【石返し】いしがえし 落語演目 あらすじ
【どんな?】
ここの松公は与太郎。番町を夜なきそばで。江戸から上方へ移った珍しいはなし。
別題:鍋屋敷
【あらすじ】
少しばかり頭が薄暮状態の松公は、夜なきそば屋のせがれ。
親父の屋台の後を、いつもヘラヘラして付いて回っているだけ。
今夜は親父が
「疝気が起こって商売に出られないから、代わりにおまえがそばを売って来い」
と言い渡す。
そばのこしらえ方や「お寒うございます」というお愛想の言い方を一通りおさらいし、屋台のそば屋はなるたけさびしい場所の方が客が捕まる、火事場の傍だと野次馬が大勢集まっているからもうかりやすい、などといった秘訣を、いちいち教えられた。
「じゃ、お父っつぁん、道具ゥ置いといて火ィつけてまわろうか」
「ばか野郎ッ」
頼りないながらも、最後に「そばあうううい」という売り声をなんとか親父が教え込み、松公は商売に出かけた。
さあ、それからが大変。
なかなか「そばあうううい」と出てこないので、暗い所で練習しておけば明るい所でも大丈夫だろうと、立ち小便の真っ最中の職人にいきなり
「(そ)ばあー」
とやってケンツクを食わされたり、客が
「一杯くれ」
と言うのに、
「明るいとこじゃ売れない、オレのそばが食いたきゃ墓場へ来い」
とやったりして、相変わらず頭のネジは緩みっぱなし。
そのうちに、ばかにさびしい所に出たので、いちだんと声を張り上げると、片側が石垣、片側がどぶとなっている大きな屋敷の上の方から侍が声を掛けてきた。
「総仕舞いにしてやるから、そばと汁を別々に、残らずここに入れろ」
と、上から鍋と徳利が下がってきたので、松公喜んで全部入れ、
「お鍋の宙乗りだ、スチャラかチャンチャン」
と囃すうちに、そばは屋敷の中に消える。
「代金をくれ」
と言うと、
「石垣に沿って回ると門番の爺がいるから、それにもらえ」
とのこと。
ところがその門番、
「あそこには人は住んでいない、それは狸で、鍋は金玉。きさまは化かされたのだからあきらめろ」
という。
「狸がたぶん引っ越しそばでもあつらえたんだろうから、そんな代金を人間が払う義理はない、帰れ帰れ」
と六尺棒で追い立てられ、松公は泣きべそで戻って報告した。
親父は
「あすこは番町鍋屋敷という所だ」
と屋台の看板を汁粉屋に書き換え、松公と一緒に現場へ急行。
「しるこォ」
と声を張り上げると、案の定呼び止められ、鍋が下がってきたので、親父、そいつに石を入れて
「お待ち遠さま」
侍、引き上げて驚き
「おいっ、この石はなんだッ」
「さっきの石返し(意趣返し)」
底本:五代目柳家小さん
【しりたい】
小さん系の与太郎噺
古い江戸落語ですが、原話は不詳です。武士の横暴に仕返しする、町人のレジスタンス精神があふれ、なかなかおもしろい噺ながら、オチがダジャレ、つまり、石=イシと仕返しの意味の意趣=イシュを掛けた、くだらないせいか、最近はあまり演じられていないようです。
三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)から四代目小さん(大野菊松、1888-1947)、七代目三笑亭可楽(玉井長之助、1886-1944、玉井の)、そして五代目小さん(小林盛夫、1915-2002)に継承されました。与太郎(松公)の商売を、始めに汁粉屋、報復の時にうどん屋になって行く演出もあります。
江戸から上方へ
多くの滑稽噺とは逆に、これは江戸から大坂に移植されたものです。上方では戦後、最長老として重きをなした橘ノ円都(池田豊次郎、1883-1972)から門弟の橘家円三(土居成、1947-2021)に継承されました。
ここでのあらすじは、五代目小さんの速記をもとにしました。
夜鷹そば、風鈴そば
夜鷹そばともいい、風鈴が屋台に付いていたので、風鈴そばともいいました。ただし、元来、この二つは別で、夜鷹そばは二八そばのかけ、風鈴そばはしっぽく(そばの上に焼き玉子、蒲鉾などの種物をあしらったもの)。しっぽくの登場は文化年間(1804-18)と言われますから、後者の方が遅く、夜鷹そばの方は宝暦年間(1751-63)の文献には、もう名が出ています。
『論集江戸の食―くらしを通して』(石川寛子編著、弘学出版刊、2007年)によれば、貞享3年(1686)11月に、うどん、そば切りなどの夜間の行商が禁止になったとあるので、さらに起源は古いことになりますが、このころは蒸しそばだったと思われます。
夜鷹そばは二八そばともいいました。一杯の値段はずっと二八の十六文で通してきたものの、不潔なため、同じ夜間の行商人には「夜たかそば などと見くびる 甘酒屋」という川柳の通り、下に見られていたようです。幕末の慶応2年(1866)9月、二八そばの値段が二十文から二十四文に値上げされたという記録が残ています。
番町鍋屋敷、表長屋、曰窓、笊
怪談「番町皿屋敷」をもじったもの。特に幕末には、直参・陪臣を問わず、このような侍の食い逃げがまかり通っていました。
表長屋と呼ぶ江戸詰めの勤番侍の住居は、この噺の通り二階建てで、下は仲間・小者、二階に主人の住居でした。
上から笊を下ろして品物を買う場面は「井戸の茶碗」にも登場しますが、出口は屋敷側に向いていて、表通りに面しているのは曰窓だけだったので、室内から手軽に買い物をするにはこうするよりほかなく、したがって、これを利用した悪事が横行したわけです。
【語の読みと注】
疝気 せんき
夜鷹 よたか
曰窓 いわくまど 横桟一本だけの窓。字に見立ててこう呼ぶ