ぎぼし【擬宝珠】落語演目 

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

金っ気をなめる。
緑青のあの味。
奇妙な嗜好をもった人の噺。
落語って、いいもんですね。

別題:金の味

あらすじ

日本橋あたりのご大家の若だんなが、三年越しの大病。跡取り息子なので両親も頭が痛い。

診てもらっても、医者は
「なにか心に思い詰めたことがかなえられれば治る」
と言うばかり。

そこでだんな、たまたまご機嫌伺いにまかり出た幇間の桜川長光に、
「礼ははずむから、せがれが思い悩んでいることを聞き出してほしい」
と頼んだ。

こいつはうまいと、さっそく若だんなにヨイショして聞き出そうとすると
「おまえ、あたしの願いをもし当てて見せたら、土地八百坪やるよ」
「へえ、鳥も通わぬ山奥で、三日目に虎に食われて死んじまうような所じゃあないでげしょうね」
「ばかァ言え、ちゃんとした神田の土地だよ」
「それじゃ、招魂社(靖国神社)の鳥居を盗んでみたいとか」
「違うっ」

若だんなはおもむろに
「あたしの考えは深いことだから、おまえにはわかるまい、一緒においで」
と連れ出されのが、浅草寺の境内。

「おまえ、この二百円をやるから、頼みたいことがある。もし聞いて笑ったら、おまえと刺し違えて相果てるよ」
「物騒だね、こりゃ。なんです?」
「五重塔のてっぺんの、擬宝珠の青いところをなめてみたい」

思わず吹き出しかけた長光、若だんながピストルを出しかけたのであわてて、住職にこれこれと願い出ると、
「ウーン、唐土もろこし莫耶ばくやという人が鉄の気を好んで、名剣を鍛えたという例もあるから、まんざらない話でもなかろう」
ということで許しが出た。

さっそく、鳶頭が出張して足場を組むという騒ぎで、境内は黒山の人だかり。

若だんな、勇んでてっぺんに登ると、ベロベロベロベロとうまそうになめるわ、なめるわ。

そこへ心配して駆けつけた両親、
「せがれは?」
「なめてらっしゃいます」
「こいつは驚いた。実はオレもばあさんも、擬宝珠が大好物なんだ。やっぱり血は争えねえなあ、ばあさん」
「あたしは、ニコライ堂のが一番おいしかったよ」
「神田橋のも京橋のもいけたなあ。めいめい味が変わっていて、いいや」

大変な一家があるものと、一同あきれていると、さすがに堪能したのか、若だんなが元気いっぱいになって下りてくる。

「おい、うまかったか」
「タクアンの味がしました」
「塩っ気が強かったか。タクアンの塩ならどのくらいだ。四升か五升か」
「いえ、六升(=緑青)の味がしました」

底本:初代三遊亭円遊

【RIZAP COOK】

しりたい

鋭い嗅覚  【RIZAP COOK】

もっとも古い原話は、元禄16年(1703)刊『軽口御前男』(初代米沢彦八、大坂)の巻一「鼻自慢」という笑話です。くしくも、この年は赤穂浪士切腹の年です。

初代米沢彦八(?-1714)は初めて大坂生玉神社境内に葦簾ばりの小屋掛けで一席うかがった伝説の人で、上方落語の祖ともいえる存在です。

この「鼻自慢」は、題名からも推測されるように、なめるのではなく金物の匂いを嗅ぐのが好きな男の話です。

男が四天王寺の塔の九輪を投石で打ち落とし、匂いをかいで、「三具足(仏前に置く花瓶、燭台、香炉)と同じ匂いだ」という、ごく当たり前なオチ。

今なら文化財保護法違反で、即御用です。

観音さま塩気足りず  【RIZAP COOK】

その後、明和5年(1768)刊『軽口春の山』中の「ねぶり好き」では、現行にだいぶ近づき、東寺の塔の九輪をなめたあと、「三条大橋の擬宝珠と同じ味だ」というご託宣。

さらに、安永2年(1773)刊『聞上手』中の「金物」になると、舞台は江戸になります。

現行通り、浅草五重塔の擬宝珠を味わって、「思ったほどうまくない。橋の擬宝珠から塩気を抜いたようなもんだな」という、ソムリエ顔負けの厳しい判定。

これが、オチを除けば、東京版の直接の原型でしょう。

上方落語の演出では、古くから東寺の塔をなめるのが普通です。

金属嗜好症  【RIZAP COOK】

実態は不明です。

類話に、お嬢さんが癪の薬にとヤカンをなめたがる「梅見の薬缶」があります。

銅(もしくは鉄、錫)に一種の麻薬的効果があるのかどうか、疑問です。

鉄なら、あるいはミネラル不足のため、体が無意識に要求するのかもしれませんが、銅に空気中の水分と二酸化炭素が付着して生じる「緑青」は明らかに猛毒のはずです。

毒と知って「逆療法」として用いたか、または、醤油の飲み比べなども行われた幕末デカダンの名残なのでしょうか。

擬宝珠  【RIZAP COOK】

ぎぼうしゅ。ぎぼうし。もともとはネギの花の別名であるため、これに似た形の、欄干の柱に付ける飾りをいいました。

日本橋には全部で10本の男柱や中柱があり、それぞれに銅製の擬宝珠が付けられていました。

このうち4本は万治元年(1658)に日本橋が再建された際に取り付けられたことがわかっています。

明暦の大火(1657年)で日本橋のかなりの部分が焼失していたのですね。

擬宝珠のある橋は大橋で、日本橋など市街の中心部にしかないため、明治大正までは、東京の繁華街の寄席に出演できる一流の芸人を「擬宝珠の芸人」と称しました。

干将と莫耶  【RIZAP COOK】

古代中国、春秋時代(BC771-BC403)のこと。

呉の刀鍛冶干将かんしょうとその妻莫耶ばくやが、呉王(一説に楚王)の妃が鉄の精を宿して産んだ鉄塊を、協力して名剣に鍛えたという故事から「干将莫耶の剣」という成語があります。略して「干莫(干鏌)」とも。

元ネタは『呉越春秋』(趙曄、後漢初期=1世紀)や『捜神記』(干宝、東晋=4世紀)に出てくる故事です。

不思議なことに、干将莫邪はいわくつきの名剣でしかなく、この言葉に潜む教訓とかたとえはありません。仇討ちの熱い思いだけが「干将莫邪」かもしれません。

ここでは、『捜神記』巻十一「三王墓」をもとにあらすじを記しましょう。

王の求めに応じて、干将と莫邪は苦労の末に雌雄二振りの剣をつくりました。雄剣を干将、雌剣を莫邪と名づけます。剣名と人名が同じ名なのでややこしいのですが。干将は雄剣を隠し、雄剣だけを王に献上します。雄剣がないことで怒った王は干将を殺します。残った莫邪は男児を産みます。眉間尺と名づけます。眉間尺は父の仇を討つことに精を込めて成長します。眉間尺は仇討ちの夢を見続けます。王も夢でこれに気づきます。ここが古代の不思議なところです。眉間尺には懸賞金が出てお尋ね者に。眉間尺は山に逃げ、泣きます。通りかかった旅人。泣くわけと尋ねます。眉間尺が打ち明けます。旅人は「それには剣とあんたの首が必要だ。ならば王に会える。私が仇を討とう」と。眉間尺は自らの首をはねました。首のない死体は、旅人が「約束は必ず守るぞ」と言うと倒れました。首を携えた旅人は王に謁見できました。首実見した王は大喜び。旅人は「これは勇者の首だから湯で煮とろかさなければなりません」と。王は従いました。三日煮ても首は溶けません。にらみつけさえしています。旅人は「王が鍋を覗けば溶けます」と。王が覗いたその刹那、旅人は剣で王の首をはね、自らの首もはねました。二首は湯の中に落ち、眉間尺の首と合わせて三首が煮とろけて見分けがつかなくなりました。いっそ、まるごと埋葬されることに。この墓は「三王墓」といわれ、いまでも汝南県にあります。

どろどろの話です。

この故事は干将、莫邪、眉間尺の登場で日本人に好まれ、日本では『今昔物語』や『太平記』などに伝わっています。歌舞伎の時代狂言にはたびたび登場しています。話に尾ひれが付き、なかなか一本化できません。剣、首、仇討ち。これだけが共通しています。

歌舞伎では、たとえば「実盛物語」で。平清盛の魔手から源氏の源義賢の室・葵御前と遺児を守るため、実盛が、葵御前が人の腕を産んだと強弁。

その先例として、長々とこの莫耶の剣の講釈をし、鉄の塊を出産したためしがあるのだから腕が産まれるのも不思議ではないとマカフシギな論証(?)で、敵方をケムに巻きます。

魯迅(周樹人、1881-1936)は、『故事新編』に「鋳剣」(前題「眉間尺」)という作品でこの故事を脚色して収録しています。

眉間尺」(演目)や「干将莫邪」(故事成語)もご参照ください。

喬太郎の芸  【RIZAP COOK】

この噺、明治期は初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)、大正期に入って初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919、盲小せん)が得意としました。

今回のあらすじでは、明治25年(1892)の初代円遊の速記を参考にしました。

円遊はテリガラフ(テレグラフ=電信)、ステンショ、鹿鳴館など、文明開化の風俗をふんだんに取り入れています。

先の大戦後は、三代目三遊亭小円朝(芳村幸太郎、1892-1973)が演じました。

あまりやり手がありませんでしたが、2005年7月の「落語研究会」で柳家喬太郎師が好演。主人公を思いっ切りヘンタイ的にやりました。この噺は、喬太郎師の口舌によって新境地が開かれました。喬太郎師にとっても画期的かつ革命的な高座だったのでしょう。今では、「擬宝珠」といえば、喬太郎師を連想してしまいます。

ことばよみいみ
幇間 たいこもち
招魂社しょうこんしゃ靖国神社
擬宝珠ぎぼうしゅ/ぎぼし
唐土もろこし
莫耶ばくや
しゃく胃痙攣

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第620回 TBS落語研究会 寸評 2020年2月26日

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権助芝居 桂宮治
★★

初手から幇間顔負けの愛嬌全開。出るなり、メクリの陰でもうお辞儀する噺家も、昨今珍しい。これに当てられたか、疫病騒ぎで閑古鳥とまでいかずとも、その雛鳥がぴいぴいの客席が、やんやの大拍手。マクラからもうハイテンション。高座で新劇のハムレットの真似やらで大熱演。ところが不思議や、噺が進むにつれ、マスクの海はたちまち波静か。まるで閑古鳥の雛があっという間に成鳥になったよう。権助が農協ケースから飛び出すギャグはけっこうなれど、早口がなかなか聞き取れない難あり。権ちゃんがおだてられるたび、いちいち口笛を吹くくすぐりも、なんだか空回り。芝居の場面。ほとんど間がなくしゃべり続けなので、せっかく笑いの多い見せ場もいま一つ塩が利かず、故矢来町の師匠ご贔屓の某行列卵炒飯のよう。「曲者待った」のセリフの後、唐突に間延びするのが、かえって妙に新鮮だった。

巌流島 柳亭小痴楽
★★★

芸協自虐ネタでスタート。笑えるどころか、数年に一度しか出してもらえない悲哀に、思わず一掬同情の涙。人物一人一人の描写は丁寧で、ちゃんとお勉強なさっているのが好感持てる。ただ、型通りのくすぐりが今ひとつ徹底せず、それほど受けない。どうせなら志ん生流に、「なんだ町人のくせに。生意気に人間の形をしてやがる」くらいやってもよいのでは。じいさん侍の智謀と古狸ぶり、なかなかのもの。後半の野次馬どものやりとりは、もう少しメリハリを付けてスピーディーにすれば、もう少し面白くなるだろう。それにしてもこちとら年寄りは、コチラクと聞くとどうしてもあのアル中のお人をイメージしてしまう。死んでもう36年もたつというのに、ほんに罪作りな人ではある。

胴乱の幸助 桂吉弥
★★★★

たまに上方の師匠連をこうした席で拝聴すると、つくづくその過不足ないサービス精神、芸のレベルの高さに驚かされる。この師匠もそうだが、少なくとも東京では、失礼ながらほとんど知名度がないにもかかわらず、誰が出てきても客に、それなり以上の満足と笑いを置いていってくれる。東京に比べ、寄席の出番にも恵まれない中、五代目、六代目松鶴以来の上方落語への情熱が、変わらずに継承されているのだろう。で、この胴乱幸助。今となってはあまりに古風すぎるネタだが、手を抜かずきちんと仕上げていて、十分に楽しめた。ことに、後半の京都のお師匠さんの描写が秀逸。明治初年の市井の人物が、今そこにいるようにリアルに息づいているから、古臭さをまったく感じない。あえて言わせてもらえば、前半の、主人公がこちらに歩いてくるまでの清八喜六コンビの長い「漫才」が少々間延びして、あれでは相談がまとまらないうちに、親父が通り過ぎてしまうと思わせること。これは落語の「嘘」に違いないが、当人の大師匠の米朝や六代目松鶴なら、たとえ同じ時間を費やしても、決して客にそんなことを意識させなかったはず。そこだけ☆を一つ減らさせていただいた。さらに欲を言えば、「胴乱」(革製の煙草入れの袋)の意味は、やはり説明しておいたほうがよかっただろう。

ひなつば 桂やまと
★★★★

この人、昔どこかで見た誰かに似ていると思ったら、思い出した。あの森川信。風貌もそうだが、セリフのすっとぼけた物言い、微妙な間の外し方など、中年のころの同優を彷彿とさせる。まあ、当人は「男はつらいよ」くらいは見ていたとしても、年代的に森川信など知らないはずだから、単なる偶然だろうが、なんだか懐かしかった。そういう頭で「ひなつば」の植木屋夫婦のやり取りを聴いていると、会話のテンポもよく、爆笑といえるくすぐりはなくとも、あたかも森川がこの役を演じているような飄逸なおかしみが感じられ、好感が持てる。落語を先入観で聴くのも、そう悪いことではない。お八歳の悪たれ小僧の描写も、作られた不自然な誇張がなく、苦笑いを誘う。ただ、お店の大だんな自らが、自らケツをまくって辞めた植木屋の長屋にわざわざ訪ねてくるのは、当時の絶対的な上下関係からして異例。にしては、それまでの亭主の様子に、伏線としての後悔の念が感じられない。かといってまだ意地づくで突っ張っている様子もあまりなく、そのあたりの腹のうちを、もう少し明確にしてほしかった。

夢の酒 柳家喬太郎
★★★★★

しばらく見ないうちに、この人もすっかり真っ白けになったが、いまや押しも押されもせぬ大看板。その名にふさわしく、マクラから息をもつかせぬ大熱演。いや、☆をもう二つ献上したいくらいに堪能させていただいた。ネタは、昭和10年(1935)ごろ「夢の瀬川」を八代目桂文楽が改作したもの。今となっては古風に過ぎ、噺自体もあまり面白いとは言えないだけに、ちょいと心配したが、なかなかどうして。まずマクラで池袋演芸場の礼賛から始まり、その池袋の怪しげな雑居ビル。迷い込んだはエロDVD屋……という夢の顛末で、もうすっかり客をつかんでしまう。本題に入って、寝言を言っている亭主の顔を覗き込む若妻。むりやり起こして夫婦で夢の話。ここで、ワイフの言葉がどうにも山の手のお嬢さま風なのは、昭和初期の世相を反映している。時代背景の説明を飛ばしたため、亭主の、いかにも江戸の大店のあるじ然としたもっともらしい口調と水と油。違和感ありありで、「若だんな」というには老成し過ぎと文句をたれようと思ったが、後の、夢の女の圧倒的な色気にむせて圧倒され、そんなこたァどうでもよくなっちまう。とにかく、この女の色気と、それを笑いのオブラート、というより、ほんのり塩の利いた桜の葉で包んだような絶妙のコンビネーションこそ、この方の持ち味。座って立ってクネクネと、歌舞伎の「三千歳」のカリカチュアのように、抱腹絶倒の連続。しまいに、筋やサゲなどもうどうでもいいんじゃないの。いや、ごちそうさまでした。蛇足ながら、本日の出演者全員が口を揃えた「コロナネタ」の中で、この師匠の「本日のわれわれのギャラは……マスクです」がやはり秀逸でした。

高田裕史

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