天災 てんさい 演目

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八五郎が心学先生に心服。鸚鵡返しで長屋にまき散らし俄先生に。

別題:先妻 俄心学 人の悪き(上方)

【あらすじ】

隠居の家に気短な八五郎がいきなり飛び込んできて
「女房のとおふくろのと、離縁状を二本書いてくれ」
と言う。

鯵を猫に盗まれたことから夫婦げんかになり、 止めに入ったおふくろをけっ飛ばしてきた というので、あきれた隠居、
「長谷川町新道の煙草屋裏に、紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)という偉い心学の先生がいるから話を聞いて精神修行をし、心を和らげてこい」
と紹介状を書いて送り出す。

八五郎は先方に着くや、
「ヤイ、べらぼうになまける奴、出てきやがれッ」
とどなり込んだから先生も驚いた。

紹介状を見て
「おまえさんは気が荒くて、よく人とけんかをするそうだが、短気は損気。堪忍の成る堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍、気に入らぬ風もあろうに柳かな」
「堪忍の袋を常に首へかけ破れたら縫え破れたら縫え」
と諭すが、いっこうに通じない。

先生が
「往来で人に突き当たられたらどうするか」
と聞くと、八は
「殴りつける」
と言うし、
「もし軒下を歩いていて屋根瓦が落ちてきてけがをしたら」
と問うと
「そこの家に暴れ込まァ」
「家の人がしたのではないぞ」
「しなくたってかまわねえ」
「それでは、表で着物の裾に水を掛らけられたら? 子供なら堪忍しますか」
「しねえ。その家に暴れ込む」

「それでは」と先生。

「五町四方もある原っぱでにわかの夕立、びっしょり濡れて避ける所もないときは、誰を相手にけんかする?」
と突っ込むと、さすがの八五郎もこれには降参。

「それ、ごらん。そこです。天災というもので、災難はちゃんとその日にあることに決まっている。先の屋根から落ちた瓦もそうです。わざわざこちらからかかりに行くようなもので、災難天災といいます。人間は天災てえことを知って、何事も勘弁しなければいけません」

わかったのかわからないのか、ともかく八五郎、すっかり心服して、
「なるほどお天道さまがすると思えば腹も立たない、天災だ天災だ」
と、すっかり人間が丸くなって帰る。

なにやら隣の家で言い争っているので、何事かと聞くと、吉兵衛が、かみさんの知らぬ間に女を連れ込んでもめているという。

ここぞと止めに入った八五郎、
「まあ落ち着け。ぶっちゃあいけねえ。奈良の堪忍、駿河堪忍」
「なんだよ」
「気に入らぬ風も蛙かな。ずた袋よ。破れたら縫うだろう?」
「だからなんでえ」
「原ン中で夕立にあって、びっしょり濡れたらどうする? 天災だろう」「なに、天災じゃねえ。先妻だ」

底本:二代目古今亭今輔、八代目林家正蔵(彦六)

【しりたい】

心学

石田梅岩(1685-1744)が創始しました。「心学」は梅岩の人生哲学と、それをもとにした民衆教化運動の、両方を指します。

この噺を見るかぎり、単なる運命肯定、「諦めの勧め」と理解されやすいのですが、実際は、人間の本性を率直にとらえ、人間の尊厳を通俗的なたとえで平易に説いた教えです。そこから四民平等、商業活動の正当性を最初に提唱したのも梅岩一派だったといわれています。

石門心学ともいい、梅岩門下によって天保年間(1830-44)にいたるまで、町人を中心に大いに興隆しました。この噺のように、師弟の辛抱強い問答によって教義を理解させる方法が特徴で、原則として教習料はタダでした。

意外な人気作

原話は不詳。かなり古くから江戸で口演されてきた噺のようです。

明治二十二年の二代目古今亭今輔の速記が残り、三代目小さんから四代目、五代目と伝わりました。八代目林家正蔵のは、晩年の三代目小さんからの直伝だそうです。

地味で笑いも少なく、短いので前座噺の扱いを受けることもあって、滅亡寸前と思いきや、意外に人気があって、現在も比較的よく演じられています。

心学噺、ほかには

心学の登場する噺は、昔はかなりあったようですが、現在は「中沢道二」「由辰」が生き残っているほか、「堪忍袋」も、心学の教義が根底にあるといわれます。

上方の「人の悪き」は、「人の悪きはわが悪きなり」と教わって、帰りに薪屋の薪を割らせてもらい、「人の割る木はわが割る木なり」と地口(ダジャレ)で落とすもので、「天災」とよく似ていますが、同じ心学噺でも別系統のようです。

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