【猫の災難】ねこのさいなん 落語演目 あらすじ
【どんな?】
猫のお余りで一杯。
せこな噺です。
別題:犬の災難(志ん生)
【あらすじ】
文なしの熊五郎。
朝湯から帰って一杯やりたいと思っても、先立つものがない。
「のみてえ、のみてえ」
とうなっているところに、隣のかみさんが声をかけた。
見ると、大きな鯛の頭と尻尾を抱えている。
猫の病気見舞いにもらって、身を食べさせた残りだという。
捨てに行くというので、頭は眼肉がうまいんだからあっしにください、ともらい受ける。
これで肴はできたが、肝心なのは酒。
「猫がもう一度見舞いに酒をもらってくれねえか」
とぼやいていると、ちょうど訪ねてきたのが兄貴分。
「おめえと一杯やりたいと誘いにきた」
という。
サシでゆっくりのむことにしたが、
「なにか肴が……」
と見回し、鯛の頭を発見した兄貴分、台所のすり鉢をかぶせてあるので、真ん中があると勘違い。
「こんないいのがあるのなら、おれが酒を買ってくるから」
と大喜び。
近くの酒屋は二軒とも借りがあるので、二町先まで行って、五合買ってきてもらうことにした。
さあ困ったのは熊。
いまさら猫のお余りとは言いにくい。
しかたがないので、兄貴分が酒を抱えて帰ると、
「おろした身を隣の猫がくわえていった」
とごまかす。
「それにしても、まだ片身残ってんだろ」
「それなんだ。ずうずうしいもんで、片身口へくわえるだろ、爪でひょいと引っかけると小脇ィ抱えて」
「なに?」
「いや、肩へぴょいと」
おかしな話だ。
「日頃、隣には世話になってるんで、がまんしてくれ」
と言われ、兄貴分、不承不承代わりの鯛を探しに行った。
熊、ほっと安心して、酒を見るともうたまらない。
冷のまま湯飲み茶碗で、さっそく一杯。
「どうせあいつは一合上戸(すぐ酔っぱらう酒好き)で、たいしてのまないから」
とたかをくくって、
「いい酒だ、うめえうめえ」
と一杯、また一杯。
「これは野郎に取っといてやるか」
と、燗徳利に移そうとしたとたんにこぼしてしまう。
「もったいない」
と畳をチュウチュウ。
気がつくと、もう燗徳利一本分しか残っていない。
やっぱり隣の猫にかぶせるしかないと
「猫がまた来たから、追いかけたら座敷の中を逃げ回って、逃げるときに一升瓶を後足で引っかけて、全部こぼしちまった」
と言い訳することに決めた。
「そう決まれば、これっぱかり残しとくことはねえ」
と、熊、ひどいもので残りの一合もグイーッ。
とうとう残らずのんでしまった。
いい心持ちで小唄をうなっているうち、
「こりゃいけねえ。猫を追っかけてる格好をしなきゃ」
と、向こう鉢巻に出刃包丁、
「あの猫の野郎、とっつかめえてたたっ殺して」
と一人でがなってると、待ちくたびれてそのまま白川夜船。
一方、鯛をようやく見つけて帰った兄弟分。
酒が一滴もないのを知って仰天。
猫のしわざだと言っても今度はダメ。
「この野郎、酔っぱらってやがんな。てめえがのんじゃったんだろ」
「こぼれたのを吸っただけだよ」
「よーし、おれが隣ィどなり込んで、猫に食うもの食わせねえからこうなるんだって文句を言ってやる」
そこへ隣のかみさんが
「ちょいと熊さん、いいかげんにしとくれ。さっきから聞いてりゃ、隣の猫隣の猫って。家の猫は病気なんだよ。お見舞いの残りの鯛の頭を、おまえさんにやったんじゃないか」
これで全部バレた。
「この野郎、どうもようすがおかしいと思った。やい、おれを隣に行かせて、どうしようってえんだ」
「だから、猫によく詫びをしてくんねえ」
【しりたい】
小さん十八番、呑ん兵衛噺の白眉
これも、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京にもたらした数多い上方落語の一つです。
当然、三代目、四代目(大野菊松、1888-1947)と代々の小さんに継がれた「お家芸」ですが、特に五代目(小林盛夫、1915-2002)は、「試し酒」「禁酒番屋」「一人酒盛」などで見物をうならせた、リアルな仕種と酒のみの心理描写を、この噺で集大成したかのようにお見事な芸を見せてくれました。
中でも、畳にこぼした酒をチューチュー吸う場面、相棒が帰ってきてからのべろべろの酔態は、愛すべきノンベエの業の深さを描き尽くして余すところがありませんでした。
同じ酔っ払いを演じても、酒乱になってしまう六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)と違い、小さんの「酒」はリアルであっても、後口にいやな匂いが残りませんでした。これも芸風と人柄でしょう。
上方のやり方
上方では、腐った鯛のアラを酒屋にただでもらう設定で、最後のサゲは、猫が入ってきたので、阿呆がここぞとばかり、「見てみ。かわいらし顔して。おじぎしてはる」と言うと、猫が神棚に向かって前足を合わせ、「どうぞ、悪事災にゃん(=難)をまぬかれますように」と地口で落とします。
初代桂春団治(皮田藤吉、1878-1934)が得意にし、戦後は二代目春団治(河合浅次郎、1894-1953)、実生活でも酒豪でならした六代目笑福亭松鶴がよく高座にかけました。
志ん生の「犬の災難」
五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)は、「犬の災難」の演題で猫を犬に替え、鯛ではなく、隣に届いた鶏を預かったことにしました。
相棒が酒を買いに行っている間に、隣のかみさんが戻ってきて鶏を持っていってしまうという、合理的な段取りです。
最後は酒を「吸った」ことを白状するだけで、オチらしいオチは作っていません。
三代目金馬の失敗談
釣りマニアだった三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)が、防波堤で通し(=徹夜)の夜釣りをしていたときのこと。
大きな黒鯛が掛かり、喜んで魚籠に入れておくといつの間にか消えています。そのうち、金馬と友達の弁当まで消失。無人の防波堤で泥棒などいないのにとぞっとしましたが、実はそれは、そのあたりに捨てられた野良猫のしわざ。堤の石垣に住み着いて、釣りの獲物を失敬しては食いつないでいたわけです。
「それからこっち、魚が釣れないと、また猫にやられたよって帰ってくる」
(三代目三遊亭金馬『随談 猫の災難』)
こぼれ話
五代目小さんは、相棒が酒を買いに行く店を「酢屋満」としていますが、これは、目白の小さん宅の近所にあった実在の酒屋、「酢屋満商店」(豊島区目白二丁目)です。酒をのみほした後、小唄をうなるのは五代目の工夫でした。