【中沢道二】なかざわどうに 落語演目 あらすじ
【どんな?】
全編これ心学。今はすたれたべたべたのご教訓も落語で聴いてみると味わいあります。
【あらすじ】
江戸名物に「火事とけんかと中っ腹」とあるぐらい、江戸の職人は短気で、縁日などで足を踏んだ踏まれたで始終けんかばかりしている。
これを伝え聞き、少しは気を和らげてやりたいと、中沢道二という心学の先生が、はるばると京から下向してきた。
中橋の寒菊という貸席を道場に借り、「木戸銭、中銭、一切なし」というビラをまいたので、物見高い江戸者のこと、なかには、京都の田楽屋が開店祝いにタダで食わせると勘違いする輩もいて、我も我もと押しかける。
下足番の爺さんに
「おまえさんとこの田楽はうまいかい?」
と早くも舌なめずり。
「手前どもの先生は、田楽じゃござんせん。心学でござんす」
「へえ、おい、田楽は売り切れちまって、鴫焼きになっちまったとよ」
なんでも食えれば、後はそば屋で口直ししようと、二階へ通る。
当然、なにも食わせない。
高座へ上がってきた、頭がピカピカ光って十徳を着込んだ道二先生、ていねいにおじぎをして講義にとりかかる。
金平糖の壺へ手を突っ込んで抜けなくなり、高価な壺だがしかたがないと割ってみたら、金平糖を手にいっぱい握っていたという話や、手と足が喧嘩して足がぶたれ、
「覚えてろよ。今度湯ィ入ったら、てめえに洗わせる」
という、落とし噺などで雰囲気を和らげ、本来の儒教の道徳を説こうとするが、おもしろくもなんともないので、みんな腹ぺこのまま、ぶうぶう言って帰ってしまう。
一人残された道二先生、
「どうしてこうも江戸っ子は気が短いのか」
と嘆いていると、客席にたった一人もじもじしながら残っている職人がいた。
先生喜んで
「あなたさま、年がお若いのに恐れ入りました。未熟なる私の心学が、おわかりですか」
「てやんでえ、しびれが切れて立てねえんだい」
【しりたい】
中沢道二 【RIZAP COOK】
なかざわどうに。享保10年(1725)-享和3年(1803)、江戸中期、後期に活躍した人です。京都、西陣織元の家の出身。
40歳頃に手島堵庵に師事し、石門心学を修め、安永8年(1779)、江戸にくだって日本橋塩町に「参前舎」という心学道場を開き、その普及に努めました。
手島は石門心学の祖、石田梅岩の弟子です。ということは、中沢は石田梅岩の孫弟子。
のちに老中松平定信の後援を受け、全国に道場を建設、わかりやすい表現で天地の自然の理を説きました。
心学については「天災」のその項をお読みください。
実話を基に創作 【RIZAP COOK】
この噺は中沢道二の逸話を基に作ったとみられます。
本来は短いマクラ噺で、ここから「二十四孝」や「天災」につなげることが多くなっています。一席にして演じたのは八代目林家正蔵(彦六)くらいでしょう。
【語の読みと注】
中っ腹 ちゅうっぱら:むかむか。いらいら
鴫焼き しぎやき:ナスのみそ田楽の別名