【とんちき】とんちき 落語演目 あらすじ



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【どんな?】

「とんちき」とは「まぬけ」の意。
まったくもって奇妙な構成の噺です。
ムチャクチャ笑っちゃいます。

あらすじ

嵐の日なら廓はガラガラで、さぞモテるだろうと考えた男。

わざわざ稲光のする日を選んで、びしょ濡れで吉原へ。

揚がってなじみのお女郎を指名、寿司や刺し身もとってこれからしっぽり、という矢先に、女が
「ちょいと待ってておくれ」
と消えてしまう。

世の中には同じことを考える奴はあるもので、隣の部屋で、さっきから焦れて待っている男、女が現れると
「おめえ、今晩は客がねえてえからおらァ揚がったんだぜ。いい人かなんか、来やがったんだろう」
と嫌みたらたら。

「嫌だよ、この人は焼き餅を焼いて。いい人はおまえさん一人じゃないか。ほら、おまえさんの知ってる人だよ。この間、朝、おまえさんが顔を洗ってたら、二階から楊枝をくわえて髭の濃い、変な奴が下りてきたろ。足に毛が生えた、熊が着物を着ているような奴。あいつが来ているんだよ」
「ああ、あのトンチキか」

隣の男、「あんな野郎なら」と安心して、花魁と杯のやりとりを始める。

そのうちに、花魁が
「だけどもね、いまチョイチョイと……」
とわけのわからない言い訳をして、また消えてしまう。

前の座敷へ戻ると
「おめえ、今晩は客がねえてえから、おらァ揚がったんだぜ。いい人かなんか、来やがったんだろう」
と、嫌みたらたら。

「嫌だよ、この人は焼き餅を焼いて。いい人はおまえさん一人じゃないか。ほら、おまえさんの知ってる人だよ。この間、おまえさんが顔を洗いに二階から下りてきたとき、あたしが顔を洗わせてたお客があったろ。あの目尻が下がった、鼻が広がったあごの長い奴。あいつが来ているんだよ」
「ああ、あのトンチキか」

底本:初代柳家小せん

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しりたい

円遊から小せんへ

原話は不明。初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)が「果報の遊客」の演題で明治26年(1893)7月『百花園』に速記を載せています。

円遊のものは、同じ廓噺の「五人廻し」をくすぐりたくさんにくずしたようなもので、文句を言う客に女郎が「おまはんはあたしの亭主だろう。自分の女房によけい客がつくんだから、いいじゃないか」と、居直って膝をキュっとつねり、隣の部屋に行ってまた、間夫気取りの男を翻弄。

「おまはんも甚助(焼き餅)だねえ。奥に来てる奴は知ってる人だよ。あのばかが来てるんだよ」「うん、あのばかか」とオチた上、「両方で同じことを言っております」と、よけいなダメを押しています。

明治末から大正初年にかけ、これを粋にすっきりまとめ、「とんちき」の演題を使い始めたのが、初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919、盲小せん)でした。近代廓噺のパイオニアです。

大正8年(1919)9月、その遺稿集として出た『廓ばなし小せん十八番』に収録の速記を見てみましょう。

マクラで、活動写真のおかげで近ごろは廓が盛らないなどと大正初期の世相を織り込み、若い落語家(自分)がなけなしのワリ(給金)を持って安見世に揚がり、「部屋ったって廻し部屋、たばこ盆もありゃアしません。たもとからマッチを出して煙草を吸い始める、お女郎衆のお座敷だか田舎の停車場だかわからない」と、当時の寒々とした安見世の雰囲気を活写し、今に伝える貴重な風俗ルポを残しています。

小せんはさらに、花魁がいつまでも向こうを向いて寝ているので、「こっちをお向きよ」「いやだよ、あたしは左が寝勝手(=寝やすい)なんだよ」「そうかい、それじゃ俺がそっちへ行こう」「いけないよ。箪笥があるんだよ」「あったっていいじゃないか」「中のものがなくならあね」という小咄をマクラに振っています。

これは、小せんに直伝で廓噺を伝授された五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)が、しばしば使っていたネタ。

残念ながら志ん生自身の「とんちき」の速記や音源はありません。

それにしても、小せんと志ん生の年齢差はたった7歳でした。

昭和48年(1973)、83歳まで生きた志ん生に比べ、小せんは享年36。早すぎる天才の夭折でした。

とんちき

生粋の江戸悪態ことばで、「トンマ」「まぬけ」の意味。

もとは「とん吉」と言ったのが、いつの間にか音が転倒しました。

江戸語にはこの手が多く、好例に「こんちき」があります。

狐を意味する「こんこんさま」の「こん」に「吉」を付けて擬人化し、さらに「吉」を転倒させて「こんちき」とすることで、擬音にも使われ出し「こんこんちきちん」にまで通ずる語となりました。

「しだらがない」が「だらしがない」に転訛したように、誤用、または洒落てひっくり返して使っていたのが、そのまま定着してしまった例もあります。

深川の岡場所(幕府非公認の遊郭)で、ヤボな客を「とんちき」と呼んだので、廓噺だけにその意味も合体しています。

18世紀後半には、江戸の、しかも深川の遊里から「通」「粋」といった美意識が生まれていきました。

寛政の改革で吉原が締め付けられたことで遊びの中心が深川に移ってのこと、といわれています。

なんの確証もありませんが、とりあえず今は、この俗説を信じておきましょう。

となると、「とんちき」は、「粋」の対語となる「野暮」の派生語としてはやったのかもしれません。とりあえずの説です。



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