訳に家賃を待ってもらおうと、大家を呼びに行った。
「それじゃしかたがねえ。待ってやろう」
とそこまではいいが、盗難届けを出さなくてはならないと、盗品をいちいち聞かれるから、はたと困った。
苦し紛れに布団をやられたと嘘をつくと
「どんな布団だ? 表の布地はなんだ?」
「大家さんとこに干してあるやつで」
「あれは唐草だ。裏は?」
「行きどまりです」
「布団の裏だよ」
「大家さんのは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」
「家でもそれなんで」
羽二重も帯も蚊帳も南部の鉄瓶も、みんな裏が花色木綿。
「あきれて話しにならねえ。あとは?」
「お礼で。裏は花色木綿」
縁の下の泥棒、これを聞いて我慢できずに下から這い出てくる。
「さっきから聞いてりゃ、ばかばかしい。笑わせるない」
「おやっ、そんなとこから這いだしゃあがって。てめえは泥棒だな?」
「この家にはなにも盗めるものなんぞねえ」
警察に突き出すと言われ、あわてて
「えー、どうも申し訳ござんせん。失業しておりまして、六十五を頭に三人の子供が……これもほんの貧の出来心で……と哀れっぽく持ちかけたら、銭の少しもくれますか?」
「誰がやるもんか。八、てめえもてめえだ」
お鉢が回ってきたので、八五郎、こそこそ縁の下へ。
「おい、なにも盗られてねえそうじゃねえか。どうしてあんな、うそばかり並べたんだ?」
「これもほんの出来心でございます」
【しりたい】
「出来心」ならお上のお慈悲?
落語には泥棒噺が多く、「穴泥」「もぐら泥」「だくだく」「釜泥」「締め込み」「転宅」「夏どろ」……まだまだあります。
そのほとんどが、まぬけで愛すべき空き巣の失敗をおおらかに笑う噺で、いかにのどかな江戸時代でも犯罪の実態は陰惨なものが多かったことを考えれば、落語の泥棒は、むしろ、こういう泥テキばかりなら……という庶民の願望のあらわれともいえるでしょう。
しかし、現実にはお奉行のお裁きは峻厳だったのです。
10両盗めば初犯でも死罪は有名ですが、窃盗を重ねて盗んだ金額が累積で10両に達すれば、その時点で一巻の終わりです。
空き巣で初犯なら「出来心」でお上のお慈悲にあずかれますが、土蔵を切り破ったり、家人の在宅しているところに押し入れば、重罪の押し込み強盗ですから、初犯、かつ未遂でも主犯は原則死罪でした。
三度目で首が飛ぶ
空き巣では初犯敲き、再犯刺青、再々犯は有無を言わさず首が飛びました。
極端にいえば、1回に3文盗んだ場合は敲きで済みますが、初犯1文、再犯1文、再々犯1文と3回に分けて合計3文盗めば、あわれ、この世の別れというわけ。
1994年に米カリフォルニア州で制定された「スリーストライク法(三振法)」も、重罪を三度重ねれば仮釈放ナシの禁固25年-終身刑という過酷さ。なんと空き巣三回、三回目にたった152ドル盗んだだけで懲役52年という判決が出て、世論を震撼させたことがあります。こちらは命がないのですから、まさに究極の「スリーストライク、アウト」でしょう。
オチで変わる演題
泥棒噺は、柳家小さん代々が得意にした江戸前の滑稽噺の典型です。
この噺も、三代目小さん(豊島銀之助、1857-1930)、四代目小さん(大野菊松、1888-1947)、五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)と継承され、五代目春風亭柳朝(大野和照、1929-91)、九代目入船亭扇橋(橋本光永、俳号光石、1931-2015)、二代目桂文朝(田上孝明、1942-2005)などの持ちネタでもありました。
とりわけ、柳朝の泥棒のすっとぼけた味は絶品でした。
泥棒が入る家の主人の珍名は、演者によっては「ちょうちん屋ブラ右衛門」などと変わります。
オチは二通りあります。
あらすじで紹介した小さんのものが基本形ですが、現実にはそこまでいきません。
寄席などでは「下駄を忘れてきちゃった」で終わる「間抜け泥」が多いようです。
八代目春風亭柳枝(島田勝巳、1905-59)のように、大家と泥棒の会話でのもあります。
大「どこから入った?」
泥「裏です」
大「裏はどこだ?」
泥「裏は花色木綿」
このオチでの演目は「花色木綿」となります。
花色木綿
「花色」は「縹色」の訛音です。薄い藍色。青のような色。たんに「はなだ」とも。
そんな色した木綿地を、花色木綿といいます。
「出来心」も死語に
噺のタイトルにもなっているこの言葉も、最近はだんだん使われなくなってきているようです。
「出来」はこの場合、「とっさに」「即席に」という意味。古くは、即席のシャレのことを「出来口」といいました。
要するに、計画してやった犯行ではなく、ついとっさに魔がさしたものなのでご勘弁を、という言い訳ですね。
コソ泥どころか、重大な犯罪をしでかしても、しおらしく謝るどころか、「逆ギレ」して居直るヤカラが増えた昨今ですから、こんな言葉が消えていくのも無理はありません。
小里ん語り、小さんの芸談
こういうネタは「間抜けな奴が本気じゃないといけない」と師匠も言ってました。
五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年