ひめかたり【姫かたり】演目

多くの落語は、筋が途中で切れてしまってオチに。その典型です。莫連女が主人公。

【あらすじ】

年の暮れ。

浅草観音の歳の市は大変なにぎわい。四ツ時(午後十時)までごったがえしている。

新年のお飾りを売る声も
「市ァまけたァ、市ァまけたァ、注連か、飾りか、橙かァ」
と、かまびすしい騒ぎ。

どこかのお大名のお姫さまが、家臣一人をお供に、お忍びで観世音にご参詣。

これが年のころ十八、九、実にいい女。古風に言えば、小野小町か楊貴妃か、という美人。

そのお姫さまがどういうわけか、浅草寺の階段を下りたところで、にわかのさしこみを起こし、大変な苦しみよう。

お供の侍はあわてて医者を探して二天門を抜け、当時「百助横丁」と呼ばれていた路地の左側に、吉田玄随という町医師の看板を見つけて、そこへ姫を担ぎ込んだ。

このゲンスイ先生、名前だけはりっぱだが、実は高利貸しを兼ねて暴利をむさぼる悪徳医。腕の方もヤブそのものだ。

姫君を見て、たちまち色と欲との二人連れ。

しめたと思って、侍を奥の間に控えさせ、さっそく脈を取ると、姫君は苦しいのか、好都合にもこちらに寄り掛かってくる。

女の体臭と、白粉、髪油の匂いが混じり合って、えもいわれぬ色っぽさ。

そのうち
「うーん、苦しい。胸を押さえてたも」

女の方から玄随の手をぐいっと自分の胸に……。

先生、たまらずぐっと抱き寄せる。

とたんに姫が
「あれーッ」
と叫んだから、侍がたちまち飛び込んできて
「これッ、無礼者、何をいたしたッ」
「い、いえ、その」
「だまれッ、尊き身分のお方に淫らなまねをいたしたからは、その方をこの場にて討ち取り、拙者も切腹せにゃならぬ。そこへ直れッ」

泣く泣く命乞いの結果、口止め料二百金で手を打ったが、そのとたん、侍の口調ががらりと変わる。

「おう、お姫、いただくものはいただいた。めえろうじゃねえか」

姫も野太い声になって
「あー、こんなもの着てると窮屈でしょうがねえ。二百両稼ぐのも楽じゃねえな」

ばさりと帯を解いたから、医者は、さあ驚いた。

ニセ侍は手拭いで頬っかぶり、尻をはしょって
「おう、玄随、とんだ弁天小僧だったな。確かに金はちょうだいしたぜ。これからは、若え娘に悪さをするなよ。じゃ、あばよ」

玄随、唖然としていると、外の市の売り声が
「医者負けたッ」
と聞こえる。

思わず
「あァ、姫(注連)か、かたり(飾り)か、大胆(橙)な」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

原作者は「イッパチ」の先祖  【RIZAP COOK】

原話は、文政7年(1824)刊で、桜川慈悲成(1762-1833)作の落語本『落噺屠蘇喜言』中の「まじめでこわげらしいうそをきけば」。

この慈悲成は、寛政年間(1789-1801)から狂歌師、戯作者、落語家、落語作者を兼ねたマルチタレントとして売れた人。

慈悲成の弟子から、江戸の幇間の主流「桜川派」が発祥しているので、この人は「幇間の祖」でもあります。

前記の「屠蘇喜言」は、当人が自作自演した噺を、そのまま出版したもので、原話というよりは、この噺のオリジナルの原型といってよいでしょう。

大筋はほとんど現行と同じですが、医者の名は、お伽噺の「桃太郎」をもじった「川井仙沢」、侍に化けるのが「鷲の爪四九郎左衛門」という珍名。

藪医者が歌舞伎の道化方のように、癪や薬のの講釈をべらべら並べ立てるなど、滑稽味の濃いキャラクターになっています。

「鼻の円遊」から志ん生へ  【RIZAP COOK】

明治の初代三遊亭円遊(鼻の)の、明治23年(1890)1月の速記が残っています。円遊は時代を明治初期の文明開化期に移し、満員の鉄道馬車を出すなど、時代を当て込みました。

ちょうどその年に生まれた五代目古今亭志ん生が、この噺を戦後得意にし、音源も残しています。同時代では、二代目三遊亭円歌も演じました。

戦前はこの程度のものでも艶笑落語と見なされ、高座で演じることはできませんでした。

江戸末期の濃厚な頽廃美が理解されにくくなっている現在では、演じる余地がなくなりつつある噺でしょう。

志ん生没後は、立川談志が、賊を男一人女二人の三人組、医者を「武見太郎庵」で演じていました。

武見太郎は、戦後、日本医師会会長として歴代首相と医療行政で渡り合ったドンです。

弁天小僧は落語のパクリか  【RIZAP COOK】

現行の演出は、かの有名な黙阿弥の歌舞伎世話狂言「弁天娘女男白波」、通称「弁天小僧」の「浜松屋の場」のパロディ色が濃くなっています。

盗賊の弁天小僧菊之助が、娘に化けて呉服屋にゆすりに入る有名な場面で、「知らざあ言って聞かせやしょう」の七五調の名セリフはよく知られています。

ところが、この狂言の初演は、慈悲成の本が出てからなんと40年近くのちの文久3年(1863)3月、市村座。

これでは、どちらが先かは一目瞭然でしょう。

もちろん、作者の黙阿弥が落語に言及しているわけではないので、証拠はありませんが、内容を照らしてみれば、この噺の、女に化けこんでゆする趣向をそっくり借りているのは明白です。

ただ、慈悲成のものでは、よく読むと姫に扮したのが、女に化けた男だったというはっきりした記述はありません。

むしろ「お姫さまは雪の御ン肌を胸まで出して」というくだりがあるので、原典ではこれは本物の、力自慢の莫連女という設定だったと思われます。

それを、芝居の「弁天小僧」で黙阿弥がより退廃的に美少年に変え、当たったので、落語の方でも逆に今度は賊を、はっきり男にして演じたのでしょう。

総じて、江戸時代には高貴ななりをしながらそのじつ恐喝集団という手口の犯罪が時折あったわけで、慈悲成にしても黙阿弥にしても、現実に起こった事象から掬い取ったわけで、どちらが先かという詮索はナンセンスともいえます。

姫かかたりか大胆な  【RIZAP COOK】

浅草観音の歳の市は、旧暦では12月17、18日の両日。歳の市の始まりは、同月14日、15日の深川八幡境内、さらに神田明神がこのあと20、21日と続きますが、浅草がもっともにぎわいました。

現在もそうですが、正月用品の橙や注連縄を賑やかな口上で売りたてます。大津絵の「両国」にもこんなふうに。

♪浅草市の売り物は、雑器にちり取り貝杓子、とろろ昆布に伊勢海老か……

オチの「姫かかたりか…」は、もちろんその口上の「注連か、飾りか、橙か」のもじりですが、前項の慈悲成の原典では「まけたまけた、羊歯か楪葉、かざりを負けた負けた」となっています。

それに対応するオチは、現行と同じ「姫かかたりか」なので、厳密にはこれだと地口としてちょっと苦しいでしょう。

歳の市  【RIZAP COOK】

改めて説明しましょう。歳の市とは正月用品を売る市のこと。江戸では、主なところでは、深川八幡で12月14、15日、浅草観音で17、18日、神田明神で20、21日、芝神明宮で22、23日、愛宕下で24日、平河天神で25、26日と続きます。川柳などで「市」と詠まれた場合は浅草観音での歳の市をさすことが多いようです。ここがいちばんにぎやかだったのでしょう。おもしろいことに、歳の市で木彫りの大黒天を盗むと縁起がよい、とされていました。

正直な どろぼ大黒 ばかぬすみ
ゑびす様 人違へにて 盗まれる

五代目古今亭志ん生「姫かたり」

【語の読みと注】

弁天娘女男白波 べんてんむすめめおのしらなみ
莫連 ばくれん
注連 しめ
羊歯 しだ
楪葉 ゆずりは

【RIZAP COOK】

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さんねんめ【三年目】演目

【RIZAP COOK】

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逝かれた亭主。 出てこない女房。 しびれ切らした亭主。共にわけありで。

別題:茶漬け幽霊(上方)

あらすじ

ある夫婦、大変に仲むつまじく暮らしていた。

ある年、かみさんがふとした風邪がもとでどっと床につき、亭主の懸命の看病の甲斐なく、だんだん弱るばかり。

いよいよ今日か明日かという時になって、病人は弱々しい声で
「私が死んだ後、あなたが後添いをおもらいになると思うとそればかりが心残りでございます」
と言う。

「なにを言っている、あたしはおまえに万万が一のことがあっても、決して生涯、再婚などしない」
といくら言っても、
「いえ、あなたは必ず後添いをおもらいになります」
と繰り返すばかり。

あまりしつこいので亭主、
「そんなことはない。決してそんなことはないけれども、もし、あたしが後添いをもらうようなことがあったら、おまえ、婚礼の晩に化けて出ておいで。前妻の幽霊がとりついているようなところに嫁に来るような女はないから、そうすればどうでもあたしは独り身で通さなくてはいけなくなるんだから」
「それでは、八ツの鐘を合図に、きっと」
「ああいいとも」

えらいことを約束してしまったが、亭主のその言葉を聞くと、かみさんやっと安心したのか、にわかに苦しみだしたかと思うと、ついにはかなく息は絶えにけり。

泣きの涙で弔いを出し、初七日、四十九日と過ぎると、そろそろ親類連中がやかましくなってくる。

まだ若いのだし、やもめを通すのは世間の手前よくない、いい人がいるから、ぜひとも再婚しろと、しつこく言われるのを、初めのうちは仏との約束の手前、耳を貸さなかったが、百か日にもなると、とうとう断りきれなくなる。

それはそうで、まさか先妻とこれこれの約束をしたから……などと、ばかなことは言えない。

いよいよ婚礼の晩になり、亭主、幽霊がいつ出るかと、夜も寝ないで待っていたが、八つの鐘はおろか、二日たっても、三日たっても、いっこうに現れないものだから、
「ばかにしてやがる。恨めしいの、とり殺すの、と言ったところで息のあるうちだけだ」

それっきり先妻のことは忘れるともなく忘れ、後妻もそれほど器量が悪いという方ではないから、少しずつなじんでいくうちに、月満ちて玉のような男の子も生まれた。

こうして、いつしか三年目。

子供の寝顔に見入っているうち、ふと先妻のことを思い出している。

と、どこで打ち出すのか、八つの鐘がゴーン。

急にブルブルッと寒気がきたので、これはおかしいと枕元をヒョイと見ると、先妻の幽霊が髪をおどろに振り乱して、恨めしそうにこっちを見ている。

「……あなた、まあ恨めしいお方です。こんな美しい方をおもらいになって、かわいい赤ちゃんまで……お約束が違います」
「じょ、冗談言っちゃいけない。おまえが婚礼の晩に出てくるというから、あたしはずっと待っていたんだ。子供までできた後に恨みを言われちゃ困るじゃないか。なぜもっと早く出てこない」
「それは無理です」
「なぜ?」
「私が死んだ時、坊さんにしたでしょう」
「ああ、親戚中が一剃刀ずつ当てた」
「坊さんでは愛想を尽かされるから、髪の伸びるまで待ってました」

【RIZAP COOK】

しりたい

「原作者」は中興の祖  【RIZAP COOK】

本業の落語はもちろん、黄表紙、笑話本、滑稽本の執筆から茶道、絵画、狂歌と多芸多才、江戸のマルチタレントとして活躍した桜川慈悲成(しらがわじひなり、1762-1833)が、享和3年(1803)刊の笑話本『遊子珍学問』」中の「孝子経曰、人之畏不可不畏」が原作です。

これは、やもめ男が昼飯を食っていると、ドロドロと死んだ女房が現れたので、幽霊ならなぜ夜出てこないととがめると、「だってえ、夜は恐いんだもん」というオチ。

上方で演じられる「茶漬幽霊」は、「昼飯中」が「茶漬け中」に変わっただけで、大筋とオチは同じです。

「髪がのびるまで待っていた」は、「夜はこわい」の前の幽霊の言い訳で、東京の「三年目」は、ここで切っているわけです。

三年目とは  【RIZAP COOK】

今でいう三周忌(三回忌)です。『十王経』という仏教の啓蒙書に、七七忌(四十九日)、百ヶ日、一周忌など忌日、法事の規定があるのが始まりです。

坊さんにする  【RIZAP COOK】

江戸時代までは、髪剃り(こうぞり)といい、男女を問わず、納棺の直前に坊さんに剃髪してもらう習慣がありました。

東は悲話、西はドライ

東京の「三年目」では、亭主は約束を守りたかったのに、周囲の圧力でやむなく再婚する設定で、それだけに先妻に未練があり、オチでも「すれ違い」の悲劇が色濃く出ます。

これに対し、上方の「茶漬幽霊」は、男は女房のことなど小気味いいほどきれいに忘れ、すぐに新しい女とやりたい放題。薄情でドライです。

幽霊が出るのが「茶漬中」というのもふざけていますし、オチも逆転の発想で笑わせ、こっけい噺の要素が強くなっています。

バレ噺「二本指」  【RIZAP COOK】

類話に「二本指」という艶笑小ばなしがあります。

惚れぬいたかみさんがあの世に行き、ある夜化けて出てきて、「あたしが死んだから、おまえさんが浮気でもしてやしないかと思うと、心配で浮かばれないよ」と愚痴を言います。あんまりしつこいので、めんどうくさくなった亭主、そんなに信用できないならと、自分の道具をスパッと切って渡しますが、翌晩また現れて、「あと、右手の指が二本ほしい」

二代目露の五郎兵衛が「指は知っていた」の題で演じました。逸物をチョン切るときの表情が抱腹絶倒です。

円生、志ん生のくすぐり  【RIZAP COOK】

●円生

(マクラで、幽霊を田舎言葉で)「恨めしいぞォ……おらァはァ、恨めしいで、てっこにおえねえだから……生き変わり死に変わり、恨みを晴らさでおかねえで、このけつめど野郎」

土左衛門になると、男は下向き、女は上向きで流れてくる。この間横になって流れてきたので、聞いてみたらゲイボーイ。

●志ん生

(亭主が幽霊に)「そんなわけのわからねえ、ムク犬のケツにのみがへえったようなことを言ったって、もうダメだよ」

いやあ、この二人が戦後では「三年目」の双璧でした。

【RIZAP COOK】