ぎおんえ【祇園会】落語演目

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【どんな?】

京都を舞台にした噺です。

別題:東男 およく 祇園祭 京見物 京阪見物

あらすじ

江戸っ子の熊五郎、友達三人で、京都の知人を頼って都見物にやってきた。

あいにくの旅疲れか、患ってしまい、長引いたので、友達二人は先に江戸に帰り、一人残って養生するうち、三月ほどしてようやく動けるようになった。

折しも夏にかかり、祇園祭が近づくころ、いっぺん、話の種に見たいと思っていたので、当日、知人の案内で、祇園新地ぎおんしんち揚屋あげやの二階を借りて見物することに。

連れは京者が二人、大坂者が一人と江戸っ子の熊、つごう四人。

ところが、江戸の祭と違い、山車だしの出が遅くて、四ツ(夜十時)を過ぎてもまだ来ないので、熊五郎はイライラ。

ようやくコンチキチンとかねの音が聞こえ、山鉾やまぼこ薙刀鉾なぎなたぼこ錦鉾にしきぼことにぎやかに繰り出してきたが、京者の源兵衛が、早くも自慢タラタラ。

やれ、
「あの鉾は太閤秀吉はんが緞帳どんちょうに使いなはった」
とか、
森蘭丸もりらんまるはんが蘭奢待らんじゃたいの名香をたきつめなはって、一たき千両」
とか、講釈を始めたから、熊さんはおもしろくない。

「いくら古いか知らないが、あっしゃあこんなまだるっこい山車はたくさんだ」
とタンカを切り、
「それより芸妓を一人買ってみてえ」
と要求した。

ところが年一度の祭礼のこと、
「こんな日に茶屋に残っている芸妓にはろくなのがおまへん」
という。

それでも、
「たった一人いるにはいるが、その女、欲が深くて、来る客来る客に商売に応じてあれが欲しい、それが欲しいとねだりごとばかりするので評判悪く、とても座敷に出せない」
と茶屋の女将が渋るのを、熊五郎が、「ねだってもとてもやれないような商売を言うことにしよう」
と提案したので、
「それはおもろい」
とみんな賛成する。

現れたのが、亀吉という芸妓。

年増としまだが、鴨川の水で洗いあげ、なかなかいい女。

ところが、案の定、いきなり、
「お客はん商売はなんどす」
ときたから、一同あきれた。

源兵衛が
「飛脚屋だ」
と言うと、
「わての客が名古屋にいるよって、手紙を届けておくれんか」
ときた。

もう一人が
「石屋だ」
と言うと、
「父親の七回忌だから、石碑を一本タダで」
というずうずうしい願い。

「江戸はん、あんた商売はなんどす」
「聞いて驚くな。オレは死人を焼く商売だ」
「そうどすか。おんぼうはんにご無心がおます」
「おんぼうに無心とはなんだ」
「あてが死んだらな、タダで焼いとくれやす」

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しりたい

連作長編の完結編

「三人旅(発端・神奈川)」の古くからある江戸落語の連作長編、「三人旅」シリーズの終わりの部分です。

昔は、東海道五十三次の宿場一つ一つについて噺が作られていたといわれますが、現在では「発端(神奈川)」、「鶴屋善兵衛(小田原)」とこの「祇園会(京見物)」しか残っていません。

この噺は別題が多く、「祇園祭」「京見物」「東男」「京阪見物」「京阪土産の下」「およく」などとも呼ばれます。

三つのエピソードで構成

部分によって原話が異なり、前半の京見物のくだりは、天保年間(1830-44)刊の笑話『如是我聞にょぜがもん』中の「都人」がルーツとみられます。

あらすじでは略しましたが、三人組が祇園の茶屋に入る前に見せ物小屋見物などで失敗する場面がつくことがあり、そこだけ演じる場合は「東男」と題されます。

最後の部分が「およく」(お欲か)の題名で独立して演じられることもありました。

京の宿屋で江戸っ子が絵師になりすまして京者、大坂者の二人をへこます「三都三人絵師」も元はこの噺の一部で、「東男」と「祇園祭」の間にきたといいます。

いや、ややこしいことですが、上方落語の「東の旅」「西の旅」シリーズと同じく、本来、筋のつながりの薄い別々のエピソードを寄せ集めたオムニバスと考えていいでしょう。

さまざまなやり方

長い噺のため、演じ手によってやり方や切り取り方が異なります。

のち二代目柳家つばめになった明治の四代目柳家小三治は、「京見物」の題で普通はほとんど演じられない「東男」の部分だけを皮肉にも速記に残しました。

三代目春風亭柳枝(1900年没)は「東男」と「三都三人絵師」を「京阪見物」、「祇園祭」と「およく」を「京阪見物・下」と分けていました。

柳枝の「東男」では、四条河原のインチキ見世物見物の後、堺に行って妙国寺の大蘇鉄を見せられ、「東京へ帰んなはったら土産話にしなはれ。これが名代の妙国寺の蘇鉄だす」「なんだ、オレはまたワサビかと思った」とオチています。

名人の四代目橘家円喬は「およく」の部分が特にうまかったとか。

昭和期では八代目春風亭柳枝が十八番とし、「祇園祭の」と一つ名でうたわれました。

祇園新地

寛文10年(1670)、鴨川の改修にともなって祇園新地外六町が開かれ、芝居町と祇園町が結ばれて煮売り茶屋、旅籠屋、茶屋などの名目で、公許遊郭の島原と違い、気楽に遊べる遊興地として発展しました。

享保17年(1732)、正式に茶屋渡世が公認され、旧祇園町、新地を併せて現在の「祇園」が成立しています。

【語の読みと注】
揚屋 あげや
山車 だし
鉦 かね
山鉾 やまぼこ
長刀鉾 なぎなたぼこ
錦鉾 にしきぼこ
緞帳 どんちょう
蘭奢待 らんじゃたい

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さるまるだゆう【猿丸太夫】落語演目

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【どんな?】

俳句に凝っている馬子。乗り合わせた江戸っ子は、ひとつからかってやろうと……。

道中を舞台にした都鄙もので、俳句や和歌が軒並み出てくる滑稽噺です。

【あらすじ】

昔の旅は命がけ。

友達と泣きの涙で水杯を交わし、東海道を西に向かった男、原宿の手前で雇った馬子が、俳句に凝っているというので、江戸っ子ぶりを見せびらかしてやろうと、
「オレは『今芭蕉』という俳句の宗匠だ」
とホラを吹く。

そこで馬子が、
「この間、立場の運座で『鉢たたき』という題が出て閉口したので、ひとつやって見せてくれ」
と言い出す。

先生、出まかせに
「鉢たたきカッポレ一座の大陽気」
とやってケムに巻いたが、今度は「くちなし」では、と、しつこい。

「くちなしや鼻から下がすぐにあご」

だんだん怪しくなる。

すると、また馬子が今度は難題。

「『春雨』という題だが、中仙道から板橋という結びで、板か橋の字を詠み込まなくてはならない」
と言うと、やっこさん、すまし顔で
「船板へ くらいつきけり 春の鮫」

「それはいかねえ。雨のことだ」
「雨が降ると鮫がよく出てくる」

。そうこうしているうちに、馬子の被っている汚い手拭いがプンプンにおってくるのに閉口した今芭蕉先生、新しいのを祝儀代わりにやると、馬子は喜んで
「もうそろそろ馬を止めるだから、最後に紅葉で一句詠んでおくんなせえ」
と頼む。

しかたがないので
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は来にけり」
と聞いたような歌でごまかす。

そこへ向こうから朋輩の馬子が空馬を引いてきて
「作、どうした。新しい手拭いおっ被って。アマっ子にでももらったのか?」
「なに、馬の上にいる猿丸太夫にもらった」

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【しりたい】

江戸っ子、じつは「猿」

原話は、宝暦5年(1755)刊、京都で刊行の笑話本『口合恵宝袋』中の「高尾の歌」です。

これは、京の高尾へ紅葉狩りに行った男の話。

帰りに雇った駕籠かきに、歌を詠んだかと聞かれ、「奥山の……」の歌でごまかす筋は、まったく同じで、オチも同一です。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、箱根で「猿丸太夫」をめぐる、そっくり同じようなやりとりがあり、これをタネ本にしたことがわかります。

江戸や京大坂の人が、旅先で、在所の人を無知と侮り、手痛い目にあう実話は、けっこうありました。

オチは、馬子が「奥山」の歌を知っていて皮肉ったわけです。

深読みをすれば、知ったかぶりの江戸っ子を、「猿」と嘲る、痛烈な風刺ともとれます。

円朝も演じた噺

この噺の、江戸を出発するところ、俳句の問答を除いた馬子とのくだりは、「三人旅」にそっくりなので、これを改作したものと思われます。

小咄だったのを、「三人旅」から流用した発端を付け、一席に独立させたものなのでしょう。

古くは、三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が「道中の馬子」の題で速記を残しています。

大正13年(1924)の、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)の速記も残っていますが、今はすたれた噺です。

猿丸太夫

正体不明の歌人です。生没年、伝記は一切不明。

「猿丸太夫集」なる歌集はありますが、そこに採られている歌は、当人の作と確認されたものが一首もありません。

「小倉百人一首」に「奥山に」が選ばれていますが、これが実は『古今和歌集』の「よみ人しらず」の歌であることから、平安時代の歌人といわれます。

別に、柿本人麻呂説もあります。

運座

うんざ。各人各題、あるいは一つの題について俳句を作り、互選しあう会です。

座には宗匠、執筆(=記録係)、連衆(句の作り手)で成り立ちます。

18世紀末の安永・天明期以後、俳諧(俳句)人口は全国的に広がり、同時に高尚さが薄れて遊芸化しました。

したがって、この噺のような馬子が俳句に凝ることも、十分考えられたのです。

江戸後期の日本人の教養レベルは、われわれが想像するよりはるかに高かったわけです。われわれ現代人の教養は劣化しています。

馬子などの多くは非識字者であるはず、と思われていました。それが字を知っているばかりか、江戸っ子なんかよりもはるかに博識であるという、落語的な逆転の発想がみられます。

赤ん坊が大男を投げ飛ばすような、小気味いい構図です。

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