しばはま【芝浜】落語演目



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【どんな?】

浜で財布を拾う棒手振り。

濡れ手に粟のゲス野郎は、間抜けなばっかりに幸せつかみ。

円朝噺。三題噺からの構成のせいか、むちゃくちゃな無理筋運びです。

あらすじ

芝は金杉に住む魚屋の勝五郎。

腕はいいし人間も悪くないが、大酒のみで怠け者。

金が入ると片っ端から質入してのんでしまい、仕事もろくにしないから、年中裏店住まいで店賃もずっと滞っているありさま。

今年も師走で、年越しも近いというのに、勝公、相変わらず仕事を十日も休み、大酒を食らって寝ているばかり。

女房の方は今まで我慢に我慢を重ねていたが、さすがにいても立ってもいられなくなり、真夜中に亭主をたたき起こして、このままじゃ年も越せないから魚河岸へ仕入れに行ってくれとせっつく。

亭主はぶつくさ言って嫌がるが、盤台もちゃんと糸底に水が張ってあるし、包丁もよく研いであり、わらじも新しくなっているという用意のよさだから文句も言えず、しぶしぶ天秤棒を担ぎ、追い出されるように出かける。

外に出てみると、まだ夜は明けていない。

カカアの奴、時間を間違えて早く起こしゃあがったらしい、ええいめえましいと、勝五郎はしかたなく、芝の浜に出て時間をつぶすことにする。

海岸でぼんやりとたばこをふかし、暗い沖合いを眺めているうち、だんだん夜が明けてきた。

顔を洗おうと波打ち際に手を入れると、何か触るものがある。

拾ってみるとボロボロの財布らしく、指で中をさぐると確かに金。

二分金で四十二両。

さあ、こうなると、商売どころではない。

当分は遊んで暮らせると、家にとって返し、あっけにとられる女房の尻をたたいて、酒を買ってこさせ、そのまま酔いつぶれて寝てしまう。

不意に女房が起こすので目を覚ますと、年を越せないから仕入れに行ってくれと言う。

金は四十二両もあるじゃねえかとしかると、どこにそんな金がある、おまえさん夢でも見てたんだよ、と、思いがけない言葉。

聞いてみるとずっと寝ていて、昼ごろ突然起きだし、友達を呼んでドンチャン騒ぎをした挙げ句、また酔いつぶれて寝てしまったという。

金を拾ったのは夢、大騒ぎは現実というから念がいっている。

今度はさすがに魚勝も自分が情けなくなり、今日から酒はきっぱりやめて仕事に精を出すと、女房に誓う。

それから三年。

すっかり改心して商売に励んだ勝五郎。

得意先もつき、金もたまって、今は小さいながら店も構えている。

大晦日、片付けも全部済まして夫婦水入らずという時、女房が見てもらいたいものがあると出したのは紛れもない、あの時の四十二両。

実は亭主が寝た後思い余って大家に相談に行くと、拾った金など使えば後ろに手が回るから、これは奉行所に届け、夢だったの一点張りにしておけという忠告。

そうして隠し通してきたが、落とし主不明でとうにお下がりになっていた。

おまえさんが好きな酒もやめて懸命に働くのを見るにつけ、辛くて申し訳なくて、陰で手を合わせていたと泣く女房。

「とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの首はなかったかもしれねえ。手を合わせるのはこっちの方だ」

女房が、もうおまえさんも大丈夫だからのんどくれと、酒を出す。

勝、そっと口に運んで、
「よそう。……また夢になるといけねえ」

しりたい

三題噺から

三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が幕末に、「酔っ払い」「芝浜」「財布」の三題で即席にまとめたといわれる噺です。➡鰍沢

先の大戦後、三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)が、四代目柳家つばめ(深津龍太郎、1892-1961)と安藤鶴夫(花島鶴夫、1908-69、小説、評論)のアドバイスで、白魚船のマクラ、夜明けの空の描写、オチ近くの夫婦の情愛など、独特の江戸情緒をかもし出す演出で十八番とし、昭和29年度の芸術祭賞を受賞しましたが……。

アンツルも三木助も自己陶酔が鼻につき、あまりにもクサすぎるとの評価が当時からあったようです。

まあ、聴く人によって、好き嫌いは当然あるでしょう。

芝浜の河岸

現在の港区芝浦1丁目付近に、金杉浜町という漁師町がありました。

そこに雑魚場という、小魚を扱う小規模な市があり、これが勝五郎の「仕事場」だったわけです。

桜の皮

今と違って、活きの悪い魚を買ってしまうこともありました。

あす来たら ぶてと桜の 皮をなめ   五25

魚屋に鮮度の落ちた鰹を売りつけられた時には、桜の皮をなめること。毒消しになると信じられていました。

いわし売り

そうは言っても、鰹以上に鰯は鮮度の落ちるのが早いものです。

気の迷いさと 取りかへる いわし売   六19

長屋のかみさんが鰯の目利きをしている光景のようです。

「気の迷いさ」とは魚屋の常套句なんですね。

鰯はちょっと変わった魚です。たとえがおもしろい。「鰯」と言ったら、錆びた刀の意味にも使われます。「赤鰯」とも。

たがや」などに登場します。武士をあざける象徴としての言葉です。

本阿弥の いわしは見れど 鯨見ず   十三

鰯と鯨の対比とは大仰な。鰯は取るに足りない意味で持ちだされます。

「いわしのかしらも信心から」ということわざは今でも使われます。江戸時代に生まれた慣用句です。

「取るに足りないつまらないものでも、信心すればありがたいご利益や効験があるものだ」といった意味ですね。

いわし食った鍋

「鰯煮た鍋」「鰯食った鍋」という慣用句も使われました。

「離れがたい間柄」といった意味です。

そのココロは、鰯を煮た鍋はその臭みが離れないから、というところから。

いわし煮た 鍋で髪置 三つ食ひ   十

「髪置」とは「かみおき」で、今の七五三の行事の、三歳の子供が初めて髪を蓄えること。

今は「七五三」とまとめて言っていますが、江戸時代にはそれぞれ独自の行事でした。「帯解」は「おびとき」で七歳の女児の行事、「袴着」は「はかまぎ」で三歳の男児の行事、これはのちに五歳だったり七歳だったりと変化しました。

それと、三歳女児の「髪置」。三つともお祝い事であることと、十一月十五日あたりの行事であることで、明治時代以降、「七五三」と三つにまとめられてしまいました。

それだけ、簡素化したわけです。といった前提知識があると、上の川柳もなかなかしみじみとした含蓄がにじみ出るものです。「大仏餅」参照。

【語の読みと注】
店賃 たなちん



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ねこさだ【猫定】落語演目

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【どんな?】

けっこうおもしろいと思うのですが、円生没後はどうも、ね。

【あらすじ】

八丁堀玉子屋新道の長屋に住む、魚屋定吉という男。

肩書は魚屋だが、実態は博徒。

朝湯の帰り、行きつけの三河屋という居酒屋で一杯やっていると、二階でゴトゴト音がする。

てっきり博打を開帳していると思って聞いてみると、実は店の飼い猫で、泥棒癖があるので、ふん縛って転がしてあるのが暴れる、という。

川にほうり込んで殺してしまうというので、それくらいなら、といくらか渡して譲り受けた。

これが全身真っ黒で、いわゆる烏猫。

大の猫嫌いのかみさんに文句を言われ、しかたなく始終懐に入れて出歩くうち、猫はすっかりなついたので、これを熊と名付け、一杯やるごとになでながら、「恩返しをしろよ」と言い聞かせる。

猫は魔物というから、ひょっとするとと思い、試してみると、賽の目で丁(奇数)が出たときは「ニャー」と一声、半(偶数)が出たときは二声鳴く。

何度くり返しても全部当てるので、これはいいと喜び、さっそく賭場に連れて行ってたちまち大もうけ。

いつも猫を連れてくるところから「猫定」とあだ名がついた。

この定吉、しばらくして、江戸にいては具合の悪いことができ、二月ばかり旅に出ることになった。

猫を連れては行けないので、かみさんに「大切にしてくれ」と預けて江戸を離れたそのすきに、かみさんのお滝が若い燕を引き込んだ。

こうなると、亭主がじゃま。

ほとぼりが冷め、江戸に戻った猫定は全くそれに気づかない。

ある日、愛宕下の薮加藤という旗本屋敷で博打の開帳があり、猫定が猫を連れて泊り掛けで出かけた留守に、かみさんは間男を呼んで相談し、亭主をそろそろ片づける算段。

一方、定吉。

この日に限って猫がうんともすんとも鳴かず、おかげで大損してしまう。

しかたなく、早めに見切りをつけ、熊がどこか具合が悪いのかと心配しながら、通りかかった夜更けの采女ヶ原。

折からざあっと篠つく雨。

立ち小便をしているすきを狙い、後をつけていた間男が、棕櫚(しゅろ)箒の先を削いだ竹槍で、横腹をブッスリ。

あっという間に、姿を消す。

家で待っていたかみさん。

急に天井の引き窓のひもがぶっつり切れ、なにか黒い物が飛び込んできて、悲鳴をあげたのがこの世の別れ。

翌朝、月番がお滝の死骸を見つけ、長屋中大騒ぎ。

間もなく定吉の死骸が発見されたが、傍らで間男が喉を噛みちぎられて、これも死んでいた。

検死も済んで、その晩は通夜。

一人が線香が切れているので火をつけようとひょいと見ると、すさまじい形相をした二人の死骸が、目をぱっちりと見開いて立っているから、驚いたのなんの。

みんな逃げ出し、残ったのは目の見えない按摩(あんま)の三味の市だけ。

大家が来て、魔がさしたんだと言っているところへ、所用から遅く帰った信州松本の浪人・真田某がやって来る。

真田は話を聞き、あたりを調べると、腰張りの紙がぺらぺらっと動き、その度にホトケが踊り出すので、さてはあやしいと脇差でブッツリと突くと、黒猫が両手に人の喉の肉をつかんで息絶えていた。

さては猫が恩返しに仇討ちをしたのだと、これが評判になり、町奉行・根岸肥前守が二十五両の金を出し、両国回向院に猫塚を建てて供養したという、猫塚の由来。

【RIZAP COOK】

しりたい

玉子屋新道  【RIZAP COOK】

東京都中央区八丁堀三丁目、旧八丁堀岡崎町にあった路地です。

付近に玉子屋があったのでこの名がついたと思われますが、詳細は未詳です。

采女ヶ原  【RIZAP COOK】

うねめがはら。東京都中央区銀座五-六丁目、歌舞伎座前から新橋演舞場にかけて広がっていた馬場です。

旧・采女町。享保9年(1724)まで、旗本・松平采女正の屋敷がありましたが、同年に全焼し、三年ほど後に馬場が開かれました。

幕末には、見世物小屋や露店、講釈場などが並ぶ、ちょっとした繁華街、行楽地となっていましたが夜が更けると、追いはぎが出没する物騒な所でした。

猫は魔物  【RIZAP COOK】

「猫忠」「猫怪談」ほかで、猫の怪異は落語ではおなじみです。

この俗信を利用し、熱い鉄板の上に放り投げて訓練した猫が、条件反射で踊りだすのを、「化け猫」と称して見世物にすることがありました。

テネシー・ウィリアムズもはだしで逃げ出す、てえとこでしょうな。

もっとも、中世ヨーロッパでは「アダムの子」にこれをやったらしく、グリム童話に、悪い王妃に真っ赤に焼けた鉄の靴をはかせて処刑するシーンがありました。

猫じゃ猫じゃ  【RIZAP COOK】

前項の猫踊りを「猫じゃ猫じゃ」といい、三味線の合い方で

♪猫じゃ猫じゃとおっしゃいますな  猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか  おっちょこちょいのちょい

と、囃します。俗曲にもなり、明治から昭和初期にかけて音曲の名人で、「女大名」の異名をとった、前の立花家橘之助(1868-1935)が得意にしました。

魚屋定吉  【RIZAP COOK】

魚屋を詐称した博徒は、「梅若礼三郎」でも登場しました。

詳しくは、その項をご参照ください。

通夜は猫又除け  【RIZAP COOK】

通夜は、かつては夜明かしするのが常でした。

昔は、死亡の判定がかなりいい加減で納棺後どころか、土葬した後でも吸血鬼のごとく蘇る亡者が少なくなかったためでしょう。

加えて、線香が絶えると不吉とされ、猫又が取り憑いて亡者に魔がさすという恐怖から、「猫怪談」のような騒動を防ぐための魔除けの意味もあったわけです。

まあ、本当に蘇生したホトケでも、魔がさしたと疑われ、よってたかって本当に殺されたということも、あったかも知れませんが。

なお、噺の結びに登場する回向院の猫塚は今も鼠小僧次郎吉の墓の前にあります。

当然、魔物のたたりを封じ込めるための供養塔ですが、鼠が猫封じとは、何やら物事があべこべですね。

ようやく雲助が復活  【RIZAP COOK】

大正期には、二代目三遊亭金馬(碓井米吉、1868-1926、お盆屋の、碓井の)が得意にしました。

その後、五代目金原亭馬生(宮島市太郎、1864-1946、赤馬生、おもちゃ屋の)がよく高座に掛けたのを、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)が習い覚えて工夫を加え「円生百席」にも選びました。

古風な噺なので、円生没後、あまり演じ手がいませんでしたが、五街道雲助が復活。

柳家三三も、2007年に独演会で演じました。

円生没後も久しく、どの噺もこの噺も「円生百席」止まりでは困るので、現役がこうしたネタを一回限りでなく、新たに十八番にして後世に伝えてほしいものですがねえ。

【RIZAP COOK】

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