【一人酒盛】ひとりさかもり 落語演目 あらすじ



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【どんな?】

上方噺。
酒好きにはこたえられません。

別題:一人酒

【あらすじ】

これから仕事に出かけようという時に、急用だからとのみ友達の熊五郎に呼び出された留公。

無理して来てみると、たった今、上方に行っていた知人から、土産に酒をもらったから、二人でのみたいと、誘ったという。

造り酒屋から直接、一升だけ分けてもらった酒の元(原酒)で、めったに手に入らない、いい酒とか。

本当なら全部あげたいが、ほかに一軒世話になった家があって、そこへ半分持っていかなければならないから、五合で勘弁してくれと、置いていったという。

「のみ友達は大勢いるが、留さんは一番気が合うから呼んだ」
とお世辞を言われ、酒に目がなく、お人よしの留公はニコニコ。

いい酒がのめると聞いて、仕事などどうでもよくなった。

熊が、炭火を起こして燗をつけてくれの、魚屋に行って刺し身を見つくろってこいのと、自分をアゴで使い始めたのもいっこうに気にせず、台所の板をひっぺがして漬け物を出し、また燗をつけ、のみたい一心でかいがいしく動きまわる。

今か今かと、「のめ」と言ってくれるのを待っているのだが、熊は一人でガブガブのみ、勝手なご託ばかり並べ立てるだけ。

ついにがまんしかねて、留が
「うまいかい?」
とせいいっぱいのカマをかけても、グイグイ一息にのみ干してから
「のんでるときに、なにか言っちゃいけねえ」
と、熊の耳にも入らない。

「いい酒だね、うまくって、酔い心地がよくって、醒めぎわがいい。七十五日どころか、三年ぐらい生き延びちゃった。おい、もう一度燗をつけてくれ」

「いっしょにのみてえのは留さんだけだ」
と繰り返すので、ついまたつけてやってしまう。

そのうち刺し身をムシャムシャ食い出し、これも独り占め。

そろそろ完全にベロベロになってきて、なにかうたえと、からむからぶつくさ言うと、
「なに、もそもそ言ってるんだよォ。酒のんだら、のんだ心持ちになんなきゃいけないよォ」

留、カッカしてきて燗番を忘れ、酒が沸騰。

熊、
「どじ助のまぬけ、こんなに煮っくりかえしちまって」
と毒づきながら、酒をフウフウ吹きながらのむ。

そこで五合はおつもり。

「無冠の太夫おつもり」
などと一人駄洒落で悦に入り
「一人でのんじゃもったいないから、おめえを呼んでやったんだ。ありがたく思え。どうだ、うめえだろう」
などと言うに及び、留の怒りが爆発。

「なにォ言いやがんでえ、ベラボウめ。うめえもまずいもあるかい。忙しいのに呼びに来やがって、てめえ一人で食らいやがって。てめえなんぞとは、もう生涯付き合わねえや。つらあ見やがればか野郎ッ」

畳をけり立てて、帰ってしまう。

隣のかみさんがのぞいて
「ちょいと熊さん、どうしたんだよ。けんかでもしたのかい」
「うっちゃっときなよ。あいつは酒癖が悪いんだ」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

六代目松鶴の酒乱噺

上方の噺で、酒のみの地を生かした六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)の十八番でした。

東京でこの噺を得意にした六代目三遊亭円生がどちらかといえば、根は好人物という人物造形だったのに対し、松鶴の主人公は酒乱そのものでした。

大阪では、もともと、紙切りや記憶術などの珍芸を売り物にしていた桂南天(1972年、83歳で没)が得意にし、そのやり方は桂米朝が直伝で継承していました。

南天や米朝のでは、主人公は引っ越してきたばかりの独り者で、訪ねてきた友達に荷物の後片付けまですっかりやらせ、その後「一人酒盛」のくだりに入ります。

円朝の名人芸

『明治世相百話』には、明治28年(1895)秋、すでに引退していた三遊亭円朝が、浜町の日本橋倶楽部で催された「円朝会」に出席、トリにこの「一人酒盛」を演じたことが記されています。

著者は山本笑月(1873-1936)。明治を代表するジャーナリストの一人。浅草花やしきの創設者、山本金蔵の長男で、長谷川如是閑や大野静方は実弟です。条野採菊が経営するやまと新聞から朝日新聞に移り、文芸部長、社会部長などをつとめました。病を得て退社した後は、療養生活と江戸明治文化の研究に励みました。

『明治世相百話』は昭和58年(1983)に中公文庫から復刊されました。これさえも今では絶版ですが、古本でまだ入手できます。この本には円朝の意外な面が活写されてあります。

山本笑月によると、円朝は、「被害者」の男を、後半まったく無言とし、顔つきや態度だけで高まる怒りを表現、円朝の顔色が青くなって、真実怒っているように見えた、ということです。名人芸のきわみでしょうか。

東京では円朝の高弟、二代目三遊亭円橘が最も得意にしました。六代目円生は、子供のころ円橘の高座を聴いた記憶と、三代目蝶花楼馬楽の短い速記をもとに構成したそうです。

七十五日どころか

七十五日は「ほんのわずかな期間」という意味。「人のうわさも七十五日」「初物を食えば七十五日生き延びる」などと、江戸ではよく「七十五日」を使いますが、この数字の根拠は不明です。六代目円生も「よくわかりません」と言っています。

この噺に関しては、酒はすぐ醒めるから、命が延びてもほんのわずか、と逆説的な意味を含むのかもしれません。

おつもり

正確には「積もりっこ」で、杯を納めることです。酒席で、その酌を最後に終わりにするときに「おつもりで」と使います。ここではさらに、『平家物語』の登場人物、無官太夫の平敦盛を掛けたダジャレでもあります。

ことばよみいみ
留公とめこう「とめの野郎」くらいの意
ご託 ごたくご託宣の略。くどくど。「ごた」とも
平敦盛たいらのあつもり源平合戦時の平家の武将



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