こがねもち【黄金餅】演目

円朝作。逝った西念を弔うため下谷から麻布、桐ヶ谷まで。異色の長屋噺。

あらすじ

下谷山崎町の裏長屋に住む、金山寺味噌売りの金兵衛。

このところ、隣の願人坊主西念の具合がよくないので、毎日、なにくれとなく世話を焼いている。

西念は身寄りもない老人だが、相当の小金をため込んでいるという噂だ。

だが、一文でも出すなら死んだ方がましというありさまで、医者にも行かず薬も買わない。

ある日、
「あんころ餠が食べたい」
と西念が言うので、買ってきてやると、
「一人で食べたいから帰ってくれ」
と言う。

代金を出したのは金兵衛なので、むかっ腹が立つのを抑えて、「どんなことをしやがるのか」と壁の穴から隣をこっそりのぞくと、西念、何と一つ一つ餡を取り、餠の中に汚い胴巻きから出した、小粒で合わせて六、七十両程の金をありたけ包むと、そいつを残らず食ってしまう。

そのうち、急に苦しみ出し、そのまま、あえなく昇天。

「こいつ、金に気が残って死に切れないので地獄まで持って行きやがった」
と舌打ちした金兵衛。

「待てよ、まだ金はこの世にある。腹ん中だ。何とか引っ張りだしてそっくり俺が」
と欲心を起こし、
「そうだ、焼き場でこんがり焼けたところをゴボウ抜きに取ろう」
とうまいことを考えつく。

長屋の連中をかり集めて、にわか弔いを仕立てた金兵衛。

「西念には身寄りがないので自分の寺に葬ってやるから」
と言いつくろい、その夜のうちに十人ほどで早桶に見立てた菜漬けの樽を担いで、麻布絶口釜無村のボロ寺・木蓮寺までやってくる。

そこの和尚は金兵衛と懇意だが、ぐうたらで、今夜もへべれけになっている。

百か日仕切りまで天保銭五枚で手を打って、和尚は怪しげなお経をあげる。

「金魚金魚、みィ金魚はァなの金魚いい金魚中の金魚セコ金魚あァとの金魚出目金魚。虎が泣く虎が泣く、虎が泣いては大変だ……犬の子がァ、チーン。なんじ元来ヒョットコのごとし君と別れて松原行けば松の露やら涙やら。アジャラカナトセノキュウライス、テケレッツノパ」

なにを言ってるんだか、わからない。

金兵衛は長屋の衆を体よく追い払い、寺の台所にあった鰺切り包丁の錆びたのを腰に差し、桐ケ谷の焼き場まで早桶を背負ってやってきた。

火葬人に
「ホトケの遺言だからナマ焼けにしてくれ」
と妙な注文。

朝方焼け終わると、用意の鰺切りで腹のあたりりをグサグサ。

案の定、山吹色のがバラバラと出たから、「しめた」とばかり、残らずたもとに入れ、さっさと逃げ出す。

「おい、コツはどうする」
「犬にやっちめえ」
「焼き賃置いてけ」
「焼き賃もクソもあるか。ドロボー!」

この金で目黒に所帯を持ち、餠屋を開き繁盛したという「悪銭身につく」お話。

底本:五代目古今亭志ん生

しりたい

不思議な黄金餅  【RIZAP COOK】

下谷山崎町は江戸有数のスラム。当時は三大貧民窟のひとつでした。現在の台東区東上野4丁目、首都高速1号線直下のあたりです。そこは底辺の人々が闇にうごめくといわれた場所でした。どれほどのものかは、いまではよくわかりませんが。

金をのみ込んでもだえ死ぬ西念は願人坊主という職業の人。僧形なんですが、身分は物ごい。立川談志の演出では、長屋の月番は猫の皮むきに犬殺しのコンビ。

そんな連中が、深夜、西念の屍骸を担ぎ、富裕な支配階級の寝静まる大通りを堂々と押し通るわけ。目指すは、架空の荒れ寺・木蓮寺。港区南麻布2丁目辺でしょうか。

付近には麻布絶口の名の起こり、円覚禅師絶江が開いたといわれる曹渓寺があります。

しかし、一行を待つのは怪しげな経を読むのんだくれ和尚、隠亡(おんぼう)と呼ばれた死体焼却人。

加えて、死骸を生焼けにして小粒金を抉り出す凄惨なはずの描写。

それでいて薄情にも爆笑してしまうのは、彼らのしたたかな負のエネルギー、なまじの偽善的な差別批判など屁で吹っ飛ばす強靭さに、かえって奇怪な開放感を覚えるためではないでしょうか。

いやいや、志ん生の話し方が理屈なんかすっ飛ばしてただおかしいから、笑っちゃうのですね。金は天下の回り物だわえ、てか。

ついでに、志ん生の道行きの言い立てを。

わァわァわァわァいいながら、下谷の山崎町を出まして、あれから、上野の山下ィ出まして、三枚橋から広小路ィ出まして、御成街道から五軒町ィ出まして、その頃、堀さまと鳥居さまというお屋敷の前をまっすぐに、筋かい御門から大通りィ出て、神田の須田町ィ出まして、須田町から新石町、鍛冶町から今川橋から本銀町、石町から本町ィ出まして室町から、日本橋をわたりまして、通四丁目、中橋から、南伝馬町ィ出まして京橋をわたってまっつぐに、新橋を、ェェ、右に切れまして、土橋から、あたらし橋の通りをまっすぐに、愛宕下ィ出まして、天徳寺を抜けて神谷町から飯倉六丁目へ出た。坂を上がって飯倉片町、その頃おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂をおりまして、十番へ出て、大黒坂を上がって、麻布絶口釜無村の木蓮寺ィ来たときには、ずいぶんみんなくたびれた……。そういうわたしもくたびれた。

ああ、写したあたしもくたびれた。

【RIZAP COOK】

もっとしりたい】

円朝作といわれる原型ではこの噺にはオチがない。噺にはオチのあるものとないものとがある。オチのある噺を落語といって、オチのないものは人情噺や怪談噺などと呼んでいるが、これはどっちだろう。そんなことは評論家のお仕事。楽しむほうにはどっちでもいい。

五代目古今亭志ん生のが有名だ。二男の志ん朝もやった。志ん朝没後まもく、春風亭小朝が国立劇場で演じてみせた。多少の脚色はうかがえたが、志ん生をなぞる域を出なかった。とても聴いちゃいられなかった。しらけたもんだった。

志ん生は、四代目橘家円喬のを踏襲している。舞台は幕末を想定していたという。全編に漂うすさんだ空気と開き直りの風情は、たしかに幕末かもしれない。

三遊亭円朝が演じたという速記は残っているが、これだと長屋は芝金杉あたりだ。当時は、芝新網町、下谷山崎町、四谷鮫ヶ橋が、江戸の三大貧民窟だったらしい。芝金杉は芝新網町のあたり。円喬という人は落語は名人だったらしいが、人柄はよくなかったようだ。二代目円朝を継ぎたかったのは、円喬と円右だったそうだが、名跡を預かる藤浦家のお眼鏡にはかなわなかった。藤浦はよく見ていたようだ。だからか、円喬の「黄金餅」はその人柄をよくさらしていたように思える。凄惨で陰気で汚らしい。

金兵衛や西念の住む長屋がどれほどすさまじく貧乏であるかを、われわれに伝えているのだが、志ん生の手にかかると、そんなことはどうでもよくなってしまう。山崎町はみんな貧乏だったんだから。円朝のだと、ホトケを芝金杉から麻布まで運ぶので違和感はない。距離にして2キロ程度。志ん生系の「黄金餅」では、下谷から麻布までの道行きを言い立てるのがウリのひとつになっている。これは13kmほどあるから、ホントに運んだらくたびれるだろう。桐ヶ谷は、浅草の橋場、高田の落合と並ぶ火葬場。「麻布の桐ヶ谷」と呼ばれた。火葬場は今もある。

下谷山崎町とは、いまの上野駅と鶯谷駅の間あたり。上野の山(つまり寛永寺)の際にあるのでそんな地名になった。「山崎町=ビンボー」のイメージがあんまり強いので、明治5年(1872)に「万年町」に変わった。中身は変わらずじまいだったから、東京となってからは「万年町=ビンボー」にすりかわっただけ。明治・大正の新聞・雑誌には、万年町のすさんだありさまが描かれているものだ。

円朝は最晩年、病癒えることなくもう逝っちゃいそうな頃、万年町に住んだ。名を替えても貧乏の風景は変わらなかった。ここで死ぬにはいくらなんでも大円朝が、と、弟子や関係者が気を使って、近所の車坂町に引っ越させた。結局、円朝はそこで逝った。万年町とはそのようにはばかられるほどの町だったのだ。

西念の職業は噺では「坊主」となっている。文脈から、これが願人坊主であることは明白だ。願人坊主とは、流しの無資格僧。依頼に応じて代参、代待ち、代垢離するのが本来の職務なのだが、家々を回っては物乞いをした。奇抜な衣装、珍奇な歌や踊りで人の耳目を傾けた。ときに卑猥な所作をも強調した。カッポレや住吉踊りは願人の発明だったらしい。多くは、神田橋本町、芝金杉、下谷山崎町などに住んでいた。

木蓮寺の和尚があげたあやしげなお経は、願人が口ずさむセリフのイメージなのだろう。麻布は江戸の僻地だ。神田、日本橋あたりの人は行きたがらない場所。絶口釜無村とは架空の地名だが、「口が絶える」とか「釜が無い」と貧しさを強調している。たしかに、絶江坂なる地名が今もある。ここらへんにいたとかいう和尚の名前だという。

好事家はこれを鬼の首を取ったかのように重視するが、だからといって、それらの地名が噺とどうかかわるかといえば、どうということもない。「黄金餅」について評論家諸氏は「陰惨を笑わせる」などと言っているが、そんなことよりも「全編、貧乏を笑わせている」噺であることが重要なのだと思う。金兵衛の親切めかした小狡さ、西念の渋ちんぶり、菜漬けの樽を早桶に見立てるさま、木蓮寺の和尚の破戒僧のなりふり、というふうに、この噺は貧乏とでたらめのオンパレード。この噺、そんなすさまじき貧乏すらも忘れて、志ん生の仕掛けたくすぐりで笑っちゃうだけ。それだけでいいのだろう。

古木優

【RIZAP COOK】

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【黄金餅 古今亭志ん生】

やんまきゅうじ【やんま久次】演目

円朝門の三遊一朝から彦六へ。空白期を経て雲助が復活。

別題:大べらぼう

【あらすじ】

番町御廐谷の旗本の二男、青木久次郎。

兄貴がいるので家督は継げず、他家に養子にも行けずに無為の日々を送るうち、やけになって道楽に身を持ち崩し、家を飛び出して本所辺の博打場でトグロを巻いている。

背中一面に大やんまのトンボの刺青を彫ったので、人呼んで「やんま久次」。

今日も博打で負けてすってんてんになり、悪友の入れ知恵で女物の着物、尻をはしょって手拭いで頬かぶりというひどいなりで、番町の屋敷へ金をせびりにやってくる。

例によって用人の伴内に悪態をつき、凶状持ちになったので旅に出なくてはならないから、旅費をよこせと無理難題。

どっかと座敷に座り込み、酒を持ってこいとどなり散らす。

ちょうど来合わせたのが、兄弟に幼いころ剣術を教えた、浜町で道場を営む大竹大助という先生。

久次がお錠口でどなっているのを聞きつけ、家名に傷がつくから、今日という今日は、あ奴に切腹させるよう、兄の久之進に勧める。

老母が久次をかわいがっているので、自分の手に掛けることもできず、今まではつい金をやって追い払っていた兄貴も、もうこれまでと決心し、有無を言わせず弟の首をつかんで引きずり、一間にほうり込むと、そこには鬼のような顔の先生。

「これ久次郎。きさまのようなやくざ者を生けおいては、当家の名折れになる。きさまも武士の子、ここにおいて潔く腹を切れ」

さすがの久次も青くなり、泣いて詫びるが大助は許さない。

そこへ母親が現れ、
「今度だけは」
と命乞いをしたので、やっと
「老母の手前、今回はさし許すが、二度とゆすりに来るようなことがあれば、必ずその首打ち落とす」
と、大助に釘をさされて放免された。

いっしょに帰る道すがら。

大助は、
「実はさっきのはきさまを改心させるための芝居だった」
と明かし、三両手渡して、
「これで身支度を整え、どこになりと侍奉公して、必ず老母を安心させるように」と、さとす。

久次も泣いて、きっと真人間になると誓ったので、大助は安心して別れていく。

その後ろ姿に
「おめっちの道楽といやあ、金魚の子をふやかしたり、朝顔にどぶ泥をひっかけたり、三道楽煩悩のどれ一つ、てめえは楽しんだことはあるめえ。俺の屋敷に俺が行くのに、他人のてめえの世話にはならねえ。大べらぼうめェ」

【しりたい】

江戸の創作落語  【RIZAP COOK】

伝・初代古今亭志ん生(1809-56)作。元の題は「大べらぼう」。三遊亭円朝の人情噺「緑林門松竹」の原話となったものに、芝居噺「下谷五人盗賊」があります。その中の「またかのお関」のくだりに、やんま久次郎が端役で登場しています。五人という人数合わせのための作為で、筋との関連はなく、のちに削除されています。

円朝門下の三遊一朝老人から、八代目林家正蔵(彦六)に直伝され、戦後は正蔵の一手専売でした。彦六は昭和57年(1982)に逝きました。その後は手掛ける者がありませんでしたが、平成6年(1995)に五街道雲助が復活させました。

彦六懐古談  【RIZAP COOK】

この噺、前述のようにもとは長編人情噺でした。この続きがあったと思われますが、不明です。

「このはなしを一朝おじいさんがやって、円朝師匠にほめられたそうです。『私はおまえみたいに、ゆすりはうまくやれないよ』といって……(中略)最後は『おおべらぼうめー』といって、昔は寄席の花道へ引っ込んだものです。『湯屋番』でこの手を遣った人がいましたね。『おまえさんみたいな人はいらないから出ていっとくれ』『そうかい、おれもこんなおもしろくねえところにはいたかねえ』といって、花道を引き上げるんです」(八代目林家正蔵談)

「やんま」は遊び人のしるし  【RIZAP COOK】

やんまは「馬大頭」と書きます。やんまには隠語で「女郎」の意味があり、女郎遊びを「やんまい」「んやまい」などとも称しました。久次郎のやんまの刺青は、それを踏まえた、自嘲の意味合いもあったのでしょう。

怪人「べらぼう」  【RIZAP COOK】

江戸っ子のタンカで連発される「ベラボーメ」。ベラボーは、「ばか野郎」と「無粋者(野暮天)」の両方を兼ねた言葉です。万治から寛文年間(1658-72)にかけて、江戸や大坂で、全身真っ黒けの怪人が見世物に出され、大評判になりましたが、それを「へらぼう」「べらぼう」と呼んだことが始まりとか。言い逃れ、インチキのことを「へらを遣う」と呼んだので、その意味も含んでいるのでしょう。

三道楽煩悩  【RIZAP COOK】

飲む、打つ、買うの三道楽。「さんどら」の「どら」は「のら」(怠け者)からの転訛です。「ドラ息子」の語源でもあります。

お錠口  【RIZAP COOK】

武家屋敷の表と奥を仕切る出入り口です。杉戸を立て、門限以後は錠を下ろすのが慣わしでした。

御厩谷  【RIZAP COOK】

東京都千代田区三番町、大妻学院前バス停付近の坂下をいいました。近接の靖国神社北側一帯が幕府の騎射馬場御用地であったことにちなみます。付近はすべて旗本屋敷でしたが、「青木」という家名はむろん架空です。

【語の読みと注】
御廐谷 おんまやだに
三道楽煩悩 さんどらぼんのう
緑林門松竹 みどりのはやしかどのまつたけ

【RIZAP COOK】

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やなぎのばば【柳の馬場】演目

原話は遠く中国にあるそうです。彦六が得意とした噺。

【あらすじ】

按摩の杢市は、ある旗本の殿さまのごひいきに預かり、足げく揉み療治に通っている。

ある日、いつものように療治が終わってからのよもやま話で、目の不自由な人間をいじめる輩への怒りを訴えたところから口が滑って、自分はいささか武道の心得がある、と、ホラを吹いてしまった。

殿さまが感心したのでつい図に乗って、剣術は一刀流免許皆伝、柔術は起倒流免許皆伝、槍術は宝蔵院流免許皆伝、薙刀は静流免許皆伝と、もうこうなると止まらない。

弓術は日置流免許皆伝、そこまで並べたところで殿さまが
「剣や槍はわかるが、的も見えないそちが弓の名手とはちと腑に落ちんぞ」
と文句を言うと、
「そこは心眼で」
とごまかす。

ますます口が滑らかになり、
「ご当家は三河以来の馬術のお家柄なのに、りっぱな馬場がありながら馬がいないというのは惜しい。自分は馬術の免許皆伝もあるので、もし馬がいればどんな荒馬でも乗りこなしてみせるのに残念で」
などと見栄を切ったのが運の尽き。

殿さまが膝を乗り出して
「実はこの間、友人の中根が『当家に馬がないのはご先祖にも申し訳あるまい。拙者が見込んだ馬を連れてきてやろう』と言っていたが、その馬が荒馬で、達人の中根自身も振り落とされてしまった。きさまが免許皆伝であるのは幸い。一鞍責めてくれ」

杢市は青くなったが、もう遅い。

もとより馬のウの字も知らないから、しかたなく、今のは全部うそで、講釈場で「免許皆伝」と流儀の名前だけを仕入れたことを白状。

殿さまは
「身供に術を盗まれるのを心配してさようなことを申すのであろう」
と、全然取りあってくれない。

若侍たちにむりやり抱えられ、鞍の上に乗せられてしまった。

馬場に向かって尻に鞭をピシッと当てられたからたまらず、暴れ馬はいきり立って杢市を振り落とそうとする。

半泣きになりながら必死にぶるさがって、馬場を半周ほどしたところに柳の大木。

この枝にあわてて飛びつくと、馬は杢市を残してどどっと走っていってしまう。

「杢市、しっかとつかまって手を離すでない。その下は谷底じゃ。落ちれば助からん」
「ひえッ、助けてください」
「助けてやろう。明日の昼間までには足場が組めるだろう」

冗談じゃない。もう腕が抜けそうだ。

「長年のよしみ、妻子老母は当屋敷で養ってつかわす。心置きなく、いさぎよく死ね」

耐えきれなくなり
「南無阿弥陀仏」
と手を離すと、地面とかかとがたった三寸。

【RIZAP COOK】

【しりたい】

円喬伝説、彦六好みのシブーイ噺  【RIZAP COOK】

中国明代の笑話集『応諧録』中の小咄が原型とみられますが、日本での原話は不詳です。

明治期は四代目橘家円喬の名演がいまだに語り草です。幼時に見た六代目円生の思い出では、円喬は座って演じているのに、杢市が枝にぶら下がった足先に、本当に千尋の谷底が黒々と広がって見えたとか。円生は、生涯この噺を手掛けませんでした。

初代三遊亭円左も得意としました。円左は三遊亭円朝門下の俊秀でしたが、目が細かったのであだ名が「按摩」「鍼医」。この噺を何度も演じているのに、本格的に売り物にしようというとき、わざわざ兄弟子の三遊一朝に改めて断りに行ったそうです。明治人の義理がたさでしょう。

その一朝から、八代目林家正蔵(彦六)と二代目三遊亭円歌が直伝で継承しました。両者とも音源を残していますが、特に正蔵のものは、地味ながら滋味あふれる語り口で名品でした。オチは、この後「口は災いのもと」と「ダメを押す」(正蔵)こともありました。主人公の杢市は「富市」で演じることもあります。

彦六の芸談から  【RIZAP COOK】

杢市がぶら下がったとき、下から手を突き上げるようにすると、腕がのび切ったように見えます。(中略)このはなしは先代の(注:八代目)文治さんもやりました。文治さんのは、杢市がしゃべりまくるので、旗本がうるさがってだまっちゃうんです。すると杢市が「殿さま、殿さま、かわやへお立ちになったんですか」「杢市」「ああ、いた」というところが、よかったですね。

彦六にはほかに、主人公の按摩が終始一人称で語る形式の人情噺「あんま」(村上元三・作)がありました。

按摩と座頭  【RIZAP COOK】

しばしば混同されますが、前者は職業名、後者は位階です。視覚障害者の身分差、位階については「松田加賀」をご参照ください。按摩は揉み療治、鍼灸などを業とし、座頭の位がもらえて初めて営業を許されました。按摩には目の不自由な人だけでなく、目が見える者も多く、その場合は座頭の資格ではなく、頭を丸めて医者と名乗っていました。

黙阿弥の世話狂言「加賀鳶」の悪按摩・熊鷹道玄とおさすりお兼はともに視覚に問題はありません。お兼はゆすりに来て、「按摩按摩と番頭さん、あんまり安くお言いでない。マクラ付きの揉み療治、二朱より安い按摩はしませんよ」と居直る通り、ついでにいかがわしいサービスも行っていたわけで、女性にはこういう手合いもいたようです。同狂言では、本郷菊坂にあった目の不自由な人たちの長屋の場があり、当時の風俗の貴重なルポともなっています。

一般に、全身マッサージ(上下=かみしも)の場合は、幕末で四十八文が相場とされ、お兼の言う二朱は四百八十文相当ですから、十倍! いくらなんでも無茶苦茶な「揉み代」です。

【語の読みと注】
按摩 あんま
杢市 もくいち
槍術 そうじゅつ
薙刀 なぎなた
日置流 へきりゅう
鞍 くら
鞭 むち

【RIZAP COOK】

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ほっけながや【法華長屋】演目


ここでいう法華とは日蓮宗のこと。浄土宗と並ぶ庶民の生活を支えていました。

【あらすじ】

宗論は どちらが負けても 釈迦の恥

下谷摩利支天、近くの長屋。

ここは大家の萩原某が法華宗の熱心な信者なので、他宗の者は絶対に店は貸さない。

路地の入り口に「他宗の者一人も入るべからず」という札が張ってあるほどで、法華宗以外は猫の子一匹は入れないという徹底ぶりだ。

今日は店子の金兵衛が大家に、長屋の厠がいっぱいになったので汲み取りを頼みたいと言ってくる。

大家はもちろん、店子全員が、法華以外の宗旨の肥汲みをなりわいとする掃除屋を長屋に入れるのはまっぴらなので、結局、入り口で宗旨を聞いてみて、もし他宗だったらお清めに塩をぶっかけて追い出してしまおうということになった。

こうして、法華長屋を通る掃除屋は十中八九、塩を見舞われる羽目となったので、これが同業者中の評判となり、しまいにはだれも寄りつかなくなってしまった。

ところが物好きな奴はいるもので、
「おらァ、法華じゃねえが、しゃくにさわるからうそォついてくんできてやんべえ」
と、ある男、長屋に入っていく。

酒屋の前に来て
「おらァ、自慢じゃねえが、法華以外の人間から肥を汲んでやったことはねえ。もし法華だなんてうそォついて汲ましゃあがったら、座敷ン中に肥をぶんまける」
と、まくしたてた。

感激した酒屋の亭主、さっそく中に入れて、
「仕事の前に飯を食っていけ」
と言うので、掃除屋、すっかりいい気になって、
「芋の煮っころがしじゃよくねえから、お祖師さまに買ってあげると思えばよかんべえ」
と、うまいことを言って鰻をごちそうさせた上、酒もたらふくのんで、いい機嫌。

「そろそろ、肥を汲んでおくれ」
「もう肥はダミだ」
「どうして」
「マナコがぐらぐらしてきた。あんた汲んでくれろ。お祖師さまのお頼みだと思えば腹も立つめえ」
「冗談言っちゃいけねえ」

不承不承、よろよろしながら立ち上がって肥桶を担いだが、腰がふらついて石にけっつまづいた。

「おっとォ、ナムアミダブツ」
「てめえ法華じゃねえな」
「なーに、法華だ」
「うそォつきやァがれ。いま肥をこぼしたとき念仏を唱えやがったな」
「きたねえから念仏へ片づけた」

【しりたい】

浄土宗対日蓮宗  【RIZAP COOK】

絶えたことのない宗教、宗旨のいがみあいという、普遍的テーマを持った噺です。

それだけに、現代の視点で改作すれば、十分に受ける噺としてよみがえると思うのですが、すたれたままなのは惜しいことです。

速記は、明治27年(1894)7月の四代目橘家円喬を始め、初代三遊亭円右、初代柳家小せん、四代目春風亭柳枝、八代目桂文治と、落語界各派閥を問わずまんべんなく、各時代の大看板のものが残されています。

それも昭和初期までで、戦後は六代目円生がたまに演じたのを最後に、まったく継承者がいません。一般新聞に宗教欄が消えた頃と時期を一致させています。戦前はもちろんそうでしたが、戦後でも昭和30年代までは、一般紙には必ず宗教欄が用意されてあって、各宗派の宗教家がなにやかやと寄稿していました。それがいまの日本では、公の場で宗教を語ることがどこかタブーとなってしまっているのはいびつです。

だんだんよく鳴る法華の太鼓  【RIZAP COOK】

原話は不詳で、池上本門寺派の勢力が強く、日蓮=法華衆徒の多かった江戸で、古くから口演されてきました。

日蓮宗は「天文法華の乱」や安土宗論で織田信長を悩ませたように、排他的・戦闘的な宗派で知られています。そういう点では浄土宗や浄土真宗と変わりません。浄土宗と日蓮宗(法華宗)がつねに対立宗派として、江戸のさまざまな場面で登場するすることは、江戸を知る上で重要なポイントです。

法華の噺は、ほかにも「堀の内」「甲府い」「清正公酒屋」「鰍沢」「おせつ徳三郎」など、多数あります。

晩年の三遊亭円朝は自作「火中の蓮華」の中に「法華長屋」を挿入しています。明治29年(1896)、妻の勧めもあって円朝は日蓮宗に改宗していたのです。

お祖師さま  【RIZAP COOK】

「堀の内のお祖っさま」で、落語マニアにはおなじみ。本来は、一宗一派の開祖を意味しますが、一般には、日蓮宗(法華)の開祖・日蓮上人を指します。

汲み取り  【RIZAP COOK】

別称「汲み取り屋」で、東京でも昭和50年代前半まで存在しました。水洗が普及する以前、便所の糞尿を汲み取る商売で、多くは農家の副業。汲んだ肥は言うまでもなく農作の肥料になりました。

葛西(江戸川区)の半農半漁の百姓が下町一帯を回りましたが、汲み取りにストライキを起こされるとお手上げなので、「葛西肥汲み」は江戸時代には、相当に大きな勢力と特権を持っていました。

摩利支天  【RIZAP COOK】

まりしてん。オリジナルはインドの神です。バラモン教の聖典「ヴェーダ」に登場する暁の女神・ウシャスが仏教に取り込まれたといわれています。太陽や月光などを神格化したもので、形を見せることなく難を除き、利益を与えるとされ、日本では、中世から武士の守護神となりました。楠木正成が信仰したことはよく知られています。

この噺に摩利支天が登場するわけは、そんな薄っぺらな知識で理解できるものではありません。「髭曼荼羅」を見てもわかるように、日蓮宗は仏教以外の神々をも守護神として奉じています。それが他宗派と大きく異なるところです。きわめて日本的なのかもしれません。摩利支天もその一つで、日蓮を守護する神とされています。「下谷摩利支天」というのは寺の俗称です。正しくは「妙宣山徳大寺」という日蓮宗の寺院。摩利支天をウリにした日蓮宗の寺という意味です。かつては下総の中山法華経寺の末寺でしたが、いまは普通の日蓮宗の寺院です。台東区上野四丁目、アメヤ横丁近くの密集地にあって、山手線からも眺められます。この寺のすごいことは上野の戦争でも震災でも空襲でも焼失しなかったこと。よほど霊験あらたかなのだと篤信されているのです。厄除けの寺として信仰を集めています。つまり、この寺の近所の長屋が舞台だということが、「法華」をテーマにした噺であることを、はじまりから暗喩しているのです。江戸にはそんなものをテーマにしても笑ってくれるだけの、法華の壇越(だんのつ、信者)が多かったということですね。

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ふだんのはかま【ふだんの袴】演目

【RIZAP COOK】

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「おうむ」というジャンルの噺。付け焼き刃が次第にばれて。噺家の技の見せどころ。

【あらすじ】

上野広小路の、御成街道に面した小さな骨董屋。

ある日、主人が店で探し物をしていると、顔見知りの身分の高そうな侍がぶらりと尋ねてきた。

この侍、年は五十がらみ、黒羽二重に仙台平の袴、雪駄履きに細身の大小を差し、なかなかの貫禄。

谷中へ墓参の帰りだという。

出された煙草盆でまずは悠然と一服するが、煙草入れは銀革、煙管も延打で銀無垢という、たいそうりっぱなもの。

そのうち、ふと店先の掛け軸に目を止めた。

「そこに掛けてある鶴は、見事なものだのう」
「相変わらずお目が高くていらっしゃいます。あたくしの考えでは文晁と心得ますが」
「なるほどのう、さすが名人じゃ」

惚れ惚れと見入っているうち、思わず煙管に息が入り、掃除が行き届いているから、火玉がすっと抜けて、広げた袴の上に落っこちた。

「殿さま、火玉が」
と骨董屋が慌てるのを、少しも騒がず払い落とし
「うん、身供の粗相か。許せよ」
「どういたしまして。お召物にきずは?」
「いや、案じるな。これは、いささかふだんの袴だ」

これを聞いていたのが、頭のおめでたい長屋の八五郎。

侍の悠然としたセリフにすっかり感心し、自分もそっくりやってみたくなったが、職人のことで袴がない。

そこで大家に談判、ようやくすり切れたのを一丁借りだし、上は印半纏、下は袴という珍妙ななりで骨董屋へとやってくる。

さっそく得意気に一服やりだしたはいいが、煙管は安物のナタマメ煙管、煙草は粉になっている。

それでもどうにか火をつけて
「あの隅にぶる下がってる鶴ァいい鶴だなあ」
「これはどうも、お見それしました。文晁と心得ますが」
「冗談言うねえ。文鳥ってなあ、もうちっと小さい鳥だろ。鶴じゃねえか」

これで完全に正体を見破られる。

本人、お里が知れたのを気づかずに、さかんに、いい鶴だいい鶴だとうなりながら煙草をふかすが、煙管の掃除をしていないから火玉が飛び出さない。

悔しがってぷっと吹いた拍子に、火玉が舞い上がって、袴に落ちないで頭のてっぺんへ。

「親方、頭ィ火玉が」
「なあに心配すんねえ。こいつはふだんの頭だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

発掘は彦六   【RIZAP COOK】

原話は不詳で、古い速記はありませんが、八代目林家正蔵(彦六)が、二つ目時代に二代目蜃気楼龍玉(1867-1945)門下の龍志から教わり、その型が五代目柳家小さんに継承されました。

八代目春風亭柳枝も持ちネタにし、柳枝の最後の弟子だった、三遊亭円窓が復活して手掛けています。

御成街道  【RIZAP COOK】

おなりかいどう。神田の筋違御門(万世橋)から上野広小路にかけての道筋で、現在の中央通りです。将軍家が上野寛永寺に参詣するルートにあたり、この名が付きました。上野広小路寄りの沿道には、刀剣や鎧兜などを扱う武具商が軒を並べていました。

仙台平  【RIZAP COOK】

せんだいひら。主に袴地に使われます。仙台平の袴は武家の正装用で絹地の最高級品。「平」とは、たていと(経)とよこいと(緯)を交互に織り込む手法で「平織り」を略した言い方です。武家以外にも、富裕層の町人も使いました。一般には、5月5日(端午)から8月末日まで一重袴として使いました。9月1日から5月4日までは裏地付きの袷袴でした。五つのひだの筋が崩れずに美しさを保ち、派手でもないので、気品と落ち着きが漂う装いです。

八五郎が借りたのは、小倉木綿です。結城木綿とともに実用使いでした。剣術の稽古袴での小倉木綿は「駄小倉」と呼ばれていました。「三軒長屋」の楠運平が履くのが駄小倉です。

江戸詰め藩士などは、社交上、装飾を施した細身の刀を身につけました。

延打  【RIZAP COOK】

のべ。雁首と吸口が同じ材料でできた煙管です。落語や歌舞伎では、演じる人物の階級で煙管の持ち方が異なります。殿さまは中ほどを握って水平に構え、武士や町人はやや雁首近くを握って下向き。百姓は雁首そのものをつかむ、など。

文晁  【RIZAP COOK】

ぶんちょう。江戸後期の文人画家・谷文晁(1763-1840)のこと。洋画の技法を取り入れた独自の画風で知られ、渡辺崋山の師匠でもありました。三遊亭円朝の後期の作に「谷文晁の伝」があります。

五代目小さんのくすぐりより  【RIZAP COOK】

大家が、店賃を持ってきたかと勘違いすると八「そこが欲の間違えだ」

大家が、一昨年貸した鳴海絞りの浴衣をまだ返さないといやみを言うと、八「留んとこで子供が生まれたんで、『こんなボロでよけりゃ』ってやっちゃった。あの子が大きくなりゃあ、オシメはいらなくなるから、そんとき返しに…」

八五郎が骨董屋で、「今日は墓参りで、供の者にはぐれて…」とやりはじめると、親父が「この方がお供みてえだ」

【語の読みと注】
御成街道 おなりかいどう
仙台平 せんだいひら
袷袴 あわせばかま
煙草入れ たばこいれ
煙管 きせる
延打 のべ
文晁 ぶんちょう
筋違御門 すじかいごもん

【RIZAP COOK】

円朝作品の索引

【RIZAP COOK】

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

三遊亭円朝の全作品を解説します。

あ行

あくび指南 →欠指南

欠指南(商法のいろいろ十)

朝顔

朝顔買い

朝顔屋(商法のいろいろ四)

浅草ひしや引札

浅草氷月庵引札

朝寐坊

熱海土産温泉利書

穴どろ

甘酒屋(何も商法二)

雨宿り →三題噺 雨宿り・韓信股潜・近江八景

雨夜の引窓

有馬土産千代の若松

粟田口霑笛竹

安中草三伝 後開榛名の梅が香

一対の子供(和洋小噺)

井戸掘(商法のいろいろ二)

田舎娘

田舎者

田舎者の観音参り

委任状

戌の歳

井上馨・円朝寄せ書き

猪の夫婦

入れ髪 →落語〔星野屋〕

因果塚の由来 →離魂病

植木屋芝居

植木屋曽我

上野空也堂引札

浮かれの屑選り →紙屑のよりこ

雨後の残月

牛車

謡好き →三題噺 謡好き・しやくり・剣菱

自惚

乳母の女郎買 →三題ばなし 盲人の洋行・地獄の飛脚・乳母の女郎買

梅 →三題ばなし 梅・寒中の雨・狸の腹

梅若七兵衛

売そめ

雲中観音の図(円朝筆)

英国孝子ジョージスミス之伝

英国女王イリザベス伝

蝦夷訛

蝦夷錦古郷の家土産

閲・校閲

円花風(三遊春の風俗)

円橘風(三遊春の風俗)

円喬風(三遊春の風俗)

円玉風(三遊春の風俗)

縁きり榎

演劇雑話

円好風(三遊春の風俗)

円三郎風(三遊春の風俗)

円雀風(三遊春の風俗)

円生風(三遊春の風俗)

円太郎(父)と寿照尼(母すみ)の影絵と辞世

円太郎風(三遊春の風俗)

円朝憲法

円朝自筆の領収書

円朝手記〔塩原太助伝・真景累ケ淵・西洋人情咄生人埋ポルリードエライフ〕

円朝の得意ばなし →三題噺 達摩の脚気・桜に鶯・円朝の得意ばなし

円朝筆・雲中観音の図

円朝筆・踊塚の題字

円朝筆・達磨

円朝筆・達磨(見性成仏)

円朝筆・花

円朝筆・払子

円朝筆幽霊画

円朝風(三遊春の風俗)

円朝落語集

縁日の駝槖師(商法のいろいろ八)

円遊風(三遊春の風俗)

扇拍子

欧洲小説 黄薔薇

応文一雅伝 おうぶみいちがでん

近江八景 →三題噺 雨宿り・韓信股潜・近江八景

大磯虎の閏衣 →三題噺 釈迦如来の袈裟・道鏡の褌・大磯虎の閨衣

大岡政談 さぐり札

荻江の伝 →月に謡荻江の一節

荻江露友の伝(点取り) →元祖荻江露友の伝(点取り)

荻の若葉

後開榛名の梅が香

お駒丈八 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

阿三の森(怪談阿三の森)

唖の釣

落語(おとしばなし)暦・腎張りの下女・交情の睦い御夫婦

落語(おとしばなし)三月のお節句・外妾・佃島

お初徳兵衛 →堀の青柳

親子酒 →親子の生酔ひ

親子の情

親子の聾

親子の生酔ひ

泳の医者

音楽風呂

温故知新 →温故知新(またあうはる)

女子の梅見 →三題ばなし 貴紳の漫歩・壮士の洋行・女子の梅見

女の子別れ →親子の情

か行

開化一口ばなし

怪談阿三の森

怪談乳房榎

怪談牡丹燈籠

怪談牡丹燈籠(点取り)

開店

鏡ケ池操松影

書付

垣の山吹 →三題噺 達摩の遠足・垣の山吹・茶席の放屁

掛取万歳

外妾(かこいもの) →落語(おとしはなし) 三月のお節句・外妾・佃島

累が淵(真景累が淵)

鍬沢

鰍沢二席目

火事息子

華族のお医者(何も商法八)

六敵討霞初嶋

敵討義侠の惣七

敵討札所の霊験

刀剣商(商法のいろいろ七)

火中の連華

かつぎ屋(何も商法五)

金の働定を仕ずに来た(和洋小噺(洋))

紙屑のよりこ(何も商法十)

かり枕

漢学先生 →即席三題噺 漢学先生・宵暗・なまけもの

寒食 →三題噺 寒食・書生・芳野山

韓信股潜 →三題噺 雨宿り・韓信股潜・近江八景

元祖荻江露友之伝(点取り)

寒中の雨 →三題ばなし 梅・寒中の雨・狸の腹

義侠仇討残る月影

菊模様皿山奇談

菊文様皿山奇談(草双紙)

〔紀行〕

貴紳の漫歩 →三題ばなし 貴紳の漫歩・壮士の洋行・女子の梅見

記念のいしぶみ

狂歌

狂言の買冠

侠骨今に馨く賊胆猶ほ暒し松の操美人の生埋

清元の出語り洋服の道行 →三題ばなしランプから幽霊・やまと新聞大当り・清元の出語り洋服の道行

霧隠伊香保湯煙

金魚の芸妓           

金朝風(三遊春の風俗)

首ったけ

首屋(商法のいろいろ一)

首屋にチヨツキ屋(和洋小噺)

熊の皮 →八百屋

芸人談叢 三遊亭円朝

今朝春三ツ組盞

下女の心意気

剣菱 →三題噺 謡好き・しやくり・剣菱源兵衛玉 →捩金屋捩兵衛

恋病 →三題噺 春雨・恋病・山椒の摺古木

〔口演による文芸〕

孝行酒屋

黄薔薇

〔上野下野道の記〕沼田の道の記・塩原多助別

高麗の茶碗

故円朝の遺言状と本葬

黄金餅(何も商法十二)

心の眼 →心眼

乞食 →大仏餅

越路太夫 →三題ばなし 越路太夫・比丘尼・蕃椒

小雀長吉

御前汁粉 →士族の商法

小僧の心意気

小鼓

古道具商(商法のいろいろ十四)

子は鎹 →親子の情

こび茶

駒長

暦 →落語(おとしばなし)暦・腎張りの下女・交情のの睦い御夫婦

暦ずき

五料残し →落語〔星野屋〕

子別れ →親子の情

権助の心意気

さ行

魚の話

桜に鶯 →三題噺 達摩の脚気・桜に鶯・円朝の得意ばなし

さぐり札

〔雑纂〕

廓雀小稲出来秋・序文

猿丸、猿丸大夫 →道中の馬子

三月のお節句 →落語(おとしばなし)三月のお節句・外妾・佃島

山椒の摺古木 →三題噺 春雨・恋病・山椒の摺古木

三題噺 雨宿り・韓信股潜・近江八景

三題噺 謡好き・しやくり・剣菱

三題ばなし 梅・寒中の雨・狸の腹

三題噺 漢学先生・宵暗・なまけもの

三題噺 寒食・書生・芳野山

三題ばなし 貴紳の漫歩・壮士の洋行・女子の梅見

三題ばなし 越路太夫・比丘尼・蕃椒

三題噺 釈迦如来の袈裟・道鏡の褌・大磯虎の閨衣

三題噺 白木屋お駒・駿河細工。東海道五十三次

三題咄新作双六

三題噺 大仏餅・袴着の祝・乞食 →大仏餅

三題噺 達摩の遠足・垣の山吹・茶席の放屁

三題噺 達摩の脚気・桜に鷺・円朝の得意ばなし

三題噺 春雨・恋病・山椒の摺古木

三題ばなし 盲人の洋行・地獄の飛脚・乳母の女郎買

三題ばなし 八百屋お七・東方朔・ソコラでゲセウ

三題話 遊女の無心・大黒天・彫物師

三題ばなし ランプから幽霊・やまと新聞大当り・清元の出語り洋服の道行

三人起請

三百植木 →縁日の駝槖師

三遊亭円朝(談話)

三遊屋引札

三両残し →落語(星野屋〕

塩原多助(紀行) →〔上野下野道の記〕沼田の道の記・塩原多助

塩原多助一代記

三塩原多助後日譚

塩原多助旅日記

塩原太助伝(点取り) →円朝手記

塩原の怨霊

地獄の飛脚 →三題ばなし 盲人の洋行・地獄の飛脚・乳母の女郎買

地獄廻り

詩好の王様と棒縛の旅人(和洋小噺)

士族の商法(何も商法九)

七福神詣

七福神参り

死なゝけりや癒ら無い(和洋小噺(和))

死神(名づけ親)

しの字嫌い →かつぎ屋

芝浜の革財布

渋酒

治部太夫(和洋小噺(和))

始末の極意

釈迦如来の袈裟 →三題噺 釈迦如来の袈裟・道鏡の褌・大磯虎の関衣

しやくり →三題噺 謡好き・しやくり・剣菱

正月丁稚 →かつぎ屋

上州沼田 下新田日記

樟脳玉 →捩金屋捩兵衛

商法のいろいろ

情話名人(三遊亭円朝と語る)

書簡

書生 →三題噺寒食・書生・芳野山

序文

汁粉屋 →士族の商法

素人汁粉 →士族の商法

白木屋 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

城木屋 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

白木屋お駒 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

しわいや

吝薔家(しわんぼう)

心眼

真景累が淵

真景累ケ淵(覚書) →円朝手記

心中時雨傘

新朝風(三遊春の風俗)

新富町塩瀬引札

腎張りの下女 →落語(おとしばなし)暦・腎張りの下女・交情の睦い御夫婦

新聞錦絵

信用借金(和洋小噺(洋))

粋狂連興笑連・一恵斎芳幾画 三題咄新作双六

杉酒屋(何も商法一)

駿河細工 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

政談月の鏡

西洋人情噺(点取り)

西洋人情咄 生人埋ボルリードエライフ(覚書) →円朝手記

西洋人情話 英国孝子ジヨージスミス之伝

西洋の丁稚(和洋小噺)

〔西洋落語〕

性和善 →初商法

世辞屋

世辞屋(商法のいろいろ十二)

雪月花

雪月花一題ばなし

雪月花一題ばなし・冒頭文

雪月花三遊新話

千人講の久蔵

壮士の洋行 →三題ばなし 貴紳の漫歩・壮士の洋行・女子の梅見

曽我桜

即席三題噺 漢学先生・宵暗・なまけもの

ソコラでゲセウ →三題ばなし 八百屋お七・東方朔・ソコラでゲセウ

その他(雑纂)

た行

大黒天 →三題話 遊女の無心・大黒天・彫物師

大国の用

大の懶惰者

大仏の目

大仏餅

大仏餅

大仏餅(商法のいろいろ六)

大名の月見 →昔の大名の心意気

畳水練

谷文晁の伝

狸の腹 →三題ばなし 梅・寒中の雨・狸の腹

達磨(円朝筆)

達磨(見性成仏)(円朝筆)

達摩の遠足 →三題噺 達摩の遠足・垣の山吹・茶席の放屁

達摩の脚気 →三題噺 達摩の脚気・桜に鶯・円朝の得意ばなし

〔談話〕

蓄音機 →世辞屋

乳房榎(怪談乳房榎)

茶器の鑑定

茶席の放屁 →三題噺 達摩の遠足・垣の山吹・茶席の放屁

茶道具商(商法のいろいろ十一)

月に謡荻江の一節 一名荻江の伝

月の殿様 →昔の大名の心意気

佃島 →落語(おとしばなし)三月のお節句・外妾・佃島

釣指南(商法のいろいろ九)

鶴殺疾匁庖刀

〔点取り・草稿・覚書〕

東海道五十三次 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

蕃椒(とうがらし) →三題ばなし 越路太夫・比丘尼・蕃椒

道鏡の褌 →三題噺 釈迦如来の袈裟・道鏡の褌・大磯虎の閏衣

道具屋 →ほし店の道具屋

骨董商(どうぐや)(何も商法十一)

道中の馬子(何も商法六)

唐茄子屋、唐茄子屋政談 →初商法

東方朔 →三題ばなし 八百屋お七・東方朔・ソコラでゲセウ

都々逸

富子の影絵と辞世

吃の道具屋

な行

菜刀(ながたん)息子

交情(なか)の睦い御夫婦 →落語(おとしばなし)暦・腎張りの下女・交情の睦い御夫婦

名づけ親〔死神〕

何も商法

浪花座演芸番組

なまけもの →即席三題噺 漢学先生・宵暗・なまけもの

成田小僧 

業平文治漂流奇談

錦絵

日蓮大士道徳話 にちれんだいしどうとくばなし

二人吃

日本の小僧(和洋小噺)

日本橋布袋屋引札

にゆう

人情の松茸

沼田の道の記 →〔上野下野道の記〕沼田の道の記・塩原多助

根岸お行の松因果塚の由来 →離魂病

捩金屋捩兵衛

捩兵衛 →捩金屋捩兵衛

年始まはり

年譜

残る月影 

熨斗袋

後の業平文治

は行

俳諧

〔俳譜・狂歌・都々逸・端唄〕

端唄

羽織の蕎麦

袴着

袴着の祝 →大仏餅

八景隅田川

初商法

初音の鼓 →骨董商(どうぐや)

初春の速記

花(円朝筆)

〔花咲爺の行列〕

話之種

花菖蒲沢の紫

春雨 →三題噺 春雨・恋病・山椒の摺古木

春の夜話

番組

火打鎌売(商法のいろいろ五)

引札

比丘尼 →三題ばなし 越路太夫・比丘尼・蕃椒

日千両大江戸賑

一口話 朝寐坊

一口話 田舎娘

一口話 田舎者の観音参り

一口話し 自惚

一口話 親子の聾

一口話 親子の生酔ひ

一口話 下女の心意気

一口話 小僧の心意気

一口話し 小鼓

一口話 権助の心意気

一口話 渋酒

一口話 吝薔家

一口話し 大の懶惰者

一口話 人情の松茸

一口話 又一題

一口話 昔の大名の心意気

一口話 無筆の田舎の名主

ひねりや(何も商法七)

百物語

福禄寿

藤浦周助の影絵と辞世

船徳 →堀の青柳

文七元結

米商

弁天おふぢ

〔補遺〕

星とり竿

星野屋

ほし店の道具屋(何も商法四)

牡丹燈籠(怪談牡丹燈籠)

払子(円朝筆)

堀の青柳

彫物師 →三題話 遊女の無心・大黒天・彫物師

ぽんこん →骨董商(どうぐや)

本堂建立

ま行

温故知新(またあうはる)

又一題

松と藤芸妓の替紋

松の操美人の生埋

万橘風(三遊春の風俗)

操女学校

三遊(みつあそび)春の風俗

緑林門松竹

茗荷(和洋小噺(和))

茗荷屋 →茗荷

昔の大名の心意気

虫屋(商法のいろいろ三)

無筆の田舎の名主

明治の地獄

名人競

名人長二

盲人の洋行 →三題ばなし・盲人の洋行・地獄の飛脚・乳母の女郎買

元犬 →戌の歳

や行

八百屋(何も商法三)

八百屋お七 →三題ばなし 八百屋お七・東方朔・ソコラでゲセウ

奴勝山

山崎屋

やまと新聞大当り →三題ばなし ランブから幽霊・やまと新聞大当り・清元の出語り洋服の道行

闇夜の梅

遺言状

遊女の無心 →三題話 遊女の無心・大黒天・彫物師

郵便報知新聞の錦絵

幽霊画(円朝筆)

行倒の商売(商法のいろいろ十三)

雪夜の乳貰

湯屋番

宵暗 →即席三題噺 漢学先生・宵暗・なまけもの

芳野山 →三題噺 寒食・書生・芳野山

ら行

落語 お駒丈八 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

落語 白木屋 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

落語 城木屋 →三題噺 白木屋お駒・駿河細工・東海道五十三次

落語 道具屋 →ほし店の道具屋

落語のはじめ

落語の濫觴

落語〔星野屋〕

ランプから幽霊 →三題ばなし ランプから幽霊・やまと新聞大当り・清元の出語り洋服の道行

離魂病 一名因果塚の由来

柳光亭引札

両手に花 →縁きり榎

良薬(和洋小噺(洋))

烈婦お不二

わ行

和洋小噺

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さんだいめこさんのえんちょうかん【三代目小さんの円朝観】

【RIZAP COOK】

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尾崎秀樹。「おざきほつき」と読みます。かつては大衆文学の評論と言えばこの人がダントツでしたが、いまは亡き人、もう忘れ去られているかもしれません。

評論家というのは作家と違って、生きている間はすさまじく席巻し影響を及ぼすものですが、死んでしまうとそれっきりです。他人の褌で相撲を取る風情が敬遠されるのでしょうか。顧みられません。河上徹太郎も、亀井勝一郎も、平野謙も、十返肇も、保正昌夫も、浅見淵も、荻昌弘も、あるいは淀川長治でさえ例外ではなかったかもしれません。唯一の例外は小林秀雄でしょうか。彼の書き残したものは、りっぱにクリティークという作品として残っているように、私には見えるのです。

ま、それはともかく。

尾崎秀樹の仕事はチャンバラ小説ばかりがターゲットだったのかと思っていましたら、初期の頃には落語、それも円朝について記したものがあったのです。「三遊亭円朝」という、一冊の刊行物にするにちょいと寸足らずではありますが、薄っぺらな書きなぐった散文とは異なる味わい、重厚で濃密で、しかも、円朝と仏教とのかかわりについて言及しているのは、おそらく、この人と関山和夫くらいかもしれません。その中で、円朝について少し下った世代はどう見ていたか、というくだりがありまして、三代目柳家小さんの円朝観を、小さんの自著『明治の落語』から引用しています。たいへんおもしろい内容なので、孫引きではありますが、載せさせていただきます。

「円朝は狂言作者を抱えて飼い殺しにしていた。芸は拙いし採る処はないが、作者がついていて常に新しいものを出した。一口に云えば山勘で興行師のような処がありました。年に春秋二回、十五日間位しかやらなくて高いお金をとっていたが、芸は拙い人でした。そこへいったら燕枝は円朝とは訳が違う。燕枝は人物が出来て居た。伯猿という人も、大した評判でしたが、講釈のまずさ加減というものは、無茶苦茶でまるで素人のようなものでした。伯猿と円朝は何故そんなに評判になったかというと、それは番付によい処に出すものですから、あんなになったのです。……(略)話が下手でも、狂言作者が附いていたので、次から次へと新しく行った。それだけのもので円朝は頭の悪い人でした」

以上が三代目小さんの弁。いやあ、ひどい言いようです。でも、見ようによってはこんなところも円朝にはあったのかもしれませんね。

燕枝とは談洲楼燕枝。柳派における円朝のような存在です。円朝が逝った明治33年(1900)に、燕枝も半年ほど早く没しました。燕枝も新作をものして、円朝と違って自ら書き残したものが多いため、今後、格好の研究対象として発掘されていくことでしょう。伯猿とは松林伯円のこと。講談の親分。明治政府から、円朝と並び教導職に任ぜられました。まあ、円朝と同列とされる巨頭でした。

「狂言作者を抱えて」のくだり、これは尾崎も触れていますが、仮名垣魯文、条野採菊、瀬川如皐、宮城玄魚、河竹黙阿弥などとのつきあいを皮肉っているのでしょう。幕末に盛り上がった「粋興連」と称する同好の仲間でした。条野採菊は、江戸期には山々亭有人という名の戯作者で、明治期には警察新聞を買い取ってやまと新聞を創刊した新聞人。その変わり身は円朝にもいえることでしょう。円朝は、江戸期には道具噺で歌舞伎もどきのにぎやかな芸風でしたが、明治5年からは道具を弟子に譲って扇子一本の素噺に変身したのですから。

三代目小さんと言えば、夏目漱石が「三四郎」などで絶賛した希代の話芸の名人でした。尾崎の言葉を借りれば、小さんとはこんな具合です。

三代目小さんは、頭の方はお留守だが腕はいい「与太郎」の登場する「大工調」とか、「笠碁」などをやらすと絶品で鈍重で邪気のない性格が、そのまま作中人物の性格になったといわれたはなしかだった。それだけに、才人で時代を見抜く眼のある円朝の動きは、ムシズが走るくらい嫌だったらしい。

「頭の方はお留守」なのは与太郎であって、小さんではありません。 誤読しそうですが、 ややこしいです。

ここまで来たなら、ついでに、二派の違いを四代目小さんからの引用でちょこっと。これも尾崎論文からの孫引きですが、まあ、お読みください。

柳派と三遊派のちがいについて四代目小さんはうまいことをいっている。「総じて柳の方は地味で、三遊は華やか、柳は隠居やお医者が巧く、三遊は若旦那や幇間、つまり天災や猫久が柳なら、湯屋番や干物箱は三遊といったわけ」(「小さん聞書」参照)これでもわかるように柳派はどちらかといえば地味、三遊派は派手で、小さんのこのみに円朝があわないのはあたりまえかもしれない。

ここらへんにくれば、落語通の方々は「そんなもんだろう」と納得されることでしょう。手垢のついた、ものいいです。三代目小さんが円朝をくさすのは、こんなところからきているのかもしれませんね。

【RIZAP COOK】

かさご【笠碁】演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

柳家の噺。志ん生は「雨の将棋」で。碁打ちの二人、意地の張り具合と友情。

【あらすじ】

碁敵のだんな二人。

両方ともザル碁で、下手同士だが、ウマがあって毎日のように石を並べあっている。

仲がいいとつい馴れ合うから、いつもお互いに待った、待ったの繰り返し。

そんなことでは上達しないからと、今後一切待ったはなしということにしようと取り決めたのはいいが、言い出しっ屁がついいつもの癖で
「そこ、ちょいと待っとくれ」

「おまえさんが待ったなしを言いだしたんだからダメだ」
と断ると、
「それはそうだが、そこは親切づくで一回ぐらいいいじゃあないか」
と、しつこい。

自分で作ったルールを破るのは身勝手だと「正論」を吐けば、おまえは不親切だ、理屈っぽすぎると、だんだん雲行きが怪しくなる。

しまいにはかんしゃくのあまり、昔金を貸したことまで持ち出すので、売り言葉に買い言葉。

「その恩義があるから大晦日には手伝いに行ってやれば蕎麦一杯出しゃがらねえ、このしみったれのヘボ碁め」
「帰れ」
「二度と来るもんか」

……という次第で決裂したが、意地を張っているものの、そこは「碁敵は憎さも憎しなつかしし」。

雨の二、三日も降り続くと、退屈も手伝って、
「あの野郎、意地ィ張らずに早く来りゃあいいのに」
と、そぞろ気になって落ちつかない。

女房に鉄瓶の湯を沸かさせ、碁盤も用意させて、外ばかり見ながらソワソワ。

一方、相方も同じこと。

どうにもがまんができなくなり、こっそり出かけてようすを見てやろうと思うが、あいにく一本しか傘がないので、かみさんが、
「持っていかれると買い物にも行けない」
と苦情を言うから、しかたなく大山詣りの時の菅笠をかぶり、敵の家の前をウロウロと行ったり来たり。

それを見つけて、待ったのだんなは大喜び。

「やいやい、ヘボ」
「なに、どっちがヘボだ」
「ヘボかヘボでねえか、一番くるか」

めでたく仲直りして碁盤を囲んだのはいいが、なぜが盤に雨漏り。

それもそのはず、まだ菅笠をかぶったまま。

【しりたい】

碁敵

ごがたき。碁打ちのライバルをいいます。

この噺の原話は古く、初代露の五郎兵衛(1643-1703、「唖の釣り」参照)作の笑話本で元禄4年(1691)刊『露がはなし』中の「この碁は手みせ金」です。

マクラに「碁敵は憎さも憎しなつかしし」という句を振るのがこの噺のお約束ですが、この句の出典は明和2年(1765)刊の川柳集『俳風柳多留』(はいふう・やなぎだる)初編で、「なつかしし」は「なつかしさ」の誤伝です。

円朝をうならせた小さんの至芸

明治に入ると、三代目柳家小さんが、碁好きの緻密な心理描写と、いぶし銀のような話芸の妙で、十八番中の十八番としました。

あの円朝も、はるか後輩の小さんの芸に舌を巻き、そのうまさに、「もう決して自分は『笠碁』は演じない」と宣言したといいます。

五代目小さんも、もちろん得意にしましたが、五代目の「笠碁」は、大師匠の三代目の直系でなく、三代目柳亭燕枝に教わったもので、従来は、待ったのだんなが家の中から碁敵を目で追うしぐさだけで表現したのを、笠をかぶって雨中をうろうろするところを描写するのが特徴でした。

「待った」はタブー

西洋のチェスでは、待った(Take Back)は即負け。「将棋の殿さま」では、殿さまが家来に待ったを強制する場面がありますが、碁盤、もしくは将棋盤の裏側のくぼんだところは、待ったをした者の首を乗せるためのものとか。

碁も、「いったん石を下ろしたら、もう手をつけることはできない」と「笠碁」のだんなの一人が言っていますが、これもチェスのTouch and move&quot(触れたら動かせ!)の原則と共通して、勝負事は洋の東西を問わず、厳しいものという証でしょう。

しかし、そう豪語した当人がすぐ臆面もなく「待った」するところが、落語の、人間の弱さに対する観察の行き届いたところです。

囲碁の出てくる噺はほかに「碁どろ」「柳田格之進」があります。

志ん生の「雨の将棋」

楽屋内でも将棋マニアで知られ、素人離れしてかなり強かったという五代目古今亭志ん生は、「笠碁」を改作して碁を将棋に代え、「雨の将棋」と題して、より笑いの多いものに仕立てました。

オチは、奮戦しているうちに片方の王様が消え、あとで股ぐらから出てきたので、「かなわないから、金の後ろへ逃げた」という珍品です。

小里ん語り、小さんの芸談

「笠碁」の「笠」は、かならず「雨」をイメージさせるものなのですね。弟子の小里んが記憶の底から掘り出した、五代目小さんの芸談です。

師匠に言われたのは「これは秋の雨だぞ」ということです。「秋は人恋しくなるから、じっとしていると、出ていきたくなる。梅雨は鬱陶しいから、碁を打とうという気分とは違う。シトシトシトシトした、大降りじゃない、物悲しいような雨だ」と教わりました。「大山詣りの菅笠で凌げる程度の降りだから」ってね。(中略)「やっぱり、この噺は雨の音が聞こえるようじゃないとダメだ」とも言ってましたよ。喧嘩のあとの物悲しさが、雨で増すというかな。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

しばはま【芝浜】演目

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河岸に向かう浜で財布を拾う。山手線芝浜駅ができたらグッときたのに。

【あらすじ】

芝は金杉に住む魚屋の勝五郎。

腕はいいし人間も悪くないが、大酒のみで怠け者。

金が入ると片っ端から質入してのんでしまい、仕事もろくにしないから、年中裏店住まいで店賃(たなちん)もずっと滞っているありさま。

今年も師走で、年越しも近いというのに、勝公、相変わらず仕事を十日も休み、大酒を食らって寝ているばかり。

女房の方は今まで我慢に我慢を重ねていたが、さすがにいても立ってもいられなくなり、真夜中に亭主をたたき起こして、このままじゃ年も越せないから魚河岸へ仕入れに行ってくれとせっつく。

亭主はぶつくさ言って嫌がるが、盤台もちゃんと糸底に水が張ってあるし、包丁もよく研いであり、わらじも新しくなっているという用意のよさだから文句も言えず、しぶしぶ天秤棒を担ぎ、追い出されるように出かける。

外に出てみると、まだ夜は明けていない。

カカアの奴、時間を間違えて早く起こしゃあがったらしい、ええいめえましいと、勝五郎はしかたなく、芝の浜に出て時間をつぶすことにする。

海岸でぼんやりとたばこをふかし、暗い沖合いを眺めているうち、だんだん夜が明けてきた。

顔を洗おうと波打ち際に手を入れると、何か触るものがある。

拾ってみるとボロボロの財布らしく、指で中をさぐると確かに金。

二分金で四十二両。

さあ、こうなると、商売どころではない。

当分は遊んで暮らせると、家にとって返し、あっけにとられる女房の尻をたたいて、酒を買ってこさせ、そのまま酔いつぶれて寝てしまう。

不意に女房が起こすので目を覚ますと、年を越せないから仕入れに行ってくれと言う。

金は四十二両もあるじゃねえかとしかると、どこにそんな金がある、おまえさん夢でも見てたんだよ、と、思いがけない言葉。

聞いてみるとずっと寝ていて、昼ごろ突然起きだし、友達を呼んでドンチャン騒ぎをした挙げ句、また酔いつぶれて寝てしまったという。

金を拾ったのは夢、大騒ぎは現実というから念がいっている。

今度はさすがに魚勝も自分が情けなくなり、今日から酒はきっぱりやめて仕事に精を出すと、女房に誓う。

それから三年。

すっかり改心して商売に励んだ勝五郎。

得意先もつき、金もたまって、今は小さいながら店も構えている。

大晦日、片付けも全部済まして夫婦水入らずという時、女房が見てもらいたいものがあると出したのは紛れもない、あの時の四十二両。

実は亭主が寝た後思い余って大家に相談に行くと、拾った金など使えば後ろに手が回るから、これは奉行所に届け、夢だったの一点張りにしておけという忠告。

そうして隠し通してきたが、落とし主不明でとうにお下がりになっていた。

おまえさんが好きな酒もやめて懸命に働くのを見るにつけ、辛くて申し訳なくて、陰で手を合わせていたと泣く女房。

「とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの首はなかったかもしれねえ。手を合わせるのはこっちの方だ」

女房が、もうおまえさんも大丈夫だからのんどくれと、酒を出す。

勝、そっと口に運んで、
「よそう。……また夢になるといけねえ」

【しりたい】

三題噺から

三遊亭円朝が幕末に、「酔っ払い」「芝浜」「財布」の三題で即席にまとめたといわれる噺です。(「鰍沢」参照)

戦後、三代目桂三木助が、四代目柳家つばめと劇評家・安藤鶴夫のアドバイスで、白魚船のマクラ、夜明けの空の描写、オチ近くの夫婦の情愛など、独特の江戸情緒をかもし出す演出で十八番とし、昭和29年度の芸術祭賞を受賞しましたが……。

アンツルも三木助も自己陶酔が鼻につき、あまりにもクサすぎるとの評価が当時からあったようです。まあ、聞く人によって、好き嫌いは当然あるでしょう。

芝浜の河岸

現在の港区芝浦一丁目付近に、金杉浜町という漁師町がありました。

そこに雑魚場という、小魚を扱う小規模な市があり、これが勝五郎の「仕事場」だったわけです。

かじかざわ【鰍沢】演目

 

身延参詣の帰途、宿を借りたら命狙われ雪中の逃避行。続編は「晦の月の輪」。

別題:鰍沢雪の夜噺 鰍沢雪の酒宴 月の輪お熊

あらすじ

おやじの骨を身延山に納めるため、参詣かたがたはるばる江戸からやってきた新助。

帰り道に山中で大雪となり、日も暮れてきたので道に迷って、こんな場所で凍え死ぬのは真っ平だから、どんな所でもいいから一夜を貸してくれる家はないものかと、お題目を唱えながらさまよううち、遠くに人家の灯、生き返った心地で宿を乞う。

出てきたのは、田舎にまれな美しい女。年は二十八、九か。

ところが、どうしたことか、のどから襟元にかけ、月の輪型の傷跡がある。

家の中は十間ほどの土間。

その向こうの壁に獣の皮が掛かっていて、欄間には火縄の鉄砲。

猟師の家とみえる。

こんな所だから食べる物もないが、寝るだけなら、と家に入れてくれ、囲炉裏の火にあたって人心地つくうち、ふとした会話から女が江戸者だとわかる。

それも浅草の観音さまの裏あたりに住んでいたという……。

「あの、違ったらお詫びしますが、あなた、吉原は熊蔵丸屋の月の戸花魁(おいらん)じゃあ、ありませんか」
「えっ? おまえさん、だれ?」

男にとっては昔、初会惚れした忘れられない女。

ところが、裏を返そうと二度目に行ってみると、花魁が心中したというので、あんなに親切にしてくれた人がと、すっかり世の無常を感じて、それっきり遊びもやめてしまったと、しみじみ語ると、花魁の方も打ち明け話。

心中をし損ない、喉の傷もその時のものだという。

廓の掟でさらされた後、品川の岡場所に売られ、ようやく脱走してこんな草深い田舎に逃れてきたが、今の亭主は熊撃ちをして、その肝を生薬屋に売って細々と生計を立てている身。

「おまえはん、後生だから江戸へ帰っても会ったことは内密にしてください」
としんみりと言うので、新助は情にほだされ、ほんの少しですがと金包みを差し出す。

「困るじゃあありませんか」
と言いつつ受け取った女の視線が、ちらりとその胴巻きをかすめたことに、新助は気づかない。

もと花魁、今は本名お熊が、体が温まるからと作ってくれた卵酒に酔いしれ、すっかりいい気持ちになった新助は、にわかに眠気を催し、別間に床を取ってもらうと、そのまま白川夜船。

お熊はそれを見届け、どこかへ出かけていく。

入れ違いに戻ってきたのが、亭主の伝三郎。

戸口が開けっ放しで、女房がいないのに腹を立て、ぶつくさ言いながら囲炉裏を見ると、誰かが飲んだらしい卵酒の残り。

体が冷えているので一気にのみ干すと、そこへお熊が帰ってくる。

亭主の酒を買いに行ったのだったが、伝三郎が卵酒をのんだことを知ると真っ青。

「あれには毒が……」
と言う暇もなく伝三郎の舌はもつれ、血を吐いてその場で人事不省になる。

客が胴巻きに大金を忍ばせていると見て取り、毒殺して金を奪おうともくろんだのが、なんと亭主を殺す羽目に。

一方、別間の新助。

目が覚めると、にわかに体がしびれ、七転八倒の苦しみ。

それでもなんとか陰からようすを聞き、事情を悟ると、このままでは殺されると、動かぬ体をひきずるように裏口から外へ。

幸い、毒酒をのんだ量が少なかったか、こけつまろびつ、お題目を唱えながら土手をよじ登り、下を見ると東海道は岩淵に落ちる鰍沢の流れ。

急流は渦巻いてドウドウというすさまじい水勢。

後ろを振り向くと、チラチラと火縄の火。

亭主の仇とばかり、お熊が鉄砲を手に追いかけてくる。

雪明りで、下に山いかだがあるのを見ると、新助はその上にずるずると滑り落ちる。

いかだは流され、岩にぶつかった拍子にバラバラ。

たった一本の丸太にすがり、震えてお題目を唱えていると、上からお熊が狙いを定めてズドン。

弾丸はマゲをかすって向こうの岩に命中した。

「ああ、大難を逃れたも、お祖師さまのご利益。たった一本のお材木(=題目)で助かった」

底本:四代目三遊亭円生、四代目橘家円喬

しりたい

三題噺から創作  【RIZAP COOK】

三遊亭円朝の作。幕末には、お座敷や特別の会の余興に、客が三つの題を出し、落語家が短時間にそれらを全部取り入れて一席の噺をまとめるという三題ばなしが流行しましたが、円朝がその席で「鉄砲」「毒消しの護符」「玉子酒」の三つのキーワード(一説には「小室山の護符」「熊の膏薬」「玉子酒」とも)から即座にまとめたものです。三題噺からできた落語では円朝がつくったといわれる「芝浜」があります。原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」となっています。

と、これまではいわれてきましたが、最近の研究ではちょっと違っています。

文久年間に「粋狂連」のお仲間、河竹黙阿弥がつくったものを円朝が譲り受けた、というのが、最近のおおかたの説です。歌舞伎の世界では日蓮宗の篤信家が多かったこと、幕末期の江戸では浄土宗と日蓮宗の話題を出せばウケがよいため、信心がなくても日蓮宗を取り上げていました。黙阿弥の河竹家は浄土真宗で、菩提寺は浅草北島町の源通寺です。興行で提携していた四代目小団次こそが日蓮宗の篤信家だったのです。黙阿弥は作者に徹していたわけですね。

このころの円朝は、義兄(玄昌)の住持する南泉寺(臨済宗妙心寺派)などで 座禅の修行をしていましたから、日蓮宗とは無縁だったはず(晩年は日蓮宗に改宗)。ですから、当時の円朝はお題目とは無縁だったのですが、江戸の町では、浄土宗(念仏系)と日蓮宗(題目系)との対立が日常茶飯事で、なにかといえば「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」が人の口の端について出る日々。円朝も「臨済禅だから無関係」といっているわけにはいかなかったようですね。人々が信じる宗派をはなしに取り込まなくては芸の商売になりませんし。黙阿弥と同じ立場です。

江戸期にはおおざっぱに、上方落語には念仏もの(浄土宗、浄土真宗、時宗など)が多く登場し、江戸落語には題目もの(日蓮宗、法華宗など)が多く取り上げられる、といわれています。このはなしもご多分に漏れなかったようです。

「鰍沢」と名人たち  【RIZAP COOK】

円朝は維新後の明治5年(1873)、派手な道具入り芝居噺を捨て、素ばなし一本で名人に上り詰めましたが、「鰍沢」もその関係で、サスペンスがかった人情噺として演じられることが多くなりました。

円朝門下の数々の名人連に磨かれ、三遊派の大ネタとして、戦後から現在にいたるまで受け継がれてきました。

明治の四代目橘家円喬の迫真の名演は、今も伝説的です。

近年では八代目正蔵に正統が伝わり、五代目志ん生も晩年好んで演じました。

元の形態の芝居噺としては、正蔵が特別な会で復活したものが門弟の正雀に継承されたほかは、やり手はいないようです。

志ん生の「鰍沢」  【RIZAP COOK】

五代目志ん生は、自らが円朝、円喬の系統を継ぐ正統の噺家であるという自負からか、晩年、円朝全集を熟読し、「塩原多助」「名人長二」「鰍沢」など、円朝がらみの長編人情噺を好んで手がけました。

志ん生の「鰍沢」は、全集の速記を見ると、名前を出しているのはお熊だけで、旅人も亭主も無人称なのが特色ですが、残念ながら成功したとは言いがたいできです。リアルで緻密な描写を必要とする噺の構造自体が、志ん生の芸風とは水と油なのです。

音源は、病後の最晩年ということもあり、口が回らず、無残の一語です。五十代の志ん生が語る「鰍沢」を一度聞いてみたかったと思います。

続編は「晦の月の輪」  【RIZAP COOK】

歌舞伎作者の黙阿弥作で、やはり円朝が芝居噺として演じたとされる、この噺の続編が「鰍沢二席目」です。正式には「晦(みそか)の月の輪」といい、やはり三題噺(「花火」「後家」「峠茶屋」)から作られたものといわれます。

毒から蘇生した伝三郎が、お熊と信濃・明神峠で追い剥ぎを働いているところへ、偶然新助が通りかかり、争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後、演じられた形跡もなく、芝居としての台本もありません。岩波版「円朝全集」には別巻2に収められています。

鰍沢  【RIZAP COOK】

現在の山梨県南巨摩郡鰍沢町。東海道から甲府に至る交通の要衝で、古くから、富士川添いの川港として物資の集積点となり、栄えました。「鰍沢の流れ」は富士川の上流で、東海道岩淵在は現在の静岡県庵原郡富士川町にあたります。

「鰍沢」は人情噺には珍しく、新助が急流に転落したあと「今のお材木(=お題目)で助かった」というオチがついていますが、「おせつ徳三郎」のオチと同じなので、これを拝借したものでしょう。

晒し刑  【RIZAP COOK】

男女が心中を図って亡くなった場合は死骸取り捨てで三ノ輪の浄閑寺や亀有の善応寺などの投げ込み寺に葬られました。どちらかが生き残った場合は下手人の刑として処刑されました。両方とも生き残った場合は、日本橋南詰め東側に三日間、晒し刑にされました。これは悲惨です。縄や竹などで張られた空き地に、萱や棕櫚などで葺いた三方開きに覆いの中に筵を敷いて、その上に座らせられて、罪状が記された捨て札、横には刺す股、突く棒、袖搦みといった捕り方道具を据えられて、往来でさんざんに晒されます。物見高い江戸っ子の娯楽でもありました。江戸っ子は無責任で残酷です。四日後、男女は別々に非人に落とされていきます。

日本橋馬鹿をつくした差し向かい
江戸のまん中でわかれる情けなさ
死すべき時死なざれば日本橋
日本に死にそこないが二人なり
日本橋おしわけてみる買った奴
四日目は乞食で通る日本橋
吉原の咄をさせる小屋頭

「江戸のまん中」「日本」は日本橋のこと。吉原で「買った奴」がまざまざと眺める光景は世間の非情と滑稽を点描しています。「乞食」とは非人のことでしょう。江戸っ子には乞食も非人も同類の認識だったのがわかります。「小屋頭」とは非人頭のこと。浅草では車善七、品川では松右衛門と決まっていました。吉原で遊女をしていた頃の話を聞こうとする非人頭もずいぶんといやらしい了見です。そんなこんなの非道体験を経た後、伝三郎とお熊は鰍沢に人知れず消えていったわけです。彼らの心境も多少は推しはかれるかもしれません。

【語の読みと注】
浄閑寺 じょうかんじ:荒川区南千住二丁目の浄土宗寺院。投げ込み寺だった
善応寺 ぜんのうじ:足立区中川三丁目の真言宗寺院。投げ込み寺だった

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