松竹梅 しょうちくばい 演目

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めでたい噺。礼儀知らずの長屋三人組が婚礼に招かれ、忌み言葉めぐり一騒動。

【あらすじ】

長屋の松五郎、梅吉、竹蔵の三人組。

そろって名前がおめでたいというので、出入り先のお店のお嬢さまの婚礼に招かれた。

ところがこの三人、名前だけでなく、心持ちもおめでたいので、席上どうしたらいいか、隠居に相談に行く。

隠居は、ついでなら鯨飲馬食してくるだけが能でないから、何か余興をやってあげたらどうかと勧め、「なったあ、なったあ、蛇(じゃ)になった、当家の婿殿蛇になった、何の蛇になあられた、長者になぁられた」という言い立てを謡(うたい)の調子で割りゼリフで言えばいいと、教えてくれる。

終わりに「お開きにいたしましょう」と締めるというわけ。

いざ練習してみると、松五郎は
「な、な、納豆」
「豆腐ーい」
と全部物売りになってしまうし、竹蔵は竹蔵で
「デデンデデン、なあんのおおおう」と義太夫調子。

危なっかしいが、道々練習しながらお店に着く。

いきなり「まことにご愁傷さま」とやりかけて肝を冷やすが、だんなは、おめでたい余興と聞いて大喜び。

親戚一同も一斉に手をたたくものだから、三人、あがってボーッとなる。

それでも、松と竹はどうやら無事に切り抜けたが、梅吉が
「長者になられた」
を忘れ、
「風邪……いや番茶……大蛇……」
と、とんでもないことを言いだし、その都度やり直し。

最後に
「なんの蛇になあられた」
「亡者になあられた」

……これで座はメチャクチャ。

三人が隠居に報告に来て
「これこれで、開き損なっちまいまして」
「ふーん、えらいことを言ったな。それで梅さんはどうしてる」
「決まり悪そうにグルグル回って、床の間に飛び込んで、隅の方で小さくなってしおれてました」
「ああ、それは心配ない。梅さんのことだ、今ごろは一人で開いて(帰って)いるだろう」

【しりたい】

作者は出自不明

上方の笑福亭系の落語家の祖とされる初代・松富久亭松竹が作ったといわれている噺です。

この松竹という人、生没年や詳細な伝記はもちろん、そもそも存在したかどうかもよくわかりません。

したがって、松竹が「松竹梅」の作者だというのも伝説の域を出ないわけです。

まさか、演題と芸名にゴロを合わせたヨタではないでしょうが。

ただ、オチの部分のネタ元になったとみられる小ばなしはあって、文政6年(1823)に江戸で刊行された、初代三笑亭可楽(1777-1833)『江戸自慢』中の「春の花むこ」がそれです。

これは、植物仲間で「仙人」と尊称される梅の古木が、庭の隅の桃の木に「老いらくの恋」をし、姫ゆりを仲人に頼んで、キンセンカを持参金代わりにめでたく婿入り。ところが婚礼の夜、突然植木屋が(もちろん人間)庭に乱入し、花々が恐怖におののいて小さくなってしまいます。これを見た植木屋、「ははあ、これは今夜、花婿が来るのだな。こういうときに切っては無情というものだ」と帰っていったので、仲人の姫ゆりがほっとして顔を持ち上げ、「さあさあ皆さん、お開きなさい」という、童話的でほほえましいお話です。

東京移植は「オットセイ」

古くから上方落語としてはポピュラーな噺でしたが、これを明治30年ごろ、四代目柳亭左楽が東京に移しました。

左楽はぼおっとした容貌と、ふだんの少々間の抜けた言動で、「オットセイ」とあだ名され、奇談がたくさんあります。

ちょうどこの噺の東京初演と思われる、明治31年(1898)の速記が残っていますが、よほど気に入ったとみえ、もともと持ちネタが少ないこともあって、一時期「松竹梅」ばかりやっていたとか。

この人の、師匠の談洲楼燕枝が亡くなった(明治33年2月)ときの追悼句がふるっていてます。

悲しさや 師匠も亡者に なあられた

当の「オットセイ」ご本人が「亡者になあられた」のは、明治44年(1911)11月4日、享年55でした。

「あっちの会長」柳橋十八番

謡の調子で、割ゼリフにしてご祝儀の言い立てをやり、「亡者になあられた」で失敗するのがこの噺の笑わせどころです。

このあらすじの参考にした、かって落語芸術協会に会長として君臨した六代目春風亭柳橋は、戦後この噺をよく高座にかけ、特に謡を稽古する場面でのくすぐりを充実させ、飄々とした中にもより笑いの多い噺に仕上げました。

その意味で十八番といってよいのですが、残念ながら音源は残されていません。

「なったなった……」は北海道?

「なったなった」のお囃子は、関西地方の婚礼の習俗と思われますが、はっきりわかりません。

前項の左楽の速記では、隠居が「北海道から八十里ばかり入った小さな村で」もっぱら行なっていると説明していますが、左楽は自分のあだ名を逆手にとって、やたらに「北海道」を連発してウケをねらったそうですから、もちろんこれは嘘八百でしょう。

忌み言葉

「開く」は今でもよく使われる、結婚式の忌(い)み言葉ですが、「忌み言葉」というのは、使用を避ける言葉と、代わりにめでたく言い換える言葉の両方を意味します。

ただ、言い換えられる場合と、それもできず、禁止されるだけの場合があり、どちらかというと後の方が多いようです。

いずれにしても、太古から言霊信仰が根強く、何か不吉な言葉を吐くとそれが現実になってしまうという病的な恐怖心を先祖代々に受け継いできたわれわれ特有の習慣です。日本文化の一端でもあります。

以下、婚礼のタブーの語をいくつか。

「帰る」
「戻る」
「出て行く」
「死ぬ」
「引く」
「別れる」
「出る」
「割る」
「割く」
「出かける」
「欠ける」
「犬」(=「去(い)ぬ」)
「猿」(=「去る」)
「殺す」
「離れる」
「話す」
「放す」
「まかる」
「落ちる」
「悲しい」……

これじゃ、うっかり舌禍を起こしちまいそうですねえ。

あわびのし【鮑熨斗】演目

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与太郎系噺。賢い女房が金をこさえる手立てにご祝儀をレバレッジする知恵。

【あらすじ】

ついでに生きているような、おめでたい男。

今日も仕事を怠けたので、銭が一銭もなく、飯が食えない。

空っ腹を抱えて、かみさんに「何か食わしてくれ」とせがむと、「おまんまが食いたかったら田中さんちで五十銭借りてきな」と言われる。いつ行っても貸してくれたためしがない家だが、かみさん「あたしからだってえば、貸してくれるから」

その通りになった。つまりは信用の問題。

所帯は全部、しっかり者のかみさんが切り盛りしているのを、みんな知っている。

借りた五十銭持って帰り「さあ飯を」と催促するとかみさん、「まだダメだよ」

今度は「この五十銭を持って魚屋で尾頭(おかしら)付きを買っておいで」と命じる。

今度大家のところの息子が嫁を迎えるので、そのお祝いだと言って尾頭付きを持って行けば、祝儀に一円くれるから、その金で米を買って飯を食わせてやる、と言うのだ。

ところが行ってみると鯛は五円するので、しかたがないから、あわび三杯、十銭まけてもらい、買って帰るとかみさん、渋い顔をしたが、まあ、この亭主の脳味噌では、と諦め、今度は口上を教える。

「こんちはいいお天気でございます。うけたまりますれば、お宅さまの若だんなさまにお嫁御さまがおいでになるそうで、おめでとうございます。いずれ長屋からつなぎ(長屋全体からの祝儀)がまいりますけれど、これはつなぎのほか(個人としての祝い)でございます」

長くて覚えられないので、かみさんの前で練習するが、どうしても若だんなをバカだんな、嫁御をおにょにょご、つなぎを津波と言ってしまう。

それでも「ちゃんと一円もらってこないと飯を食わせずに干し殺すよ」と脅かされ、極楽亭主、のこのこと出掛けていく。

大家に会うといきなりあわびをどさっと投げ出し「さあ、一円くれ」

早速、口上を始めたはいいが、案の定、バカだんなに、おにょにょご、津波を全部やってしまった。

腹を立てた大家、あわびは「磯のあわびの片思い」で縁起が悪いから、こんなものは受け取れないと突っ返す。

これでいよいよ干し殺しかとしょげていると、長屋の吉兵衛に出会ったので、これこれと話すと、吉兵衛「『あわびのどこが縁起が悪いんだ。おめえんとこに祝い物で、ノシが付いてくるだろう。そのノシを剥がして返すのか。あわびってものは、紀州鳥羽浦で海女が採るんだ。そのアワビを鮑のしにするには、仲のいい夫婦が一晩かかって作らなきゃできねえんだ。それを何だって受け取らねえんだ。ちきしょーめ、一円じゃ安い。五円よこせ』って尻をまくって言ってやれ」とアドバイス。

「尻まくれねえ」「なぜ?」「サルマタしてねえから」

そこで大家の家に引き返し、今度は言われた通り威勢よく、「一円じゃ安いや。五円よこせ五円。いやなら十円にまけてやる……ここで尻をまくるとこだけど、事情があってまくらねえ」

【しりたい】

五代目志ん生が得意に

原話は不詳。上方落語「鮑貝」を、おそらく明治中期に東京に移植したものです。これもまた、五代目志ん生の得意とした噺です。

古いオチは、大家が「丸い『の』の字ではなく、つえを突いたような形の『乃』の字があるが、あれはどういうわけだ?」と聞くと、ぼんくら亭主が「あれはアワビのおじいさんです」というもの。

大阪では、「生貝をひっくり返してみなはれ。裏はつえ突きのしの形になってある」となりますが、「つえ突きのし」という言葉が、戦後、わかりにくくなったので、志ん生が「サルマタしてねえ」という前のセリフを生かして、多少シモがかったオチに改めたのでしょう。

大阪では、さらに「カタカナの『シ』の字のしは?」と聞かれ、「あれは生貝がぼやいているところや」「アワビがぼやくかい」「アワビやさかい、ぼやく。ほかの貝なら、口を開きます」と落す場合がありますが、なんだか要領を得ません。

磯のアワビの片思い

アワビの貝殻が片面だけ、つまり巻貝なので、「片思い」と掛けた洒落です。それだけのことです。

昔は「現物」使用

熨斗(のし)は元来、「あわびのし」だけを指しました。というのも、昔は生のアワビの一片を方形の紙に包み、祝いののしにしたからで、婚礼の引き出物としてあわびのしを贈る習慣は16世紀ごろからあったそうです。

不祝儀の場合は、のしを付けないのが古くからの習わしでした。ただ、この噺で語られる通り、あわびのしは紀州特産で、生産量も少ないため、時代が下るにつれ、簡略なものとして「の」「乃」「のし」などと書いたものが代用されるようになったわけです。

現在では品物の包みに水引を掛け、その右肩に小さな黄色い紙を四角い紙で包んだのが本格で高級品。ただ、今はほとんどその形を印刷したもので済ますので、もうあの形が何を表すのか、ほとんど忘れられていますね。

「のしあわび」は酒の友

言葉がひっくり返って「あわびのし」が「のしあわび」になると、これは飲み助にはかっこうのツマミです。アワビは保存が利くものなので、婚礼などの吉例の場では料理にも使われますが、煮て干したものは固くてそのままでは食べられず、のして(伸ばして)柔らかくしたものが酒盛りの肴として珍重されました。ただし、生のアワビだけは犬の夕飯専用です。

【鮑熨斗 古今亭志ん生】