【甚語楼の頃】じんごろうのころ 志ん生雑感 志ん生! 落語 あらすじ
以下は、昭和4年(1929)11月7日付の読売新聞に掲載された「講談落語 一百人」第49回「柳家甚語楼」の記事です。
甚語楼というのは柳家金語楼のとりなしで柳家三語楼門に移ってからの志ん生。読みやすく直してあります。
ちょいちょい芸名を変えるのはあまり策の得たものではなく、この男などもそのために存在を知られていない上、こんにちは甚だ不遇の位置に甘んじて金語楼派の雑兵になって兵隊劇や寸劇だのヂャズなどへ使われているが、一時は真打ちで看板をあげたこともあり、しん馬を前名としていた過去を持っている。したがって本当にやらせれば随分大物もかつぎ出してどうにかこうにか消化してのけるところ時勢がよければ相当の位置にも昇るところはモヅモヅして引き立たないのは名人肌というわけで甚五郎と洒落たのかもしらねど妙に円右を張ったりする癖を除け自分を出して精進すれば独特の味もあるのだから大成もしよう。とにかくこのまま埋もれ木にしたくない良材なことは保証する。
なんと、この筆者は、その後の大成ぶりを予告していました。大切なところをしっかり見ていたようです。
古木優