【浦島屋】うらしまや 落語演目 あらすじ



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あらすじ

浦島太郎のパロディー。
きてれつ千万。
すこぶるのんきな噺。

別題:水中の球 竜宮 小倉船(上方)

あらすじ

横浜の弁天通りで鼈甲屋を営む、浦島多左衛門のせがれ、太郎。

この若だんな、ハイカラ好きで、人がやらないことをやってみたいと、いつも考えている。

「いっそ、親父を女郎に売って、おふくろを兵隊にしてしまおうか」
などと考えている矢先、ご機嫌伺いに現れたのが、幇間の桜川船八。

この男の悲運はここが始め。

若だんなは、
「今度こそ極めつけの大きなことをやってみようと思っている」
「へえ、なんでゲス」
「水中旅行さ」

大きなガラス球の潜水艇があるからそれに乗って行く、という。

なんでも、金魚鉢の親玉のような代物で、大きさは二畳敷。

最近、有名な理学士の先生が発明したのを、安く借りられる手はずだとか。

郵船会社に頼んで、船で上からぶら下げてもらえば、管が付いていて息もできるし、ゆうゆうと海底探検が楽しめるというので、船八、ぜひお供をと飛びついた。

そういう次第で、若だんなは万事手配りし、両親にいとま乞いすると、船八ともども汽笛一声新橋を、はや、わが汽車は離れたり。

あっという間に、安芸の宮島までやって来た。

さっそく海中に潜り、いろいろな珍しい魚を見物して喜んでいると、向こうから金ピカの着物を着た男が近づいて「われは竜神なり」とあいさつ。

なんでも、龍宮の乙姫が、日本から美男子両人が海底旅行に来るとの話を伝え聞き、ぜひお連れせよとの命令だという。

案内されて着いてみると、近ごろは龍宮も文明開化で開け、市区改正なども行って、メインストリートは酒屋に汁粉屋に寺に洋館と、なんでもあって、なかなかにぎやか。

人力車は車海老が引いている。

宮殿に着くと下にも置かない大歓迎。

乙姫さまは当たり前だが絶世の美女で、そのほか腰元も美人ぞろいなので、二人が鼻の下を伸ばしていると、乙姫は玉手箱を贈り物にくれる。

命令一下で、数寄屋橋を始め東京中の橋という橋があいさつに来たりで、のめや歌えの大騒ぎ。

そのうち、若だんなはシャバが恋しくなりだし、船八と相談して、二人で玉手箱を持ち、蓬莱の亀にまたがってトンズラ。

「それ、浦島が脱走した」
と追手がかかったので、あわてた拍子に玉手箱を落として壊してしまった。

たちまち二人はハゲ頭に総白髪。

それでもようやく横浜の店にたどり着くと、だいぶようすが変わっていて、中から鉦をたたく音。

二人が入って行くと、腰の曲がった爺さんと婆さんが現れ、見るなり「幽霊だっ」と騒ぐ。

よくよく話を聞けば、二人が行方不明になってからはや半世紀。

親父は九十、おふくろは八十五。

ちょうど若だんなの五十回忌法要の最中で、生まれたばかりだったせがれはもう五十。

後を継いで子供、若だんなには孫までいる。

これでめでたく三夫婦そろい。

船八、
「だんな、あちらからお戻りになったのはまったく年の功でしたね」
「いや、亀の甲で帰った」

底本:初代三遊亭円遊

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【しりたい】

色あせた「円遊流」

原話は延享4年(1747)刊の笑話本『軽口花咲顔』中の「水いらず」です。この小咄の筋は以下の通り。

若だんなの言いつけで、海底に沈んだ難破船の黄金を探すために、ガラス玉に入って水中に潜った男が、見つけた金銀を早く取れとせかされ、「あっ、手が出ない」とオチになります。

この原話をほぼ踏襲した形で、従来同題で演じられていた噺を、大坂の林家系の祖といわれる林屋蘭丸(生没年不詳、文化文政期か)が上方落語「小倉船」としてまとめたものともいわれますが、この人の実在自体がはっきりせず、真偽は不明のままです。

初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)が明治中期に東京にこの話を移すとともに、時代に合わせて改作したものと見られます。円遊の速記は「水中の球」と題した、明治25年(1892)のものが残っています。

「体内旅行」などと同じく、明治維新後、急激に流れ込んだ科学的知識を、いかにも聞きかじりで中途半端に取り入れ、発想自体は古めかしいままだったので、現実の世の中の進歩に取り残されたこの種の噺は、短期間で飽きられ、すたれました。

この噺も円遊以後は口演速記がありません。

「小倉船」

本家上方の「小倉船」のあらすじは、以下の通り。

九州小倉と大坂を往復する船に乗り込んだ男が、三十両の大金を海に落としたので、あわてて大きなガラスのフラスコに入り、潜って探すうちにフラスコが割れ、海底に沈むとそこが龍宮。乙姫がこの男を浦島と間違えて歓迎したので、いい気になって楽しんでいると、本物の浦島が亀に乗って現れたので逃げようと駕籠に乗るが、駕籠かきが猩猩で「駕籠賃は少々(猩猩)だが、酒手が高い」とオチるものです。

この噺は上方落語では、連作シリーズの「西の旅」の一部で、厳密には金を海に落とすところまでが「小倉船」、そのあと、フラスコで金を探しに海中にもぐるくだりになり、この部分は「フラスコ」または「水中の黄金」「天国旅行」とも呼ばれます。結びの竜宮のくだりは、上方の別題は「竜宮界竜の都」です。

東京の改作「浦島屋」が、時流に便乗しようとしてかえって早く消えたのに対し、「小倉船」の方は、古風な演出をそのまま残したためか「希少価値」で、現在も演じられます。

三代目桂米朝(中川清、1925-2015)の速記が『桂米朝コレクション』(ちくま文庫)第二集に収録されています。現在では「フラスコ」「竜宮界」をひっくるめて「小倉船」で演じるのが一般的です。

先の大戦後、東京に在住して上方落語をオリジナルで演じた桂小文治が得意にし、そのため東京でも、今では「小倉船」の方がよく知られています。

郵船会社事始

維新後、明治政府は海運業を発展させるため、郵船業、海運業を一手に三菱に独占させました。

明治14年(1881)の北海道官有物払い下げ事件で政府と三菱への攻撃が高まり、翌年、三井系の共同運輸会社が設立されましたが、政府は三菱汽船と合併させ、明治19年(1886)に日本郵船が発足、財閥による郵船事業の独占体制が固まりました。

市区改正

明治2年(1869)、明治政府による「朱引き」が行われ、東京の市街地の境界が定められました。

これは幕府の行政区画であった「御朱引内」を踏襲したものですが、明治4年(1871)、さらに市内を六大区・九十七小区に分け、6年(1873)には朱引内(旧江戸市街)六大区、朱引外五大区に改編。

明治11年(1878)には、朱引内が十五区に再編成され、ほぼ大筋が固まりました。

【語の読みと注】
鼈甲屋 べっこうや
鉦 かね
駕籠かき かごかき
猩猩 しょうじょう:中国の想像上の怪獣。オランウータンみたいな
酒手 さかて:①酒の代金。②心づけの金銭

 



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